文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
昼休み、クラスLINEに画像が流れた。
さっき誰かが撮った机の天板の写真だ。「呪いの机www」というコメントつきで、スタンプがいくつかぶら下がっている。笑い泣きの顔。びっくりした顔。「やばくない?」「誰が書いたの」「ていうかこの机誰の」。
同じ画像が、数分後には桂明高校(非公式)のDiscordにも転載されていた。ねむが管理しているサーバーだ。都市伝説板に「呪いの机発見」というスレッドが立ち、昼休みが終わる前にコメントが十件を超えていた。
俺は食堂でパンをかじりながら、その流れを眺めていた。隣では初狩がスケッチブックを広げて何か描いている。昼飯を食べながら描くのはいつものことだが、今日はペンの動きがどこか散漫に見えた。何度か線を引いては消し、引いては消しを繰り返している。
「初狩、飯食えよ」
「食べてます」
言いながら、初狩は購買のおにぎりを片手で持ったまま齧ろうとしない。視線はスケッチブックに落ちているが、ペンは止まっている。
「……描けてないだろ」
「描けてます。考えてるだけです」
その声に、いつもの軽い毒がなかった。
俺は一瞬だけ気になったが、それ以上は踏み込まなかった。夏休み明けだ。調子が戻らないことくらい、誰にでもある。
目を戻した先に、画面の中のスレッドが伸びていく。
——「マジで呪いなんじゃね?」
——「空席って元々やばいって言うしな」
——「てか持ち主いないのにこんだけ書かれるって怖くない?」
——「これ犯人誰だろ」
犯人。
その言葉を見て、俺は小さく息をついた。
犯人なんていない。いないから、厄介なのだ。
五限が始まる前に、俺は一つだけ確認しておくことにした。
**
学級委員の入江に話を聞いたのは、五限の移動教室への廊下でだった。
入江美都は、クラスの事務処理を黙々とこなすタイプの学級委員で、善意の塊ではないが投げ出しもしない。先生に頼まれたことを淡々とやる——そういう人間が持っている情報は、たいてい正確だ。
「雪花さんのこと?」
入江は少し首を傾げた。
「入学式の日に事故に遭って、それからずっと入院してたでしょ。一学期の途中でお見舞いカードは書いたよ。クラス全員で寄せ書きみたいなやつ。でもお見舞いに行った人はいないと思う。先生が『本人の負担になるから控えて』って言ってたし」
「顔を知ってる奴は?」
「いないんじゃないかな。入学式も来てないし、クラス写真にも写ってない。LINEグループも、雪花さんだけ未参加のまま」
つまり、名前と席だけがクラスに存在する同級生。顔も声も知らない。見舞いカードは書いたが、それは「クラスの行事」として処理されたもので、雪花真白個人に向けた感情はほとんど含まれていない。
「あの机のことなんだけど」
俺は声を少し落とした。
「あの落書き、心当たりある?」
入江はしばらく考えてから、慎重に言った。
「心当たりっていうか……あの席、ずっと空いてたから。自習のときとか、荷物置いたりする子はいたよ。机の上に教科書広げてた子もいたし。別にあの席だけじゃなくて、空いてる机って、なんとなく共有スペースみたいになるでしょ?」
「落書きも?」
「たぶん。一人が書いたってより、いろんな人が少しずつって感じだと思う。でもそれって、雪花さんの席を狙ってやったわけじゃないと思うんだよね。ただ空いてるから——」
入江はそこで少し言葉を切った。
「空いてるから、使っちゃった、みたいな」
彼女の声は、自分で言いながら居心地が悪そうだった。「空いてるから使った」という言葉の中に、何か座りの悪いものを感じたのだろう。でもそれ以上は掘り下げない。掘り下げたところで、誰かを責められる話ではないとわかっているから。
「ありがとう。助かった」
「え、なんの話? 高尾くん、雪花さんと知り合いだったの?」
「いや、全然」
そう答えながら、俺は早足で移動教室に向かった。
知り合いじゃない。顔も知らない。
それは俺も同じだ。四月からずっとあの教室にいて、あの空席を毎日視界に入れていたのに、一度も「雪花真白がいない」とは思わなかった。空いている席。それだけだった。
俺も、あの机に言葉を捨てた連中と同じ側にいる。
書き込みはしなかった。荷物も置かなかった。だが、あの席を「誰もいない場所」として扱っていたことに変わりはない。
いじめではない。
でも、だから無罪でもない。
**
放課後。
