文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

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■第15話 変質者の噂

 

 翌朝、校門をくぐった瞬間に気づいた。

 

 空気が変わっている。

 

 誰かがはっきり何かを言っているわけではない。昇降口の騒がしさも、廊下を行き交う制服の波も、いつもと同じに見える。だが——笹子先輩の周りだけ、何かが微妙におかしかった。

 

 すれ違う生徒の視線が、先輩の姿を捉えてからほんのわずかに長く留まる。笑い声が、先輩が通り過ぎた直後にだけ音量を落とす。会話の間が、ほんの少しだけ不自然に空く。

 

 一つひとつは気のせいで済む程度の変化だ。だが俺の頭は、それらを束ねて一つの形にしてしまう。

 

 四時間目の後の休み時間。初狩に頼まれた本を図書室に返す途中、たまたま二年のフロアを通った。

 水島先輩の声が聞こえた。廊下の窓際で、笹子先輩と向き合っている。

 

「昨日のこと、みんなびっくりしてたから」

 

 心配している口調だった。柔らかく、気遣わしげで、善意の形をしている。

 

 ——みんな?

 

 足が止まった。

 

 昨日の放課後、あの部室にいたのは俺と初狩と山田先輩、そして笹子先輩だけだ。水島先輩は途中から聞いていた。それ以外に聞いていた人間はいない。

 

 「みんな」が知っているなら、広めた人間がいる。

 そしてそれができるのは、あの場にいた人間だけだ。俺と初狩は言っていない。山田先輩が言うはずがない。消去法で——残るのは一人しかいない。

 

「私はわかってるよ? 玲さんのこと、理解してるつもり」

 

 水島先輩の声が続く。

 

「でも、みんなはそうじゃないから。ちゃんと自分の口で説明したほうが、誤解されないと思うよ」

 

 笹子先輩は少し笑って「うん、ありがと」と返していた。声は穏やかだった。

 俺は廊下の角から動けなかった。

 

 ——あの言い方は、三つの意味で汚い。

 

 第一に、「みんな」が知っている前提で話している。自分が広めたくせに、最初からそうだったかのように振る舞っている。

 

 第二に、「私はわかってる」と言うことで、自分だけを安全圏に置いている。理解者のポジションを確保した上で、「でもみんなは違うよ」と突き放す。笹子先輩から見れば、水島先輩だけが味方に見える。実際は火をつけた本人なのに。

 

 第三に、「自分の口で説明したほうがいい」。責めてはいない。だが責任だけを笹子先輩に返している。誤解されている原因は説明しなかった先輩にある——そういう前提が、心配の皮を被って差し出されている。

 

 広めたのはお前だ。火をつけたのはお前だ。なのに消火器を持って駆けつけた顔をしている。

 

 笹子先輩は気づいていない。あの人は善意を疑わない。「ありがと」と返してしまう。その優しさにつけ込まれていることに、たぶん気づけない。

 

 俺はそのまま図書室へ向かった。振り返らなかった。振り返ったら、何か言ってしまいそうだった。

 

**

 

 放課後、被服部の扉を開けると、笹子先輩はすでにミシンの前に座っていた。型紙に向かっているが、手が止まっている。

 

「先輩」

 

 声をかけると、先輩は顔を上げて「あ、才くん」といつもの柔らかな笑顔を作った。だがその笑い方が、少しだけ遅かった。

 

「今日の学校の雰囲気。なんか変じゃなかったですか?」

 

 先輩はしばらく型紙に視線を落として、それから「……まあな」と短く返した。

 

「朝からなんか、みんなの空気がちょっと違って。水島にも"説明したほうがいいよ"って言われたし」

「何を説明するんですか」

 

 思わず聞いてしまう。先輩が少し目を細めた。

 

「うちも、そう思ってん。何を説明したらいいんやろって。やりたいことやってるだけやし、学校にも許可取ってるし、他人に迷惑かけてるつもりもない。体育は男子でやってるし、着替えも気ぃつかってる。何がアカンかって言われたら、うちにはわからへん」

「……そうですよね」

「でも、説明しろって言う人は、うちの答えを聞きたいわけやないんやと思う。最初から結論、持ってる人に何を説明してもな」

 

 先輩はそこで苦笑して、型紙のしわを指で伸ばした。

 

