文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
館山から戻って数日。山田先輩がアリサの冬コス衣装を縫い上げるあいだに、俺たちはもう一つの準備を進めていた。
放課後のREXで作戦会議をする。俺と初狩、そしてスマホ越しにねむ。三人で堂本さんから受け取った情報を共有した。
ねむはすでにSSHでシングルボードコンピュータであるラズベリーパイに接続していた。ワードリストのファイルを開き、中身を確認している。
『リストは二文字限定だったけど、それはワードリストの設定上の制約であって、ディスプレイ自体は全角二十五文字まで表示できる。僕がSSHで直接テキストを流し込めば、リストとは関係なく何でも出せるよ』
「まあ、そんなお遊びをしても仕方がない」
初狩がペンタブレットの手を止めて、こちらを向いた。
「高尾クン。わたし、一つ提案があるんですけど」
「聞く」
「ワードリストを書き換えるなら——笹子先輩に見せたい言葉を、仕込めませんか」
初狩の目が据わっていた。いつもの淡々とした表情の下に、熱がある。
「見せたい言葉?」
「笹子先輩には『変身せよ。変質させられる前に』を。あの絵に貼られた"変質者"のレッテルを、本来の言葉に戻すんです」
一拍の間。初狩の声が低くなった。
「——それだけじゃなくて。水島先輩にも、ちゃんと鏡を見せてあげたいんです」
「ちゃんと」の一語に、初狩がこの数日で溜め込んできたものが全部乗っていた。自分も追放された人間だ。レッテルを貼られる痛みを知っている。だからこそ、それを武器にした人間が許せない。
「……何を見せる?」
初狩はスケッチブックの白紙のページを開いて、ペンを取った。紙の上に、言葉を三つ書いた。
——『気持ち悪いのはあなたの偽善』
——『マイノリティを利用して、理解者を演じていた』
——『saaaaaaya0572』
俺は紙を見つめた。
一行目。水島先輩が匿名の紙で笹子先輩に投げた言葉を、主語を変えて返している。「気持ち悪い」が誰のものだったのかを突きつける。
二行目。水島先輩がやったことの構造そのものだ。「理解者を演じていた」。本人が最も認めたくない事実。
三行目。裏垢のアカウント名。これを見た瞬間、水島先輩は悟る。全部バレている、と。
「三段で見せるんですよ」
初狩の声は静かだった。だが、指先がペンを握る力は白くなるほど強かった。
「最初の一行で揺さぶって、次の一行で暴いて、最後にアカウント名を出す。順番が大事です。逃げ場を一つずつ塞いでいく」
俺は初狩を見た。この子は絵を描くとき、最初に目に入ったものから描くと言っていた。全体像を先に見せない。細部から入って、少しずつ追い詰めていく。
その描き方が、そのまま攻撃の設計になっている。
「ねむ。表示プログラムの改変、できるんだよな?」
『ワードリストの切り替えだけなら簡単。でも、三段階で順番に表示するなら、タイマーかリモートトリガーがいる。——まあ、僕がリアルタイムで操作するよ。SSHで繋ぎっぱなしにしておけば、表示内容を手動で切り替えられる。ただ、水島先輩が絵の前に立たないと意味はない」
俺はねむの意見に少し間を置いて答えた。
「裏垢の調査で、メールアドレスは割れてるんだろ? 匿名メールで呼び出せばいい。文面は——そうだな、都市伝説に食いつく人間が無視できない書き方にする」
「高尾クンらしい、ダークな作戦ですね」
「のっぺらぼうの少女の表示が変わった、って書けば来るよ。あの絵を武器に使った人間は、武器の状態を確認せずにはいられない。放火犯が火元に戻るのと同じだから」
初狩が小さく頷き、ねむも『じゃあ、メールの手配しておくよ』と返答する。
「じゃあ、段取りを決めよう」
俺はPCの前に座り直した。
「まず笹子先輩の分。明日、ワードリストを『変身せよ。変質させられる前に』の単語固定に切り替えてくれ。先輩がコンテストに応募するまではそのままにする」
『了解』
「応募が確認できたら、連絡する。そこから水島先輩のフェーズに入る。ねむが呼び出しメールを送って、絵の前に来たタイミングで三段階表示をリモートで切り替える」
『タイミングは僕に任せて。人感センサーの反応ログで、誰かが立ったのはわかるから』
