文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

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■第16話 説明の罠と、顔のない自画像

 

 翌朝。

 

 笹子先輩が男子制服で登校した。

 

 濃紺のブレザーにグレーのスラックス。赤いネクタイ。桂明高校の男子の正規の服装だ。何もおかしくない。何もおかしくないはずなのに——先輩の背中に纏いついている空気が、昨日までとまるで違っていた。

 

 俺は二年のフロアを通りがかったとき、廊下の向こうに先輩の姿を見た。休み時間、教室から出てきた先輩に、クラスメイトの女子が二人ほど声をかけていた。

 

「そのほうが無難かもね」

「波風は立てないほうがいいよ」

 

 善意の顔をした言葉だった。先輩を責めてはいない。だが、「戻ってきてくれてよかった」でもない。「それが正解だよ」という圧を、柔らかい声で包んでいるだけだ。

 

 笹子先輩は「せやなー」と笑っていた。いつもの穏やかな京都弁。だがその笑顔は、自分から一歩引いた人間の笑顔に見えた。

 

 俺の頭の中に、昨日の紙の一語がこびりついている。

 

 ——気持ち悪い。

 

 あの紙には他にもいろいろ書いてあった。「あなたのため」「まだ間に合う」「みんなを不安にさせないで」。だが一晩経って残ったのは、その三文字だけだ。善意の皮を全部剥がしたら、結局あれが中身だった。

 

 今朝のクラスメイトの「そのほうが無難かもね」も、根は同じだ。先に結論を持っている人間が、柔らかい声で圧をかけている。

 

 そして笹子先輩は——その圧に従って、男子制服で登校した。説明する代わりに、自分のほうが引いた。

 

**

 

 放課後。

 

 被服部の部室に向かう途中、旧館の階段の踊り場で笹子先輩を見つけた。窓枠に肘をついて、外を眺めている。スラックス姿の先輩は、後ろ姿だけ見れば普通の男子生徒だった。

 

「笹子先輩」

 

 声をかけると、先輩が振り返った。

 

「おー、才くん。今日もうちに来てくれるん?」

 

 笑顔だった。だが目の奥が笑っていないことに、俺は気づいてしまう。

 

「一つ、聞いていいですか」

「なに?」

「昨日、下駄箱に入っていた紙のこと」

 

 先輩の表情がわずかに動いた。笑顔は崩さない。だが、目の温度が一段下がった。

 

「ああ、あれか」

「『気持ち悪いって声、広がってる』って書いてありました。『説明すれば、まだ間に合う』とも。あれを読んで、先輩は今日——」

 

 言いかけてやめた。「だから男子制服で来たんですか」とは聞けなかった。聞く権利が俺にあるとは思えなかった。

 

 先輩は窓の外に目を戻した。外には憂鬱な雨が降り注いでいる。

 

「……説明したら、わかってくれる人もおるよ」

 

 先輩の声は穏やかだった。

 

「でもな、最初から"変な人"って決めてる相手は、説明を聞くために聞くんやない」

 

 一拍の間。

 

「安心するために、納得できる理由を探してるだけや」

 

 その言葉が、俺の中で何かに触れた。

 

 あの紙は助言ではなかった。「あなたのためを思って」の皮を剥がせば、中身は「気持ち悪いからやめろ」だ。やめなければお前が悪い。それだけのことだった。

 

 そして、その構造は「変質者」の噂と同じだ。

 

 説明しろと迫る。だが、もう先に結論は決めている。笹子先輩を「変な人」として扱うための理由だけを探している。答えは最初から配られている。

 

 説明しろと言っておいて、先に結論を配っている。

 

 俺は階段の手すりを握った。指先が白くなるほど力が入っていた。

 

「……先輩。俺、あの絵のことを調べてみます」

「絵?」

「渡り廊下の、のっぺらぼうの絵です。あの絵から"変質者"なんて語が本当に出るのか。出ないなら——噂を流した人間がいるってことです」

 

 先輩はしばらく黙っていた。それから、小さく息を吐いた。

 

「才くん」

「はい」

「……ありがとな」

 

 それだけ言って、先輩は階段を下りていった。

 

**

 

 放課後。俺は被服部には寄らず、図書室に向かった。

 

 ねむが一晩でまとめてくれた都市伝説板の過去ログをスマホで見返す。あの絵について書き込まれた語を、古い順に並べた一覧だ。

 

 「阿呆」「無能」「虚言」「臆病」「我執」「卑屈」「空虚」「傲慢」——

 

