文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

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■第47話「下書きフォルダ」

 廊下の突き当たりにある階段の踊り場で、スマホを開いた。

 LINEではなく、Discordのダイレクトメッセージ。宛先は桐山ねむ。

 

 ねむとの連絡は、テキストのほうがいい。声より文字のほうが、あの人間は鎧が厚い。考えながら打てるぶん、感情に振り回されにくいし、整理した言葉を返してくれる。

 

『相談がある』

 

 送ってから十数秒で、返事が来た。

 

『どうぞ』

 

 素っ気ない。だが反応が早いということは、今日は画面の前にいるということだ。

 

 二つ、打った。

 ひとつは、初狩が学校に来ていないこと。LINEの既読もつかないこと。

 もうひとつは、クエストNo.0007の「七日」の意味。何を七日以内に見つけろと言っているのか。

 

 ねむの返事は、感情に踏み込まなかった。

 代わりに、状況を整理するような文が並ぶ。

 

『欠席そのものは問題じゃない。連絡が断たれていることのほうが異常』

『投稿停止と既読停止が同時ということは、意図的に回線を切っている可能性が高い』

『学校にもREXにも家にも居場所がない状態なら、危険度は高いよ』

 

 淡々としている。だがその淡々さの裏に、ねむなりの切迫がある。「危険度は高い」という言い方は、ねむが普段は使わない直接的な表現だった。

 

 「七日」については、ねむはこう返した。

 

『わからない。そもそもクエストメールの時間制限は初めてだ』

『ただ、"七日"が象徴的な数字なのか、実際のタイムリミットなのかで対処が変わる』

『今は後者として動いたほうがいい』

 

 同意するしかなかった。

 やり取りを続けているうちに、ねむが話題を変えた。唐突に、だが計算された唐突さだった。

 

『ところで、ひとつ聞いていい?』

『何?』

『才、自分が前に何時何分に何を送ったか、今も順番通りに言える?』

 

 指が止まった。

 少し前にねむは、俺が雪花真白の机に書かれた暗号メッセージを写真なしで正確に再現していたことを指摘していた。あの時は「記憶力がいい」で済ませようとした。済ませられなかった。

 

『なんでそんなことを聞く』

『試してみて。たとえば、僕と最初にDMした日。何時何分に、何を送った?』

 

 嫌な予感がした。

 答えたくなかった。

 だが、答えないという選択が逆に怖かった。答えなかったら、「やっぱり覚えているんだな」とねむは確信する。答えても確信する。どちらにしても同じなら——。

 

 俺は、思い出した。

 思い出した、というより、出てきた。

 

 最初のDMは六月十二日の午後四時十四分。俺が送った文面は「桐山ねむで合ってるか?」。ねむの返事は四時十七分、「誰」。その次が俺の「桂明の一年生だ。都市伝説の件で話がある」で四時十八分。

 

 順番も、時刻も、文面も、画面のレイアウトごと頭の中に残っていた。写真みたいに平面的な記憶ではない。その時の部屋の温度、スマホを持つ手の湿り気、画面の明るさ、タイピングの速度——空気ごと戻ってくる。

 

『全部覚えているけど……それがどうした?』

 

 ねむからの返事が、少し遅れた。

 

『……やっぱりそうなんだ』

『何がだ』

『記憶力がいい、で済ませていい量じゃないだろ』

『え?』

 

 ねむが何を言いたいのか理解できなかった。いや、理解するのを拒もうとしている自分がいた。

 

『記憶力がいいんじゃない。忘れる機能が弱いだけ』

『忘れる機能?』

『でもそれは、特殊能力なんかじゃなくて故障に近い』

 

 故障。

 

 その言葉が、想像以上に刺さった。

 才能でも特技でもなく、故障。壊れているから覚えている。忘れられないのは脳が正常に動いていないからだ——ねむはそう言っている。

 反論はできなかった。

 だって、そうかもしれないと思ったからだ。

 

 雪花真白の机の落書きの五十三件。ねむとのDMの全文。笹子先輩が被服部で蝶子の身長設定について語った時の言葉の並び。初狩が「壊されるくらいなら、自分で壊したほうがましなんですよ」と言った時の、ファンの音と、インクの匂いと、モニターの光の色。

