文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
翌朝、初狩時雨はいつも通りの顔で教室に入ってきた。
窓際の席に鞄を置き、椅子を引く。机の引き出しに手を入れた、その瞬間だった。
彼女の指が止まる。
俺の席から初狩の机は斜め前に見える。引き出しの中には、くしゃくしゃに丸めた紙が突っ込まれていた。マジックで大きく書かれた文字。
『フェノール臭、ヤバすぎ』
初狩はその紙を数秒見つめてから、何も言わずに丸め直し、鞄の中にしまった。表情は変わらない。
その時、教室の反対側で視線が動いた。
相模寧々だ。髪を耳にかけながら、さりげなく初狩の方を窺っている。目が合いそうになると、すぐにスマホへ視線を落とす。その隣にいる藤野陽葵も、何かを待つみたいな顔をしていた。
そこでようやく、教室の空気がいつもと違うことに気づいた。
何が変わったのか、最初はうまく言えない。スマホをいじる奴、昨日のドラマの話で盛り上がる奴、宿題を写させてもらっている奴。表面だけ見れば、どこにでもある高校一年生の朝だ。
ただ、一箇所だけ妙に静かな場所がある。
窓際の席。初狩時雨の机の周辺だけ、人の気配が薄い。
偶然かもしれない。ただ席順の問題で、たまたまそうなっただけかもしれない。でも俺は昔から、教室の中の人の配置に妙に目が行く。誰がどこにいて、誰が誰と話していて、誰が孤立しているか。そういうことが、嫌でも目に入る。
別に深い意味はないだろう。クラスメイト同士、朝の教室で目が合うなんて珍しくもない。
俺は視線を逸らし、自分のスマホを開いた。
**
状況は、日を追うごとに悪化していった。
最初は小さなことだった。初狩の筆箱やペンが「落とし物」として下駄箱の上に置かれる。丁寧にタグまでつけて。先生は「誰かが届けてくれたんだね」と笑うけれど、机の中が荒らされた形跡は明らかだった。
次に、噂が広がった。
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@misamisa_jk(インスタストーリー)
「最近またアレ系出没中 泣」
#今日のホラー #いるはずないのに
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貼られていたのは、誰かの後ろ姿だった。
顔は見えない。薄くぼかしが入っていて、スタンプも重ねられている。
けれど、肩の細さと、あの癖のない髪型でわかる。
初狩だった。
本人はタグ付けされていない。ただ、誰が見ても「あの子」だとわかる形で晒されていた。
そのあとを追うように、別の場所でも噂が増殖する。
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□チャンネル: #怪談・都市伝説
匿名ユーザー3 2025/05/19
「廊下くさすぎ問題。誰のせい? 笑」
投票:
□ 1年3組のあの子
□ 漫研の幽霊
□ 美術部の亡霊
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【LINEグループ:1-3男子会】
亮「明日の班決めどうする?女子は適当に混ざる感じ?」
修「初狩って子がまた独りだったらヤバくね?」
恭「てか あの子何考えてるか分かんなくて無理」
亮「話しかけたらこっちも地雷認定されそう笑」
(既読6)
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直接バカにする奴はいない。直接殴る奴もいない。
でも、誰かが彼女のそばを通る時、さりげなく距離を取る。班決めやグループワークで同じ班になると、微妙な沈黙が流れる。目が合えば、すぐに逸らされる。笑い話の輪には呼ばれない。話題をふっても、返事が返ってこなくなる。
静かに、冷たく、初狩時雨の居場所が薄れていく。
それでも彼女は変わらなかった。周囲がどれだけ冷たくなっても、いつも通りの顔で学校に来る。休み時間は窓際でスケッチブックを開き、黙々と何かを描いていた。
昼休みは一人でパンをかじりながら、時折窓の外を見ている。
その芯の強さが……あるいは、諦めたように見える淡白さが、一部の女子にはさらに気に入らなかったらしい。
「しぶといよね」
「空気読んで、自分から消えてくれると楽なんだけどな〜」
廊下のあちこちで飛び交う陰口。小さな雑音みたいに聞き流せばいいのに、教室の空気は妙に澄んでいて、一度耳に入った言葉はなかなか消えてくれない。
俺には関係のないことだ。そう思っていた。
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木曜日の朝。
学校の手前にあるコンビニで缶コーヒーを買った。
一階が店、上が住居のマンションは、この辺では妙に背が高い。周りの二階建てや三階建ての家並みの中で、そこだけが見張り台みたいに突き出ていた。
登校して下駄箱の前を通りかかると、また初狩の筆箱が「落とし物」コーナーに置かれていた。透明なケースの中に色とりどりのペンが詰まった、絵を描く人間らしい筆箱だ。
周りに人はいない。まだ始業前で、下駄箱付近は閑散としていた。
俺は少し迷って、それを手に取った。
教室に入り、初狩の机にそっと戻す。誰にも見られていないことを確認してから、自分の席に座った。
(別に助けたわけじゃない。あんなところに放置されてたら、そのうち誰かに中身を抜かれる。面倒事が増えるだけだ)
損得の話だ。善意とか正義感とか、そんな大層なものじゃない。
……つもりだったのだが。
