Fate/Begins藤丸立香の聖杯戦争 〜Class:Assassin〜 作:紫道麻璃也
電車のドアが閉まる。鈍い音を最後に、車両はゆっくりと動き出し、やがて速度を上げて闇へと溶けていった。レールの軋みが遠ざかるにつれ、音の層が一枚ずつ剥がれていく。
——静寂。
残されたホームに、遅れて夜の空気が満ちた。
「……やっぱり変わってないな、この駅」
立香は、小さく肩を回した。骨が軽く鳴る。
長時間の移動で固まっていた身体が、ゆっくりと“現地仕様”に戻っていく。
視線を巡らせる。
古びた看板。蛍光灯のわずかなちらつき。人気の少ないホームに落ちる、均一すぎる影。
記憶と、ほとんど同じ光景。
だが——
「静かすぎるだろ……」
違和感が先に立つ。
東京の喧騒。絶え間ない人の流れ。ノイズのように重なる生活音。
それらに慣れた今の感覚では、この“静けさ”の方が異常に思える。
改札へ向かいながら、無意識に息を吸う。
その瞬間。
「……濃いな」
わずかに、眉が寄った。
肺に入ってきた“空気”の質が、明らかに違う。
ただの空気じゃない──魔力
重く粘つき肌にまとわりつく圧、それがまるで湿度のように混じっている。
東京にも存在しないわけではないが、これは比較にならない。
「完全に別世界だな、これ」
自嘲気味に笑う。
だが、その言葉の裏には、わずかな高揚もあった。
「……帰ってきた、か」
ぽつりと落ちた言葉は、思っていたよりも重く、胸の奥に沈んだ。
懐かしさを感じ違和感を感じる。
安堵を感じそして、拭いきれない不穏。
この街は“日常”だった場所だ。
朝が来て、学校に行って、帰ってくる。
そんな当たり前の積み重ね。
けれど同時に——
人が死に、英霊が殺し合う、“非日常”の中心でもある。
「まあ……」
感情を一度リセットするように小さく息を吐く。
「分かってて来てるんだけどな」
改札を抜けるとそこは夜の冬木。
街灯は点き人影もある。
それでも——どこか“遠い”。
現実と薄くズレているような、奇妙な距離感。
「……主」
その違和感の中ですぐ隣から、音もなく声が落ちた。
「どうしたのアサシン?」
視線は向けない。だが、“そこにいる”ことは確信している。
気配が薄すぎるがゆえに、逆に明確な存在。
普通の人間なら、まず認識できない。
「この街、やはり異様です」
感情はない短い報告。ただ事実だけを切り取る声。
「だよね」
立香は苦笑する。
「俺もそう思う」
「……」
──もぐ
わずかな咀嚼音。
「……アサシン」
思わず視線を向ける。
そこにいるのは、黒と紅の装束の夜に溶ける色彩の少女。
そしてその手には──
「……まだ食べてたの?」
「はい」
無表情のまま、こくりと頷く。
手に持っているのはコンビニの梅おにぎり。
あまりにも場違いな、日常の象徴。
「移動中に食べ終える予定でしたが」
そう言いながらもう一口丁寧に咀嚼する。
「想定より、味が良かったため」
「そう……」
立香は軽く額を押さえた。
この緊張感のなさが、逆に現実味を引き戻す。
だが──
その裏側では確実に、何かが動いている。
「……感じてる?」
声を落とす。
アサシンは、咀嚼を止めないまま頷いた。
視線はすでに、街の奥──見えない“何か”を捉えている。
「複数の魔力反応。加えて──」
わずかな間。
「既に戦闘の痕跡があります」
「やっぱりか」
立香は息を吐いた。
予想はしていたが確認されると意味が変わる。
「完全に始まってるね」
第六次聖杯戦争──この街を舞台にした、選ばれた者たちの殺し合い。
そして——
自分は、その中心へ戻ってきた。
「……ったく」
そう思いながら苦笑いを浮かべる。
「帰省って感じじゃないな」
「第一声がそれ?」
背後から耳に響くよく知った声。
「相変わらずね、あんた」
立香は振り返る。
街灯の下、風に揺れる赤いコート。
そのシルエットは、記憶よりも少しだけ大人びていた。
「……姉さん」
