文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

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【塵塚怪王】 ちりづかかいおう
■第35話「空席と、捨てられた言葉」


 九月一日。二学期の始業式の朝は、夏の名残りを引きずった湿気がアスファルトから立ちのぼっていた。

 

 白花駅から続く坂道を登りながら、俺はスマホの画面を消して制服のポケットにしまった。消しても消えないのが、あのクエストメールの文面だった。

 

 ——声なき声を拾え。見えなかった「ひとり」を、元の場所へ戻せ。

 

 捨てられた言葉の主を見つけろ。悪意ではない。だからこそ、罪は薄く、広く、見えにくい。

 

 なんでこんな都合よく来るんだよ。

 夏休みの終わりに受け取ったクエストNo.0006。いつもなら、メールが来た瞬間に体のどこかが反応していた。使命感とも好奇心ともつかない、観測者としての回路が勝手に起動する感覚。だが今回はそれがない。代わりにあるのは、送り主への漠然とした不信感だった。

 

 六回目のクエストだ。これだけ続けば、パターンは見えてくる。

 毎回、校内の都市伝説がクエスト名に使われる。毎回、俺たちが動く前から対象者のプロファイリングが済んでいるかのような精度のミッション文が届く。毎回、不気味なほどタイミングが合う。

 偶然で済ませるには、もう六回は多すぎた。

 

 坂の途中で、隣を歩いていた初狩《はつかり》がこちらをちらりと見た。

 

「高尾クン、朝から難しい顔してますね」

「してない」

「してます。眉間に、ちっちゃい溝ができてますよ」

 

 初狩は前を向き直して、いつもの淡々とした調子で続けた。

 

「まあ、夏休み明けに難しい顔してるのは高尾クンだけじゃないですけど。わたしも夏休みの宿題、美術の課題だけ二周しちゃったので、他が壊滅してます」

「二周って何だよ。一回提出すればいいだろ」

「一回目が気に入らなかったんです。描き直しました」

 

 さらりと言うが、初狩の「気に入らない」は俺の知る限り相当な水準の話だ。他の人間が見れば十分以上の完成度のものを、本人だけが許せずにもう一度やり直す。その執念が、初狩時雨という絵描きの根っこにある。

 

 ——ただ。

 その話をしているとき、初狩の声にいつもの尖りがほんの少しだけ薄かった気がした。気のせいかもしれない。夏休み明けの倦怠感なんて、誰にでもある。

 俺はそれ以上考えるのをやめて、校門をくぐった。

 

**

 

 1年3組の教室は、ワックスの匂いが残っていた。

 

 夏休み中に業者が入ったらしく、リノリウムの床がやけにてらてらと光っている。窓は全開なのに換気が追いつかず、溶剤の甘ったるい匂いと、制汗剤と日焼け止めの混ざった生徒たちの匂いが教室の中でぶつかり合っていた。

 

 久しぶりのクラスメイトたちは、夏休みの報告合戦で忙しい。日焼けした奴、髪を切った奴、なぜかピアスの穴が増えている奴。声と笑い声が反射して教室の空気を賑やかに揺らしている。

 

 俺はいつもの窓際の席に鞄を置いて、何気なく教室を見渡した。

 

 ——あった。

 

 窓際の列、一番後ろ。教室の隅。

 名札だけが几帳面に差し込まれた、誰も座っていない席。一学期の間、天板の上にはいつも誰かのプリントや教科書が積まれていた。空いている机は物置になる。そういうものだ。

 

 雪花《ゆきはな》真白《ましろ》。

 

 入学式の当日に交通事故に遭い、それ以来一度も登校していない同級生。名前は出席簿にある。席もある。だが顔を知っている人間は、このクラスにはたぶん一人もいない。入学式の日に見たクラスメイトの顔はだいたい覚えている俺ですら、雪花真白の顔だけはどうしても思い出せなかった。

 まあ、学校に来る途中で事故に遭ったようなので、視界に入らない者を俺が覚えられるわけがないのだ。

 

 あの席はずっとそこにあった。一学期の間もずっと。

 ただ、誰もそれを「雪花さんの席」として意識していなかった。空席。空いている机。それだけの認識で、四月から九月まで五ヶ月が過ぎていた。

 

 俺はクエストの文面を思い出した。

 ——捨てられた言葉の主を見つけろ。

 ——空席。

 

 まさか、これのことか。

 いや、飛躍しすぎだ。クエスト文を読んだ直後だから、勝手に結びつけているだけだ。ただの空席に意味を見出すほど、俺はまだ素直じゃない。

 

 始業式の号令がかかり、俺はその思考をいったん棚に上げた。

 

**

 

 始業式が終わった後のホームルームで、担任の安住先生が夏休み中の教室整備について連絡した。ワックスがけのために廊下側に出していた机を元の位置に戻す作業が必要だという話で、要するに力仕事だ。

