文芸部を追放された俺、廃墟ゲーセンで都市伝説クエストを攻略する 〜追い出された天才絵師と、学校怪異を解いていく〜 作:オカノヒカル
俺のクラスメイトに、安田央人というやつがいる。
入学して数ヶ月、まともに会話をした覚えがない。お互い地味なタイプだが、安田の方が輪をかけて目立たない。同じクラスにいても、彼の声をきちんと聞いた記憶がほとんどなかった。いつも静かに、空気みたいに存在していた。
——俺と同じ側の人間だと思っていた。
安田には安田なりの矜持があった。同じ中学出身で、クラスは違うが見かけたことはある。彼は哲学書の棚の前に立って、背表紙を指でなぞっていた。その横を通りかかった俺に、安田は誰にも聞こえないような声で言った。
「スマホに夢中になるのは愚民だ」
挨拶でも独り言でもない。ただの確認のような、自分自身の信条を口に出しただけの言葉。中二病と言えばそれまでだが、安田はそういう奴だった。俺と同じ陰キャでも、気質は正反対。俺が「観測者」を自称して世界を眺めるなら、安田は「思索者」として世界を拒絶していた。
——その安田が、最近おかしい。
きっかけは、休み時間に彼がスマホを食い入るように見ていたことだ。それだけならよくある光景だが、安田の場合は異質だった。机に体を寄せてうずくまるように画面を凝視し、肩越しに覗こうとする生徒にもまったく気づかない。
スマホに夢中になるのは愚民だと、あの安田が言っていたのに。
日を追うごとに、異変は目に見えて悪化していった。
朝のHR前からスマホを握りしめ、何度もロック画面を確認してはため息をつく。昼休みにはカバンからスマホを取り出しては画面を凝視し、汗ばんだ手で何度もスワイプしている。教室の隅で、カバンの奥にスマホをしまおうとして——やっぱり取り出す。それを繰り返す。
授業中も上の空で、ノートには意味のない線や単語が繰り返し書きつけられるだけ。先生に名前を呼ばれても、数秒遅れて「……はい」とかろうじて返事をする有様だった。
「なあ、安田って、前はあんなスマホ見てたっけ?」
「そういやSNSとかやらないって言ってなかったか」
「友達いない陰キャ勢だろ。ソシャゲにハマったんじゃね?」
昼休み、隣のグループがひそひそと話しているのが聞こえた。
「なんか、あいつのスマホの画面見たら"絶死の呪い"の選択肢だったっていう話」
「バカバカしいって、あんなの誰かの悪戯だろ」
最初はそんな反応だった。安田がやっとスマホデビューしたとか、あいつにも"絶死の呪い"が来たらしいぞとか、半分笑い話として消費されていた。
昼休みには数人が安田の机の周りに集まり、「お前も来たの?」「スクショ見せろよ」などと茶化す。だが安田は無表情のまま、声をかけられても反応しない。
「ノリ悪っ!」
誰かがそう言うと、みんなすぐに興味を失い、散っていった。
その日を境に、教室の空気が少しずつ変わった。安田の周囲に、目に見えない境界線が引かれていく。最初は物珍しさで近づいていた連中も、安田の反応の無さに居心地の悪さを感じて離れていった。笑い話にすらできなくなっていた。
**
その日の放課後だった。
帰り支度をしていた俺は、何気なく安田の机のそばを通りかかった。教室にはもう数人しかいない。安田は机に突っ伏すようにして、スマホの画面を覗き込んでいた。
本来なら素通りするところだった。他人のスマホを覗くのは趣味じゃない。
だが——安田の指が画面の上で完全に止まっているのが目に入った。震えてすらいない。まるで石になったみたいに、指先が画面の数ミリ上で固まっている。
その異様さに、足が止まった。
覗き込むつもりはなかった。ただ、安田の肩越しに、しばらく画面を見てしまった。
画面には、スクロールしなければ収まりきらないほどの選択肢が、びっしりと並んでいた。
A. 右手を動かせば、骨折する事故に遭う。その確率は3.84615384615385%
B. 机から立ち上がれば、階段から転げ落ちる。その確率は3.84615384615385%
C. 左を見れば、後ろから殴られる。その確率は3.84615384615385%
D. 大きく呼吸をすれば、過呼吸になって倒れる。その確率は3.84615384615385%
E. 涙をこぼせば、目の前が真っ暗になって意識を失う。その確率は3.84615384615385%
F. 声を出せば、叫び声が止まらなくなる。その確率は3.84615384615385%
G. 助けを呼べば、家族が交通事故に遭う。その確率は3.84615384615385%
H. 背中を丸めれば、突然激痛に襲われる。その確率は3.84615384615385%
I. 名前を呼ばれたら、気絶してしまう。その確率は3.84615384615385%
J. 唇を噛めば、呼吸ができなくなる。その確率は3.84615384615385%
