文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
昼休みの教室は、噂を食って太る生き物みたいだった。
どのグループも話題は同じなのに、少しずつ違う言い方をしている。
「見た?」
「本人、今日も普通じゃなかった?」
「でも逆に怖くない?」
そんな半端な言葉が、机と机の隙間をぬるく漂っていた。
俺は菓子パンを噛みちぎりながら、朝からほとんど減っていない通知欄を見た。ねむに追加で投げた分への返事はまだない。既読もつかない。あいつの生活リズムはだいたい人間社会に喧嘩を売っているので、そこはもう仕方ない。
「高尾クン」
前の席から、初狩《はつかり》が少しだけ身を乗り出した。
「ひとつ、嫌な噂を聞きました」
何か楽しそうに噂を運んでくる。
「その置き配で嬉しかったこと一回もないな」
「わたしだって好きで運んでるわけじゃないですよ。配送業者みたいに言わないでください」
小さくため息をついてから、初狩は声を落とした。
「前にねむさんから聞いた、黒板に名前を書かれた人たちの後日談です」
「おかしくなったって話の具体的な中身か」
「そうです。手芸部の女子。覚えてますか? 面倒見がいいって評判だった人」
「……いた、らしいな」
「黒板に名前が出たあと、かなり性格が変わったそうです。サバサバした姉御肌だったのが、神経質で、誰のことも信用しなくなった」
「変わりすぎだろ」
「あとバスケ部の男子。几帳面でプレイも丁寧だったのが、写真のあとは雑で、集中力が続かなくなった」
そこまで言って、初狩は少しだけ目を細めた。
「あと、これが決定的かもしれません。サッカー部の男子なんですが」
「そいつもおかしくなったのか」
「名前を書かれたあと、喧嘩っ早く、すぐキレるようになりました。でもよく聞いてみると、彼は中学の頃もともとそういう性格だったそうです」
「高校に入って温厚になった——いや、変わったんじゃなくて、被ったのか。仮面を」
「そうです。つまり黒板に名前が出ることは、その仮面を壊されることなんじゃないか、と」
「クエストの文面と、微妙に合ってくるな」
「『それらはすべて、選ばれた役割にすぎない』——あの一節ですよね」
「本格的に動くか。初狩はどうする」
「わたしも手伝いますよ。そのつもりで話しましたから」
初狩は少しだけ笑って、すぐにいつもの落ち着いた顔に戻った。
「篠原先輩だけ、逆なんですよね」
「……ああ」
「他は崩れる。なのにあの人だけ、前より整っていく」
「だから余計に気持ち悪い」
口にした瞬間、あまりにもひどい言い方だと思った。
でも、他に言いようがなかった。
**
放課後の体育館は、ボールの跳ねる音だけで会話が成り立ちそうな場所だった。
部活の始まる前後というのは、どこの学校でも妙な無防備さがある。まだ本気ではないけれど、完全にオフでもない。話しかけるならその隙間だ。
黒板に名前を書かれたバスケ部の野崎先輩は、すぐに見つかった。
二年の男子にしては少し大柄で、肩幅がある。ボールを片手で持ったまま仲間と何か笑っていた。
笑っている——のに、どこか気が散って見える。パスを受けても反応が一拍遅れる。返事はするが、半歩ずれている。目の前のことに集中しきれていない人間の動きだった。
「野崎先輩」
俺が声をかけると、少し面倒そうに振り向いた。
「あ?」
「すみません、一年の高尾です。ちょっと聞きたいことがあって」
「取材? 新聞部?」
「違います」
「じゃあ何」
「都市伝説の件で」
「うわ、めんどくさ」
その一言が妙に素直で、逆に助かった。取り繕わない相手のほうが、話は早い。
初狩が一歩前に出る。
「黒板の写真、ありますよね。音楽室の」
野崎先輩の顔から、少しだけ笑いが消えた。
「ああ」
「先輩も前に名前を書かれたと聞いて」
