文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

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■第10話「正しくない作戦」

 

 翌日の放課後。ゲーセンREX。

 

 賭けの期限まで、あと六日。初狩も受付カウンターのPCではなく、俺の向かいに腰を下ろしている。

 

 二人とも、それぞれの作業をする気分ではなかった。

 

「……どうやってねむを外に出すか」

 

 俺が切り出すと、初狩は顎に手を当てて考え込んだ。

 

「言葉で説得するのは無理ですよね。チャットであれだけ話して、全部跳ね返されましたし」

「ああ。あいつの恐怖は理屈じゃない。頭ではわかっていても、身体が動かない。それは安田のスマホを見たとき、俺自身が実感した」

 

 あのA〜Zの選択肢を読んだだけで、俺の身体は勝手に反応していた。背中を丸め、瞬きを恐れ、喉が詰まった。あれがもし何年も続いていたら——玄関のドアを開けることすらできなくなるのは、想像に難くない。

 

「引きこもりは、そんなに簡単に解決しませんよ。恐怖が身体を支配しているのなら、どんな理屈も通りません」

「だよなぁ……。本来なら専門の医師に診てもらうべきだ」

「本人が自ら病院に行くことはないでしょうね。外に出ること自体が最大の壁なんですから」

 

 会話がループする。方法が見つからない。

 

「……なあ、初狩」

「はい」

「ねむのことどう思う?」

「どうって? チャットで少し話をしただけですよ」

「都市伝説をばら撒いた引きこもりは嫌いか?」

「好き嫌いの感情すらありません……けれど、嫌いではないかもしれませんね」

 

 初狩は少し首を傾げてから、俺に問い返した。

 

「高尾クンは?」

「俺は嫌いだ」

 

 初狩の目が見開かれる。

 

「助けたいんじゃなかったんですか?」

「たぶん、俺自身を見ているみたいで心がざわつくんだよ」

 

 声に出すと、余計にはっきりした。昨日ねむに言われた言葉。「傍観者と引きこもりは同じコインの裏表だ」——あれは俺を殴るために言ったんじゃない。ねむ自身が気づいている真実を、ただ口にしただけだ。

 

「俺もねむみたいになっていた可能性はあった。小学校のいじめがもう少しこじれていたら、外の世界が全部蛇に見えるようになっていたかもしれない。だから嫌いなんだ。あいつを見ていると、ありえたかもしれない自分を突きつけられる」

 

 初狩はしばらく黙っていた。それから、静かに言った。

 

「じゃあ、助けたいと思ったのは……自己嫌悪からくる自己救済の一種ですか」

「そうだ。悪いか?」

「悪くないですよ。動機が何であれ、動くことには変わりませんから」

 

 初狩の声には、不思議と批判の色がなかった。ただ事実を確認しただけ、という響き。

 

 ——そうだ。動機はどうでもいい。問題は、動くかどうかだ。

 

「方法はある」

 

 俺は言った。初狩がこちらを見る。

 

「初狩がさっきヒントを言ってくれた。ねむの恐怖は理屈じゃ動かない。身体が支配されているから、どんな言葉も届かない——なら、言葉じゃない方法で動かすしかない」

「……どういうことですか?」

「ねむは言った。"蛇に睨まれた蛙は動けない"って。外の世界のすべてが蛇に見えるから、玄関のドアを開けられない。なら——蛇より大きな恐怖を、部屋の中に作る」

 

 初狩の表情が変わった。

 

「まさか……」

「火事だ。もちろんフェイクの。煙だけを部屋に入れて、消防車のサイレンを扉の向こうから聞かせる。部屋の中が“外より危険”だと身体に思わせるんだ」

 

 沈黙が落ちた。

 

 初狩は俺をじっと見つめていた。その目に浮かんでいるのは、驚きでも感心でもない。

 

 ——怒りだった。

 

「それは卑怯じゃないですか」

 