K. 目を閉じれば、そのまま目が開かなくなる。その確率は3.84615384615385%
L. 目を開ければ、激しいめまいで立てなくなる。その確率は3.84615384615385%
M. 机の下に手を伸ばせば、骨折するケガを負う。その確率は3.84615384615385%
N. 靴を履き替えれば、通り魔に刺される。その確率は3.84615384615385%
O. 鞄を開ければ、財布を盗まれる。その確率は3.84615384615385%
P. ノートに書き込めば、急に大声で叫び出す。その確率は3.84615384615385%
Q. ペンを落とせば、突き指するケガを負う。その確率は3.84615384615385%
R. 胸を張れば、心臓が止まる。その確率は3.84615384615385%
S. 時計を見れば、急な大地震に巻き込まれる。その確率は3.84615384615385%
T. 立ち上がらず座り続ければ、突然教室が停電する。その確率は3.84615384615385%
U. 手を握れば、強盗に襲われる。その確率は3.84615384615385%
V. ため息をつけば、火災が発生する。その確率は3.84615384615385%
W. 友達を思い出せば、その友達が事故に遭う。その確率は3.84615384615385%
X. 誰かと目が合えば、いじめに遭う。その確率は3.84615384615385%
Y. 頬杖をつけば、顔面を強打する事故に遭う。その確率は3.84615384615385%
Z. 髪に手をやれば、突然アレルギー発作が起きる。その確率は3.84615384615385%
AからZまで。二十六の選択肢。
ひとつひとつは馬鹿げた内容だ。右手を動かしたら骨折する? 胸を張ったら心臓が止まる? 冷静に考えれば、こんなものに怯える理由はない。確率だって約3.8%——低いと言えば低い。
……いや、待て。
26択。各3.84615384615385%。それは1を26で割った数字だ。合計すれば、ほぼ100%になる。
つまりこの選択肢は「どれかが当たるかもしれない」じゃない。「26の選択肢うち、どれか一つは必ず当たる」という設計だ。個々の確率が低いことに安心させておいて、全体では逃げ場をゼロにしている。
悪質だ。これを作った奴は、数字の見せ方を知っている。
なのに。
読んでいるうちに、俺の身体が勝手に反応していた。
「R. 胸を張れば、心臓が止まる」——その文字を目にした瞬間、無意識に背中が丸くなった。
「K. 目を閉じれば、そのまま目が開かなくなる」——瞬きするのが、一瞬だけ怖くなった。
「G. 助けを呼べば、家族が交通事故に遭う」——喉の奥が、きゅっと詰まった。
馬鹿馬鹿しい。こんなの、ただの文字列だ。誰かが適当に並べたデタラメだ。
頭ではそうわかっている。
——なのに、身体が言うことを聞かない。
読むだけで、動くのが怖くなる。ひとつひとつは取るに足らない脅しなのに、それが二十六も並ぶと、世界中のあらゆる行動にリスクが貼り付いているように見えてくる。
右手を動かすのも。立ち上がるのも。息をするのも。目を閉じるのも。
——全部、怖い。
これは俺が知っている"絶死の呪い"とは違う。SNSで出回っている「AかBか選べ」なんていう軽いやつじゃない。もっと悪質で、もっと根深い。日常のあらゆる動作に「死」のラベルを貼りつけて、人間をその場に縫い止めるための——呪い。
安田は、これを何日も見続けていたのか。
画面の前で、どの選択肢も選べず、かといって画面を閉じることもできず、ただ固まっていたのか。
俺は安田から視線を外した。心臓がやけにうるさい。
安田の指は、まだ画面の上で止まっている。スマホの通知音がまた鳴った。安田の肩がびくりと跳ねる。でも、指は動かない。
教室に残っていた数人も、さすがに異変に気づいている。
「安田、マジでやばいって」
「あいつの目つきヤバいぞ」
ひそひそと囁く声。だが、誰も近づかない。腫れ物に触るように距離を取って、遠巻きに見ているだけだ。
——俺も、同じだった。
見ている。観察している。分析している。
でも、何もしない。
その瞬間、脳の奥で何かがちらついた。
——小学校の教室。放課後。窓から差し込む西日。
机に突っ伏している男の子。周りには誰もいない。助けてくれる人は、いない。
背中に投げつけられたノートが、床に散らばっている。
あれは——俺だ。
記憶が、一瞬だけ鮮烈に蘇って、すぐに消えた。
今の安田と、あの頃の俺が重なる。教室の隅で固まって、誰にも見つけてもらえなかったあの感覚。助けを求める方法すら思いつかなかった、あの無力さ。
でも——今の俺だって、結局何もしていない。
声をかけるべきか。でも何て言う?