「……誰が言った」
「噂です」
「便利だな、その言葉」
鼻で笑ってから、ボールを床に置いた。仲間のほうへ「五分だけ抜ける」と手を上げる。仕草は自然だったが、声の端に疲れが滲んでいた。
体育館の脇、用具庫の前まで移動すると、野崎先輩は壁にもたれた。
「で。何を聞きたいわけ」
「写真のあと、何があったかです」
先輩は数秒黙った。嫌そうな顔でもなく、怒るでもなく、ただ面倒くさそうに天井を見る。
「別に、呪われたとかじゃねえよ」
「はい。そうだと思うからこそ知りたいんです」
「もっとダサい話だ」
そう言って、ポケットからスマホを取り出した。画面は見せない。手の中で弄ぶみたいに持ち直す。
「俺さ、裏垢あったんだよ」
初狩が何も言わずに聞く姿勢になる。俺も口を挟まない。
「別に大したもんじゃない。愚痴とか、不満とか、試合のあとムカついたこととか。表で言えないことってあるだろ」
「……ありますね」
「だろ。で、あの写真が回ったあと、ある日いきなり使えなくなった」
俺は眉を寄せた。
「使えなく?」
「制限とか凍結とか、そのへん。詳しい文言はもう覚えてねえ。とにかく書けなくなった。見ようとしてもダメ。復旧しようとしても面倒で、しかも通らねえ」
先輩はようやくスマホの画面をちらりと見た。今は別のアカウントか、あるいは何も開いていないのかもしれない。見せるつもりはないようだった。
「で、それから妙にイラつくようになった」
声は平板だった。平板なのに、聞いているこっちの胃が少しずつ冷える。
「今までなら、むかついたらそこに吐いて終わりだったんだよ。書いて、ちょっと落ち着いて、まあいいかってなる。けどそれができなくなると、頭の中に残るんだ」
「……残る」
「残る。プレイ中も、授業中も、寝る前も。なんかずっと、体のどっかに引っかかってる感じ」
先輩は壁に後頭部を軽くつけた。
「だから最近、雑なんだと思う。自分でもわかる。集中切れるし、鬱憤は溜まるし、細けえことどうでもよくなる
「黒板の写真と、アカウントが使えなくなったのって——」
初狩が静かに聞く。
「関係あると思いますか」
野崎先輩はすぐには答えなかった。それから、吐き捨てるでもなく言う。
「知らねえよ。知らねえけど、気味は悪い」
「……」
「だって、名前が出回って、みんなに注目されて、そのあとだぞ。偶然で済ますには感じ悪すぎるだろ」
その言い方が、妙に本音っぽかった。
俺は体育館の中にちらりと目をやった。部員たちはもう次の練習に入っていて、こちらを見ている者はいない。なのに野崎先輩の「みんなに注目されて」が、やけに生々しく耳に残った。
「ありがとうございました」
初狩が頭を下げる。野崎先輩は「別に」とだけ返して、少し目を細めた。
「篠原も、あれかもな」
帰り際に、そう呟いた。
「壊れ方は違うかもしれねえけど。あの顔、なんか無理してる感じするし」
「無理してる」
「見りゃわかるだろ。前よりちゃんとしてるやつって、たいていちょっと危ないんだよ」
言い残して、野崎先輩は体育館へ戻っていった。
その背中は乱暴でも荒れてもいなかった。ただ、何かを持て余している人間の歩き方だった。
**
「だいぶ嫌な話でしたね」
体育館を出たあと、初狩が言った。
「うん」
「でも、見えてきました」
「写真のあとに裏垢が使えなくなる」
「そして感情の逃がし場所を失って、変わる」
風が少し強かった。グラウンドのほうから土の匂いが流れてくる。サッカー部の掛け声が、それに混ざっていた。
「手芸部の女子にも聞くか。二年二組の斉藤佐知子だっけ」
「行きますか」
「たぶん、俺だと警戒されるな」
「ええ、かなり。高尾クンは女子受けしそうもない顔ですから」
「その回答は傷つく」
「でも本当なので」
ひどい。だが反論もできない。
**
手芸部の部室は、特別棟の二階にあった。