 低い声だった。いつもの毒舌とは質が違う。本気の拒絶がこもっている。

 

「引きこもりの人にパニックを起こさせるなんて、ドッキリどころか虐待ですよ。ねむさんがどれだけ怖い思いをするか、わかってますか? 精神的なダメージだって——最悪、もっとひどくなるかもしれない」

「わかってる」

「わかってて言ってるんですか?」

「ああ。最悪の手だ。正しいとは思わない」

 

 俺は初狩の目を真っ直ぐ見た。

 

「でも、ねむの頭の中では、たぶん火事になっても選択肢は増える。火元はどこか、逃げ場はあるか、間に合うか、他に正解はないか——そうやって考え始めたら、きっとまた止まる」

「……」

「だから、選択肢を一つにするんじゃない。考えて選ぶ余地より先に、本能が身体を動かす状況を作るんだ」

 

 初狩は唇を噛んでいた。反論したいのに、論理の芯までは切れない——そんな顔だった。

 

「……理屈はわかります。でも、それでもわたしは——」

 

 初狩が絞り出しかけた言葉を、俺は遮った。遮るつもりはなかった。でも、先に言わないと、自分の中で組み上がりかけている論理が崩れる気がした。

 

「もう一つだけ聞いてくれ」

 

 初狩が口を閉じた。

 

「ねむは被害者だ。引きこもりで、外が怖くて、一年間ドアを開けられなかった。それは本当だ。——でも同時に、あいつは加害者でもある」

 

 初狩の目がわずかに揺れた。

 

「フレーム問題を模した都市伝説を作って、学校にばら撒いた。自分の部屋から出られない人間が、他人の頭の中に“動けなくなる呪い”を流し込んだ。あれは“実験”だとねむは言った。でも、実験台にされた側はたまったもんじゃない」

 

 安田の顔が浮かんだ。机に伏して動かなくなった背中。A〜Zの選択肢に蝕まれて、瞬きすら怖がっていたあいつの目。

 

「安田は入院してる。交通事故そのものは、ねむのせいじゃないかもしれない。でも、あの選択肢の地獄に追い詰められて判断力が落ちていたのは——ねむが仕掛けたシステムのせいだろ。少なくとも、安田が壊れかけた原因の一端は、あいつにある」

 

 初狩は何も言わなかった。ただ、テーブルの上に置かれた両手が、きつく握られていた。

 

「ねむをこのまま放っておいたら——あいつはあの部屋の中で、“何も選ばない自分”のまま止まる。被害者であり続けるだけで、加害者であった事実には一生向き合わない。外の世界に触れないまま、安田のことも、他の奴らのことも、画面の向こうの数字のままだ」

 

 自分で言いながら、胸がざらついた。偉そうなことを言える立場じゃない。俺だって安田が壊れていくのを見ていただけだった。

 

「——だから、外に出すんだ。ねむに罰を受けさせたいんじゃない。社会に戻る道を作ることが、被害をこれ以上増やさないための方法で、あいつ自身が何かを返せるスタートラインに立つための——たぶん唯一の手段だ。部屋の中にいたら、償いどころか、自分が何をしたのかにすら触れられない」

 

 初狩の拳が、ゆっくりと開いて、また握られた。

 

「高尾クン」

 

 低い声だった。

 

「それは……安田クンのためですか。ねむさんのためですか。それとも——」

「全部だ。全部ごちゃ混ぜだ。自己救済も、安田への後ろめたさも、ねむを放っておいたら次の誰かが壊れるかもしれないっていう打算も。きれいに分けられない」

 

 嘘はつかなかった。きれいな動機なんか持ち合わせていない。

 

 初狩はしばらく黙ったあと、小さく息を吐いた。その目から、さっきまでの怒りが完全に消えたわけじゃない。でも、別の何かが混じっていた。安田の空席を思い出しているような、遠い目だった。

 

「……方法の話を、続けてください」

 

