文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜   作:オカノヒカル

56 / 56
■第56話 エピローグ「朧月夜」

 二週間が経った。

 

 夜。自分の部屋。

 ベッドに寝転んで天井を見ている。電気は点けていない。カーテンを閉め忘れた窓から、十一月の夜の光がうっすらと差し込んでいる。

 

 右腕を上げて、天井に翳した。

 あのオボロの線は、もうほとんど消えている。

 ジャグアのインクは二週間で自然に薄れる。笹子先輩がそう言っていた通りだ。河川敷で初狩が描いた白い狐——その輪郭は、日に日に皮膚から消えていった。最初の数日は入浴しても濃く残っていたのが、一週間を過ぎたあたりから急に薄れ始めて、今はもう、よほど目を凝らさなければ痕跡すら見えない。

 

 皮膚の上には、残っていない。

 

 だが、俺の中には残っている。

 あの日の線の順番。初狩がどこからペンを入れたか——耳の先端だった。そこから額へ、鼻先へ、ひねくれた目元へ。途中で一度だけ迷って、頬の毛並みの角度を少し直した。尻尾は一筆で引いた。太い線。自信のある線だった。

 笹子先輩が土手を駆け上がってきた時の荒い息。ジャグアのペンを受け取った時の、才の指先の冷たさ。朝の河川敷の少し冷たい風。草の匂い。川の音。

 全部、消えない。

 超記憶のせいだ。良いものも悪いものも、この頭は同じ解像度で保存してしまう。故障だとねむは言った。たぶん、そうなのだろう。

 

 でも今は——この故障が、少しだけありがたかった。

 消えた線を、消えないまま持っていられるから。

 

 消えない線と、消えた影。

 初狩が描いた狐は消えた。だがその記憶は消えない。

 オボロという存在は消えかけている。だが、あの白い狐がいた記憶は——俺の中で、たぶんこの先もずっと消えない。

 

 

**

 

 

 ポケットの中でスマホが震えた。

 DiscordのDM。ねむからだ。

 

 「新しい噂、立ってる」

 

 何のことだ、と思いながら続きを読む。

 

『桂明の非公式Discordと、地域の噂スレッドで拾った』

『河川敷の展望ベンチに、夜になると肌に絵を描き合う二人組が現れるらしい』

『見かけた人は、なくしたものが少しだけ戻る』

『描けなくなった人は、もう一度だけ線が引けるようになる』

『相手の名前をちゃんと呼べば、願いじゃなく、自分の気持ちが戻る』

 

 読みながら、頭の中で情景が浮かんだ。

 あの朝の河川敷。展望ベンチ初狩が俺の腕に狐を描いていた、あの場所。

 誰かが見ていたのかもしれない。土手の向こう側を散歩していた人か、ジョギングしていた人か。遠くから見たら、確かに「肌に絵を描き合う二人」に見えただろう。

 

 ねむのDMが続く。

 

『たぶん才たちのせい!』

『河川敷が都市伝説スポットになった!』

 

 少し面白がっている文面だった。ねむにしては珍しく、句点の代わりに感嘆符が一つだけついている。

 

 苦笑した。

 

 まあ、俺たちのことだな……。

 

 「願いが叶う」ではなく「なくしたものが戻る」。

 

 その噂の形が、妙にこの数週間と噛み合っている。空席。輪郭の喪失。いなかったことにされる。ずっとそういう話をしてきた。その反転として、「戻る」が噂の効能になっている。

 

 誰かが意図したわけではないだろう。噂というのはそういうものだ。事実が人の口を通るたびに少しずつ形を変えて、最後にはもとの出来事とは違う、でも不思議と本質だけは残った物語になる。

 

 

**

 

 

 DMを閉じて、窓の外を見た。

 

 月が出ていた。

 はっきり丸い月ではない。少し霞んでいる。雲の薄い幕が月の輪郭をぼかして、光だけが滲むように広がっている。朧月。

 十一月にしては暖かい夜だ。窓の向こうに住宅地の屋根が並んでいて、その向こうに電線があって、さらに向こうに空がある。町の気配が、夜の中にかすかに残っている。

 

 もう、REXの暗がりから白い狐は現れない。

 もう、差出人不明のクエストメールが外から来ることもない。

 オボロは消えた——と言い切るには、少しだけ正確ではない。

 

 消えたのは、外部の存在としてのオボロだ。

 REXの暗がりに立って、皮肉を言って、偉そうに助言を飛ばしてきた白い狐。あの姿は、もう見えない。

 だが——。

 

 ねむのDMを見て苦笑した、あの瞬間。

 あるいは今、月を見上げたこの瞬間に。

 頭のどこかで、古風で皮肉っぽい声が聞こえた気がした。

 

『また面白そうな噂が立っておるではないか』

 

 幻聴ではない。記憶だ。

 オボロがこういう場面でこういうことを言う——その「声の型」が、俺の中に残っている。超記憶が保存した無数のオボロの言葉と声色と口調が、新しい状況に合わせて再生される。外から聞こえたのではなく、内側で鳴っている。

 

『お(ぬし)、次はどうするつもりじゃ?』

 

 もう外部存在ではない。

 でも、俺の思考の癖として、記憶の中に溶けた形で、まだいる。

 たぶん、これからもずっと。何かがあるたびに、頭の隅で古風な声が響いて、皮肉の一つも飛んでくるのだろう。俺が壊れそうになった時に生まれた安全装置は、姿を消しても——機能だけは、俺自身の中に残った。