放課後の廊下はもう人が少なく、窓から差し込む夕方の光だけが床に細長く伸びている。部室の前まで来ても、中は妙に静かだった。
初狩がドアを軽くノックする。
「失礼します」
返事は、少し間を置いてから返ってきた。
「……はい」
扉を開けると、斉藤佐知子が一人だけいた。
机の上には布地や糸、裁縫道具がきれいに並べられている。その整い方が、かえって張りつめて見えた。ほかの部員はもう帰ったのか——とにかく、この場にいるのは彼女だけだった。
椅子に座ったまま、こちらを見る。その視線に歓迎の色はなかった。
「あの、斉藤先輩ですよね」
初狩がそう言うと、彼女は少しだけ眉を寄せた。
「あたしだけど」
声が固い。ぱっと見は普通だ。けれど、普通のふりをする余裕がほとんど残っていない感じがある。机の上の道具の配置に神経が行きすぎている。糸切りばさみに添えた指先が、いつでも動かせるようにわずかに力んでいた。他人が自分の空間に踏み込んでくること自体を、先に警戒しているようだった。
初狩が名乗り、一年生だと伝える。斉藤先輩はそれを聞いても、ほとんど表情を変えなかった。
「用件、言って」
その一言で、回りくどい話は待ってもらえないとわかった。
俺は一度だけ息を整えてから言った。
「黒板の写真のあと、何かあったんじゃないですか」
斉藤先輩の目が、ぴくりと動いた。
「その顔、やめて」
「顔?」
「探るみたいな顔」
図星だったので何も言えない。初狩がすぐに間へ入る。
「ごめんなさい、変な聞き方でした」
「……」
「でも、同じことが篠原先輩にも起きてるかもしれなくて。だから知りたいんです」
篠原先輩の名前が効いたらしい。斉藤先輩は目をそらしたまま、少しだけ黙った。
俺は、ここで曖昧にするほうが逆効果だと思った。だから推測をそのままぶつけることにした。
「斉藤先輩にも、表で言えないことを吐く場所があったんじゃないですか?」
空気が止まった。
初狩が俺を睨む。あとで怒られるやつだ。
けれど、斉藤先輩の反応は明確だった。怒るより先に、息を呑んでいた。
「……なんで知ってるの」
「野崎先輩から話を聞いた。写真のあとに、愚痴用のアカウントが使えなくなったって」
「……っ」
斉藤先輩は視線を落とした。握っていた糸切りばさみを机に置く。その音がやけに小さく響いた。
「あたしも、そう」
ようやく出た声は、細かった。
「別に……誰かの悪口とか、すごいこと書いてたわけじゃない。ちょっとムカついたとか、疲れたとか、うるさいとか、そういうの」
「うん」
「そこで捨てたら終わるはずだったのに。急に入れなくなって」
「それで——変わったんですか」
俺が言うと、斉藤先輩はすぐには頷かなかった。でも否定もしなかった。
「変わった、って言われる」
自分で口にするのが嫌なのか、声がかすかに揺れていた。
「でも、しょうがないじゃんって思う。だって前は、嫌なことがあっても、あとであっちに書けばいいやって思えてたから」
「今はそれがない?」
「ない。だから全部、残る」
その「残る」が、野崎先輩とまったく同じ言い方だった。
「頭の中にたまって、ずっと出ていかない。人に話しかけられるだけでイラッとするし、誰かが自分の物に触るかもって考えるだけで、もう無理で」
斉藤先輩は唇を噛んだ。
「わかってるよ。前より感じ悪いって。自分でもわかってる」
部室の空気が、少しだけ重くなった。
「裏垢のこと、誰かに喋ったことは?」
「あるわけないじゃん」
「でも特定されて凍結されてる」
「……それは、あたしが浅はかだったんだと思う。個人に繋がるようなこと、書いちゃってたから」
斉藤先輩は考え込むように目を伏せた。
「でも、こう考えると少し楽になるかもしれないですよ」
「楽?」
「裏垢が先輩のだって特定されて、そのままネットに晒されてたら——学校にすら来られなくなってた可能性があります」
