浜松鎮守府の工廠から、三日連続で妙な音がしていた。
一日目は、金属を叩く音。
二日目は、妖精さんたちの歓声。
三日目は、明石の「いけます!」という声と、神通の「本当に?」という静かな声だった。
結有はその時点で、かなり嫌な予感を覚えていた。
「アイ」
「何」
「工廠、行きたくない?」
「行きたくない」
「だよね」
「前に飛んだ」
「飛んだね」
「空は嫌い」
「今回は飛ばないって明石さん言ってたよ」
「明石の『飛ばない』は信用できない」
アイは無表情で言った。
まったく正しい。
試製三連装八十センチメートル砲事件以降、アイは明石を見ると結有の後ろへ回るようになった。
明石はそのたびに「今度こそ安全です!」と言う。
そして神通が「今度こそ、という言葉がすでに不安です」と言う。
それが最近の工廠まわりの日常だった。
だが、今回だけは少し事情が違う。
アイの専用艤装。
それが、ついに完成したというのだ。
*
アイは、どの艤装にも適合する。
駆逐艦用。
軽巡用。
重巡用。
戦艦用。
深海棲艦由来の異形艤装。
明石がうっかり作った超兵器。
それらを、アイはすべて扱えた。
だが、それは「合っている」という意味ではなかった。
どの艤装も使える。
けれど、どの艤装もアイのために作られたものではない。
出力が高すぎる。
霊子の流れが不安定。
深海反応と艦娘反応が干渉する。
妖精さんたちが「乗れるけど酔う」と言う。
つまり、アイは万能に見えて、常に無理をしていた。
神通はそれを問題視した。
高梨湊は「帰り道を作るためにも、アイさんの安全な艤装が必要ですねえ」と言った。
明石は目を輝かせた。
そして、工廠に三日間こもった。
それが今である。
*
工廠の扉の前で、結有、アイ、暁、神通が立っていた。
暁は腕を組み、アイに言う。
「いい? アイ。嫌だったら嫌って言うのよ。無理に装備する必要はないんだから」
「嫌」
「早いわね!」
「まだ見てない」
「見てから言いなさい!」
結有は工廠の扉を見た。
「明石さん、入っていいですか?」
中から明石の声が返る。
「どうぞ!」
扉が開いた。
工廠の中央に、艤装があった。
結有は思わず息を止めた。
それは、今まで見たどの艤装とも違っていた。
全体の形は、駆逐艦用に近い。
小柄なアイが背負っても、過剰に見えない大きさ。
白と黒を基調に、深海棲艦めいた有機的な曲線と、艦娘艤装らしい機械的な構造が混ざっている。
背部には小型推進器。
左右には可動式の砲塔。
腰部には魚雷発射管。
脚部には海面走行用の霊子安定フィン。
そして、胸部から肩にかけて、アイの霊子を受け流すための制御フレームがあった。
不気味で、美しかった。
アイは黙って見ていた。
黒い目が、いつもより少しだけ大きく開いている。
「これ」
アイが言う。
「私の?」
明石は満面の笑みでうなずいた。
「はい。アイさん専用艤装、試製一号です」
神通が静かに確認する。
「安全性は」
「今回は本当に重視しました」
「今回は」
「いえ、前回も重視はしていましたが、今回はさらにです」
暁がじっと艤装を見ていた。
「思ったより、まともね」
「ひどいです!」
「前に空を飛ばしたでしょう」
「それは事実です!」
結有は艤装の周りを歩いた。
「軽そうですね」
「アイさんの身体負荷を最優先にしました。深海由来の霊子を逃がす経路と、艦娘由来の霊子を安定させる経路を分けています。混ざるところは混ざる、逃がすところは逃がす。無理に一つにしない設計です」
神通の目が少し細くなる。
「理にかなっています」
明石が胸を張った。
「でしょう!」
結有は少し安心した。
今回は本当に真面目だ。
そう思った、その時だった。
艤装の左右下部から、妙にごつい銃身群が見えた。
結有は足を止めた。
「明石さん」
「はい」
「これは?」
明石は目を輝かせた。
「対艦対空ダブル三十ミリガトリングガンです」
沈黙。
暁がゆっくり聞き返した。
「対艦、対空」
「はい」
「ダブル」
「はい」
「三十ミリ」
「はい」
「ガトリングガン」
「はい!」
結有は額に手を当てた。
「なんで?」
明石は即答した。
「かっこいいからです」
神通の声が静かになった。
「明石さん」
