浜松鎮守府には、危険人物が何人かいる。
救助用モーターボートを見ると距離を測る提督、各務原結有。
静かに怒ると周囲の姿勢を正させる軽巡、神通。
姉様のためなら世界に不幸を返しかねない戦艦、山城。
そして、工廠にいる時の明石である。
「できました!」
その日、明石は満面の笑みで言った。
結有は工廠の入口で足を止めた。
アイも止まった。
暁も止まった。
神通は止まらず、静かに一歩前へ出た。
「明石さん」
「はい!」
「何が、できたのですか」
明石の背後には、布をかぶせられた巨大な何かがあった。
明らかに艤装ではない。
いや、艤装なのかもしれない。
だが、艦娘が背負うには大きすぎる。
布の下から突き出している砲身らしきものだけで、結有の身長より長かった。
暁が小声で言う。
「嫌な予感がするわ」
「同感」
結有もうなずいた。
アイは無表情で言った。
「爆発する?」
明石が胸を張った。
「しません!」
「本当?」
「たぶん!」
「たぶん」
神通の声が静かになった。
明石は慌てて咳払いした。
「安全対策はしています。今回は理論上、爆発しません」
「理論上」
結有がつぶやく。
明石は布を勢いよく取った。
そこに現れたのは、巨大な三連装砲だった。
砲身は三本。
どれも常識外れの太さ。
砲塔部分は白銀色で、妖精さんたちが周囲を誇らしげに飛び回っている。
側面には、明石の字でこう書かれていた。
『試製三連装八十センチメートル砲』
工廠が静まり返った。
結有はしばらく見つめてから、言った。
「八十センチ?」
「はい」
「八十ミリじゃなくて?」
「八十センチです」
「戦艦でも持て余すやつでは?」
「そこを何とかするのが技術です」
暁が叫んだ。
「何とかしちゃだめなやつよ!」
神通は額に手を当てた。
「明石さん。これは、何のための装備ですか」
「対深海中枢級を想定した超重砲撃艤装です。通常艦娘では出力が足りませんが、アイさんなら全艤装適性がありますし、霊子変換効率も異常ですので」
アイが明石を見た。
「私?」
「はい!」
「嫌」
「まだ説明途中です!」
「嫌」
アイは結有の後ろに隠れた。
隠れたと言っても、結有より少し小さいだけなので、白髪が普通に見えている。
結有はアイを庇うように立った。
「明石さん、アイを実験台にするのはちょっと」
「実験台ではありません。試験装着者です」
「同じ匂いがする」
「違います。響きが違います」
暁が腕を組む。
「そもそも、そんな大砲をアイが装備したらどうなるの?」
明石は笑顔で答えた。
「飛びます」
沈黙。
結有が聞き返す。
「飛ぶ?」
「はい」
「砲弾が?」
「アイさんが」
アイが結有の服を掴んだ。
「脳筋」
「うん」
「帰る」
「うん、帰ろうか」
「待ってください!」
明石が慌てて前に出る。
「理論上、これは反動制御装置と霊子慣性緩和装置を組み合わせてあります。なので、撃った瞬間にアイさんが空の彼方へ吹き飛ぶようなことは」
「ようなことは?」
「たぶんありません」
神通が一歩近づいた。
「明石さん」
「はい」
「なぜ、たぶんなのですか」
「まだ撃っていないからです」
「撃たせません」
「そんな!」
明石は心底残念そうだった。
しかし、その時だった。
砲塔の周りにいた妖精さんの一人が、誇らしげにスイッチを押した。
ぽち。
工廠に、軽快な電子音が鳴った。
『試験装着モード、起動します』
明石の顔が固まった。
「あ」
神通の目が細くなる。
「あ、とは?」
「自動装着シーケンスが」
次の瞬間、試製三連装八十センチメートル砲が動いた。
がしゃん。
がしゃん。
がしゃん。
巨大な砲塔が分解され、霊子の光をまといながらアイの方へ飛んでくる。
アイは無表情のまま、結有を見た。
「脳筋」
「逃げるよ!」
結有はアイの手を掴んで走った。
だが、遅かった。
砲塔部品がアイの背後に回り込み、白黒の光を放ちながら装着されていく。
巨大な三本の砲身が、アイの背中にどんと載った。
床が沈んだ。
アイは無表情で立っていた。
立っていたが、足元の床がみしみし鳴っている。