 拒絶でも同意でもない。ただ、聞く覚悟ができた、という声だった。

 

「火事は完全にフェイクだ」

 

 俺は続けた。一つずつ、誠実に。

 

「火は一切使わない。小型のスモークマシンで煙だけをドアの隙間から入れる。サイレンは607号室の扉にほとんど押しつけるようにスピーカーを置いて、ごく小さい音で鳴らす。外に漏れる分は、ノイズキャンセリングの技術を応用して打ち消す」

「……」

「完璧な作戦じゃない。人の気配がしたら即中止する。その場で様子を見ながら、短時間で終わらせる。長引かせるつもりはない」

 

 初狩はしばらく黙っていた。テーブルの上で、彼女の指が小さく震えていた。

 

「……わたしは、賛成しかねます」

 

 絞り出すような声だった。

 

「でも——他に方法がないなら」

 

 その言葉の中に、苦渋があった。ねむを助けたい気持ちと、その手段への嫌悪が、初狩の中でせめぎ合っている。

 

「一つだけ、条件があります」

「言ってくれ」

「ねむさんが外に出てきたら、すぐにフェイクだと明かすこと。一秒でも長くパニック状態に置かないこと。それが条件です」

「約束する」

 

 俺は迷わずそう答えた。

 

 初狩は深く息を吐いて、目を閉じた。数秒。それから目を開けて、俺を見た。

 

「高尾クン」

「なんだ」

「これが正しいかどうか、わたしにはわかりません。でも——あなたが覚悟を決めたなら、わたしは一緒にやります」

 

 その言葉が、思った以上に重かった。

 

 正しくない。わかっている。

 でも、正しくなくても動く。

 観測するだけの人間を、やめる。

 

 それが今の俺にできる、唯一の選択だった。

 

**

 

 準備は二日で整えた。

 

 スモークマシンは、ネットで舞台演出用の小型タイプを調達した。乾電池で動き、スイッチを入れると白い煙がもくもくと噴き出する。無害な水蒸気系で、火は使わない。

 

 Bluetoothスピーカーは、俺が持っていたポータブルのやつを使う。消防車のサイレン音源はネットでいくらでも見つかった。音量は最小限に絞る。607号室の扉にできるだけ密着させて鳴らし、廊下側へ漏れる音は、マイクでその音を拾い、スマホのアプリにてその音波と逆の位相に反転させる。それを周囲に流せば、理論的には音は打ち消される。

 

 人の出入りが多い時間帯にはやらない。

 ねむがベランダで写真を撮って部屋に戻ったあと、短時間で仕掛けて、短時間で終わらせる。初狩には非常階段側を見てもらい、俺が扉の前で機材を扱う。誰か来たら、その時点で中止だ。

 

 その間、俺はねむとのチャットを続けていた。

 

 

【xai】:

『今日何食った?』

 

【nemu】:

『カップ麺。いつもの。君は?』

 

【xai】:

『コンビニの唐揚げ弁当。初狩はおにぎり二個。少食だ。』

 

【nemu】:

『仲いいんだね。』

 

【xai】:

『そうでもない。ただの共犯者だ。』

 

【nemu】:

『共犯者ね。僕にはそういう存在がいないから、ちょっとうらやましいかも。』

 

 何気ない雑談。ねむの在宅を確認するためでもあったが、話しているうちに——不思議と、嫌いだったはずの相手の輪郭が、少しずつ柔らかくなっていくのを感じた。

 

 ねむは皮肉屋で、理屈っぽくて、プライドが高い。でも、たまにぽろっと本音をこぼす。「うらやましい」なんて言葉が、チャット越しにこぼれ落ちる。

 

 それは——俺だって同じだった。

 初狩と出会う前の俺は、ねむと同じように、誰かを羨ましいと思いながら、絶対に口には出さなかった。

 

【nemu】:

『明日の夕方も写真撮ろうかな。天気いいみたいだし。』

 