「ま、慣れてるし。今日一日だけやったし」

 

 その「慣れてる」という言葉の軽さが、俺にはひっかかった。慣れているということは、今日が初めてではないということだ。

 

**

 

 さらに翌日の昼休み。

 

 教室の自席でスマホを開いた。Xのタイムラインをスクロールする。桂明高校の生徒が多くフォローしているアカウントをいくつか追っていく中で、見覚えのある名前が目に留まった。

 

 『saaaaaaya0572』。

 

 前に見たアカウントだ。午前中に複数のポストを上げていた。

 

『優しくしてたのに、なんか騙された感じ。信じてたぶんキツい』

『マイノリティだからって、何でも受け入れろは違くない? こっちだって傷つくんだけど』

 

 ここまでは「傷ついた人の独り言」で通る。だが次のポストで、空気が変わっていた。

 

『渡り廊下のあの絵、試した人いるでしょ? 見た人の本性が出るって噂。あの人の前にも文字、出たらしいよ。"変質者"って』

 

 俺の目が止まった。

 

 「渡り廊下のあの絵」——のっぺらぼうの少女だ。そして「あの人」が誰を指すかは、前のポストの文脈で特定できる。名前は一度も書いていない。だが「騙された」「マイノリティ」「変質者」を順に並べれば、矢印の先は一人しかいない。

 

 さらに次のポスト。

 

『本性って出るんだね。合点がいくっていうか。怖いけど、やっぱそういうことなのかなって……』

 

 四つのポストを並べて読むと、流れが見える。

 

 最初の二つで「裏切られた被害者」の立場を取る。次に都市伝説を持ち出して、のっぺらぼうの少女の噂を特定の誰かに接続する。最後に「怖い」「やっぱり」と、自分は判断を下していない顔のまま結論だけを読み手に渡す。

 

 名前は書かれていない。「変質者」も伝聞の形を取っている。どのポストも「個人の感想」で通る。だが四つを並べて読んだとき、笹子先輩に貼りつくラベルはたった一つになる。

 

 「saaaaaaya0572」が誰なのかは、まだわからない。

 

 だが——俺の頭の中で、二つの映像が重なりかけている。

 渡り廊下で絵を撮影し、メモアプリに何かを打ち込んでいた水島先輩。「面白いよね、こういうの」と笑っていた顔。あのとき俺は「興味本位」だと思った。

 

 このアカウントの主も、あの絵の仕組みを知っている。知った上で、噂として使えるように整形している。

 偶然かもしれない。別人かもしれない。だが、二つの影がぴたりと重なるのを、俺の頭は止められなかった。

 露骨すぎない。だからこそ質が悪い。

 

 俺はスマホの画面を閉じて、教室の窓の外を見た。グラウンドではサッカーやドッチボールで遊んでいる生徒たちがいる。汗と制汗剤の混じった風が窓から入ってくる。何も変わらない昼休み。その裏側で、一人の居場所が静かに削られていく。

 

**

 

 その日の放課後。被服部の部室。

 

 いつもの夕方の光。ミシンの音。布と油の匂い。だが今日は、空気のどこかに淀みがあった。

 

 笹子先輩はCADのソフトを開いて作業しているが、明らかに口数が少ない。昨日まで初狩との衣装談義に花を咲かせていた先輩が、画面に向かったまま黙っている。マウスの操作が時々止まる。

 

 初狩は先輩の変化に気づいている。紙粘土をこねる指に力が入りすぎて、台座の形が少しいびつになっていた。何も言わないが、肩の線が硬い。

 

 俺は観察に徹しようとしていた。だが、うまくいかない。先輩の横顔を見るたびに胸の奥が軋む。観測者でいろ。感情を挟むな。そう言い聞かせるのに、部室の沈黙が重い。

 

 山田先輩だけが変わらなかった。ミシンの前で文化祭の衣装を縫い進め、時折布を持ち上げて縫い目を確認し、またペダルを踏む。その音だけが、部室の空気を支えていた。

 

 昨日より、先輩の口数が少なかった。Discordのスレッドが頭をよぎる。昼休みに確認したXの投稿も。一夜で、状況は静かに悪化していた。

 

「笹子先輩」

 

 初狩が口を開いた。

 

「何か……あったんですか?」

 

