高梨湊二等空佐は、取材が得意ではない。
正確に言えば、にこにこ笑って受け答えすることは得意だった。
相手の緊張をほぐし、柔らかい雰囲気を作り、必要な範囲で必要なことだけ話す。
艦娘本部広報部は、そこを買っていた。
富士田子の浦鎮守府の女性提督。
穏やかで可愛らしい雰囲気。
大和、川内、那珂を率いる実力者。
浜松大侵攻でも増援部隊を的確に指揮した天才。
週刊誌が食いつかないわけがなかった。
そして広報部は、少し見誤っていた。
高梨湊は、確かに穏やかで可愛らしい。
だが、戦争について聞かれた時の彼女は、まったくふわふわしていない。
*
取材は、富士田子の浦鎮守府の応接室で行われた。
窓の外には港。
遠くに富士山。
テーブルにはお茶と、地元の菓子。
記者は四十代の男性だった。
戦争記事を何度も書いてきたらしく、声には自信がある。
高梨は穏やかに微笑んだ。
「本日はよろしくお願いしますねえ」
「こちらこそ。高梨二佐は、浜松大侵攻での見事な増援指揮により、一躍注目されています。読者もぜひ、その戦略思想を知りたいと」
「そんな大げさなものではありませんよお」
記者は身を乗り出した。
「いえいえ。戦場では、劣勢を覆す鮮やかな一手こそが勝敗を決める。高梨二佐が考える“必勝の戦略”とは何でしょうか」
高梨は湯呑みを置いた。
「敵の三倍」
「はい?」
「いえ、できれば四倍の戦力を揃えて、袋叩きにすることです」
記者のペンが止まった。
同席していた広報担当者も止まった。
高梨はにこにこしている。
「敵より多い戦力を、敵よりよい位置に置き、敵より先に補給を整え、敵より早く情報を掴み、敵より疲れていない状態で攻撃します。そうすれば、だいたい勝てます」
記者は戸惑いながら笑った。
「ええと、それは、非常に堅実ですね」
「はい。戦争は堅実な方がよいです」
「しかし、読者が期待しているのは、少数精鋭による逆転劇や、天才的な機略といった」
「それを最初から当てにするのは、馬鹿のやることです」
応接室が静かになった。
広報担当者の顔色が変わる。
「た、高梨二佐」
高梨は微笑んだままだった。
「戦略で負けているのに、戦術で覆そうとする。それ自体がすでに危ないんです。もちろん、現場ではそうせざるを得ない時があります。少数で持ちこたえる。劣勢で時間を稼ぐ。撤退路を守る。そのための戦術は必要です」
高梨の声は柔らかい。
だが、言葉は刃物のように明確だった。
「でも、それは失敗の穴埋めです。最初からそれを美談として計画に組み込んではいけません」
記者は咳払いをした。
「つまり、奇策は好まないと」
「奇策は好きですよお」
「好きなんですか」
「はい。条件が整っていれば。相手の情報、味方の余力、失敗時の退路、補給、天候、地形、全部見たうえで、ここなら刺さるという時に使う奇策は大好きです」
「では」
「ですが、準備不足を奇策と呼ぶのは嫌いです」
高梨はお茶を一口飲んだ。
「作戦が雑なのに、現場の勇気で何とかなると思っている人がいます。艦娘が強いから大丈夫、提督が優秀だから大丈夫、根性があるから大丈夫。そういう考えは、だいたい誰かを死なせます」
記者の表情から、軽さが消えた。
広報担当者はもう諦めた顔をしている。
「浜松大侵攻では、富士田子の浦から大和さんたちが増援に駆けつけました。あれも奇跡的なタイミングだったのでは?」
「違います」
高梨は即答した。
「あれは事前に想定していた連携線です。浜松鎮守府にアイさんという特殊な存在が保護された時点で、深海側が大規模な回収行動を起こす可能性はありました。ですから、富士田子の浦では数日前から即応態勢を上げていました」
「事前に?」
「はい」
「では、大侵攻を予測していたと?」
「可能性としては」
「なぜ公表されていなかったのですか」
「公表したら敵も聞きますから」
記者は黙った。
高梨はさらに続ける。
「浜松の神通さんは、前線指揮が非常に優秀です。結有ちゃんは危ういですが、現場感覚と霊子反応の読みが鋭い。アイさんは深海側の動きを感知できる。つまり、浜松は受けの感度が高い鎮守府です」
「受けの感度」
「はい。ただし、重火力と広域戦力には限界がある。そこを富士田子の浦の大和さんたちで補う。これで初めて、防衛線が成立します」
高梨は穏やかに言った。
「勝ったのは、誰か一人が天才だったからではありません。必要な場所に、必要な人を、必要な時に置いたからです」
記者は少し考え込んだ。
「しかし、それでは記事として地味ですね」
高梨は微笑んだ。
「地味な勝ち方でいいんです。派手な負け方より、ずっと」
広報担当者が小さくうなずいてしまい、慌てて表情を戻した。
*
取材の後半、記者は少し意地になった。
