文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

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■第31話「あたしだけが消える日」

 指定された日の午後、被服部の部室に集まったのは五人だった。

 

 俺、初狩《はつかり》、笹子《ささご》先輩、山田先輩。そして——谷上《たにがみ》瑠璃《るり》先輩。

 

 谷上先輩は部室の入口に立ったまま、中をぐるりと見回した。トルソーに掛かった仮縫いのワンピース、壁に貼られたコスプレの資料写真、裁断台の上に広がった型紙。被服部には何度か来ているが、前回とは明らかに目つきが違う。前は好奇心でキョロキョロしていた。今日は、どこに座ればいいのかを探している顔だった。

 

「瑠璃ちゃん、そこ座り」

 

 笹子先輩がパイプ椅子を引いて示した。山田先輩は窓際でペットボトルの水を飲んでいて、特に何も言わない。初狩はスケッチブックを持ったまま軽く会釈した。

 

 谷上先輩が椅子に腰を下ろしながら、俺と初狩を順番に見た。被服部に来たことはあっても、まともに話したことはない相手が二人いる。当然の反応だ。

 

「あー、改めて紹介しとくわ。こっちが高尾才くん。一年生」

 

 笹子先輩が親指でこちらを示した。

 

「困りごとの解決が得意な子やから、今日の話にも入ってもらってるんよ」

「高尾才です。よろしくお願いします」

「……あ、うん。谷上瑠璃だよ。よろしく、高尾くん」

 

 谷上先輩の声はいつもの軽さだったが、少し探るような目がこちらに向いていた。被服部で何度か顔を合わせてはいる。

 でも、名前と役割が結びついたのは今が初めてだろう。

 

「で」

 

 笹子先輩がこちらを見た。俺に振ったのだと気づいて、一瞬間が空いた。

 

「あ、ええと。谷上先輩、ネットで起きてること、見せてもらってもいいですか」

 

 谷上先輩はスマホを取り出した。画面のロックを外して、一瞬だけ躊躇するようにスマホを握り直してから、俺に差し出した。

 

「これ」

 

 画面を見た。

 

 アカウント名は「るり」。アイコンは谷上瑠璃の自撮り。プロフィール文も、投稿のテンションも、本人のアカウントとほとんど同じだ。

 

 だが、本人のアカウントではなかった。さきほどねむに見せてもらったものと同じコピーの増殖……いや、それ以上に悪化している気がした。

 

 過去動画を切り抜いて再編集したものが数本上がっている。サムネイルは本物の投稿と見分けがつかない。フォロワーは三百を超えていて、コメント欄には「るりちゃん新しいアカウント?」「こっちが本垢?」という反応が並んでいた。

 

 

「昨日の夜、見つけた」

 

 谷上先輩の声は、思ったより平らだった。

 

「てか、フォロワーの何人かがこっちのアカウントをフォローしててさ。あたしの投稿にリプしてきた子が、『え、こっちが本物じゃないの?』って。いや本物はあたしなんだけど」

 

 軽い。口調は軽い。でも、スマホを握る指の力がおかしかった。爪の先が白くなっている。

 

「玲くんには昨日の夜に連絡した。そしたら、一人で抱えんなって言われて」

 

 笹子先輩が小さく頷いた。

 

「うちも最初は、流行りがちょっと広がってるだけやと思ったんよ。でもこれは、もうそういうレベルちゃう」

 

 俺は谷上先輩のスマホを返して、自分のスマホでDiscordを開いた。ねむに画面共有のリンクを送る。

 

「ねむ。今から通話できるか」

 

 三秒で返事が来た。『できる』

 

 スマホを操作する前に、谷上先輩のほうを向いた。

 

「谷上先輩。俺たちの仲間に『桐山ねむ』ってやつがいて、ネットの調査が得意なやつがいて。なりすましアカウントの件、先に調べてもらってたんです。今から繋いでいいですか?」

