文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
最近、初狩はpixivに上げたイラストをXでも共有するようになっていた。
「pixivだけだと誰にも届かないので、Xで告知だけしてるんです」
「効果あるのか?」
「少しだけ。いいねが一桁ですけど、ゼロじゃないのが嬉しいんですよ」
初狩はそう言って、照れるでもなく、ただ事実として報告するみたいに笑った。数字が小さくても、届いたという事実だけで描く理由になる。そういう感覚なのだろう。
そして、笹子先輩のコンテスト応募から数日が経った。
学校の空気は、まだ完全には元に戻っていない。だが、何かが変わりつつあった。
水島先輩は以前ほど露骨ではなくなっていた。笹子先輩に対して距離を取ってはいるが、それはもう「攻撃の主導権を握っている人」の態度ではない。視線を向ける頻度が減り、周囲に集まる女子の数も少しずつ減っている。勢いが切れてきている——そう見えた。
だが、俺は落ち着かなかった。
表面上、何も起きていない。噂はまだ消えていないし、「変質者」の語もDiscordに残ったままだ。笹子先輩は男子制服で登校し続けている。何も解決していない。結果が出るまでは、何も終わっていない。
放課後、被服部の部室でミシンの音を聞きながら、俺はスマホをいじっていた。コンテストの結果発表ページを何度もリロードしている。まだ「準備中」の表示のままだ。
初狩が隣で紙粘土の新しいブローチを削りながら、ちらりとこちらを見た。
「高尾クン、さっきから何回リロードしてるんですか」
「数えてない」
「わたしは数えました。二十回目です」
「……やめてくれ」
**
結果が届いたのは、その翌日の昼休みだった。
ねむからのDM。リンクが一つだけ貼ってあった。
『出てる』
俺は教室の自席でリンクを開いた。コンテストの結果発表ページ。受賞作品の一覧が並んでいる。グランプリ、準グランプリ、入選——スクロールしていく。
審査員特別賞。
一枚の写真が表示された。
風がスカートの裾を軽く持ち上げた瞬間。少しだけ横を向いて、飾緒に指先を触れている。無意識の仕草。穏やかな表情。「撮られている」緊張のない、自然な一枚。
笹子先輩の写真だった。
審査コメントが添えられていた。
『これはキャラクターを真似たコスプレではなく、その人物へ完全に変身した一枚だ。衣装の精度、立ち姿の説得力、そして何より、被写体自身がこの姿を心から楽しんでいることが伝わる。技術と存在感が高い水準で両立した、審査員一同の記憶に残る作品。』
俺はスマホの画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
変身。
笹子先輩は誰かに変えられたわけでも、歪められたわけでもない。最初からそこにいたものが、ちゃんと見える形になっただけだった。
山田先輩の言葉が頭の中で反響する。——変身っていうより、最初からこうだった感じだね。
審査員は、同じことを言っている。
俺はねむにDMを返した。
『ありがとう』
ねむの返信。
『僕は何もしてない。リンクを貼っただけ』
ねむらしかった。
**
その日のうちに、写真は学校内でも話題になり始めた。
最初は個人のDM経由だった。被服部の笹子先輩がコスプレ写真のコンテストで特別賞を取った——その情報が、笹子と親しい生徒から少しずつ広がっていく。
放課後、俺が被服部の部室で撮影データの整理をしていると、ドアが遠慮なく開いた。
「笹子くん、いる?」
顔を出したのは、二年三組の谷上瑠璃だった。暗茶の巻き髪、制服の着崩し方、手首の細いブレスレット——校内でよく目につく「今っぽい子」そのものだ。だがドアの隙間から覗く目だけが、妙にまっすぐだった。
笹子先輩はトルソーにかけた衣装の裾を整えながら、ゆるく振り向いた。
「おるけど。どないしたん」
「いや、今日のあれ。普通にすごかったんだけど」
谷上先輩はそう言って、笹子先輩の顔をじっと見た。褒めるというより、観察している目だった。
「かわいい、っていうかさ。ちゃんと完成してたじゃん。メイクも、服も、写真映えまで込みで」
「はあ」
「その涙袋とか、光の入れ方とか。あれ、ステージでも沈んでなかったし」
笹子先輩が少しだけ笑った。
「よう見てるなぁ」
「そりゃ見るでしょ。てか、見ないと損じゃん、ああいうの」
軽い口調のまま、谷上先輩が一歩だけ近づいた。
「ちょっと聞きたいんだけど。ああいうのって、何から決めてるの? 色? 顔の形? それとも——"女っぽく見えるかどうか"?」
最後の言い方だけ、ほんの少し慎重だった。俺は作業台の隅でデータを整理する手を止めずにいたが、耳だけは谷上先輩の声に向いていた。
笹子先輩はすぐには答えず、机の上に置かれたメイク道具を一瞥した。
