文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

49 / 52
■第49話「安全装置」

 母との会話を終えて、自分の部屋に戻った。

 しばらく天井を見ていた。

 それから、鞄を掴んで家を出た。

 

 REXへ向かう。

 確認したいことがあるというより、他に行く場所がなかった。逃げ場がない時に足が向くのは、いつもあの店だ。暗くて、狭くて、カビくさくて、誰もいない。それでも、俺にとってはそこが一番「考えること」を許してくれる場所だった。

 

 扉を開ける。鍵を回す。中に入る。

 薄暗い店内。古い筐体のシルエット。誰もいない空気。

 昨日と同じデスクトップPC。

 

 電源を入れて、椅子に座った。

 モニターが立ち上がるまでの十数秒、俺は消去法の最後の一手を頭の中で並べていた。

 

 初狩ではない——時系列が合わない。

 母ではない——文体が合わない。

 叔父ではない——去年のうちに死んでいた。

 

 その事実を順番に潰していくと、最後に残る候補は一つしかない。

 

 鍵を持っている。

 この店に自由に入れる。

 クエストの内容を知りうる。

 深夜二時に行動できる。

 あの文体に——。

 

 あの文体に、どこか見覚えがある。

 他人の言葉を模写したような詩的な言い回しの中に、俺自身の思考の癖が混じっている。小説を書くとき、そして都市伝説を分析する時の視点。人の痛みの断片を拾い上げてミッションに変換する構造。あれは、観測者の——。

 

 自分。

 

 その考えに触れた瞬間、身体が先に拒否した。

 冷や汗が背筋を伝う。喉が狭くなる。頭が「そんなわけない」と言うより早く、身体のほうが「そこへ行くな」と叫んでいた。

 

「……いや、待て」

 

 声が擦れた。

 

「俺が、そんなこと——」

 

 その時、暗がりの中で何かが動いた。

 

 古い筐体の向こう。モニターの逆光に照らされた薄闇の中に、白い輪郭が滲んでいる。

 オボロだ。

 だが、以前よりも明らかに薄い。最初に会ったときに感じた違和感が、もう気のせいでは済まないレベルになっていた。白い毛並みの輪郭が暗がりに溶けかけている。まるで水で薄めた絵の具で描かれた絵のように、周囲の闇との境界が曖昧だ。

 けれど声だけは、妙にはっきりしていた。

 

『そうじゃ』

 

 低く、静かに。

 

『ここまで消していって、最後に残るのは、お主《ぬし》だけじゃ』

 

 振り向いた。

 怒鳴ろうとした。だが喉から出たのは、怒鳴り声ではなく、擦り切れたような声だった。

 

「何言ってんだよ」

『聞こえておろう』

「俺が送ったっていうのか、あれを。全部のクエストを、俺が——」

『そうじゃ』

「だったら、なんで俺は覚えてない」

 

 その問いに、オボロは少しだけ間を置いた。

 薄い輪郭が、かすかに揺れる。笑っているのか、それとも消えかけているのか、区別がつかない。

 

「覚えておらぬのではない」

 

 声が、少しだけ柔らかくなった。

 

「覚えすぎたから、こうなったのじゃ」

 

 オボロは語り始めた。

 いつもの皮肉や軽口はなかった。古風な口調はそのままだが、どこか——諭すような、あるいは告白するような声音だった。

 

『クエストメールは、外から来たものではない』

 

 その一文が、REXの空気を変えた。

 

『お(ぬし)の中で溢れたものが、形をとって外へ出たのじゃ』

 

 俺は黙って聞いていた。否定したかった。だが、声が出なかった。

 

『深夜二時。お主は眠れず、あるいは眠ったまま、ここへ来ておった』

「……嘘だ」

『嘘ではない。お主の靴の裏に、朝になると泥がついていたことがあったろう。寝汗だと思ったものが、実は夜風に当たった後の冷えだったこともあったろう』

「……」

 

 反論が、出てこなかった。

 思い当たる節がある。いくつも。朝起きた時の妙な疲労感。靴下が汚れていたこと。記憶にないのに、身体だけが覚えている夜の痕跡。

 

『この廃墟ゲーセンの噂を覚えているか?』

「丑三つ時に、無人のはずの筐体がひとりでに動くってやつだろ? だからあれは俺が……」

『時刻を考えろ。おまえが放課後に寄るような夕方ではない。丑三つ時じゃ』

「つまり夜中の二時頃……」

 

 書きかけのメールの保存日時が深夜二時であった。

 

『見過ごせない違和感、拾ってしまう言葉、人の痛みの断片——お主《ぬし》はそれを、そのまま抱えれば壊れる』

 

 オボロの声が、少しだけ低くなった。

 

『じゃから、"クエスト"という形にした。課題に変えれば、お(ぬし)は観測だけで終わらず、動けた。見過ごせなかったものを、見過ごさずに済んだ』

 

 REXの天井が、やけに高く見えた。

 暗い。

 古い配線が蜘蛛の巣みたいに張り巡らされている。その向こうは闇で、何も見えない。

 

『我は、そのための器じゃ』

 

 オボロの声は揺れなかった。

 

『お(ぬし)が壊れぬよう、記憶と痛みを少しずつ外へ逃がすための——狐の面をかぶった、逃げ道じゃ』

 

 聞きながら、否定したいのにできなかった。

 だってそうだ。思い返せば、クエストの文体にはずっと妙な既視感があった。他人の言葉を模写したような詩的な調子でありながら、分析の仕方が俺自身の癖に似ていた。人の痛みの構造を解体して、ミッションの形に組み直す——あれは、観測者の手口だ。

 他人の手口ではない。

 俺の手口だ。

 