 

 谷上先輩は少し驚いた顔をしたが、すぐに頷いた。

 

「……うん。お願い」

 

 デスクトップPCではなくスマホのスピーカーで通話をつないだ。

部室のパイプ椅子の上に置いて、ねむの声が全員に聞こえるようにする。

 

「ねむさん。あ、えっと、はじめまして」

 

 谷上先輩が少し戸惑ったように声をかけた。

 

「……うん。はじめまして。谷上さん」

 

 ねむの声は相変わらず小さい。通話越しだとさらに聞き取りにくくて、全員が少し身を乗り出した。

 

「才から聞いてる。なりすましアカウント、もう見た。それと、前から追ってた模倣アカウントも含めて、もう少し詳しく洗った」

「何かわかったのか」

「……うん。でも、いい報告じゃない」

 

 ねむが画面共有を始めた。スマホの小さい画面に、スプレッドシートが映った。アカウント名、フォロワー数、投稿内容の傾向、谷上瑠璃との類似度。三十件以上のデータが並んでいる。

 

「なりすましアカウント、あの一件だけじゃなかった。似たようなのが、もう二つある。名前を微妙に変えたやつ。でも——」

 

 ねむの声が少し途切れた。

 

「——三つとも、アカウントは別人。しかも、たぶん互いに知り合いでもない」

 

 部室が静かになった。扇風機の音だけが回っている。

 

「つまり、これは組織的ななりすましじゃない。一人の犯人が計画的にやってるわけでもない。全部バラバラの人間が、バラバラの理由で、たまたま同じことをしてる」

「バラバラの理由って?」

「一人は、多分ただの悪ノリ。もう一人は、谷上さんの動画を再編集して自分のチャンネルのネタにしてる。三つ目は……正直よくわからない。ファンなのか、なりきりなのか、境界が曖昧」

 

 谷上先輩が椅子の上で姿勢を変えた。膝の上の鞄を抱え直す。

 

「じゃあさ。通報したら消えるの?」

「……なりすましの三つは通報で消せると思う。プラットフォームの規約違反だから。でも」

「でも?」

「模倣アカウント、つまり谷上さんの雰囲気に似せてるだけの投稿は——規約違反じゃない。似た系統のメイク動画を出すこと自体は、誰にも禁止できない」

 

 谷上先輩は、黙った。

 

 俺は谷上先輩の横顔を見ていた。唇が薄く開いて、何か言いかけて、やめて、また閉じた。

 

 通報で消せるのは三つ。でも、残りの三十は消えない。そして三十の向こうには、まだ数字に入っていない無数の「似た雰囲気の子」がいる。流行を取り入れているだけの、悪意のない人たち。

 

 敵がいない。

 

 犯人がいない。

 

 なのに、谷上瑠璃の輪郭は確実に溶けていっている。

 

「ねむさん。ありがとう。また何かあったら連絡する」

「……うん。通報のほうは、僕のほうで手続き進めとく。谷上さんの連絡先、あとで共有してもらえる? 本人確認が必要になるから」

「了解。谷上先輩に確認してから送る」

 

 通話が切れた。

 

 部室に沈黙が落ちた。真夏の午後の光が窓から入って、裁断台の白い天板を照らしている。壁際のトルソーが、無表情のまま部屋の中央を向いている。

 

 山田先輩がペットボトルのキャップを閉める音がした。

 

「初狩ちゃん」

「はい」

「ちょっとコンビニ付き合って。アイス買いたい」

「……え、今ですか?」

「今。暑いし」

 

 山田先輩は立ち上がって、初狩の腕を軽く引いた。彼女は一瞬戸惑ったが、先輩の目を見て何かを読み取ったのか、小さく頷いてスケッチブックを閉じた。

 

「笹子っち。お茶足りてる?」

「足りてるけど、ガリガリ君あったら買ってきて」

「はいはい」

 