「あっ、いえ、もちろん実用性もあります。近接防御、航空目標迎撃、小型深海棲艦の制圧、対水上目標への継続火力。アイさんは出力変動が大きいため、単発大火力よりも制御しやすい連射火器の方が安定する場面があります」
「弾種は」
「HEIAPです」
結有は聞いたことのない単語に首を傾げた。
「へいあっぷ?」
「High-Explosive Incendiary Armor-Piercing。榴弾、焼夷、徹甲の複合弾です」
暁が青ざめた。
「そんなのを三十ミリでばら撒くの?」
「ばら撒くというか、必要に応じて制御射撃します」
「ガトリングガンで?」
「はい!」
結有は思わず言った。
「明石さん、なんで対艦対空ダブル三十ミリガトリングガンを搭載したんですか?」
明石は満面の笑みで言った。
「アイさんが小さいので、火力は盛らないと」
「理由が危ない」
アイはガトリングガンを見ていた。
「これ、撃つ?」
「撃てます!」
「反動で飛ぶ?」
「飛びません!」
神通がすぐに言った。
「本当に?」
「反動制御は三重にしています。推進器と姿勢制御フィン、さらに霊子吸収フレームで逃がします。今回は空に飛びません」
「今回は空に飛びません、という言い方がもう不安です」
アイはしばらく考えた。
「撃ってみたい」
結有が驚いた。
「アイ?」
「私のなら、知りたい」
その声は、いつもより少しだけ真剣だった。
明石の表情も、少し変わった。
「はい。ちゃんと、アイさんのために作りました」
アイは艤装へ近づいた。
結有は止めなかった。
神通も止めなかった。
暁は心配そうに見ていたが、何も言わなかった。
艤装の妖精さんたちが、アイを見上げて敬礼する。
アイも、ぎこちなく敬礼を返した。
「よろしく」
小さな声だった。
艤装が白黒の光を帯びた。
装着。
今回は、前のように強引ではなかった。
背部フレームがアイの身体に沿う。
腰部の魚雷管が位置を合わせる。
脚部フィンが展開する。
左右のガトリングガンが折り畳まれ、待機位置に収まる。
アイは一歩踏み出した。
床は沈まない。
浮かない。
飛ばない。
暁が小さく拍手した。
「飛んでない!」
「褒めるところが低い」
結有が言う。
明石は感動したようにうなずいた。
「安定しています。適合率、九十九・二パーセント」
神通の表情も少し緩む。
「よい数値です」
アイは自分の手を見て、背中の艤装を少し動かした。
「軽い」
明石の顔が明るくなる。
「本当ですか?」
「うん」
「痛みは?」
「ない」
「深海の声は強くなっていますか?」
「少し。でも、遠い」
「霊子の流れは?」
アイは結有を見た。
「変な感じ」
「悪い?」
「違う。今まで、他人の服を着てた」
「うん」
「これは、私の服」
工廠が静かになった。
明石は一瞬、泣きそうな顔をした。
結有も、胸の奥が少し熱くなった。
「そっか」
アイは小さくうなずいた。
「うん」
*
試験は、浜松鎮守府の訓練海域で行われた。
関係者全員、かなり警戒していた。
結有は高速艇。
神通は海上で監督。
暁は救助班。
明石は遠隔モニター。
最上と夕立は万一の迎撃。
扶桑と山城は後方待機。
高梨湊からも通信が入っていた。
『アイさんの専用艤装、楽しみですねえ』
柔らかい声が管制室に響く。
結有は通信越しに言った。
「高梨さん、明石さんがダブル三十ミリガトリングガンを載せました」
『まあ』
「まあ、で済むんですか」
『弾種は?』
「HEIAPだそうです」
『明石さんらしいですねえ』
神通が静かに言った。
「高梨提督。止める側に回ってください」
『うふふ。近接防御火力は大事ですよ』
「高梨さんもそっち側だった」
結有は少し絶望した。
訓練海域の中央に、アイが立った。
新しい艤装は、海上でさらに映えた。
白い髪。
黒い瞳。
白黒の艤装。
艦娘とも深海棲艦とも違う、境界に立つ少女。
だが、以前より危うさが少ない。
海が、アイを受け止めている。
アイはゆっくりと海面を滑った。
一歩。
二歩。
加速。
脚部フィンが霊子を整え、推進器が静かに光る。
速い。
だが、不安定ではない。
暁が目を輝かせた。
「すごい。ちゃんと走れてるわ」
明石が端末を握りしめる。
「姿勢制御、安定。霊子逆流なし。深海反応、許容範囲内」
神通が指示を出す。
「アイさん、第一標的へ。主砲、単射」
「了解」
アイが右の小型砲を向けた。
砲撃。
標的が吹き飛ぶ。