「表示の間隔は?」
『一行目を三秒。消えて二秒の間。二行目を五秒。また二秒の間。三行目を——ずっと出しておく。立ち去るまで消さない』
アカウント名が、消えずに光り続ける。目を逸らしても、まだそこにある。
「……容赦ないな、ねむ」
『容赦する理由がない』
短い返答だった。ねむも怒っている。画面の向こう側で、静かに。
初狩がスケッチブックを閉じた。三つの言葉が書かれたページが、白い表紙の下に消える。
「高尾クン」
「なんだ」
「これは——意地悪ですかね」
俺は少し考えた。
「……意地悪だな。間違いなく」
「そうですか」
初狩は目を伏せた。それから、小さく言った。
「わたしは、それでいいです」
俺も、それでいいと思った。
**
翌日の放課後。
山田先輩を先頭に、俺と笹子先輩は新館三階の廊下の突き当たりへと向かう。
そこにある「生徒会室」と書かれたプレートの前で、山田先輩がノックもせずにドアを開けた。
「すみませーん。被服部の山田です。屋上の使用許可をいただきたいんですけど」
生徒会室は思ったより狭かった。長机が二つと、パイプ椅子がいくつか。壁には行事予定表と、整然と並んだファイル。窓から差し込む放課後の光が、書類の山を照らしている。
部屋の奥に、一人だけ座っていた。
篠原慧。二年四組、生徒会副会長。きっちりとした七三分けに黒縁メガネ。制服の着こなしに隙がない。ブレザーのボタンは一つも外れておらず、ネクタイの結び目は正確に喉仏の真下にある。姿勢がまっすぐだ。椅子に座っているだけなのに、背筋に定規でも入っているのかと思うほど。
「山田先輩。事前にメールをいただければ、書類を準備しておけたのですが。今、会長は別件で席を外しています」
篠原先輩の声は丁寧だった。怒っているわけでも、迷惑そうなわけでもない。ただ、手順を確認している。
「急でごめんね、篠原ちゃん。今日どうしても使いたくて」
「今日、ですか」
篠原先輩はファイルから一枚の用紙を引き出した。屋上使用許可申請書。手慣れた動作だった。
「使用目的を教えていただけますか」
「被服部の活動で、衣装撮影。コンテストに出す写真を撮りたいの」
「コンテスト名は」
「コスプレフォトコンテスト、テーマは『Transformation』。未成年参加可で、匿名応募できるやつ」
篠原先輩はペンを走らせながら、条件を並べた。
「被服部の顧問はたしか渡辺先生ですけど、屋上を使う話は通してありますか?」
「ええ。事前に了承済みよ」
「それならば、この申請書に署名してください」
「わかった」
山田先輩はペンを受け取り、書類の部長欄にさらさらと名前を書いた。迷いがない。
篠原先輩は書類を受け取り、日付と条件を確認してファイルに挟んだ。
「今日の放課後、十六時から十七時四十分で許可を出します。鍵は職員室の第三管理棚にあります。使用後は必ず施錠して返却してください」
事務的だ。だが、突っぱねてはいない。規則を盾にするのではなく、規則の中で通せる条件を整えている。そのやり方が、妙に手際よかった。
「ありがと、篠原ちゃん。助かったよ」
「いえ、規定通りの処理ですので」
山田先輩が書類を受け取りながら、ふと思い出したように俺たちを振り返った。
「そういえば、被服部に新入部員が二人入ったと聞きましたが」
言われて、俺は一歩だけ前に出た。
「一年の高尾です」
篠原先輩の視線が、そこで初めて俺に止まった。
品定めというほど露骨ではない。ただ、名簿の空欄を埋めるみたいに、顔と名前を一致させる目だった。
「そうでしたか」
篠原先輩は小さく頷いた。
「人数が増えたなら、活動もしやすくなりますね」
「まあね。潰れずに済みそうで助かるよ」
山田先輩が軽くそう返して、俺たちに「撤収するよ」と目で合図する。
そのとき——篠原先輩の視線が動いた。
山田先輩の後ろに立っている笹子先輩を見た。男子制服姿の笹子先輩と、申請書に書かれた「衣装撮影」という文字を、一瞬だけ結びつけるような目の動きがあった。
だが、何も聞かなかった。
表情は変わらない。視線を書類に戻して、「では、明日よろしくお願いします」と言った。
その「聞かない正しさ」が、俺には少し不気味に見えた。聞かないことが配慮なのか、無関心なのか、それとも——聞いてしまったら自分の「正しさ」が揺らぐから避けているのか。