「とはいえ、高梨二佐ほどの方なら、少数戦力でも大敵を倒す作戦を立てられるのでは?」
「立てられますよお」
「では、それこそが天才の」
「ただし、その場合はまず撤退条件を書きます」
「撤退条件」
「はい。何分持たせるのか。何を守れば勝ちなのか。何を失ったら即撤退なのか。誰を必ず帰すのか。どの時点で増援を入れるのか。少数で大敵を倒す話をする前に、少数が全滅しない話をします」
「勝つ前に、逃げる話ですか」
「逃げ道のない勝負は、作戦ではなく賭けです」
高梨の笑顔は崩れない。
「賭けは嫌いではありません。でも、部下の命でやるものではありません」
記者はペンを止めた。
「高梨二佐は、かなり厳しいことをおっしゃいますね」
「戦争ですから」
「見た目の印象とは違う」
「よく言われます」
「怒ると怖いとも」
高梨はにこりと笑った。
「誰が言っていました?」
記者が一瞬で固まった。
広報担当者も固まった。
応接室の温度が二度下がった。
高梨はそのまま微笑む。
「怒っていませんよお」
「は、はい」
「ただ、無責任な美談は嫌いです。現場の子たちは、物語の登場人物ではありません。神通さんも、大和さんも、川内さんも、那珂ちゃんも、浜松の子たちも。皆、生きて帰るために戦っています」
高梨の声が、少しだけ低くなった。
「勝つことは大事です。でも、勝った後に帰ってこられない作戦なら、それは最初から壊れています」
記者はもう茶化さなかった。
「では、最後に。高梨二佐にとって、提督とは何でしょう」
高梨は少し考えた。
「帰り道を作る人です」
「帰り道」
「はい。前に出る子がいる。撃つ子がいる。守る子がいる。怒る子も、泣く子も、無茶をする子もいる。提督は、その全員に帰り道を用意しなければなりません」
「それが、必勝の戦略ですか」
「必勝とは言いません。戦場に絶対はありませんから」
高梨は穏やかに言った。
「でも、勝つ確率と帰る確率を上げることはできます。そのために、敵の三倍、できれば四倍の戦力を揃えるんです」
記者は苦笑した。
「最初の答えに戻るわけですね」
「はい」
「袋叩き」
「はい。袋叩きです」
広報担当者は、もう何も言わなかった。
*
記事が出たのは、一週間後だった。
見出しはこうだった。
『富士田子の浦の天才女性提督が語る必勝の戦略』
『敵の四倍を揃えて袋叩きにせよ』
『無責任な美談は誰かを死なせる』
浜松鎮守府の食堂で、その週刊誌はすぐに回し読みされた。
結有は記事を読みながら、しらす丼を食べていた。
アイは隣で覗き込む。
暁は正面で腕を組んでいる。
「高梨さん、やっぱり怖いね」
結有が言った。
アイがうなずく。
「袋叩き」
「そこ拾う?」
「敵の四倍」
「それも」
暁は感心したように言った。
「でも、言っていることは正しいわ。最初から少数で奇跡を起こすつもりなんて、一人前のレディの作戦じゃないもの」
「暁、成長してる」
「当然よ」
神通が食堂に入ってきた。
結有が週刊誌を掲げる。
「神通さん、高梨さんの記事、読みました?」
「読みました」
「どうでした?」
「高梨提督らしいです」
「神通さんも同じ考えですか」
神通は少し考えた。
「私は、必要なら少数で時間を稼ぐ側でした。だからこそ、高梨提督の考えは正しいと思います」
結有は黙った。
横須賀の鬼兄妹。
返り血の神通。
時雨の最後。
少数で、無理をして、時間を稼ぐ者たち。
それは確かに必要だったのかもしれない。
でも、それを最初から前提にしてはいけない。
結有は週刊誌の文章をもう一度読んだ。
『準備不足を奇策と呼ぶのは嫌いです』
「耳が痛い」
「各務原提督」
神通が静かに言った。
「痛いなら、よく聞いてください」
「はい」
アイが結有を見る。
「脳筋、奇策好き」
「好きかも」
「高梨に怒られる」
「神通さんにも怒られる」
「私も止める」
「物理で?」
「必要なら」
暁が深くうなずいた。
「私も止めるわ。大声で」
「助かる」
「本当に助かってる?」
「かなり」
食堂の端で最上が笑っていた。
「高梨さんの記事、富士田子の浦でも大騒ぎらしいよ」
夕立が言う。
「袋叩きっぽい!」
「夕立、その言い方はちょっと」
扶桑は穏やかに雑誌を読み、山城は小さくつぶやいた。
「でも、敵の四倍で袋叩きにできるなら、不幸も少ないわね」
「山城、それはその通りだね」
その日の浜松鎮守府非公式日誌には、こう記された。
『高梨湊二佐、週刊誌取材に応じる』
『必勝の戦略は敵の三倍、できれば四倍を揃えて袋叩き』
『準備不足を奇策と呼ぶな』
『無責任な美談は誰かを死なせる』
『結有、耳が痛い』
『アイ、袋叩きという単語を学習』
『神通、高梨提督らしいと評価』
最後に、誰かが追記した。
『次回演習から、結有の作戦案に補給と退路の欄を追加すること』