文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
画面の向こうの悪意は、思っていたよりずっと軽かった。
放課後、俺と初狩《はつかり》は廃墟ゲーセンREXの奥にいた。ポータブル電源から引いた延長コードの先で、古いデスクトップのモニターが青白く光っている。その横にスマホを立てかけ、ねむとの通話を繋いでいた。
「入りました」
イヤホン越しのねむの声は、いつもより少しだけ平坦だった。逆に怖い。こいつが本気で集中している時の声だ。
『閉鎖Discordだよ。ほぼ掌握できてる。向こうからは、僕がいることも見ていることもわからないはず』
「さらっと言うなあ……」
『さらっと言わないと、才がびびるから』
「もうびびってる」
『想定内だよ』
初狩が横で小さく息をついた。
「ねむさん、今の状況は」
『標的候補の相談が始まってる。ちょうどいいタイミングだよ』
直後、古いモニターの表示が切り替わった。ねむが閉鎖サーバーの画面を、こちらにも見えるように流してきたのだ。いわゆるミラーリングというやつだ。
黒い背景に、無機質なチャンネル名。過去に見たどの雑談サーバーとも似ているのに、空気だけが違う。そこでは今まさに、次の標的候補が話し合われていた。
『次誰にする?』
『今の副会長はもう反応薄い』
『いやあれはあれで面白い』
『でも次いくなら一年でもよくね』
『観測者気取りのやついるじゃん』
喉の奥が詰まった。
「……俺か」
『まだ候補だよ。まあ、僕が入り込んでいるから確定させるけど』
ねむが即答する。
ログの下に、新しい発言が滑りこんだ。
『高尾才』
『あいつなら裏あるだろ』
『普段澄ましてるやつほど見たい』
『表で冷静ぶってる系は、剥がれると早い』
『小説書いてるやつ、内側きしょいの多いし』
スマホを握る指に、力が入った。
ひどい言いがかりだ。でも、そのひどさがこの場所では普通の温度で流れている。誰かを標的にする理由なんて、実際はこの程度で足りるのかもしれない。
これが、篠原先輩にも起きたことだ。野崎先輩にも。斉藤先輩にも。新島先輩にも。こうやって名前が挙がり、こうやって軽い言葉で決まり、そのあとで裏垢を探され、潰され、黒板写真を流される。
ねむの調査で辿り着いた「閉鎖サーバーが存在する」「標的が選ばれている」という推測が、今、目の前でそのまま動いている。推測ではなく、工程として。
「高尾クン」
初狩が静かに言った。
「顔」
「わかってる」
「いえ、わかっていない顔です」
「どっちだよ」
「怒ってるのに、まだ"観測しよう"としてます」
その一言が、妙に刺さった。
俺は黙ったまま、次のログを見た。
『裏垢候補ある?』
『ある』
『たぶんこれ』
『鍵つきだけど過去ログ抜ける』
『だいぶ愚痴いな』
『こいつも結局そっちか』
ねむが淡々と補足する。
『それ、僕が用意したものです』
「……だろうな」
『才の裏垢、という体裁のダミーです。愚痴と不満と、ちょっと刺さる文言を混ぜてあります。あの人たちは"見たいもの"を自分で補完するので、精度はそこまで必要ない』
「言い方が最悪だな」
『褒め言葉として受け取っておきます』
「褒めてない」
だが、否定もできなかった。
画面の向こうでは、相談というより品定めが進んでいた。こいつは表でどんな仮面を被っているか。裏ではどれくらい汚いか。潰したあと、どんな壊れ方をするか。
人間の話をしているはずなのに、語彙がずっと薄気味悪い。飼いならす動物でも選ぶみたいだった。
そしてその語彙の中に、一つだけ引っかかる言葉があった。
『実験しよ』
実験。
誰かがそう書いて、誰もツッコまなかった。当たり前の単語みたいに流れていった。
「……実験、って言ってるな。どこかで聞いた台詞だ」
『あはは……胸が痛いなぁ』
ねむの声は平坦だった。続けて内容について補足する。
『裏垢を潰して、表の仮面だけになった相手がどうなるかを見る。壊れるか、持ちこたえるか。それを"実験"と呼んでるみたいだね』
「……」
『あと、こういう書き込みもあったよ。『裏で汚いことを言ってるやつは、暴かれて当然』『表の顔しか残らなくなっても、その役を続けられるなら本物だろ』って』
初狩が、露骨に嫌そうな顔をした。
「矯正のつもりなんですね」
「……かもな」
「自分たちが何をしてるのか、あまり悪いと思っていない」
篠原先輩の顔が浮かんだ。表の役割を捨てられない人。副会長であることを前より強く演じてしまっている人。あの人はこの場所から見れば「持ちこたえている」側なのかもしれない。それとも、壊れ方が違うだけで、もう壊れ始めているのか。
『高尾でよくね?』
『観測者気取りが一番見もの』
『表の顔だけでやれるか試したい』
『賛成』
『賛成』
『じゃ次こいつ』
投票と呼ぶのも馬鹿らしいほど軽かった。誰かが言って、何人かが乗る。それだけで決まる。
『決まったよ』
ねむが言う。
『次の標的は才だよ』
「嫌な報告だな」
「嫌、で済ませるんですか」
初狩の声が低かった。笹子先輩のスカートが切られたときと、同じトーンだった。
「済ませてるわけじゃない」
「そうですか。でも、わたしは済ませません」
それ以上は言わなかった。だが、その一言の温度で十分だった。
『だけど、ここからが面白い』
「ねむさん」
初狩が通話に向かって言った。声は落ち着いているが、底が冷えている。