 先輩は数秒だけ手を止めた。それからCADの画面に視線を戻して、穏やかに——穏やかすぎる声で言った。

 

「別に。いつもと変わらへんよ」

 

 嘘だ。俺にも初狩にもわかっている。だが、先輩がそう言うなら今はそれ以上踏み込めない。

 

 初狩が唇を噛んだのが見えた。小さく、一瞬だけ。

 

**

 

 事件が起きたのは、その翌日だった。

 

 笹子先輩は二年生の体育の授業で教室を離れていた。体育は男子扱いなので、男子の体操服に着替えてグラウンドへ向かう。女子制服のグレーのチェック柄スカートは、教室の自分の席の椅子にかけておいた。

 

 体育が終わって教室に戻った先輩が、それを見つけた。

 

 スカートの裾から斜めに、十五センチほどの切り込み。ためらいのない直線。ハサミの刃が一気に引かれた痕だった。

 

 ふざけた悪戯ではない。布の繊維がきれいに断たれている。「その服で登校するな」という意志が、切り口に刻まれていた。

 

 俺がそれを知ったのは、放課後の被服部でだった。

 

 先輩は部室に来たとき、切られたスカートをビニール袋に入れて持っていた。作業台の上にそっと置いて、「ちょっと破れてしもたわ」と言った。声は平坦だった。

 

 初狩がビニール袋の中を見て、息を呑んだ。

 

「これ——破れたんじゃないですよね」

 

 先輩は答えなかった。

 

 俺もビニール越しに切り口を確認した。裾から斜め上に走る直線。引っかけたり踏んだりした痕ではない。刃物で、意図的に切られている。

 

 目撃者はいない。体育の時間、教室には誰も残らない。証拠もない。

 

 前にも先輩は制服を盗まれたことがある。あの時は演劇部周辺の人間の仕業だと推測していた。だが今回は状況が違う。水島先輩がSNSで火をつけた直後に起きている。実行犯が誰であれ、火元は一つだ。

 

 だが——俺にも初狩にも、この傷がどこから来たのかは見当がついていた。

 

「先生に報告すべきです」

 

 俺は言った。声が思ったより硬く出た。

 

 初狩も止めなかった。小さく頷いている。

 

 山田先輩がミシンの手を止めた。振り向かない。背中のままだ。

 

「で」

 

 短い間。

 

「笹子っちは、どうしたい?」

 

 部室の空気が止まった。

 

 山田先輩の声には怒りがなかった。説教もなかった。犯人を追い詰めようという気配も、事態を収めようという焦りもない。ただ——笹子先輩の意思だけを聞いている。

 

 彼は、切られたスカートの入ったビニール袋を見つめていた。五秒。十秒。

 

「……大ごとにはしたくない」

 

 静かな声だった。

 

「騒いだら、うちが問題の中心におることになる。注目されるのは、うちの制服や、うちの格好や。そうなったら——あの人の思う壺やと思う」

 

 騒げば騒ぐほど、「問題を起こしている人」として扱われる。被害者なのに、騒動の原因として消費される。それは水島先輩が望んでいる形に近い。

 

 先輩はそこまでわかっていた。わかった上で、「大ごとにしない」を選んでいる。

 

 俺は何も言えなかった。

 

 山田先輩はそれ以上聞かず、ミシンに向き直った。針が布を送る音が戻ってくる。笹子先輩が決めたなら、それでいい——その背中はそう言っているように見えた。

 

**

 

 部室を出て、昇降口へ向かった。

 

 笹子先輩が下駄箱から靴を取り出そうとしたとき、靴の中に白い紙が入っているのが見えた。

 

 先輩がそれを摘み上げる。俺の目にも読めた。小さな紙に、プリンターで印字された一行。

 

『あなたのためを思って書いてます。気持ち悪いって声、広がってるよ。自分から説明すれば、まだ間に合うと思う。これ以上みんなを不安にさせないでほしい』

 

 先輩の指が、止まった。

 

 一瞬だけ——本当に一瞬だけ、紙を持つ手が震えた。それから、ゆっくりと紙を折り畳んで、ブレザーのポケットにしまった。何事もなかったように靴を履き替え、「ほな、また明日な」と笑った。

 

 俺はその笑顔を見て、胃の底が冷たくなった。

 