「……」
数秒の沈黙のあと、斉藤先輩は「たしかに」とため息のような声を返した。
「教えてくれて、ありがとうございました。これで篠原先輩の力になれるかもしれません」
初狩がそう言うと、斉藤先輩は「別に」と返した。
だが一息おいて、こちらを見ないまま彼女は呟く。
「篠原って、ちゃんとしてるじゃん」
足が止まった。
「だから、逆にやばいかもね」
振り返った時には、彼女はもうこちらを見ていなかった。
**
サッカー部の三年の新島賢人先輩にも話を聞こうとした。
聞こうとした——だけだ。
グラウンドの端まで行って、すぐにやめた。ちょうどその本人が後輩にキレ散らかしていたからだ。
「何回言わせんだよ! 見えてねえのか!」
怒鳴り声が、夕方の空気を裂いた。後輩は縮こまり、周りの部員たちは見て見ぬふりをしている。
初狩が俺の横でぽつりと言う。
「これは近寄らないほうがいいですね」
「うん。命は惜しい」
「命までは取られないと思いますけど、精神的にはかなり削られそうです」
「十分だろ」
新島先輩は、噂どおりだった。前は温厚だったという話が本当かどうか疑いたくなるくらい、今は刺々しい。
だが、その刺々しさにも見覚えが出てきてしまった。
逃がせないものが溜まり続けた人間の荒れ方だ。
「三人とも違うのに、同じですね」
初狩が言う。
「違う壊れ方をしてるだけで、原因は近い」
「で、篠原先輩だけが逆」
「うん」
俺は校舎のほうを見上げた。窓ガラスに、夕方の空が鈍く映っている。
初狩が先に、その言葉を口にした。
「たぶん篠原先輩も、同じものを失ってます」
「……だろうな」
「ただ、出方が逆なんです」
「野崎先輩みたいに雑になるんじゃなくて」
「斉藤先輩みたいに神経質になるんでもなく」
「もっとちゃんとした人間になる」
そこが、一番気味悪かった。
普通なら、変化は壊れる方向に見える。怒鳴る。荒れる。雑になる。だから周囲も「おかしい」と気づける。
でも篠原先輩は違う。むしろ周りが褒める方向へ進んでいる。
前より気が利く。前より完璧。前より副会長らしい。
それは改善じゃない。少なくとも、俺にはそうは見えなかった。
「なあ」
「はい」
「たぶんだけどさ」
自分の声が、少しだけ冷えているのがわかった。
「生徒たち——待ってるんだよな」
「……」
「篠原先輩が変わるのを」
初狩は黙っている。それは少し前に彼女が予測したことだった。何かが起きることを望んでいる観客達。それが学校の生徒たちなのだ。
言葉にすると、最低だった。でも今日一日見てきたものを並べると、そういうことなのだと理解出来てしまう。
黒板の写真が出回る。みんなが見る。反応を見る。本人を見る。どうなるかを待つ。
都市伝説が"本物"になる瞬間を、観客は欲しがる。
怖がっているふりで。心配しているふりで。
けれど本当は、再現を待っている。
前にもそうだったから。今回もそうなると、どこかで期待している。
「被害者はみんなコンテンツ。そして観客が群がっていく」
初狩がゆっくり言う。
「それは観客であり観測者ですね」
「ああ」
——観測者。
あのメールの一語が、また頭の底で冷たく鳴った。
見ているだけの側。巻き込まれていない顔をして、結末だけを待っている側。
けれど、見ていること自体がもう、十分に何かをしている。
「篠原先輩、変わるのかな?」
初狩の呟きは、質問というより確認に近かった。
俺はすぐには答えられなかった。
仮面を強化し続けても地獄。今日見てきた三人のように剥がれ落ちても地獄。
どちらへ転んでも、その先に楽な場所はない。
校舎のどこかで、今日も誰かが篠原先輩を見ている。
昨日と違うか。前より整っているか。いつ崩れるか。
そうやって待たれること自体が、
もうすでに人を壊し始めているのかもしれなかった。