 

 全部、消えない。

 

 スマホの画面を見つめている今この瞬間にも、記憶が混線し始めていた。

 雪花の机の文字が浮かんで、その隙間に笹子先輩の笑い声が差し込んで、さらにその上から初狩の静かな声が被さる。時系列がずれている。今の会話と過去の記憶が、同じ平面に並ぼうとしている。

 

 眩暈とは違う。

 

 ただ、脳の中で整理棚が少しだけ傾いた感じがする。順番が狂い始めている。数ヶ月前のREXの暗い空気と、今日の被服部の布の匂いが、一瞬だけ重なった。

 

 倒れるほどではない。

 だが、「これは普通じゃない」とわかるくらいには、気持ちが悪かった。

 

『今日はもういい。少し気分が優れない』

 

 それだけ打って、Discordを閉じた。

 階段の踊り場は、もう薄暗かった。窓の外で、校庭のナイター照明が一つだけ点いている。誰もいないグラウンドを、白い光が照らしていた。

 

 

**

 

 

 帰り道に、一度だけ初狩のアカウントを見に行った。

 

 本人のアカウントは沈黙していた。最終更新は昨夜の投稿——俺がREXを出た直後にアップされた、あの絵だ。それ以降、何もない。ストーリーも消えている。既読もつかないままだ。

 

 だが、模倣アカウントだけが動いていた。

 

 初狩時雨の画風をAIで学習させたと思しきアカウントが、いつも通りに新しい絵を上げている。初狩が描かなくなった分を埋めるみたいに、定期的に、機械的に。

 そのコメント欄を、スクロールした。

 

 ——最近の方が上手い

 ——本家より安定してる

 ——この路線でいいじゃん

 

 善意だ。

 全部、善意だ。

 誰も初狩を傷つけようとして書いていない。ただ、自分の目に映った絵に対して素直な感想を書いているだけだ。模倣だと知らない人もいるだろうし、知っていても「AIが描こうが人が描こうが良い絵は良い絵」という立場の人間もいるだろう。

 どれも、間違ってはいない。

 間違ってはいないのに、一つ一つの言葉が、初狩の輪郭を少しずつ消していく。

 

 クエスト失敗の時に理解したことが、ここでもう一段深く実感される。

 初狩を壊したのは、露骨な悪意だけではなかった。

 比較。評価。流行寄せ。軽い称賛。

 どれも単体では害にならない。ひとつひとつは塵みたいに軽い。

 だがその塵が、毎日、毎時間、少しずつ積もっていった。彼女の中にあった「自分だけの場所」を、善意の堆積が埋めていった。

 

 スマホを閉じた。

 ポケットに突っ込んで、歩く速度を上げた。

 

 REXへ向かっている。

 初狩がいるかもしれないという期待ではない。むしろ、いないことを確認しに行く足取りだ。いないとわかっても行く。行かなければ、何もしていない自分が一日の終わりに残るだけだからだ。

 

 

**

 

 

 REXは暗かった。

 シャッターの隙間から中を覗いたとき、明かりは見えなかった。ポータブル電源の小さなLEDインジケーターだけが、暗闇の中で緑色に点滅している。

 

 鍵を開けて、中に入る。

 カビと埃と、古い配線のにおい。それに混じって、かすかにインクの残り香。昨日、初狩がここで描いていた時のものだ。もう本人はいないのに、においだけが残っている。

 

 目が暗さに慣れてくると、初狩の痕跡が見えてきた。

 椅子の位置が、いつもより少し右にずれている。机の隅に、キャップの外れたペンが一本。ペンタブレットの横に、丸めかけたレシートのようなもの。

 どれも些細だ。だが些細だからこそ、「ここにいた人間がもういない」という事実を突きつけてくる。机の上にコーヒーの染みが残っている職場みたいな——いや、そんな大人っぽい比喩は似合わない。

 ただ、寂しかった。

 初狩がいないREXは、ただの廃墟だ。ゲーム筐体も、PCも、ポータブル電源も、全部ただの残骸に戻る。

 