 山田先輩と初狩が出ていった。ドアが閉まって、足音が廊下を遠ざかっていく。

 

 部室に残ったのは、俺と笹子先輩と谷上先輩の三人。

 

 笹子先輩は自分のミシンの前に戻って、生地を広げ始めた。作業に戻るつもりらしい。でも、耳はこちらに向けている。そういう距離の取り方をする人だ。

 

 谷上先輩は椅子に座ったまま、自分のスマホの画面を見つめていた。

 

 画面にはなりすましアカウントの投稿が映っている。本人の動画を切り抜いて再編集したもの。サムネイルだけ見たら区別がつかない。コメント欄には「え、こっちが本垢?」「どっちが本物?」の文字が並んでいる。

 

 谷上先輩の親指が、コメント欄を上下にスクロールしている。同じ範囲を、何度も何度も。読んでいるのか、それとも指だけが動いているのか。

 

「谷上先輩」

 

 俺が声をかけると、谷上先輩はスマホから顔を上げた。

 

 笑っていた。

 

「あ、ごめん。なんか暗くなっちゃったよね。てか、別にそこまで深刻じゃないし。通報すれば消えるやつは消えるし。残りはまあ、流行ってことでしょ。別によくない?」

 

 声は明るかった。いつもの谷上瑠璃の声だった。場の空気を読んで、自分から軽くする。そうやって処理しようとしている。

 

 でも——目が、笑っていない。

 

 商店街で見たときと同じだ。口角は上がっているのに、目の奥がついてきていない。

 

「……別によくは、ないんじゃないですか」

 

 俺の声は、自分で思ったより低かった。

 

 谷上先輩の笑顔が、ほんの少しだけ揺れた。

 

「何が」

「さっきから同じコメント欄、何回もスクロールしてる」

 

 谷上先輩の指が止まった。スマホの画面が暗くなった。

 

 沈黙。

 

 笹子先輩のミシンも止まっていた。生地を送る手を休めて、こちらを見ないまま聞いている。

 

「……別に」

 

 谷上先輩が言った。声が小さくなっていた。

 

「別に、気にしてないし」

「はい」

「流行ってるだけだし。あたしの真似したい子がいるってことは、あたしがすごいってことだし」

「そうですね」

「だから——」

 

 声が途切れた。

 

 谷上先輩はスマホを膝の上に伏せた。両手の指が、スマホケースの端を白くなるまで握っていた。

 

「……あたしだけじゃなきゃ、意味ないの」

 

 声が変わっていた。

 

 明るさが消えていた。軽口で包む余裕が、なくなっていた。

 

「映えるとか、参考になるとか、そういうんじゃなくて。『あの子が一番かわいい』って思われたかっただけなのに。あたしが頑張って作ったこの顔で、あたしだけのやり方で、あたしだけが目立ちたかっただけなのに」

 

 谷上先輩は下を向いた。前髪が顔にかかっている。

 

「なのに——似たような子がどんどん出てきて、あたしの投稿がどんどん埋もれていって、コメントに『量産型』って書かれて。てか、あたしが量産型? あたしが先なんだけど? あたしが選んで、あたしが作ったのに、同じ系統ってひとくくりにされて——」

 

 声が震え始めていた。泣いてはいない。泣く手前で、怒りと悔しさと恐怖が混ざって、どれが何なのかわからなくなっている顔だった。

 

「——どれが本物、とか言われたら。じゃああたしは何なの。最初にこの顔を作ったのはあたしなのに。どこが偽物なの。何が量産型なの」

 

 谷上先輩の肩が小さく震えていた。

 

 俺は何も言えなかった。

 

 気の利いた言葉が浮かばない、という話ではない。浮かばないのではなく——わかってしまう、のほうが先に来た。

 

 谷上先輩は、コピーされすぎて自分が消えかけている。

 

 俺は、コピーすらされないから最初から存在していない。

 