 

「はい、じゃあ男子中心に、廊下の机を戻して。番号順で自分の席に入れてくれればいいから」

 

 教室がざわざわと動き出す。椅子を引く音、机の脚がリノリウムを擦る音、「重い」「どれだっけ」という声が交差する。

 

 その喧騒の中で、それは起きた。

 

  廊下側に積まれていた机を、一人の男子が運んでいた。教室の隅、窓際の一番後ろ——一学期の間ずっと荷物置き場になっていた席だ。天板の上が空になったのは、たぶん四月以来初めてだった。定位置に降ろした瞬間、彼が天板を見下ろして手を止めた。

 

「……なにこれ?」

 

 机の天板。

 表面のあちこちに、文字が散らばっていた。ボールペン、シャーペン、マジック——色も大きさも向きもバラバラの落書きが、ランダムな位置に書き殴られている。

 

 近くにいた女子が覗き込み、一瞬目を見開いてから笑った。

 

「うわ、きっしょ」

 

 別の女子がスマホを取り出した。

 

「ちょっと待って、撮っていい? これウケるんだけど」

 

 シャッター音が二つ、三つ。

 

「なにこれ、呪い?」

「いや落書きでしょ」

「誰の机?」

「えーと……」

 

 名札の差し込み口を誰かが確認する。

 

「雪花さんだって。雪花真白」

「誰?」

「ほら、ずっと休んでる子」

「ああ、あの——事故の?」

「顔知らないんだけど」

 

 その会話は、悪意のない声で進んでいく。

 誰も雪花真白を攻撃しようとしているわけじゃない。知らないのだ。顔も、声も、どんな人間なのかも。名前だけ知っている、会ったことのない同級生。

 だから落書きだらけの机も、「誰かの席」ではなく「面白いもの」として処理される。

 

 俺は少し離れた位置から、その机の天板を見ていた。

 

 一度見ただけだった。

 周りの連中がスマホで撮っている間、俺は目を向けただけだ。数秒。それだけのはずだった。

 

 なのに、消えない。

 

 天板のどこに何が書いてあるか。左上の隅、中央やや右寄り、引き出しの手前——文字の位置が全部残っている。丸っこい字、角張った字、殴り書き、定規で引いたような几帳面な線。インクの色の違い——黒、青、赤、鉛筆の灰色。ボールペンの滲み方。消しゴムで擦った跡が残っている箇所。向きもバラバラだ。横書き、縦書き、斜め。

 

 全部が、頭の中に焼きついたまま離れない。

 

 五十三。

 俺は落書きの総数を、数えた覚えもないのに知っていた。

 

 気持ちが悪い。今はそれよりも、内容のほうが問題だ。頭の中の映像をもう一度なぞる。目を閉じなくても見える。むしろ閉じても消えない。

 

 左上の隅、鉛筆——「英語p.32〜36」。テスト範囲のメモだ。

 その斜め下、青ペン——「ケイ、部活終わったら下駄箱前ね」。伝言。

 右端の中ほど、赤ペン——「ブスが調子乗んな」。これは誰かへの悪口だ。

 引き出しの手前、鉛筆——意味のない波線が三本。暇つぶしの落書き。

 天板の真ん中あたり、黒ペン——「テスト範囲変更→古文のみ」。また授業メモ。

 左下の角、シャーペン——下手くそな猫の絵。

 中央やや右寄り、青ペン——「死ね」。

 

 さらにテスト範囲。伝言。悪口。落書き。呪詛めいた言葉。くだらない絵。全部が同じ平面に、同じ重さで並んでいる。

 

 これは、誰か一人の呪いじゃない。

 

 誰かの机が、いらなくなった言葉のゴミ捨て場になっていた。

 

 テスト範囲のメモを書いた奴は、たぶん自分の机が空いていなかったか、隣の空席が手近だっただけだ。伝言を書いた奴は、付箋を持っていなかったのかもしれない。悪口を書いた奴は、匿名の落書き帳として最適な場所を見つけただけだ。

 

 誰もこの机を「雪花真白の席」として意識していなかった。空いているから使った。それだけだ。

 

 ——捨てられた言葉の主を見つけろ。

 

 クエストの文面が、頭の中で鳴った。

 事件が起きたからクエストが来たんじゃない。この構造を、あのメールは最初から知っていた。

 

 背筋がゾクリとする。

 

 机はそのまま正しい位置に収められた。天板の落書きは上を向いたまま、座れば嫌でも目に入る。誰かが「雪花さん来たらびっくりするかもね」と言い、別の誰かが「来ないでしょ」と笑った。教室は何事もなかったように二学期最初の空気に戻っていく。

 

 俺は自分の席に座り、窓の外を見た。九月の空は高くて青くて、夏の終わりの雲だけが白くちぎれて流れていた。

 

 

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