文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
翌日の放課後。俺はさっさとゲーセンに行くつもりだった。
もう校内をうろつく理由はない。昨日届いたあの謎のメールについて考えるなら、REXで一人の方がいい。そう思って、校舎裏を抜けようとした時だった。
「ねぇ、それで許されると思ってるの?」
女子の声がした。苛立ちを隠そうともしない、尖った声。
足が止まる。
このまま通り過ぎれば、何も聞かなかったことにできる。俺にはその方が賢い。いつも通り、見なかったことにして終わりだ。
けれど耳が勝手に拾ってしまう。
「男子に媚び売るの、やめたら?」
「は? 何の話ですか?」
「とぼけんなよ。漫研の時もそうだったじゃん。男子にちやほやされてさ」
聞き覚えのある、抑揚の薄い声。
初狩時雨だ。
校舎の角の手前で足を止める。覗き込むと、初狩が三人の女子に囲まれていた。
相模寧々。藤野陽葵。そしてもう一人、見覚えのある先輩——上野原めぐり。たしか、美術部の二年生だっけ。
三人は腕を組んだり、腰に手を当てたりしながら、見下すように初狩を囲んでいる。
「男子の気を引くためにこんな絵描いてるんでしょ?」
相模寧々が吐き捨てるように言う。
「……別に、そんな理由で描いてないですけど」
「いい加減、空気読めば? みんなが引いてんの、わかんないの?」
藤野陽葵が追い打ちをかける。親が教師だと聞いたことがある、クラスでの立ち回りが妙に上手い女子。
初狩は無表情を保っている。けれど、その手がわずかに震えているのが、ここからでも見えた。握りしめた指先が白く変色している。
さらに追い詰めるように、上野原めぐりが動いた。
初狩が抱えていたトートバッグに肩をぶつける。わざとだ。バッグが地面に落ち、中からスケッチブックが飛び出した。開いたページに、イラストが晒される。
「うわっ、キッモ!」
「こんなんで男子は盛り上がってたの?」
相模寧々が指を差して嘲笑う。初狩がスケッチブックを拾おうとするが、上野原がその前に立ちはだかった。
「こんな絵はゴミよ」
上野原の足が、スケッチブックの上に乗る。
その瞬間——
心のどこかで、何かが軋む音がした。
昔の記憶が一瞬だけ閃く。教室で笑い声に囲まれる自分。床に叩きつけられたノート。「お前の話なんて、誰も読みたくねえんだよ」という声。
すぐに消えた。でも、胸の奥に残った熱は消えない。
(……クエストだろうが何だろうが、関係ない)
目の前で才能が踏みにじられている。それだけで、十分だ。
だが、正面から飛び出すわけにはいかない。
俺は頭を切り替える。
男子が女子グループに突っかかっていけば、余計な誤解を招く。「初狩に色目を使ってる」と噂が広がれば、初狩の立場はさらに悪化する。感情に任せて動くのは、一番愚かな選択だ。
俺は壁に背を預けたまま、頭を回転させる。
目的を整理しろ。今やるべきことは一つ。あいつらをこの場から追い払うこと。永続的な解決じゃなくていい。まず、目の前の危険を排除する。
いじめの加害者が最も恐れるものは何だ?
答えは単純だ。証拠と、教師への発覚。
実際に撮影していなくても、「撮影した」と思わせれば同じ効果が得られる。ブラフだ。そして、声から身元を特定されないようにする必要がある。
スマホを取り出した。
アプリのフォルダから、以前ふざけて入れたボイスチェンジャーを起動する。声のピッチを上げて、別人の声に変換。さらに非通知モードに切り替える。
電話番号が必要だ。
上野原めぐりの番号——。
脳裏に、教室に置き去りになった回覧板が浮かんだ。昨日、何気なく視界に入った部活動の連絡先一覧。上野原めぐりの名前の横に書かれていた数字の羅列。
なぜか、はっきり覚えている。
……まあいい。記憶力がいいのは昔からだ。今はそれがありがたい。
番号を入力する。コール音が鳴った。
「……誰? 番号非通知とか、キモ」
相手が出た。上野原めぐりの声だ。校舎裏の方でも、かすかに着信音が聞こえていた。
俺は息を整え、口を開く。ボイスチェンジャー越しの声は、甲高い別人のものになっている。
「上野原めぐりだな」
「は? 誰だよ、お前」
「今、お前らがやってること、最初から撮影してたんだけどさ」
沈黙。
「……は?」
「この動画、TikTokに流れたらどうなると思う?」
ハッタリだ。実際には何も撮っていない。でも、確認する手段は相手にはない。人間は「証拠があるかもしれない」という可能性だけで動揺する。
「おい! 何言って——」
「信じるか信じないかは自由だ。でも試してみるか? それともTikTokじゃなくて、教師にチクった方がいいか?」
声は淡々と。感情を乗せない。感情的な脅しは相手に反撃の余地を与える。事務的に、冷たく、事実だけを突きつけるように。
校舎裏でざわめきが起きた。
「ねぇ、どうしたの?」
「なんか変な電話……この現場を撮影してるとか言ってる」
「マジで?」
いじめっ子たちが顔を見合わせる。
「TikTokに流すって言ってるんだけど」
「ヤバくね?」
「炎上したら最悪じゃん……」
小声で相談する時間は、十秒もなかった。
三人は初狩に背を向け、足早にその場を去った。
風が校舎裏を吹き抜ける。乾いた砂埃が舞い上がり、音が遠ざかっていく。
残されたのは、初狩と——壁の向こうに隠れている俺だけだ。
スマホの通話を切り、ボイスチェンジャーを終了する。