生徒会室を出て、廊下を歩く。山田先輩が「さくっと終わったね」と軽く言った。篠原先輩のことは、もう頭にないようだった。
**
篠原先輩から許可をもらったあと、その足で屋上へと行き、撮影の準備が始まった。
笹子先輩が衣装を選ぶ。トルソーにかけてある三着のコスプレ衣装を順番に見て、手を伸ばしかけてはやめる。
「どれにするか、決まった?」
山田先輩が作業台の上でアイロンを温めながら聞いた。
「……迷ってる」
先輩の声が小さかった。前にファーメイのコスプレで撮影したときとは、空気が違う。あのときは純粋に「かわいい」を楽しんでいた。だが今は、それだけでは撮れない。
「また何か言われるかもしれへん」
先輩はトルソーの一着——アニメ『フリフリガールズ』通称『フリガル』のアリサの冬コス衣装に触れたまま、動きを止めた。
「受賞とか以前に、出したこと自体を笑われるかもしれへん」
部室が静かになった。ミシンの音も止まっている。初狩がブローチの台座を手に持ったまま、先輩を見ている。俺はカメラのバッテリーを確認する手を止めた。
山田先輩だけが、アイロンの蒸気を確認する手を止めなかった。
「別に、勝つために着るわけじゃないでしょ」
布に向かったまま、先輩が言った。
「着たいなら着る。嫌ならやめる。どっちでもいいよ」
励ましではなかった。「大丈夫」でも「頑張れ」でもない。ただ——選択肢を二つ並べて、選ぶのは笹子先輩だと言っている。それだけ。
笹子先輩はしばらく衣装を見つめていた。それから、アリサの冬コスをトルソーから外した。
「……着るわ」
山田先輩は振り返らなかった。「じゃあアイロン当てるから、こっち持ってきて」とだけ言った。
そこから全員が動き始めた。
山田先輩が衣装の皺を伸ばし、ボタンの位置を確認し、裾の長さを微調整する。初狩は小物のバランスを見ている。ブローチの位置、ベルトの角度、手袋の合わせ方。配色と全体の見え方を、絵描きの目で整えていく。
俺はスマホで屋上の天気と光の角度を確認した。今日は薄曇り。直射日光がない分、影が柔らかい。コスプレ撮影には悪くない条件だ。
笹子先輩が衣装に着替えて出てきた。
フリガルのアリサ。白と蒼を基調にした冬仕様の軍服風コスチューム。銀の飾緒が肩から胸元にかかり、膝丈のプリーツスカートが揺れる。ロングブーツ。手袋。
先輩は鏡の前で袖口を直していた。無意識の動作。ボタンの位置を確認し、飾緒の垂れ具合を整え、スカートの裾を払う。
その動きが——きれいだった。
**
屋上。
梅雨の晴れ間の風が強かった。コンクリートの床に夕方の光が広がり、フェンスの向こうに校舎の影が長く伸びている。薄曇りの空は白みがかっていて、光が全体に柔らかく回っている。
山田先輩が衣装の最終チェックをしている。飾緒のピンを一本差し直し、襟の折り返しを整える。
初狩はフェンス際に立って、光の入り方を確認していた。「こっち側のほうが影が出にくいです」と俺に言う。
俺はカメラを構えた。山田先輩から借りた一眼レフ。ファインダーを覗く。
笹子先輩が立ち位置についた。
——固い。
シャッターを切る。モニターを確認する。衣装は完璧だ。立ち姿も悪くない。だが——顔が違う。「撮られている」ことを意識しすぎている。表情が作り物になっている。
二枚目。三枚目。変わらない。先輩は「見せる顔」を作ろうとしている。だがそれは、誰かに見られることへの緊張であって、先輩自身の顔ではない。
俺はファインダーから目を離した。
「笹子先輩」
「うん?」
「いまのは——誰かに見せる顔でした」
先輩の表情が一瞬こわばった。
「さっき、着替えた直後に袖を直してたときのほうが、ずっとよかったです」
技術的な指摘の形をしている。だが、俺が言いたかったのは——あの無意識の動き、衣装を自分のものにしようとする自然な仕草のほうが、ずっと先輩らしかったということだ。
先輩は目を瞬かせた。それから——ほんの少しだけ、肩の力が抜けた。
「……袖直してたとこ、見とったん」
「カメラマンですから」
嘘だ。カメラマンとしてではなく、ただ見ていた。だがそう言ったほうが、先輩も楽だろう。