「大丈夫か?」なんて、大丈夫じゃないのは見ればわかる。かといって、スマホを取り上げることもできない。そんな権利は俺にはない。
損得勘定が回る。関われば面倒事になる。関わらなければリスクはゼロ。
いつもの思考。いつもの結論。
——俺はまた、見ているだけだ。
教室の人影がほとんどなくなっても、安田は机に伏せたまま動かなくなっていた。スマホの画面は通知で光り続け、バイブ音が断続的に鳴り響いている。
その音が、教室中に広がる沈黙よりも重く、冷たかった。
**
週明けの月曜日。
安田央人は学校に来なかった。
彼の席だけが、朝の教室でぽっかりと空いている。いつもなら誰も気にしないはずの、空気みたいな存在の不在。なのに今日は、その空席がやけに目立った。
朝のホームルームで、担任の安住先生がこう切り出した。
「みなさんに伝えなければならないことがあります。安田くんが昨日の夜、交通事故に遭いました。命に別状はありませんが、しばらく入院することになります」
教室がざわつく。
だが、そのざわめきの質が、いつもと違った。
「マジかよ……」
「呪いじゃね?」
「絶死の呪いで選択肢選んだから?」
面白半分の声。でも、笑い切れていない。目が泳いでいる奴がいる。机の下でスマホを握りしめている奴がいる。
それまで"絶死の呪い"は、ネットの中だけの遊びだった。都市伝説という名の、安全なフィクション。誰かが考えた作り話で、信じる方が馬鹿——そういう空気だった。
安田の事故が、その境界線を壊した。
都市伝説が現実に接続した瞬間、教室の空気が変わった。誰もが自分のスマホを見る目つきが変わった。「まさか」と「でも」が交互に顔を出して、笑い飛ばすことができなくなっていた。
俺は安田の空席を見つめていた。
あの時、声をかけていたら。
スマホを閉じろと言っていたら。
何か——たった一言でも、言葉をかけていたら。
事故を防げたとは思わない。あんなのはただの偶然で、呪いなんかじゃない。
でも、あの教室で安田がひとりきりで固まっているのを見て、何もしなかった事実は変わらない。
観測者。
俺はそう名乗ってきた。見る側。記録する側。関わらない側。
それが安全で、合理的で、損をしない生き方だと信じてきた。
だけど——見ているだけの人間は、目の前で誰かが壊れていくのを、ただ見届けることしかできない。
安田の空席に差し込む朝の光が、やけに白くて、冷たかった。
放課後、昇降口で初狩と合流した。
彼女は何も言わずに俺の顔を見て、少しだけ眉をひそめた。
「……安田くんのこと、気にしてますか?」
見透かされている。この女はたまに、妙に鋭い。
「気にしてないよ。ただ——」
「ただ?」
「……何もしなかった自分に、ちょっとムカついてるだけだ」
初狩は何も言わず、ほんの一瞬だけ、俺の横に並んで歩いた。
いつもより、少しだけ距離が近かった気がする。