「じゃあ——」

 

 声が震えた。

 

 逃げ道。安全装置。クエストを外へ出すための器。それはわかった。仕組みとしては、わかった。

 だが、わかったことで別の穴が開いた。

 

「あの日お前が生まれたなら——なんで俺は、REXで初めて会ったと思った」

 

 小学五年の冬からいたのなら、中学の三年間も、高校に入ってからも、ずっとそばにいたはずだ。なのに俺の記憶では、あの暗い店の中で白い影を見た時、「初めて」だと思った。驚いた。怖がった。見知らぬ妖怪に出くわしたみたいに。

 

 オボロは、少しだけ間を置いた。

 

『お(ぬし)の記憶を外に逃がすのが、我の役目じゃ』

 

 静かな声だった。

 

『我自身も、その例外ではなかった』

 

 意味がわかった瞬間、背筋が冷えた。

 オボロは俺の痛みだけを逃がしていたのではない。オボロという存在そのものも、必要のない時には俺の意識から消えていた。いたのに、いなかったことにされていた。俺の頭の中で。俺を守るために。

 

 あのREXでの「初対面」は、再会だったのだ。何度目かもわからない。

 

「……ずっと、そうだったのか」

 

 声が擦れた。

 

「お前がいたことすら、俺は忘れさせられてたのか」

 

 オボロは答えなかった。答えないことが、答えだった。

 逃げ道。安全装置。そう言われれば、機能としては理解できる。

 だが——あの日カッターナイフを止めてくれた存在を、俺は何度も忘れて、何度も初めましてのふりをして、そのたびにオボロは黙って受け入れていたのか。

 

「お前は——俺にとって、何だったんだよ」

 

 仕組みの話じゃない。

 忘れられるたびに名乗り直して、忘れられるとわかっていて隣にいた存在は、安全装置なんて言葉で片づけていいものなのか。

 

 オボロは、笑った。

 笑ったと思う。輪郭が薄すぎて、表情がよく見えない。ただ声の温度だけが、ほんの少し上がった。

 

『お(ぬし)が生んだ、都合のよい化け物よ』

 

 その言い方は、自嘲のようでもあり、どこか誇らしげでもあった。

 

『記憶を抱えすぎた子どもが、自分を守るために作った——名前付きの隠れ場所じゃ』

 

 言葉が、胸の底に落ちた。

 重くて、冷たくて、でも——心当たりがありすぎて、跳ね返せなかった。

 

 小学五年の冬。

 教室の隅で殴られて、ノートを踏みにじられて、ポケットのカッターナイフに手をかけた日。

 あの日、白い狐が現れた。

 俺を止めたのは、理性でも勇気でもなく、あの白い影だった。

 

 あれが。

 あの瞬間に生まれた、俺の——。

 

『じゃが、それでもまだ全部ではない』

 

 オボロの声が、少しだけ硬くなった。

 

『今お(ぬし)が知るべきは、差出人が外ではなかったということだけじゃ』

 

 一拍、間が空いた。

 

『そして——外ではなかったからこそ、今度は逃げ道では足りぬということじゃ』

 

 その意味を、すぐには飲み込めなかった。

 逃げ道では足りない。

 クエストという形に変換して、他人の問題として処理することで自分を守ってきた仕組みが、もう通用しない。そう言っているのか。

 

 問い返そうとした。

 だが、オボロの輪郭がさらに薄くなっていくのが見えて、言葉が喉で詰まった。

 

 その時。

 ポケットの中で、スマホが震えた。

 

**

 

 一瞬、呼吸が止まった。

 

 初狩からだ。

 

 画面に表示された名前を見て、指が固まった。何日ぶりだ。既読すらつかなかった人間から、メッセージが来ている。

 たった一通。

 

 開けない。

 怖い。

 ここで開いて、もし——もしそこに、もう手遅れだと思い知るような言葉が書かれていたら。

 

 でも、開くしかない。

 

 親指が画面に触れる。

 LINEのトーク画面が開く。

 初狩のアイコン。送信時刻は数分前。

 

 文面は、短かった。

 

『ごめんなさい。もう、わたしの絵がどれかわかりません』

 

 画面を見たまま、動けなくなった。

 「ごめんなさい」から始まっている。謝っている。何に対してだ。俺にか。それとも自分自身にか。

 「わたしの絵がどれかわかりません」だと?

 模倣アカウントとの区別がつかなくなったのか。自分で描いた絵と、壊すために描いた絵の境目が消えたのか。それとも——もっと根本的に、「自分の線」がわからなくなったのか。

 

 スマホの光が、暗いREXの中で白く浮いている。

 モニターの青い光と、スマホの白い光。二つの明かりだけが、この廃墟を照らしている。

 

 返事を打とうとした。

 何を打てばいい。「大丈夫か」はもう送った。届かなかった。「待ってくれ」か。「俺が何とかする」か。どれも薄い。どれも、今の初狩には届かない。

 俺の言葉は、俺が思っていたより——ずっと非力だ。

 

 REXの暗がりの中で、PCのファンだけが低く回り続けている。

 オボロの姿は、もう見えなかった。

 薄くなった輪郭が、いつの間にか暗闇に溶けきっていた。

 

 スマホの画面が、自動で消灯する。

 暗転した液晶に、自分の顔が薄く映った。

 情けない顔だ。

 昨日も同じことを思った。一昨日も。

 

 それでも——。

 画面をもう一度点ける。

 初狩の文面を、もう一度読む。

 

――『ごめんなさい。もう、わたしの絵がどれかわかりません』

 

 返信欄に、カーソルが点滅している。

 俺はまだ、何も打てないでいる。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。