「女っぽく、では決めてへんなぁ」
「じゃあ何」
「どこを見せたいか、やな」
谷上先輩が黙った。
「盛る、いうより。全部足すんやのうて、自分の顔の中で、どこを残したいか決めるんよ」
「残したいとこ」
「せや。目ぇなんか、ただ大きしたらええわけやないし。輪郭も、消したら整ういうもんでもないし。その人の顔が残ってへんと、意味ないやろ」
谷上先輩は「ふうん」と短く返した。軽い返事だった。だがその視線は、本気で笹子先輩の顔を追っていた。
「……なんかそれ、わかるかも」
「ほんまに?」
「うん。バズるやつって、結局、上手いだけの顔じゃないし」
笹子先輩がそこで少しだけ目を細めた。
「せやったら、谷上さんも同じやろ」
「え?」
「流行りに寄せるだけやったら、誰でも似た感じにはなるやん。でも、谷上さんはたぶん、"それでもこれがええ"って選んでるとこあるやろ」
谷上先輩は一瞬、言葉に詰まった。すぐに誤魔化すみたいに笑う。
「なにそれ。急に見抜いてくるじゃん」
「見抜くいうほどでもないよ。見たらわかるし」
しばらくして、谷上先輩は笹子先輩の机の上にあったハイライトを手に取った。
「……今度、ちゃんと教えてよ」
「ええよ」
「ほんとに?」
「大したこと教えられへんけどな」
谷上先輩はようやくいつもの調子で肩をすくめた。
「いや、そういう"こだわり"がある人が、いちばん使えるんだって」
笹子先輩が吹き出す。
「言い方あれやなあ」
「事実じゃん」
そう言って谷上先輩は道具を戻し、ドアのところで一度だけ振り返った。
「笹子くんのそれ、今日ので終わらせるの、もったいないよ」
「そっちこそ」
笹子先輩が返すと、谷上先輩は少しだけ目を丸くして、それから笑った。
「じゃ、また来る」
ドアが閉まった。少しだけ甘い香りが残っている。
俺はPCの画面に視線を戻した。谷上瑠璃。二年三組。SNSのフォロワーが多い、いわゆる「リア充側」の先輩だ。だが——さっきの会話は、上辺だけの社交ではなかった。「見せ方」を本気で見ている人間の目だった。
それ以上は考えなかった。今はまだ、笹子先輩の話の途中だ。
やがてDiscordの都市伝説スレッドにも、受賞の話が流れた。
だが、今度は話題の質が違った。
『これ普通に写真として強くない?』
『衣装の完成度やばい。自作なんだろ?』
『笹子先輩っぽい。てかめちゃくちゃ似合ってる』
『変な噂より、こっちが本物じゃん』
誰も明確に「反省」なんかしていない。「変質者」の噂を流した人間が謝罪するわけでもなければ、都市伝説を利用した加害を省みる者もいない。
それでも——「変質者」という語が、急に安っぽく見え始めていた。
匿名の噂と、名前の載った受賞作品。どちらに重みがあるか。答えは明らかだった。都市伝説より作品が勝つ。言葉より、形にしたものが勝つ。
俺はDiscordのスレッドをスクロールしながら、息を吐いた。これが報酬だ。派手な勝利ではない。誰かを断罪したわけでもない。ただ——空気が変わった。それだけで十分だった。
**
翌日の昼休み、俺は渡り廊下の新館側の角に立っていた。
ねむが昨夜ワードリストを切り替えたことは確認済みだ。あとは、あの絵の前に水島先輩が来るかどうか。
当初は応募確認の直後に動くつもりだった。だが受賞の噂が広がった今のほうが、水島先輩の焦りは大きくなる。ねむと相談して、タイミングをずらした。
来る、と思っていた。受賞の噂が広がっている。水島先輩は笹子先輩に「変質者」のレッテルを貼るために、あの絵の都市伝説を利用した。その絵の前で笹子先輩が受賞した写真の話題が広がっている今、水島先輩はあの絵の「今」を確認しに来るはずだ。自分が火をつけた場所を見に来る。火元に戻る放火犯と同じ心理だ。
五分ほど待った。
水島先輩が渡り廊下に入ってきた。スマホを持っている。また撮影するつもりかもしれない。
先輩は絵の前で足を止めた。スマホを構えかけて——手が止まった。
俺の位置からは、絵に何が表示されているかは見えない。角度が違う。
だが、水島先輩の横顔は見えた。
最初、眉が寄った。次に、唇が開きかけて閉じた。スマホを持つ手が下がった。撮影はしなかった。
数秒。
水島先輩は絵から目を逸らして、早足で渡り廊下を抜けていった。振り返らなかった。
俺はその背中を見送った。
何を表示したかは知っている。
だが、それを水島先輩がどう受け取ったのかまでは、聞かない。確認もしない。
あの絵は鏡だ。
映ったものは、表示された文字そのものじゃない。そこに何を見たかは、本人の側にしかない。
それでいい。
**
その日の放課後、水島先輩は遅れて便乗した。
Xの表垢で——裏垢の「saaaaaaya0572」ではなく、本名のアカウントで投稿していた。