 すべて二文字。漢字二文字の、どちらかといえば古風な言い回しだ。実際に見たのか噂として少し盛られたのかはわからない。だが、「ランダムに二文字が出る」という仮説とは噛み合っている。

 

 笹子先輩の件だけが違った。「変質者」。三文字。しかも最後の一文字がつくだけで、ただの表示語が人間を断罪するラベルに変わる。

 

 絵がそう出したのではない。誰かが、そう出たことにしたのだ。

 なら追うべきは噂ではない。絵の仕組みそのものだ。

 

 放課後の図書室は静かで、カウンターの奥では司書が返却本を整理していた。

 

 奥の棚に歴代の卒業制作の記録がファイルされている。俺は記念誌を引っ張り出し、二〇一七年度の卒業制作一覧のページを開いた。

 

 ——題名「変身、あるいは顔のない自画像」。作者、堂本空。

 

 記念誌には、彼の卒業後の進路として「美術系専門学校」と書かれている。連絡先は載っていないが、俺はあの日撮った絵の写真をスマホで開いた。額縁の右下の隅に、小さな文字列が写っている。拡大する。——メールアドレスだ。卒業生が自分の作品に連絡先を残すのは珍しくない。

 写真を拡大して初めて読めるサイズだ。あの日、渡り廊下では肉眼ではほとんど判読できなかったはずだ。なのに——拡大する前から、俺はこの文字列を知っていた気がする。薄い文字の並びが、頭の中にすでにあった。

 

 なぜこんな細部まで覚えている。

 ……いつものことだ。気にするな。

 

 俺は堂本空にメールを送った。桂明高校の在校生であること、渡り廊下の絵について話を聞きたいこと。返信は翌日の朝に来た。

 

『日曜日なら空いてます。館山まで来られますか?』

 

**

 

 日曜日。

 

 白花駅から電車を乗り継いで、館山へ向かった。隣には初狩がいる。運良く梅雨の晴れ間に当たった。

 

 車窓の向こうを田園風景が流れていく。住宅地が途切れ、水田が広がり、遠くに低い山並みが見える。千葉の内房線は途中から海沿いを走る。トンネルを抜けるたびに光が変わった。

 

 初狩は窓際の席でスケッチブックを膝に乗せていた。何かを描いているわけではなく、開いたまま車窓を眺めている。

 

「初狩」

「はい」

「今日の件、先にまとめておく。あの絵の正式名称は『変身、あるいは顔のない自画像』。作者は堂本空、二〇一七年度の卒業生。記念誌には美術系の専門学校に進学したと書いてある」

「覚えてますよ。昨日、高尾クンがメッセージで教えてくれましたから」

「……ああ、そうだった」

「で、聞きたいことは?」

「あの絵の仕掛けの原理。それと、あの絵から本当に"変質者"という語が出るのかどうか。——それだけならメールで済む」

「わざわざ行く理由があるんですね」

「仕掛けの中身を直接確認したい。それと、あの絵のプログラムを改変する許可がいる」

「プログラム?」

「あの絵に何らかの電子的な仕掛けがあるのは間違いない。もしプログラムで制御されているなら、書き換えができる。噂を潰すだけじゃなく、こっちから仕掛けを打てる」

「……高尾クン、踏み込むんですね」

「ああ」

「どんな方法で仕掛けるんですか?」

「それはまだ考えていない。でも、あの絵の仕組みがわかれば、それに対応した方法がとれるはず」

「そうですね、いいと思います。わたしも、あの噂にはちょっと思うところがありますから。何かしらのアクションはとりたいです」

 

 初狩の声が低かった。「ちょっと」ではないことは、俺にもわかっていた。

 

 電車が海沿いに出た。窓の外に東京湾が広がる。陽光が水面に反射して、車内に揺れる光が差し込んだ。

 

「高尾クン」

「なんだ」

「わたし、被服部に正式に入部届を出そうと思います」

「……急だな」

「急じゃないです。ずっと考えてました」

 

 初狩はペンを止めずに続けた。

 

「笹子先輩のスカートが切られた日から、ずっと。あの部室は守る価値がある場所だと思ったので」

 

 守る。初狩がその言葉を使ったのは初めてだった。俺は何も言わずに、窓の外の海を見た。

 

 

**

 

 

 館山駅から歩いて十五分ほどの、古い雑居ビルの二階。小さなデザイン事務所の一室で、堂本空は俺たちを迎えた。

 

 二十五歳くらいの、細身の人だった。長めの髪を後ろでひとつに結んでいる。性別は——正直、一目ではわからなかった。声は低めだが柔らかく、服装はオーバーサイズのシャツにワイドパンツ。中性的という言葉がそのまま当てはまる。