 

 少しだけ目を閉じた。

 

「……うるさいな」

 

 声に出して言った。誰もいない部屋で、天井に向かって。

 

「もう寝る」

 

 返事はない。

 当然だ。もう、返事をする存在はいない。

 でも——不思議と、寂しくはなかった。

 

 

**

 

 

 スマホを閉じた。

 ベッドの横のスタンドライトに手を伸ばして、消した。部屋が暗くなる。

 窓から差す朧月だけが、うっすらと天井と壁を照らしている。

 

 都市伝説は終わらない。

 誰かが語り、誰かが覚え、誰かが少しだけ意味を変えていく。

 それなら、きっと——俺たちの物語もそうだ。

 たぶん。

 

 右腕を持ち上げた。

 消えた線の上を、親指でゆっくりなぞる。

 何も残っていないはずなのに、耳の先端から始まった線の順番だけは、今もはっきりわかる。

 

 もう、差出人不明のメールは来ない。

 でも、なくなったわけじゃないものもある。

 

 窓の外では、朧月がぼんやりと町を照らしていた。

 

 そのとき、俺のスマホが震えた。

 メールの着信ランプが、暗い部屋で小さく灯る。

 差出人の欄には、俺の知らない名前があった。

 

 

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。

評価する
※参考:評価数の上限
評価する前に 評価する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。


  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

読者層が似ている作品 総合 二次 オリ

人型決戦兵器に改造された俺氏、美少女(但しヤンデレ)パイロット達のお世話をしながら世界を救う(作者:なっくる@2作品書籍化)(オリジナルSF/冒険・バトル)

※改題しました。「旧題:決戦兵器の制御コアにされた俺のパイロット候補が全員ヤンデレで依存してくる」▼地下アイドルのプロデューサーしていたシスコンリーマン優史。ある日地球に侵攻して来た謎の機械生命体の攻撃に巻き込まれ瀕死の重傷を負う。▼数年後に目覚めると、マッドな博士に決戦兵器の生体制御コアに改造されていた。▼決戦兵器には人の意思を具現化する機関が搭載されてお…


総合評価:231/評価:7.12/連載:34話/更新日時:2026年07月08日(水) 08:15 小説情報

《このゲームが始まって10の100乗秒が経過しました。》(作者:てりのとりやき)(オリジナルSF/冒険・バトル)

ログアウト不能、脱出手段不明、ゲームクリア不可能、死んでも即蘇るVRMMO。そこはゲームという名の永遠の牢獄。ゲーム内世界で時間感覚が麻痺するほど長く生きるユーザー達の中で、唯一ゲームクリアを諦めていない少女がいる。そんな、チートスキルを28個持つゲーム内最強の少女に、バグ技を活用して勝とうとする女の話。▼※この物語は ①挑戦しては負ける主人公。②最初から最…


総合評価:470/評価:8.32/連載:25話/更新日時:2026年07月05日(日) 13:09 小説情報

☆1キャスターの俺、現代ダンジョン出現当日、F級ダンジョン60個を周回特化自爆スキルで焼き払ってたら低レア最強パーティが育っていた〜アーラ◯ュ系周回スキルで人類全員を育成し尽くします〜(作者:ちんこ良い肉)(オリジナル現代/冒険・バトル)

火賀灯真は、世界が終わる日を知っていた。▼正確には、世界が“サービス終了する”日を。▼午前十時。▼現代日本にダンジョンが出現し、人類の一部にレアリティとクラスとスキルが配られる。▼世間は混乱し、国家は対応に追われ、凡人は怯え、英雄願望のある者は浮かれる。▼そして俺は、ゲームの周回で猛威を振るった、自爆宝具…もとい戦闘不能と引き換えに繰り出す超火力広域攻撃スキ…


総合評価:5551/評価:8.01/連載:35話/更新日時:2026年06月21日(日) 23:26 小説情報

ダンジョン中毒から抜け出したい【書籍化&コミカライズ決定】(作者:1パチより4パチ派)(オリジナル現代/コメディ)

ダンジョンのドロップにどハマりして身を崩した主人公が、過去に脳を焼いちゃった仲間や世間からの妨害(ほぼ自業自得)にめげずに社会復帰を目指す話。▼※2026年2月10日 書籍化&コミカライズ決定しました。


総合評価:7572/評価:8.19/連載:94話/更新日時:2026年07月06日(月) 22:56 小説情報

厄ネタヒロインたちとラブコメをすることになった(作者:灰鉄蝸)(オリジナル現代/恋愛)

「キミが好きだよ。だから殺すね」▼「あなたが好きです。好きなので洗脳しますね」▼「俺の死因多すぎるだろ…」▼異能バトルも伝奇ホラーもある世界で、バッドエンドの元凶になるような厄い美少女に好意を抱かれる――好意全開の金髪巨乳幼馴染み、ややホラーな超能力者の黒髪ロング同級生、彼女たちが引き起こす破滅の未来に巻き込まれる少年。▼愛が重くて、死の原因になる厄ネタヒロ…


総合評価:4595/評価:8.83/連載:41話/更新日時:2026年07月04日(土) 19:41 小説情報


小説検索で他の候補を表示>>