文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
五限目の体育が終わり、着替えの後に俺は教室へと戻る。
すぐに六限目の予鈴が鳴った。
六限目の授業は、現国だったので担任の安住先生だった。連絡を受けていたのか先生は「雪花《ゆきはな》さんは体調不良で早退しました」と事務的に告げる。
クラスの反応は薄い。「やっぱりまだ無理だったんだね」という空気が、教室にうっすらと広がって、それで終わりだった。
そのあとで、安住先生は窓際の机を見て少しだけ眉をひそめ、『あの落書き、今日のうちに消しておけ』と短く言った。
放課後、俺は掃除当番なので教室へ残る。せめて昨日当番であれば、落書きを消し忘れることはなかったのに、と自分事のように悔やんでしまう。なぜ俺は、ここまで雪花に同情してしまっているのだろう?
そういえば本来2人でやるはずの掃除が、もう一人はすでに教室にいない。そもそも掃除はサボられがち。そして、それをわざわざ教師に言いつけることは、ほぼない。昨日もこんな感じで、二人ともサボってしまい。落書きの拭き取りが行われなかったのだろう。
俺は掃除を行いながら、雪花の机をちょくちょく見ていた。
朝、雪花が座っていた席。天板の上には何も置かれていない。引き出しは空だ。鞄ごと持って出て行ったから、ここに座っていた痕跡は何もない。
また、空席に戻っていた。
スマホを取り出し、ねむにメッセージを送った。
『前に調べてもらった画像の拡散経路の件。もう少し聞きたい』
『何?』
『あの画像、最初の撮影者って、クラスLINEに上げたときに雪花真白の名前は書いてたか?』
返信までに少し間があった。
『書いてない。最初の投稿でも、持ち主の名前は出てない。"呪いの机"って言い方だけ先に走ってた』
『なるほど』
『クラスLINEに上がった時点で、もう"1年3組の空席の机がやばい"ってノリだった。雪花真白って名前が出たのは、そのあと』
『で、みんな画像を面白コンテンツとして流通させていたわけか」
『うん。完全に匿名の"空席"で、持ち主がいることすら、ほとんど意識されてないよ』
俺はスマホの画面を見つめた。
画面の向こうで、ねむが何かを打っている。
『……それで、今日来たんでしょ。本人が』
『ああ。来て、半日で帰った』
しばらく既読のまま、返信がなかった。
それからねむが送ってきた文は、いつもの理屈っぽさが少し薄い一文だった。
『匿名の空席が、突然持ち主を取り戻す。で、持ち主の方が弾かれた。構造として、かなり嫌だね』
嫌だ。
その一語が、今日の全部を正確に要約していた。
俺は職員室に行き、雪花の机の落書きを消すための有機溶剤をもらいにいく。
匂いが強く火気に反応しやすい危険物なので、担任から若干の説明を受けた。
教室に戻り、いざ雪花の机と対面したところで、違和感を覚える。
「?」
最初はそれが何かがわからなかった。しかし、机の上の落書きを読んでいるうちに、その理由に気づいた。
「増えてる?」
今朝まであった五十三件の落書きだけじゃなく、さらに一件知らないものが書いてあった。
『——やっぱり、私はいなかったみたいです』
息が詰まった。
その下に、四行。
> しろい花が、石段に落ちています
> らくになれるわけじゃないです
> はじめて鈴の音が近いと思いました
> なにも願えないままです
文字の筆跡は丁寧だった。急いで殴り書きした感じではない。一文字ずつ、確かめるように書いている。それが逆に痛い。
これはただの落書きじゃない。
天板に散らばった五十三の落書きに対する、持ち主からの最初の返答だ。
他の落書きより圧倒的に薄い。シャーペンの筆圧がほとんど乗っていない。周りのボールペンやマジックの落書きに紛れて、意識しなければ読めない。普通に机を見下ろしただけの人間の目には、ただの擦り傷にしか見えないだろう。