教室に残っていた人間がまばらになったころ、俺はもう一度、雪花真白の机の前に立った。
天板を見下ろす必要はなかった。見なくても、五十三の落書きは全部頭の中にある。どこに何が書いてあるか。筆圧の違いも、インクの色も、天板のどの位置にどの角度で書かれているかも。
見なくていいのに覚えている。覚えていなくていいのに消えない。
この感覚は、今に始まったことじゃない。昔からずっとそうだ。でも、他の人間もそうなんだと思っていた。一度見たものをそのまま覚えているのは、ただ記憶力がいいだけだと。
今はそれよりも、やるべきことがある。
ねむにメッセージを送った。
『机の画像、もう見たか?』
返信は三十秒で来た。
『見た。Discordにも流れてるね。"呪いの机"って呼ばれ始めてる。クエストにあった塵塚そのものだね』
『塵塚ってなんなんだ?』
『正確には塵塚怪王。日本の妖怪で、捨てられたものが積もってできる怪異だよ』
『あの画像の初出を追えるか? 誰が最初に撮ったのか、いつどこで共有されたのか』
数秒の間があった。
『空席の本人を調べるんじゃなくて?』
『ああ。机に——言葉を捨てた流れを追いたい。写真が撮られて、名前がついて、面白コンテンツとして外に流れた経路だ。それを追わないと、今回のクエストの意味が見えない』
またほんの少しの間。
『……了解。ちょっと時間もらう。クラスLINEには入れないけど、Discordの方は追える。あと、クラスLINEから転載されたやつのタイムスタンプで逆算できるかもしれない』
『頼む』
スマホを閉じて、教室を出た。
廊下は薄暗かった。九月の日は長いが、校舎の廊下にはもう西日が届かない時間帯だ。ワックスの匂いがまだ微かに漂っている。
渡り廊下を抜けて旧館を通り過ぎるとき、卒業生の絵画が並ぶ壁面が目に入った。笹子先輩の件で追った「のっぺらぼうの少女」の額縁もまだそこにある。顔のない少女が、相変わらず無言でこちらを見ている——見ていないのに、見られている気がする。あの絵は、立つ角度で二文字の言葉が浮かぶ仕掛けだった。本人しか見えないはずが、他人が勝手に考えた言葉で、いつの間にかレッテルになる。
今回はもっと即物的だ。
顔のない少女じゃない。席だけがあって、持ち主がいない。そこに他人が好き勝手に言葉を投げ込んだ。レッテルですらない。ただのゴミだ。
校門を出て、白花駅の方へ歩く。
商店街のアーケードの骨組みが夕空に浮かんでいる。閉まったシャッターが連なる通りを抜けて、細い横道を曲がれば、廃墟ゲーセンREXがある。
今日はREXには寄らなかった。
寄る気になれなかった。
帰り道、スマホが震えた。ねむからだ。
『画像の初出、たぶん特定できた。X→Discord転載のタイムラグは約8分。最初の投稿者は特定できるけど、たぶん悪意のある人間じゃない。面白かったから撮った、くらいの子だと思う』
『その先は?』
『"呪いの机"って名前をつけたのは、きみのとこのクラスLINE。投稿から40分後くらいに誰かが最初に使って、そこから一気に定着した。みんな呪いって呼び始めた途端に、"空席の落書き"が"怪異の痕跡"に格上げされてる』
『……つまり、最初から呪いだったわけじゃない。名前がついた瞬間に、呪いになった』
『そう。で、その経緯を追ってて気になったことがある。画像を最初に外部に転載した子のアカウント、けっこうフォロワーいるんだけど、投稿の意図は"バズ狙い"だね。空席の子の名前すら書いてなかった。机の持ち主が誰かなんて、最初から興味がなかったんだと思う』
興味がなかった。
誰の机かなんて、誰も気にしていなかった。
その一文が、今日一日の全部を要約していた。
スマホを閉じかけたとき、初狩からのメッセージが一件入っていることに気づいた。
『おつかれさまです。明日、REXで打ち合わせしましょう。新しいクエストの件で』
いつもの初狩なら、もう少し何か——皮肉なり、雑談なり——を添える。だがこのメッセージは事務的で、それだけだった。
俺は「了解」とだけ返して、スマホをポケットにしまった。
帰り道の空は、もう暗くなり始めていた。
九月一日。二学期が始まった。教室にはひとつ、持ち主のいない席がある。その天板には五十三の落書きが散らばっていて、持ち主はまだ一度もそこに座ったことがない。
捨てられた言葉の主を見つけろ。
それは、机に落書きを書いた誰か一人のことじゃない。
あの教室で「いない奴の場所は空いてる」と思った全員のことかもしれなかった。
——俺も含めて。