『玲くん受賞おめでとう! ずっと応援してた! やっぱり本物は認められるんだね✨』
俺はその投稿を見て、しばらく画面を睨んでいた。
あのメッセージを見た直後に、この投稿。バレていないと思っているのではない。バレたと悟ったからこそ、先に「味方」の顔を貼りつけて既成事実にしようとしている。裏垢を知られている以上、表垢で「応援していた側」に立っておかなければ、次に暴かれるのは自分だ。
リプライ欄を開く。——空だった。
いいねの数を見る。一桁。
以前なら、水島先輩の投稿には同調の声がすぐについていた。「わかる」「さすが沙耶」「理解ある人だよね」。そういう空気が、水島先輩の言葉に力を与えていた。
だが今、誰も乗らない。
「ずっと応援してた」という言葉を、もう誰も信じていない。信じていないというより——興味がない。水島先輩が何を言おうと、もうそこに熱がない。
公開処刑されたわけではない。炎上したわけでもない。ただ、前と同じ言葉が前と同じようには機能しなくなっている。「理解ある私」という看板が、静かに効力を失っていく。
誰にも乗ってもらえない。
それが、いちばん静かな報いだった。
**
その翌朝。
俺は校門を抜けて昇降口に向かっていた。梅雨の朝は少し蒸していて、制服のブレザーが背中に張りつく。遠くで運動部の朝練の声が聞こえる。
廊下で、笹子先輩とすれ違った。
グレーのチェック柄スカート。濃紺のブレザー。赤いネクタイ。
女子制服だった。
誇示していない。説明もしていない。勝者の顔もしていない。ただ——いつものように、そこにいる。
「おはよ」
先輩が言った。いつもの穏やかな京都弁。
「おはようございます」
俺は返した。
それだけだった。それだけのことが、ひどく大きかった。
先輩が通り過ぎたあと、俺は立ち止まった。
レッテルは、剥がさなくてもいい。正体がわかれば、それで十分だった。
「変質者」は丸ごと捏造だった。あの絵のワードリストにそんな語は存在しない。そして笹子先輩は——「変身」を選んだ。
それで十分だった。
**
放課後。廃墟ゲーセンREX。
シャッターをくぐり、ポータブル電源を入れる。筐体の画面が薄ぼんやりと光り、PCのモニターが青白く灯った。カビと埃と古い配線の匂い。いつもの場所。
初狩は奥のPCでペンタブレットを動かしていた。何を描いているのかは聞いていない。
俺がデスクトップPCの前に座ると、メールソフトに新着通知が点灯していた。
二通。
一通目を開く。
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差出人:不明
件名:クエストNo.0003『のっぺらぼうの少女』任務完了
本文:
レッテルの正体は暴かれた。
貼られた言葉は、もう力を持たない。
救済は確認された。
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任務完了。三つ目のクエストが終わった。
俺は画面を見つめてから、二通目を開いた。
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差出人:不明
件名:クエストNo.0004『黒板の覚(さとり)』
本文:
【ミッション】自分という幻想を見破れ。
人は皆、「自分らしさ」という檻を持っている。
優しい人。穏やかな人。真面目な人。気配りのできる人。
それらはすべて、選ばれた仮面にすぎない。
もしそれに気づいてしまったなら、
もう元の自分には戻れないだろう。
安心するといい。
多くの人間は、
その檻の中で一生を終えるのだから。
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「自分らしさ」という檻。選ばれた仮面。
俺の脳裏に、一つの顔が浮かんだ。
生徒会室で書類を受け取った篠原慧。きれいすぎる姿勢。丁寧すぎる言葉。整いすぎた七三分けと黒縁メガネ。あの日、笹子先輩を見ても何も聞かなかった——「聞かない正しさ」の仮面。
あの人は、どんな檻の中にいるのだろう。
「……来ましたね、次のクエスト」
初狩がペンタブレットの手を止めて、俺の隣に来ていた。画面を覗き込んで、クエストの文面を読んでいる。
「『自分らしさ』という檻、か……」
しばらく黙ってから、初狩がぽつりと言った。
「……それって、少しだけ高尾クンに似てませんか」
俺は初狩を見た。初狩はまっすぐにこちらを見ていた。
観測者という檻。損得勘定で感情を隠す癖。自分は何者でもないと決めつけて、傍観者でいようとする——それを「自分らしさ」だと思い込んでいる。
俺は——答えなかった。
答えられなかった。
初狩はそれ以上何も言わず、視線はモニタの方に戻っていった。
薄暗い店内に、筐体の電子音とペンの走る音だけが残っている。