もう一度、ファインダーを覗いた。
シャッターを切る。
——違う。さっきまでとは別人だ。
「撮られるための顔」ではない。「好きで着ている人の顔」だ。衣装を纏った自分に対する、静かな肯定。
一枚、二枚。風がスカートの裾を揺らすたびに、先輩の表情がほんの少しずつ変わる。緊張が解けていく。「見られている」ではなく、「ここに立っている」という顔になっていく。
初狩がフェンス際から小さく言った。
「……そのほうが、かわいいです」
説明ではなく、ただの感想だった。先輩が少しだけ頬を染めて「おおきに」と笑った。
俺は夢中でシャッターを切り続けた。
**
撮影後。被服部の部室に戻って、PCのモニターにベストショットの候補を並べた。
十数枚の中から、全員で選ぶ。山田先輩が画面を指さしてはスクロールし、初狩が色味のバランスについてコメントする。笹子先輩は自分の写真を見るのが恥ずかしいのか、少し離れた位置からモニターを覗いている。
「これ」
山田先輩が一枚を指した。風がスカートの裾を軽く持ち上げた瞬間の写真。先輩は正面を向いていない。少しだけ横を向いて、飾緒を指先で触れている。無意識の仕草。表情は穏やかで、「撮られている」緊張がない。
「変身っていうより、最初からこうだった感じだね」
山田先輩がぼそっと言った。
笹子先輩がその言葉を聞いて、少しだけ目を見開いた。何かを言いかけて、やめた。代わりに、もう一度モニターの写真を見つめた。
「……ほんまか?」
先輩は言葉を探すように、少し黙った。
「もともとこうだったのに、隠してただけって見方もできますよ」
初狩のその発言で、部室の空気が少しだけ柔らかくなった。
だが、先輩の表情は晴れ切ってはいなかった。
「出せばまた何か言われるかもしれへん。でも——出さんかったら、"変質者"って言葉だけが残る」
誰も何も言わなかった。それは先輩が自分で決めることだと、全員がわかっていた。
**
コンテストの応募期限は今週末だ。笹子先輩はまだ迷っている。迷っているが、写真は選んだ。あとは送信ボタンを押すだけ。
その日の放課後、笹子先輩が一人で旧館から新館へ移動するのを、俺は少し離れて見ていた。渡り廊下を通る。
先輩の足が止まった。
あの絵の前だ。のっぺらぼうの少女。顔のない空白。
先輩はしばらく絵を見つめていた。何が見えているのか、この距離からはわからない。だが、先輩の背中がわずかに変わった。強張っていた肩の線が、ほんの少しだけ下がった。
先輩が絵の前を離れて歩き出す。振り返らなかった。
足取りが、来たときより少しだけ速い。
俺はスマホを取り出して、ねむにメッセージを送った。
『見たと思う。表情は確認できなかったが、たぶん効いた』
ねむの返信。
『了解。笹子先輩の応募が確認できたら、次のフェーズに入る』
**
その夜。笹子玲は自室のデスクに向かっていた。
ノートPCの画面に、コンテストの応募フォームが開いている。名前の欄は匿名。学校名は不要。写真のアップロード欄に、今日のベストショットがすでに読み込まれている。
あとは「送信」を押すだけだ。
玲はマウスに手を伸ばしかけて、止めた。
また何か言われるかもしれない。受賞なんかしなくても、応募したこと自体が噂になるかもしれない。「あいつまたやってる」と笑われるかもしれない。
でも。
出さなかったら——あの紙と、あの噂と、あのラベルだけが残る。「変質者」。誰かが勝手にねつ造した言葉。それだけが、うちの名前に貼りつく。
冴子先輩の声が頭の中で鳴った。
——別に、勝つために着るわけじゃないでしょ。着たいなら着る。嫌ならやめる。どっちでもいいよ。
才くんの声も。
——さっき、着替えた直後に袖を直してたときのほうが、ずっとよかったです。
時雨ちゃんの声も。
——そのほうが、かわいいです。
そして今日、噂を確かめるためにもう一度のっぺらぼうの絵の前に立った。そこで表示された言葉に心が震える。
——『変身せよ。変質させられる前に』
その文字が玲の背中を押しきった。
玲はマウスを握る。
「後悔はしない」
呟いて、クリックした。
送信完了。画面が切り替わる。短い受付メールが届いた。
それだけのことが、ひどく大きかった。
玲はノートPCの画面をしばらく見つめてから、静かに閉じた。