暁が青ざめた。
「アイ、大丈夫!?」
「重い」
「でしょうね!」
明石は端末を操作しながら叫ぶ。
「すごいです! 装着成功! 適合率九十八パーセント!」
神通が明石を見た。
「解除してください」
「解除します! しますけど、その前に安定性を」
「解除してください」
「はい!」
明石が端末を押す。
何も起きない。
もう一度押す。
何も起きない。
明石は汗をかいた。
「ええと」
結有が言う。
「明石さん?」
「解除信号が、砲側の妖精さんたちに届いていません」
「つまり?」
「やる気です」
砲塔の上で、妖精さんたちが敬礼していた。
アイの背中の三連装八十センチ砲が、ゆっくりと上を向いた。
神通が叫ぶ。
「全員、退避!」
その瞬間、砲が火を噴いた。
轟音。
工廠の天井が開く。
いや、正確には、開閉式試験用天井が緊急展開した。
明石が事前に用意していたらしい。
そこだけは褒めるべきかもしれない。
だが、問題はそこではなかった。
反動で、アイが飛んだ。
本当に飛んだ。
白い少女が、巨大な砲塔を背負ったまま、工廠の床からふわりと浮いた。
そして次の瞬間、空へ向かって一直線に打ち上がった。
「アイいいいい!?」
結有が叫んだ。
暁も叫ぶ。
「飛んだああああ!」
明石は端末を見ながら叫んだ。
「反動制御、七十二パーセント成功!」
神通が鋭く言う。
「残り二十八パーセントは何ですか」
「飛行成分です!」
「説明になっていません!」
空から、アイの声が聞こえた。
「脳筋」
結有は工廠から飛び出した。
空を見上げる。
アイがいた。
浜松鎮守府の上空、かなり高いところに。
白髪を風にあおられ、巨大な三連装砲を背負い、無表情のまま浮いている。
というより、落ち始めている。
「明石さん! 降ろし方!」
「ええと、理論上は姿勢制御用の補助噴射で」
「理論じゃなくて!」
「アイさん! 右のグリップを握ってください!」
空の上で、アイが砲塔の側面を見た。
「どれ」
「赤いやつです!」
「赤いのが三つある」
「一番安全そうな赤です!」
暁が叫ぶ。
「そんな説明ある!?」
アイは適当に赤いグリップを握った。
補助噴射が作動した。
アイは横に飛んだ。
浜松鎮守府の上空を、白い流星のように滑っていく。
結有が走る。
「アイ!」
神通も走る。
「各務原提督、無茶をしないでください!」
「無茶しないと落ちます!」
「落ちるのはアイさんです!」
「だからです!」
結有は岸壁へ向かった。
アイは空中でぐるぐる回っている。
巨大砲の反動制御が断続的に働き、そのたびに不規則な軌道を描く。
夕立が訓練場から駆けてきた。
「何が起きてるっぽい!?」
最上も空を見上げる。
「アイが飛んでるね」
「見ればわかるっぽい!」
山城は扶桑の後ろから顔を出した。
「不幸だわ……空から砲塔少女が降ってくるなんて」
扶桑は困ったように言った。
「受け止める準備をしましょう」
「姉様が言うなら」
神通は通信を飛ばした。
「明石さん、緊急分離は」
『あります!』
「使ってください」
『使うと砲塔が落ちます!』
「海上へ誘導」
『誘導が不安定です!』
結有は空を見た。
アイと目が合った気がした。
「アイ! 海に落ちて!」
空から返事が来る。
「命令?」
「お願い!」
「わかった」
アイは砲塔のグリップを握り直した。
今度は、少しだけ軌道が変わった。
海の方へ向かう。
だが、高度が足りない。
このままだと岸壁に落ちる。
結有は走った。
足元に霊子が集まる。
神通が叫ぶ。
「各務原提督!」
「七割!」
「今は数値の問題ではありません!」
結有は岸壁を蹴った。
跳ぶ。
空中でアイへ手を伸ばす。
届かない。
その時、アイが自分から手を伸ばした。
結有の手が、アイの手を掴む。
「捕まえた!」
「重い」
「知ってる!」
次の瞬間、二人まとめて海へ落ちた。
水柱が上がる。
巨大な三連装八十センチ砲は、海面に触れる寸前で緊急分離し、明石の遠隔操作で浮遊補助を起動した。
ぎりぎり沈まなかった。
だが、海上に浮かぶ巨大砲塔は、どう見ても危険物だった。