 方向が逆なだけだ。

 

 どちらも、自分が自分である根拠を持てなくなっている。谷上先輩の場合は「同じ顔が増えたせいで」。俺の場合は「誰の目にも止まらなかったせいで」。着地点だけが同じだ。自分の輪郭がどこにもない。

 

 だからこそ、安い励ましは口にできなかった。

 

 「大丈夫ですよ」と言えば嘘になる。「通報で解決します」と言えば問題の半分しか見ていないことになる。「谷上先輩はオリジナルなんだから、堂々としてればいい」——そんなことは本人が一番わかっていて、それでもどうにもならないから苦しんでいる。

 

 俺が言えることは、何もなかった。

 

 笹子先輩が、静かに立ち上がった。

 

 ミシンの前から移動して、谷上先輩の隣の椅子に座った。何も言わずに。背もたれに体を預けて、天井を見上げた。

 

「……瑠璃ちゃん」

「なに」

「なりすましの通報は、あの子たちがやってくれるわ。消せるやつは消す。それは任せとき」

 

 谷上先輩が顔を上げた。

 

「でも、残りは消えへんよ。流行ってるだけの子らは、何も悪いことしてへんから」

「……わかってる」

「うん。うちもわかってる。だから今日は、それだけ確認しにきた。消せるとこと、消されへんとこの境目」

 

 笹子先輩の声は穏やかだった。無理に慰めない。かといって突き放さない。ただ、目の前にあることを、そのまま並べる話し方。

 

「残りのことは、もうちょっと考えよ。今日じゃなくていい。な?」

 

 谷上先輩は、少し間を置いてから、小さく頷いた。

 

 部室のドアが開いた。山田先輩と初狩が戻ってきた。先輩の手にはコンビニの袋がぶら下がっていて、初狩は紙パックのカフェラテを持っている。

 

「ガリガリ君、梨しかなかった」

「梨でいいよ。ありがと」

 

 笹子先輩がアイスを受け取った。山田先輩は谷上先輩の前にも一本置いた。グレープ味。

 

「谷上っちも食べな。溶けるよ」

 

 谷上先輩は袋を見つめて、それから手を伸ばした。アイスの袋を破る。かじる。グレープの甘い匂いが、裁断台の上の生地の匂いに混ざった。

 

 何も解決していない。

 

 俺の前にはCoolishが置かれた。キャップを開けて吸い込む。バニラの冷たさが喉を通る。

 

 なりすましは通報できる。でも、模倣は止められない。流行は犯罪じゃない。谷上瑠璃の輪郭を溶かしているのは、悪意ではなく、無数の軽い好意と便乗の集合体だ。

 

 倒すべき相手がいない。

 

 偽物のアカウントを消しても、似た雰囲気の投稿は明日も明後日も増え続ける。通報では届かない場所に、この怪異の本体がある。

 

 ——「唯一でなければ意味がない」。

 

 谷上先輩がそう信じている限り、コピーが一人増えるたびに彼女は壊れる。悪いのは外だけじゃない。外から削られているのは確かだ。でも、それを受け止める足場が『唯一であること』しかないなら、そりゃ壊れる。

 

 でも、それを今の谷上先輩に言ったところで、「じゃあどうすればいいの」と返されて終わる。理屈じゃ届かない。体験で示すしかない。

 

 どうやって。

 

 まだ、わからない。

 

 谷上先輩はグレープのアイスをかじりながら、スマホの画面を見ていた。また、同じコメント欄をスクロールしている。指が止まらない。

 

 俺はCoolishを握ったまま、窓の外を見た。

 

 夏の空は高くて、雲が白い。グラウンドでは誰かがボールを蹴っている音がする。遠くでセミが鳴いている。普通の夏休みの午後だ。

 

 この平穏の裏側で、誰かの輪郭が溶けていっている。

 

 敵のいない戦いの答えを、俺はまだ持っていない。

 

 

 

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