正直、心臓がうるさい。手のひらが汗で湿っている。こんなことをやったのは初めてだった。
(別に正義感じゃない。損得の話だ。あの絵が踏まれるのは、単純にもったいないと思っただけだ)
……自分に言い訳するのも、いい加減うんざりする。
初狩がゆっくりと顔を上げた。
その視線が、俺と一瞬交差する。すぐに頭を引っ込めたが……バレているな。
まあ、そうだろうな。隠れていても意味がない。俺は諦めて、物陰から姿を現した。
**
夕陽が校舎裏を茜色に染めていた。
初狩時雨は、地味な印象ながらも整った顔立ちをしている。透けるように白い肌。けれどその瞳には、助けを求めるような色は見当たらず、どこか深い諦めのようなものが浮かんでいた。
「これ、あなたがやったんですか?」
静かな声だった。わずかに震えが混じっている。
「さあな」
適当にはぐらかすと、初狩は小さく息を漏らした。
「ご親切はありがたいですが、特に助けを求めた覚えはありませんよ」
やっぱりバレていたか。俺は観念して、彼女に歩み寄る。
「別に、助けたつもりはない」
「そうですか」
初狩は細い腕を組み、値踏みするような目で俺を見る。その瞳には警戒の色が濃い。
「もしかして、わたしが女だからって、優しくしてくださったんですか? そういうの、ちょっと困るんですけど。ご期待には応えられないと思いますよ」
「違うよ」
「じゃあ、どうして?」
言葉とは裏腹に、声は少しだけ柔らかくなっていた。
俺は地面に落ちたままのスケッチブックに目をやった。しゃがんで拾い上げる。砂埃で少し汚れていたが、中の絵は無事だった。
開いたページに描かれていたのは、ゴスロリの少女が大剣を持つファンタジー的な構図。線の一本一本に迷いがなく、人物の表情は繊細で、光と影の処理まで計算され尽くしている。素人目にも、これがただの趣味の域を超えていることはわかった。
「すげぇな、これ」
心からの言葉だった。
初狩が一瞬、目を見開く。そしてすぐに目を伏せ、頬の髪をいじりながらぼそっと言った。
「とんでもありません。わたしなど、石沼エルさんの足元にも及びませんので」
「影響は受けてるだろうけど、十分個性があるって」
「褒められても、どう返せばいいかわかりません……」
その仕草には、素直な喜びと、褒められ慣れていない戸惑いが入り混じっているように見えた。
「そういえば、初狩って漫研と美術部追い出されてなかったか?」
話題を変えた瞬間、初狩の目つきが変わった。
「どうしてご存じなんですか? もしかして、ストーカーでしたか? とんだクソ野郎ですね」
おとなしそうな顔と声からは、想像もつかないような毒が飛んでくる。こういうキャラだったのか、こいつ。
「たまたま見かけただけだよ。俺も部活追い出されて部室棟にいたから」
「あら……追い出された者同士、ということですか」
「まあ、理由は正反対だけどな。俺は凡才で追い出されて、お前は才能がありすぎて追い出された」
「凡才かどうかは存じませんけど、少なくともわたしに声をかける度胸は凡人離れしていますね。こんな面倒な人間に関わろうとするなんて」
それは褒められているのか、けなされているのか。判断に迷う。
「ところで、あなたのお名前をうかがってもよろしいですか?」
「え?」
「初対面のはずですけど、何か?」
「……クラスメイトだけど」
そう返すと、初狩は誤魔化すように下を向き、やや滑舌が悪くなる。
「えっと……ほ、ほら、同じクラスとはいえ、ま、まだ二ヶ月ですし」
まあ、そうか。俺はクラスメイト全員の名前と顔が一致するけど、普通はそうじゃないんだろう。
俺は改めて自己紹介をする。
「高尾才。お前と同じ一年三組」
「わたしは初狩時雨と申します。時に雨と書いて、しぐれ」
「いい名前だな」
「……結構気に入っているんですよ」
ほんの一瞬、初狩の表情がやわらいだ。
「それって"時雨"って呼べってこと?」
「まさか。簡単に下の名前で呼ばせるほど、あなたとは親しくありませんよ」
相変わらずの切れ味だ。
スケッチブックを初狩に返すと、大事な物のようにそれを抱きしめる。
「わたしは家では絵を描くことを禁止されてるんです。だからこそ、漫研や美術部で描こうとしたんですけどね」
それすらも奪われた、という言葉は飲み込まれた。けれど、その沈黙の重さは十分に伝わった。
何か言うべきだと思った。けれど、何を言えばいい?「大変だな」なんて薄っぺらい同情は初狩が一番嫌うだろうし、「なんとかなるよ」は嘘だ。俺がいま言えることで、嘘じゃないものは——。
夕陽が校舎の壁に長い影を落としている。初狩はスケッチブックを両手で抱え直した。汚れた表紙を守るみたいに。
——損得勘定で考えろ。彼女にとって良い方法があるだろ?
これは善意じゃない。廃墟ゲーセンにあるPCは誰も使ってない。叔父が逃げた後ずっと埃を被ってるだけだ。使われないまま朽ちるより、こいつに使わせた方がマシだ。それだけのことだ。
自分にそう言い聞かせて、俺は口を開いた。
「なあ、初狩。絵、もっとちゃんと描ける環境があった方がよくないか?」
「お気遣いありがとうございます。でも、少しお節介かもしれませんね。何か下心があるのではないかって、疑ってしまいますよ。まあ、確定でしょうけど」
「……確定って言い切るなよ」
初狩はスケッチブックを胸に抱え直した。夕陽が彼女の横顔を照らしている。俺は意を決して口を開いた。
「俺が出入りしてる場所にさ、余ってるPCがあるんだけど」
初狩が、わずかに首を傾げた。