【xai】:

『いい写真が撮れるといいな。』

 

 スマホを閉じた。

 

 明日の夕方。ねむがベランダで写真を撮り、部屋に戻ったタイミングで——作戦を実行する。

 

 初狩に連絡を入れた。「明日だ」と。

 

 返信は一言だけだった。

 

「わかりました」

 

 いつもの皮肉も、注釈もない。

 それが、彼女なりの覚悟の表し方だったのだと思う。

 

**

 

 決行の日。期限まで、あと三日。夕方。

 

 マンションの前で、俺と初狩は並んで立っていた。

 

 西の空が茜色に染まっている。風はない。穏やかな、何の変哲もない夕暮れだった。

 

 俺のスマホには、ねむとの最後のチャットが表示されている。

 

【nemu】:

『今日の夕焼け、きれいだったよ。』

 

 その投稿が上がったのが、五分前。写真を撮り終えて、部屋に戻った頃合いだ。

 

「……行くぞ」

 

 小声で言うと、初狩は短くうなずいた。

 

「はい」

 

 俺たちは人目を避けるようにマンションへ入り、階段で六階まで上がった。

 廊下は静かだった。夕食前の時間帯だからか、人の気配はほとんどない。けれど、無人というわけではない。どこかの部屋でテレビの音が小さく漏れていて、生活の気配だけが壁の向こうに沈んでいた。

 

 607号室の前で足を止める。

 

 俺は鞄から小型のスモークマシンを取り出し、ドアの下の隙間に煙が流れ込みやすいように向きを調整した。

 初狩は少し離れた位置で、非常階段と廊下の曲がり角の両方を見ている。誰か来たらすぐに止める。そのための役目だ。

 

 次に、ポータブルのスピーカーをドアにほとんど押しつけるように置く。音量は最小限。それでも廊下に少しは漏れるだろうから、反対側の壁際にも小さな機材を置いた。目立たなくするための、せめてもの細工だった。

 

「高尾クン」

 

 初狩が振り返らないまま、小さく呼ぶ。

 

「人の気配がしたら、すぐ中止です」

「わかってる」

「……ほんとに、すぐですよ」

「ああ」

 

 準備を終えて、俺は一度だけ607号室のドアを見た。

 

 この向こうに、ねむがいる。

 

 部屋から出られない引きこもり。

 都市伝説をばら撒いた加害者。

 俺に「傍観者のくせに正義面するな」と言った相手。

 そして——ありえたかもしれない、もう一人の俺。

 

 喉がひどく渇いていた。

 

 ——これが正しいとは思わない。

 でも、正しくなくても動く。

 

 初狩が、今度ははっきりと俺を見た。

 

「……大丈夫です。やりましょう」

 

 短い言葉だった。

 覚悟はしている。けれど、それでもこの作戦を許したわけではない——そんな声だった。

 

 俺はうなずき、スモークマシンのスイッチに手をかけた。

 

「選択肢を一つにするんじゃない」

 

 自分に言い聞かせるように、ほとんど息だけで呟く。

 

「考えて選ぶ余地より先に、本能が身体を動かす状況を作るんだ」

 

 そして、スイッチを入れた。

 

 白い煙が、静かにドアの下へ流れ込んでいく。

 ほんの一拍遅れて、扉に押しつけたスピーカーの向こうから、くぐもったサイレン音が鳴り始めた。

 

 俺と初狩は、息を殺してその場に立ち尽くした。

 

 

 

 




【あとがき補足】
作中のノイズキャンセリングについて。逆位相の音波で騒音を打ち消す技術自体は実在しますが、スマホアプリで廊下規模のリアルタイム処理を行うのは現在の技術では非現実的です。才も「理論的には」と留保をつけていますが、実際にはお気休め程度の効果だったと思います。物語の都合上、他の住人が気づかなかった理由は「夕食前の時間帯で廊下に人がいなかった」ことの方が大きいです。
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