俺に見えたのは、五十三の落書きの全部が頭に入っているからだ。ただ、それだけの理由だった。
ひとつだけ確信があった。この文字を無視してはいけない。五十三の落書きの中に埋もれるように、持ち主の声がようやく返ってきたのだ。気づかれないまま消えるのも、面白がって晒されるのも、どちらも駄目だ。
——捨てられた言葉の主を見つけろ。
——声なき声を拾え。
クエストの文面が重なった。
机の落書きは、誰かが「いない人の席」に捨てた言葉だった。でもこの五行は違う。これは、その席の持ち主が初めて残した言葉だ。捨てられた側からの、最初の返答。
このクエストが追わせようとしているのは、落書きの犯人探しだけじゃない。捨てられてきた場所から、やっと返ってきた声を拾え、ということでもある。
——なんでこうも、この文面は現実に噛み合うのか。
気味の悪さは消えない。クエストへの疑いも消えない。
それでも、今は送り主を追うより先に、この声を消したくなかった。
**
再びねむにメッセージを送った。
『机に新しい文字が残ってた。送る』
写真は撮らなかった。撮る必要がなかった。記憶に刻まれた言葉を打ち込む。
『やっぱり、私はいなかったみたいです』
改行してから、四行。
『しろい花が、石段に落ちています
らくになれるわけじゃないです
はじめて鈴の音が近いと思いました
なにも願えないままです』
『これ、どんな意味があると思う?』
ねむの返信は二分後に来た。
『行頭。拾ってみ』
し、ら、は、な。
——しらはな。
『白花、かな。桂明の生活圏で「石段」「鈴の音」「願う」に直結するのは、白花神社くらいだと思う』
白花神社。学校の北西、住宅地のはずれにある小さな神社だ。台地の縁にあって、短い坂と石段の先に境内がある。普段は地元の人間にも忘れられがちな、静かな場所。
『学校から歩いて行ける。人が少ない。逃げ込む先として選びやすい。条件は揃ってる』
『逃げ込む?』
『メッセージの
『だから暗号メッセージみたいにしたのか?』
『本人が意識的にやっているかどうかはわからないけどね』
ねむの文面は、いつもの理屈っぽさのまま落ち着いていた。だがその落ち着きの中に、「早く行った方がいい」という判断が滲んでいるように感じた。
『あと、これ写真じゃなくてテキストで送ってきたよね。改行も正確だし。キミ、見たまま打ったの?』
『ああ。短いし、それくらい覚えられるだろ』
『もうひとつ。あの落書きだらけの天板の中から、新しく書き加えられた文字に一発で気づいた——ってことだよね? 何十個もランダムに散らばってる中で』
数秒の間、思考がフリーズする。
『……たまたま目に入っただけだ。筆圧が違うから目立った』
『……まあ、今はそれでいいけど』
ねむはそれ以上突っ込まなかった。俺はスマホをポケットにしまう。
**
掃除を終えたあと、俺は教室を出た。
担任の安住先生に雪花のことを聞くか、一瞬迷った。でもやめた。「早退した生徒がどこにいるか」は、学校にもわかっていないはずだ。相談したところで、手順を踏んで、確認を取って、家に連絡して——その間に日が暮れる。
頭の中では、もっと嫌なことを考えていた。
ひとりで教室を出た。
そのまま早退する。
机に「いなかった」と書いた。
しかも、場所の手がかりまで残した。
口には出さない。出すと言葉が重くなりすぎる。でも、この組み合わせで何も想像しない方が不自然だ。
学校の北西へ向かう。住宅地の道を早足で抜ける。九月の午後は蒸し暑く、制服のシャツが背中に張りつく。住宅の屋根の上に、うろこ雲が広がり始めていた。
オボロが、視界の端にちらりと現れた。
『——
軽口ではなかった。オボロの声にいつもの皮肉がない。ただ静かに、速度を落とせと言っている。
落ち着けるわけがない。クエストだからじゃない。今この声を拾わなかったら、あの子が本当に消えるかもしれない。俺は歩く速度を落とさなかった。