 「あなたのためを思って」。善意だ。「気持ち悪い」。これは善意じゃない。「まだ間に合う」。脅しだ。「みんなを不安にさせないで」。被害者はお前じゃない、お前が加害者だ——そう言っている。

 

 全部が一枚の紙に同居している。善意と悪意の境目が溶けていて、どこから抗議していいかわからない。先輩が「ありがとう」とも「ひどい」とも言えずに黙って折り畳んだ理由が、わかる気がした。

 

 先輩が去った後、俺は昇降口の柱にもたれた。

 昨日、水島先輩は面と向かって「ちゃんと自分の口で説明したほうが、誤解されないと思うよ」と言っていた。あのときは「気持ち悪い」なんて言葉は使わなかった。

 

 だが、この紙には書いてある。匿名になった途端に出てきた言葉だ。

 

 顔を隠せば、人は正直になる。——のっぺらぼうの絵が、頭をよぎった。

 

 この紙を書いたのが誰かはわからない。わからないが、昨日の「説明したほうがいい」と、紙の「自分から説明すれば」が同じ構造をしていることは、俺の頭が勝手に結びつけてしまう。

 

 証拠はない。だが、偶然にしてはできすぎている。

 

**

 

 その夜。

 

 ベッドに転がり、スマホでDiscordを開いた。ねむが管理する桂明高校の非公式サーバー。都市伝説フォーラム。

 

 「のっぺらぼうの少女」のスレッドが、昨日より明らかに伸びていた。

 

『俺は"阿呆"って出たことあるよ』

『知り合いは"無能"って出たらしい』

『前に"我執"って出たやつもいる』

『"我執"ってなんだよ?』

『我が儘って意味だろ。ずいぶん古風な言い方だな』

『まあだいたい二文字で悪口っぽいのが出るよな』

『タロットみたいなもんだと思えばおもしろくね?』

 

 ここまでは怪談の延長だ。「面白い仕掛けがある絵」として消費されている。だがスクロールを続けると、空気が変わった。

 

『で、例のあの人は"変質者"なんだろ?』

『やっぱ噂ほんとっぽいな』

『あの絵って本当の姿を表すらしいぞ』

『前からちょっとそういう感じあったしなー』

 

 笹子先輩の名前は書かれていない。だが「例のあの人」で、もう全員がわかっている。

 

 Xで『saaaaaaya0572』が火をつけ、Discordのモブたちが怪談として増幅する。二つの場所で役割が分かれていた。

 

 俺はスレッドを最初まで遡った。

 

 「阿呆」「無能」「我執」——書き込まれている語はすべて二文字だ。漢字二文字の、どちらかといえば古風な言い回し。

 

 だが、笹子先輩に出たとされる語だけが違う。

 

 「変質者」。三文字。

 

 しかも他の語とは性質が違う。「阿呆」や「無能」は性格や能力への漠然とした評価だ。だが「変質者」は——人間そのものを断罪するラベルだ。たった一文字「者」がつくだけで、言葉の刃が別物になる。

 

 他の書き込みが本当なら、あの絵から出る語は二文字が基本のはずだ。「変質者」が三文字であること自体が、噛み合っていない。

 

 あの絵から「変質者」が出たのではない。誰かが、そういうことにしたのだ。センセーショナルに、噂として流しやすい形に仕立てた。

 

 俺はDiscordのDMを開いた。ファミレスの帰りに交換した連絡先のうち、一番確実な宛先——桐山ねむ。

 

『都市伝説板の、あの絵の過去ログ。残ってるだけ全部見たい』

 

 送信。既読マークがつく。返信はすぐには来ない。

 

 数分後。

 

『ある。あとでまとめる』

 

 簡潔な返答だ。ねむらしくもある。必要なことだけ、過不足なく。

 

 俺はスマホを枕元に置いて、天井を見上げた。

 

 噂が嘘かどうかは、まだわからない。『saaaaaaya0572』がXで火をつけ、Discordで増幅されている——その構造は見えてきた。だが、水島先輩=『saaaaaaya0572』である証拠はない。……推測だけで、人を犯人扱いするわけにはいかない。

 

 ただ、一つだけ確かなことがある。

 

 笹子先輩の件だけが、あの絵の仕組みと噛み合っていない。

 

 

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