「"面白い"は、今の状況に使う言葉じゃないと思いますよ」
『……ごめん。言い方が悪かった』
ねむが素直に引いた。珍しい。初狩に言われると、このプログラマーは反論しない。
『ここからが本番、って言い直すよ』
通話越しに、キーを叩く気配が混じった。そしてねむは行動に移す。
『黒板画像、投げるよ』
「もう?」
『向こうが転載に使う"オリジナル"を、こちらから先に置く』
「高尾クンの名前入りですね」
初狩が横から確認する。
『そう。音楽室の黒板に『高尾才』。いつもの体裁だよ』
「それが罠?」
『その通り』
ねむの声は、妙に静かだった。
『添付の扱いに細工してあるんだ。保存か展開をかけた端末から、まずDiscordが落ちるようにしてある。そのまま接続も乱れるはず』
「トロイの木馬ってやつか」
『大体合ってる』
「端末そのものを壊すわけじゃないんだよな?」
『そこまで雑なことはしないよ。けど、向こうには、急に呪い返しを食らったように見えるはず』
次の瞬間、閉鎖Discordのログに新しい投稿が現れた。添付画像つき。無言。説明もない。だがその場にいる連中には、それで十分らしかった。
『来た』
『はやっ』
『高尾才で草』
『これ流すか』
『保存した』
『こっちで加工する?』
『いやそのままでいいだろ』
『都市伝説側に投げる』
俺は、自分の名前が白い文字として貼られたサムネイルを見た。もちろんダミーだ。ねむが作ったものだ。わかっている。わかっているのに、妙に心臓に悪い。
「最悪だな……」
自分が次の見世物として選ばれる感覚。しかもそれを見ているのが自分自身というのは、かなりろくでもなかった。
『保存できん』
『え』
『固まった』
『なにこれ』
『スマホ熱』
『落ちた』
ログが一瞬、荒れた。
そこから先は、速かった。
一人消える。また一人消える。アイコンの横の緑が灰色に変わっていく。書き込みが途切れる。既読も止まる。
『まって』
『開けない』
『何』
『うご』
その短い断末魔みたいな文字列を最後に、また一人消えた。
俺は画面を見たまま、言葉を失った。
「……こういうことか」
『仕込んでおいたヤツが効いてきたね』
ねむが言う。
『実際には端末そのものじゃなく、向こうのDiscordまわりが落ちてるだけ。かなり広めに巻き込んだよ』
「かなり広めにって言うな。怖い」
『反省はしてる』
「してる声じゃない」
『今はまだ結果を優先かな』
初狩が、少しだけ引いた顔でスマホを見ていた。
「これ、都市伝説としては新しいですね」
「何が」
「呪いの画像を転載しようとしたら、自分のほうが消える」
「笑えない」
「はい。とても」
閉鎖Discordの接続表示が、目に見えて減っていく。
二十人近く点いていた緑のランプが、十七、十三、九、五と落ちていく。
誰も戻らない。書き込みもない。通知音すら止まった。
『……可視接続、ゼロ』
ねむの声が、ほんの少しだけ低くなった。
「現在、このサーバーで、一覧に見えてる接続がゼロってことだよな」
『そう。サーバー自体は残ってる。消えたのは向こう側の通常接続だよ。僕は別口で見てる』
俺は思わず息を吐いた。
勝った、とまでは思わない。けれど少なくとも止まった。あの気味の悪い流通は、いったん折れたはずだった。
「じゃあ——これで」
俺が言った。
『少なくとも今ここで、次の黒板写真が流れることはない』
ねむがそう言った、その直後だった。
通話の向こうで、ねむが小さく黙った。
「……ねむ?」
『待って』
画面が一度だけ、通知音を鳴らした。
新着投稿。
可視接続がゼロのはずの閉鎖Discordに、新しい添付画像が上がっていた。
俺は数秒、意味がわからなかった。
一覧に見える参加者はゼロ。通常の接続もゼロ。ねむがそう言ったばかりだ。
なのに、投稿だけがある。
「何だよ、これ」
自分の声が、少し裏返った。
初狩が、今度は露骨に顔色を変えた。
「ねむさん」
『見てる』
「誰が上げたんですか」
『それが——』
ねむが、そこで言葉を切った。
『投稿者情報が……ない』
「は?」
『正確には空欄。アカウントの紐づきがない』
「botじゃないの?」
『違う。しかもwebhookでもない』
「じゃあなんだよ?」
『少なくとも、僕が今見えている権限の範囲では、これを投稿できる主体が存在しない』
意味がわからない。
でも、画面の中身はもっとわからなかった。
添付された画像を開く。
夜の音楽室。黒板。窓から差す青白い光。譜面台の影。ピアノの輪郭。
今まで何度も見たはずの構図なのに、今回の一枚だけ、妙に現実感があった。
加工っぽくない、という意味じゃない。もっと嫌な意味でだ。人が作った"らしさ"ではなく、本当にそこにあった夜の静けさごと写ってしまったように見える。
黒板の中央には、白いものが浮いていた。
まだ文字とは言い切れない。けれどただの反射でもない。線がある。四文字ぶんくらいの白さが、暗い黒板の上でじわりと形になりかけていた。
「……高尾クン」
初狩の声が、ひどく小さかった。
俺は返事ができなかった。
ねむが通話の向こうで、珍しくはっきりと息を呑む。
『おかしい! これだけは、人の手順として説明がつかない』
その声だけが、やけに鮮明だった。
『このサーバーには参加者が誰もいないはずなのに……』
それでも画面の中の黒板は、確かにこちらを見返しているみたいだった。