 

「堂本です。わざわざ来てくれてありがとう」

 

 事務所にはデスクが一つと、壁にいくつかの作品が掛かっていた。イラストと写真が混在している。缶コーヒーを三つ出してくれた。

 

「あの絵のこと、聞きたいんだよね」

「はい。渡り廊下に飾られているあの作品——『変身、あるいは顔のない自画像』について」

「よく正式名称を知ってるね。飾ってある絵には書いてないはずなんだが」

「記念誌で確認しました」

 

 堂本さんは缶コーヒーのプルタブを開けて、一口飲んだ。

 

「あの絵はね、自画像を描こうとして失敗した作品なんだ」

 

 声に力みがなかった。遠い記憶を引っ張り出すような、穏やかな語り口。

 

「高校三年の秋に、卒業制作のテーマを決めなきゃいけなくて。自画像を描こうと思った。でも——顔が描けなかった」

「描けなかった、というのは技術的に?」

「違う。技術じゃなくて、わからなかったんだ。自分がどんな顔をしてるのか」

 

 堂本さんは窓の外を見た。館山の五月の空は、白花よりも広い。

 

「当時の僕はね、女の子になりたかった。でもなれなかった。男の顔も女の顔も、どっちも自分だと思えなかった。だから顔を描けなかった。描かないことにした。それがあの空白」

 

 初狩が隣で息を呑んだのがわかった。

 

「制服だけは描けたんだ。桂明の女子制服。あれは僕にとって——着たかったけど着られなかった服だったから。細部まで覚えてた」

 

 だから、あの絵は制服だけが精密で、顔だけが空白だった。技巧ではなく、描けなかった事実がそのまま残っている。

 

「で、仕掛けのほうだけど」

 

 堂本さんがデスクの引き出しからスケッチブックを取り出した。古いノートに、絵の構造図が描かれている。

 

「額縁の裏に、小型のコンピュータを仕込んであるんだ」

 

 堂本さんがページをめくる。回路図と配線のメモ。顔の部分に薄い表示パネル、その裏に細い配線が伸びている。

 

「使ってるのはラズベリーパイの小型モデル。人感センサーで前に人が立ったのを検知して、顔の部分に埋め込んだ薄型ディスプレイに文字を出す。ずっと点けっぱなしじゃなくて、反応した時だけ数秒だけ表示する仕組み」

 

「電源は……バッテリーじゃないんですか?」

 

 初狩が聞くと、堂本さんは首を振った。

 

「いや、さすがに何年も電池だけじゃ保たないよ。電源は展示用の配線に紛れ込ませてある。見た目ではわからないようにしてるけど、ちゃんと外から取ってる」

 

「人によって違う文字が出る、というのは——」

「プログラムでランダムに選んでるだけ。人の本性を見抜くなんて機能はない。センサーが反応するたびに、登録してあるワードリストから一つ引いて表示してる」

 

 堂本さんは苦笑した。

 

「最初は自画像の失敗作だった。顔が描けなくて、代わりに自分の中にある言葉を埋め込んだんだ。矛盾、調和、臆病、虚言、空虚——そういう、自分に当てはまりそうな言葉を二語一組でいくつか入れた」

「二語一組」

「そう。全部漢字二文字。対になる言葉を組にしてある。『矛盾』と『調和』、『臆病』と『勇気』、『虚言』と『真実』。ネガティブな面と、そうじゃない面を対で置いた。ワードリストに入ってるのはそれだけ。三文字以上の語は一つもない」

 

 堂本さんがスマホを操作して、テキストファイルを見せてくれた。ワードリストだ。二文字の漢語が二十ほど、対になって並んでいる。三文字の語は、一つもない。

 

 そこで俺は、息を整えてから言った。

 

「……実は今、その絵が学校で変な使われ方をしてます」

 

 堂本さんが顔を上げた。

 

「変な使われ方?」

「噂です。ある生徒に対して、あの絵が“変質者”って出した、ってことにされてる」

 

 初狩が隣で小さく頷いた。

 

「そのせいで、あの絵が誰かを攻撃する道具みたいになってます」

 

 堂本さんの表情が変わった。驚きというより、嫌な話を聞いた時の顔だった。

 

「……“変質者”?」

「はい。だから確認したかったんです。あの絵から、三文字の語が出る可能性が本当にあるのかどうか」

 

 堂本さんは即座に首を振った。

 