しばらくして、結有が海面に顔を出した。
「ぶはっ!」
続いてアイも浮かぶ。
白髪が顔に張りつき、無表情のまま結有を見る。
「脳筋」
「はい」
「空、嫌い」
「うん」
「明石、敵?」
「味方のはず」
「はず」
「今日はちょっと怪しい」
岸壁では、暁が泣きそうな顔で叫んでいた。
「二人とも大丈夫!?」
神通は静かに立っている。
静かすぎた。
明石が工廠から走ってきた。
「アイさん! データは取れましたか!?」
神通が明石の肩に手を置いた。
「明石さん」
「はい」
「まず、謝罪です」
「はい」
明石は直立した。
「申し訳ありませんでした!」
アイは海に浮かんだまま、短く言った。
「許さない」
「えっ」
「でも、魚雷プリンで考える」
「作ります!」
結有がアイを見る。
「魚雷プリンって何?」
「知らない。言ってみた」
「明石さん、作れるの?」
明石は親指を立てた。
「作ります!」
暁が頭を抱えた。
「反省の方向がおかしいわ!」
*
その日の午後。
浜松鎮守府の工廠には、厳重な封印が施された。
試製三連装八十センチメートル砲は、神通の監督下で凍結。
再試験は無期限延期。
明石には安全審査書類の再提出が命じられた。
結有とアイは医務室で毛布にくるまっていた。
アイは魚雷プリンを食べている。
明石が本当に作った。
細長いプリンにチョコで弾頭のような飾りをつけたものだった。
暁は「食べ物で遊ぶのはどうなの」と言いながら、一口もらっていた。
神通は結有の前に紙を置いた。
「各務原提督」
「はい」
「反省文です」
「僕も?」
「跳びました」
「アイを助けるために」
「跳びました」
「はい」
結有は紙を見る。
題名はすでに書かれていた。
『空中で超重砲装備者を受け止めようとする際の危険性について』
結有は遠い目をした。
「これ、人生で書く人少なそう」
「あなたは書きます」
「はい」
アイがプリンを食べながら言った。
「私も書く?」
神通は少し考えた。
「今回は、アイさんは被害者です」
「なら書かない」
「ただし、装備の危険性を理解するため、報告書は一緒に読みます」
「嫌」
「読みます」
「鬼」
神通は微笑んだ。
「読みます」
アイは結有の袖を掴んだ。
「脳筋」
「助けてほしいけど、僕も反省文中」
「役に立たない」
「ひどい」
医務室の外では、明石が神通に提出する安全審査書類の山を抱えて走っていた。
暁はその背中を見てつぶやいた。
「でも、三連装八十センチメートル砲って、ちょっとかっこいい名前よね」
最上が笑った。
「暁、そこに気づいちゃだめだよ」
夕立が元気よく言う。
「ぽいぽい砲も作れるっぽい?」
山城が即座に言った。
「やめなさい。不幸が増えるわ」
扶桑は困ったように微笑んだ。
「でも、少しだけ見てみたいですね」
神通が廊下の向こうから振り返った。
全員、黙った。
その日の浜松鎮守府非公式日誌には、こう記された。
『明石、試製三連装八十センチメートル砲を開発』
『アイ、装着』
『アイ、飛翔』
『各務原提督、跳躍して回収』
『神通、工廠安全管理を強化』
『魚雷プリン、意外と好評』
最後に、誰かが小さく追記した。
『アイ、空を飛ぶ。なお本人は二度と嫌とのこと』
その夜、結有は反省文を書きながらアイに聞いた。
「空、どんな感じだった?」
アイは少し考えた。
「高い」
「うん」
「寒い」
「うん」
「結有が小さかった」
「そう見えるだろうね」
「でも、声は聞こえた」
結有はペンを止めた。
アイは魚雷プリンの最後の一口を食べて、言った。
「だから、落ちる場所を選べた」
「そっか」
「次は飛ばない」
「うん」
「でも、落ちたらまた呼ぶ」
「呼んで」
「来る?」
「行く」
アイは小さくうなずいた。
「なら、いい」
結有は少し笑って、反省文の続きを書いた。
窓の外には、夜の海があった。
その海の向こうに、いつか本当に三連装八十センチメートル砲が必要になる敵がいるのかもしれない。
でも今は。
アイが空から落ちてこない日常の方が、ずっと大事だった。