──遠坂凛。
腕を組み、呆れ半分警戒半分の目でこちらを見ている。
「元気そうで何より」
「そっちも」
軽く肩をすくめる。
視線がぶつかる。
数秒。
昔と同じ距離感。
だが——
その奥にあるものは、明確に変わっていた。
互いに“戦い”を知っている者の目。
「で?」
凛が口を開く。
その視線が、すっと横へ流れる。
「その隣にいるのは誰?彼女?」
「サーヴァント」
凛の質問に即答。
「アサシン。契約済み」
凛の眉がわずかに跳ねた。
「……は?」
「東京で呼んだ」
「は?」
間を置かない二度目──だが今度は完全に呆れ。
「ちょっと待ちなさいよ……何考えてるの」
「いや、流れで」
「流れで英霊呼ぶな⁉︎」
声が強くなる。
だがその隣でアサシンは静かに一歩前に出て、一礼した。
無駄のない動き、そして片膝をつき──
「アサシン──主の刃として、ここに」
それ以上は語らない。
凛の視線が鋭くなる。
値踏みするように。
「……真名は?」
空気が張る──一瞬の沈黙。
立香は迷わず答えた。
「言わないよ」
──断言
ピリ、と空気が裂ける。
そして──凛は小さく息を吐いた。
「……まあいいわ、それが正解」
視線を外し一拍。
「で?」
改めて、立香を見る。
「なんで帰ってきたの」
立香は少しだけ笑う。
「帰省と観光かな?」
「嘘つき」
間髪入れずの即答。
「あはは……」
視線を、街の奥へ動かす。
見えない戦い。
確かに“ある”それ──
「……聖杯戦争」
「第六次のね」
凛が頷く。
「サーヴァントがいるってことは参加するのね」
「そりゃね」
立香は肩をすくめる。
「家族が住んでいる町が巻き込まれてるなら、なおさらだよ」
凛の目が細くなる。
「ほんと、お人好しで人たらし」
「褒め言葉?」
「全然」
だが、その声は少しだけ柔らかい。
風が吹き沈黙が落ちる。
——そのとき
「主」
アサシンの声が響く。
空気が変わり立香の意識が、一瞬で切り替わる。
「来る?」
「はい、来ます」
その一言で、世界が戦場に変わった。
アサシンは、残っていたおにぎりを食べきり包みを丁寧に折り畳む。
捨てるでもなく、懐へ。その無駄のなさ。
それだけで分かる。
——戦闘態勢
「……早速か」
立香は小さく息を吐く。
遠く、路地の奥に感じる歪んだ魔力。
そして隠そうとして、隠しきれていない──殺意
「姉さん」
「分かってる」
凛の声も低くなる。
「完全に戦場ね」
迷いはない。
先程までの日常は、ここで終わり。
「アサシン」
立香が呼ぶ。
影が一歩前に出る。
音はない。
「指示を」
淡々で無機質なほどに静かな声。
だが立香はわずかに笑った。
「いきなりだけど」
視線を向ける。
「任せてもいいか?」
一瞬──ほんのわずかな間。
そして──
「——承知」
──気配が“消える”
そこには、もう何もいない。
凛の目が細くなる。
「……速い」
直後──遠くで
“断たれる”気配。
遅れて、音。
鈍い衝撃。
空気の揺れ。
そして──
──再び静寂。
風だけが通り過ぎる。
やがて——
「終わりました。おそらく偵察用の使い魔と呼ばれるものかと」
何事もなかったように、隣に立っている。
呼吸すら乱れていない。
「……ほんとに一瞬ね」
凛が小さく呟く。
立香は肩をすくめる。
「優秀だろ」
「ええ」
凛は息を吐く。
「だからこそ、厄介よ」
その言葉には、確かな重み。
アサシンは何も言わない。
ただ、そこに“いる”。
いるのに、いないような存在。
「……」
立香は、ゆっくりと新都を見渡した。
変わらない景色、変わってしまった意味。
「……帰ってきたな」
ぽつりと呟く。
その声には——
確かな実感と、はっきりした覚悟。
「今度は」
ゆっくりと、一歩踏み出す。
「ちゃんと終わらせる」
誰に向けたわけでもない。
だが確かに。
その言葉を合図にするように冬木の夜が、静かに動き出した。
戦いの中心へ三人は歩き出す。
もう、引き返すことはない。