「ないよ。絶対にない。“変質”も“変身”も入力していない。ましてや“変質者”なんて三文字は、文字数的にもありえない」

 

 確信が、言葉として落ちてきた。

 

 誰かが——笹子先輩を断罪するために、言葉をねつ造して、噂として完成させた。

 

「管理はどうしてたんですか?」

 

 俺が聞くと、堂本さんはスケッチブックを閉じた。

 

「最初は現地でしか触れないつもりだったんだけど、展示したあとに調整したくなることが何度かあってね。学校のネットワークに直接穴を開けるのは嫌だったから、向こうから外に張るだけのVPNを噛ませてある。必要なときだけ、そのトンネル経由で入ってメンテしてた」

「じゃあ、今も外からアクセスできる?」

「できる。最近はほとんど触ってなかったけど、生きてるはずだよ。中身はPythonで書いてある。わかる人なら読めるし、書き換えもできる」

 

 俺は一度だけ初狩を見た。それから、堂本さんに向き直る。

 

「堂本さん。もう一つ、お願いがあります」

 

 俺は事情を手短に説明した。あの絵の噂が特定の生徒を傷つける道具にされていること。“変質者”という三文字が捏造であること。噂を断ち切るために、プログラムを書き換えたいこと。

 

「書き換えるって、ワードリストを?」

「はい。信頼できる人間に改変を頼みます。仕掛けの構成と、リモートアクセスの方法を教えていただけますか」

 

 堂本さんはしばらく黙っていた。自分の作品に他人の手が入ることを考えている顔だった。だが、長くはかからなかった。

 

「いいよ。七年も前の作品だし、今はもう、僕の中だけで完結してるものでもないから。それが誰かを傷つける道具になってるなら、止めたほうがいい」

 

 堂本さんはPCを開き、メモにいくつかの情報を書き出した。

 

「これがVPNの接続情報。こっちがSSHのログイン用。学校側の設定はいじってない。向こうから張ってるトンネルに乗る形だから、正規の鍵がないと入れない」

「ありがとうございます」

 

 俺はメモを受け取った。

 ねむなら、この手の構成はすぐ理解するだろう。

 

「ただ、書き換えるなら慎重にね。あれは七年前の僕が、自分の顔を描けなかった代わりに残したものだから」

 

 堂本さんは少しだけ笑った。

 

「それと」

 

 彼は付け加える。

 

「あれを現代アート風に仕上げたら、美術の樫田先生がすごく気に入ってね。『これは見る人の内面を映す鏡だ』って。僕としてはそんな大層なものじゃなかったんだけど、先生が渡り廊下に飾ってくれた」

 

 樫田先生。初狩を美術部から追放した教師だ。萌え絵を嫌い、現代アートには寛容。その偏りが、あの絵を「都市伝説の道具」として学校に残す結果になった。

 

「最後に一つ、聞いていいですか」

 

 初狩が口を開いた。ここまでずっと黙って聞いていた。

 

「堂本さんは、あの絵を——誰かのために描いたんですか」

 

 堂本さんは少し考えてから、首を振った。

 

「いや。あれは完全に自分のために描いた。自分の顔がわからなくて、苦しくて、それでも何か残したくて描いた。誰かのためなんて、考えてなかった」

 

 それから、ふっと笑った。

 

「でもね、自分のために描いたものでも、あとで誰かに影響を与えることはあるんだよ。作品ってそういうものだと思う」

 

 初狩の手が、膝の上でわずかに動いた。スケッチブックの表紙を、指先で撫でるように。

 

 その言葉を、初狩が静かに受け取ったように見えた。

 

 

**

 

 帰りの電車の中で、スマホが震えた。

 

 ねむからのDM。

 

『saaaaaaya0572の件。投稿時刻と学校行事の写真の背景、あと校内事情の書き方と句読点の癖を照合した。水島沙耶の表垢と一致する要素が多い。ほぼ黒だと思う』

 

 俺が画面を見たまま黙ると、隣に立っていた初狩が怪訝そうに眉を寄せた。

 

「……ねむさん?」

「ああ」

 

 俺はスマホの画面を少しだけ彼女の側へ向けた。初狩は文面を目で追い、数秒後、奥歯を噛むみたいに口元を固くした。

 

「やっぱり」

 

 吐き出すような、小さな声だった。

 

「水島沙耶……」

 

 その名前に、わずかに熱が混じる。

 怒鳴りはしない。けれど、いまこの場に堂本本人がいたら、睨みつけていたかもしれないと思える声だった。

 

 ほぼ黒。だがねむは、そこで切らなかった。

 