ふと視線を感じて顔を上げると、教室の入口に初狩が立っていた。こちらを見ている――ような気がしたが、一瞬で視線が外れた。
彼女はいつも通りの無表情で自分の席に着き、引き出しを開けて筆箱を確認すると、何事もなかったみたいに鞄を下ろした。
気づいていなかったのかもしれない。
それでいい。
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その日の放課後。
もう文芸部の部室に行く理由はない。かといって、すぐに帰る気分にもなれなかった。何か適当な部活を探すつもりで校内をふらつき、職員室の前を通りかかる。
廊下に面したガラス棚に、コンクールの賞状やトロフィーがずらりと並んでいた。書道、合唱、弁論、プログラミング——文化部系の受賞ばかりが目立つ。この学校は運動部より文化部の方が強いらしい。
だから文芸部にも漫研にも美術部にも、妙なプライドを持った奴が集まる。
そんな風に考えていると、美術室の前にさしかかった。
「何度も言ったはずです。うちの美術部には、あなたのような作風は合わないと」
白衣を羽織った女性教師が腕を組み、仁王立ちしている。美術部の顧問だろう。たしか、樫田先生だったな。そして彼女の前に、初狩時雨が立っていた。
先生の少し後ろに、もう一人。腕を組んだまま壁にもたれている女子生徒がいる。上履きの色から判断すれば2年の先輩だろう。口は挟まないが、初狩を見る目つきには明らかな敵意があった。
不穏な空気に、「また、か」と思ってしまう。
「どうしてでしょう。同じ絵のはずですが、何かお気に召さない点があるのですか?」
初狩の声は小さい。けれど、はっきりと怒りが滲んでいた。
「あなたの描くものは、男性に媚びた絵柄。うちの美術部は、芸術を追究する場よ」
「ご指摘はありがたいのですが、わたしはただ自分の好きなものを描いているだけですので。媚びているつもりはありません」
「あとで退部届を提出してください。あなたはもっと自分の作風に合った場所を探すべきです。そもそもあなた、漫研と兼部なんでしょう? そちらに集中すればいいわ」
その漫研は、もう追い出されたんだ。
俺は知っている。けれど初狩は何も言わなかった。スケッチブックを静かに閉じて、鞄にしまう。そして美術室を後にした。
すれ違いざま、初狩の制服が目に入る。
スカートの裾と背中に、色とりどりの絵の具の染み。
本来なら、そんな場所に絵の具はつかない。パレットを扱う手や袖口ならわかる。でも背中は——自分ではつけようがない。
(あれは不注意じゃない)
誰かが意図的にやったと考える方が自然だ。
初狩は気づいていないのか、気づいていて無視しているのか。どちらにしても、あの染みは彼女にとって「フェノール臭の子」というラベルを裏づける証拠にされてしまう。
彼女の背中が廊下の角を曲がって消えた後も、俺はその場から動けなかった。
そろそろ帰ろうと自分の教室に戻る。前の席の机には、誰かが忘れていったであろう部活動の連絡用の回覧板。活動日程、部員名簿、顧問名、緊急連絡先の一覧。携帯番号も書かれているので、不注意とはいえ個人情報が雑に扱われているのに苦笑する。
別に意識して読んだわけじゃない。視界に入っただけだ。一致する人間が何人かいた。
俺は回覧板から目を逸らし、その場を離れた。
**
放課後のゲーセン『REX』は、いつも通り暗くて静かだった。
搬入口の鉄扉を開け、ポータブル電源を起動する。格ゲーの筐体に電源を通し、レバーを握る。画面の光が暗い店内を照らして、ようやく息がつけた。
ここにいる間だけは、学校のことを忘れられる。
——そのつもりだった。
レバーを動かしながらも、頭の中では初狩の背中についた絵の具の染みがちらついている。あの不自然な位置。廊下で交わされる陰口。SNSで拡散される噂。すべてが繋がって、一つの輪郭を描き始めていた。
考えるな。俺には関係ない。
その時だった。
店内の奥から、「ピコン」という軽い電子音。
受付カウンターに置かれた古いデスクトップPC。十年前に叔父が自慢していた高スペックの自作機だ。今年に入ってから起動させたことは一度もない。
なのに、モニターが点灯していた。
電源ボタンを押した覚えはない。LANケーブルも外してある。通信機能は死んでいるはずだ。
俺はカウンターの裏に回り、画面を覗き込んだ。
メールソフトが開いている。受信トレイに、新着メッセージが一通。
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差出人:不明
件名:クエストNo.0001『座敷童は"いない子"の影』
本文:
【ミッション】"絵の具くさい子"を救え。
絵の具の匂いをまとう子は、座敷童の影に近づく。
名が薄れれば、影だけが残る。
その影がいま、揺らいでいる。
影が途切れぬうちに拾い上げよ。
……果たせば、ささやかな幸が汝に寄り添うだろう。
その形は、受け取る者次第だ。
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画面の光が、暗い店内で静かに揺れている。
「……なんだよ、これ」
声に出してみても、返事は当然ない。
"絵の具くさい子"。
浮かぶのは、一人の顔だった。スカートの裾に残る絵の具の染み。背中に滲む不自然な色。美術部の前で唇を噛んでいた横顔。
初狩時雨。
座敷童は"いない子"の影。名が薄れれば、影だけが残る——。
それはまさに今、学校で起きていることそのものだった。
俺は画面から目を離し、天井を見上げた。
埃だらけの蛍光灯が、かすかに揺れている。
(……俺に、何をしろってんだよ)
メールは何も答えない。古いPCのファンだけが、低い音を立てて回っている。