 椅子に座った。

 何も考えたくなかった。

 けれど何も考えないでいると、ねむの言葉が脳の隅で光る。「忘れる機能が弱いなら、それは能力じゃなくて故障に近い」。消そうとしても消えない。言葉が記憶に焼きついて、その記憶がさらに別の記憶を呼んで——きりがない。

 

 手が勝手に動いた。

 デスクトップPCの電源ボタンを押していた。

 何か情報が欲しかったわけではない。REXの中心にある機械に触れていないと、自分がここにいる理由がわからなくなりそうだった。

 

 ファンが回り始める。低い唸り。モニターが青白く点灯し、古いOSのデスクトップ画面が表示される。壁紙はデフォルトのまま。アイコンがいくつか散らばっている。ブラウザ、メールソフト、テキストエディタ、フォルダがいくつか。

 見慣れた画面だ。初めてクエストメールを受信したのも、このPCだった。

 

 何をするともなく、フォルダを開いたり閉じたりした。ローカルの保存領域。古い画像。叔父が残したらしい帳簿のデータ。メールソフトの設定ファイル。

 どれも見覚えのある、何の変哲もないファイル群。

 その中に——。

 

 指が止まった。

 

 普段ほとんど開かない階層の奥に、見慣れないフォルダがあった。

 名前は「draft」。

 それだけだ。アイコンはデフォルトのフォルダ。作成日時は表示されていない。何度もこのPC を触ってきたはずなのに、このフォルダの存在を認識したのは初めてだった。

 いや——認識していなかったのか、それとも見えていたのに素通りしていたのか。俺の記憶力をもってしても、そこが曖昧だった。

 

 ダブルクリック。

 

 フォルダが開く。

 中にあったのは、テキストファイルの群れだった。

 

 ファイル名を見て、息が止まった。

 

 クエストNo.0001

 クエストNo.0002

 クエストNo.0003

 クエストNo.0004

 クエストNo.0005

 クエストNo.0006

 クエストNo.0007

 

 見覚えがある。

 ありすぎる。

 あのクエストメールと同じナンバリング。同じ書式。

 

 最初のファイルを開いた。

 中身は——完全なメール本文ではなかった。

 件名だけが書かれたもの。「座敷童は"いない子"の影」。それだけで本文がない。

 

 次のファイル。

 こちらは冒頭の数行だけ書かれて、途中で途切れている。「ミッション:無限の選択肢を——」。そこで文章が切れている。

 

 別のファイル。

 完成版に近い文面だが、言い回しが微妙に違う。「声なき声は——」ではなく「聞こえぬ声は——」と始まっている。推敲途中の草稿だ。

 

 さらに別のファイル。

 ミッション文の候補がいくつか並べられている。箇条書きで、ひとつひとつに取り消し線の代わりのような記号がついている。

 

 つまり、これは。

 受信したメールの保存データではない。

 送る前の、下書きだ。

 

 件名の草案。本文の試し書き。言い回しの別案。ミッション文の候補。

 クエストメールが完成するまでの、途中経過。

 それが、このPCのローカルフォルダに、いくつも残っている。

 

 モニターの光が顔に当たっている。

 背筋だけが、すうっと冷えていく。

 

 クエストメールは、外から届いたものだと思っていた。

 差出人不明。発信元不明。このPCが受信して、俺に見せた。それだけだと思っていた。

 だが、もしこのフォルダが本物なら。

 メールはどこか遠くから送られてきたのではなく、この場所で——このPCの上で——書かれていたことになる。

 

「……なんで、ここにあるんだよ」

 

 声が出た。

 自分の声が、静まり返ったREXの中でやけに大きく響いた。古い筐体の隙間に吸い込まれて、そのまま消えた。

 PCのファンだけが、低く、低く、回り続けている。

 

 初狩はいない。

 オボロもいない。

 このフォルダの中に、俺が今まで受け取ってきたクエストの残骸が眠っている。

 

 誰が書いた。

 なんのために。

 なぜ、ここに。

 

 モニターの光だけが、暗い店内を青白く照らしていた。

 

 

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