『ただ、証拠はある。でも今これを雑に出すと、笹子先輩がまた"問題を大きくした側"に回される。使い方を間違えたら、武器が被害者に刺さる』

 

 初狩はその一文を読んで、苛立ちを押し殺すみたいに息を吐いた。

 

「……最低ですね」

 

 声は静かだった。けれど、その静けさのぶんだけ棘があった。

 

「やった側なのに、出し方ひとつで笹子先輩がまた傷つくんですね」

「……ああ」

「ほんと、どこまで勝手なんだか」

 

 鞄を抱える指先に、少しだけ力がこもっていた。

 

 俺はその文面を読み返した。ねむが単なる解析役ではないことを、改めて思い知る。証拠を見つけるだけなら技術の問題だ。だが、証拠の使い方まで考えられる人間は少ない。

 

「今は動かないほうがいい」

 

 そう言うと、初狩はすぐには頷かなかった。

 一拍置いてから、感情を押し込めるように、小さく息をつく。

 

「……ですね。ここで雑にぶつけたら、あっちの思う形になります」

『わかった。今は動かない。タイミングを待つ』

 

 そう返すと、ねむからの返信は既読だけだった。それで十分だった。

 

**

 

 次の日の放課後の廃墟ゲーセンREX。

 

 俺と初狩、そしてスマホ越しにねむ。三人で情報を共有した。山田先輩と笹子先輩にはまだ伝えていない。伝えるタイミングは、まだ来ていない。

 

 俺はPCの前に座り、わかったことを短くまとめた。

 

「あの絵から出る語は、すべて漢字二文字。三文字以上は物理的に出ない。そもそも『変質』という語自体がワードリストに存在しない。『変質者』は丸ごと捏造だ。笹子先輩を断罪するために、誰かが作り上げた」

 

 俺はそこで一度言葉を切った。

 

「……改変の手段は手に入った。VPN経由で中に入れるし、ワードリストも書き換えられる。やろうと思えば、今すぐあの絵の表示そのものを変えることもできる。表示を増やして、二文字しか出ないことを周知させれば『変質者』の噂がおかしいことにみんな気づくだろう」

 

 初狩が黙ってこちらを見る。スマホ越しのねむも、何も言わない。

 

「でも、それだけだと“噂を潰した”で終わる。笹子先輩が、自分の形で立ち返る手にはならない」

 

 初狩が頷いた。

 

「つまり、笹子先輩に必要なのは説明じゃない。説明しろと言ってくる側は、最初から理解する気がない。"変質者"も同じです。答えを先に決めて、そこへ押し込んでるだけだ」

 

 俺が言い終わるのを待って、初狩がスマホを取り出した。画面を数回タップしてから、こちらに向ける。

 

「高尾クン。これ、見てください」

 

 画面に表示されたのは、コスプレ写真のコンテストのページだった。テーマは「Transformation」。未成年参加可、匿名応募可、学校名不要。

 

「……変身、か」

 

 俺は呟いた。堂本さんの絵の題名と同じだ。

 

「消すだけじゃ足りないと思うんです」

 

 初狩が静かに言った。

 

「『変質者』なんてラベルが嘘だって証明するだけなら、改変でもできます。でもそれだと、笹子先輩はまた“説明を求められた側”のままです」

 

 そこで、スマホのスピーカーからねむの声が聞こえた。珍しく、テキストではなく通話に切り替えていた。

 

「……それ、彼に合ってると思う」

 

 短い沈黙。ねむの声は小さかった。対面では緊張しやすいねむが、通話でも声を絞っている。

 

「弁明じゃなくて、作品で見せる。……そっちのほうが、強い」

 

**

 

 翌日。被服部の部室。

 

 コンテストのページを開いたスマホを作業台の上に置いて、俺たちは話を切り出した。すると、山田先輩はCAD画面から顔を反らさずにこう呟く。

 

「別に、わかってもらうために着るわけじゃないでしょ」

 

 笹子先輩は、コンテストのページを見つめていた。しばらく黙ったまま、画面をスクロールしている。

 

「出したほうがええんかな……」

 

 先輩はゆっくりと言った。

 

「でも——"説明"するよりは、そっちのほうがましやな」

 

 山田先輩が手を止めた。

 

「屋上また使うなら、申請いるか。生徒会に出さないと」

 

 笹子先輩がCADの画面を閉じて、窓の外を見た。

 

「……変身、か」

 

 先輩の声は、小さかった。だがそこには、昨日までなかった温度が混じっていた。

 

 

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