反動でアイの身体が少し揺れたが、すぐに戻る。
「問題なし」
アイが言った。
結有は高速艇から声を上げる。
「いい感じ!」
アイは少しだけこちらを見た。
「うん」
次は魚雷。
腰部発射管から放たれた魚雷が、訓練用標的へ向かう。
命中。
水柱。
神通がうなずく。
「良好です」
明石が嬉しそうに言う。
「では、次に近接防御火器を」
暁が不安そうに言った。
「ついに来たわね」
結有も身構えた。
アイの左右で、ガトリングガンが展開する。
対艦対空ダブル三十ミリガトリングガン。
名前が長い。
見た目が強い。
音がする前から、すでにうるさい気配がある。
明石が通信で説明する。
『アイさん、短連射です。二秒だけ。標的は右前方の小型ドローン群』
「二秒」
『はい。トリガーを長く押さないでください』
「長く押すと?」
『弾薬がすごく減ります』
「それだけ?」
『あと周囲が騒がしくなります』
暁が叫ぶ。
「騒がしくなるって何!?」
アイは構えた。
「撃つ」
轟音。
空気が裂けた。
ガトリングガン二基が同時に火を噴き、訓練用ドローン群へ向けて三十ミリHEIAP弾を叩き込む。
二秒。
たった二秒だった。
だが、空中の標的は粉々になった。
海面にも着弾し、小さな水柱が連続で上がる。
音が遅れて身体を叩いた。
結有は思わず叫んだ。
「うるさっ!」
暁も耳を押さえる。
「これ本当に近接防御!?」
夕立は目を輝かせた。
「すごいっぽい!」
最上は苦笑した。
「これは敵もびっくりだね」
アイは撃ち終えた姿勢のまま、しばらく黙っていた。
神通が確認する。
「アイさん、状態は」
「平気」
「反動は」
「少し」
「不快感は」
「ない」
「飛びそうですか」
「飛ばない」
明石が両手を上げた。
「成功です!」
その瞬間、訓練海域外縁で警報が鳴った。
『深海反応! 小型複数、接近!』
結有の表情が切り替わる。
「実戦?」
神通が即座に指示する。
「各員、迎撃態勢。試験中止。アイさんは下がってください」
アイは沖を見た。
白い艤装が、静かにうなった。
「来る」
「アイさん」
「試す」
神通の声が鋭くなる。
「これは試験ではありません。実戦です」
「だから」
アイは結有を見る。
「私の艤装で、私が戦う」
結有は一瞬だけ黙った。
それから、うなずいた。
「神通さん」
「各務原提督」
「僕が見ます。アイは行けます」
神通は結有を見た。
短い沈黙。
「単独突出は禁止。私と結有提督の指揮下で動くこと」
「了解」
アイは答えた。
深海棲艦が現れた。
駆逐級が六。
軽巡級が一。
小規模だが、訓練海域への侵入としては十分危険だった。
先頭の駆逐級が砲撃する。
アイは滑るように避けた。
以前より動きが軽い。
余計な霊子の漏れがない。
艤装が、アイの動きに遅れない。
アイは右へ回り込み、主砲で一体を沈める。
続けて魚雷。
二体目が崩れる。
軽巡級が砲を向けた。
アイのガトリングガンが展開する。
結有が通信で叫ぶ。
「アイ、撃ちすぎない!」
「短く」
アイは答えた。
一秒。
火線が走る。
軽巡級の砲塔が削り取られた。
装甲が爆ぜ、焼け、貫かれる。
HEIAP弾が小さな嵐のように敵の上半分を裂いた。
神通が追撃し、軽巡級を沈める。
「見事です」
神通が言った。
アイは短く返す。
「うん」
残った駆逐級が散開する。
そのうち一体が、結有の高速艇へ向かった。
結有はハンドルを切る。
「来た」
足がうずく。
飛び蹴りの距離。
行ける。
だが、今日は違う。
「アイ、右から抑えて。神通さん、僕が引きます」
『了解』
「了解」
結有は高速艇で敵を誘導した。
深海棲艦が追う。
砲口が向く。
その横を、アイが白黒の影のように抜けた。
ガトリングではなく、主砲。
近距離から一発。
敵の頭部が砕ける。
結有は思わず笑った。
「いいね!」
アイが通信で言う。
『飛ばないの?』
「今日は飛ばない」
『えらい』
「何点?」
『九点』
「高い」
『でも、顔が飛びたそう』
「減点?」
『一店』
「結果八点じゃん」
暁の通信が割り込む。
『戦闘中に採点しないの!』
最後の一体は、夕立と最上が片づけた。
戦闘は短時間で終わった。
訓練海域に、静けさが戻る。
*
帰投後、工廠は珍しく拍手に包まれた。
アイの専用艤装は、初試験と実戦を無事に終えた。
飛ばなかった。
爆発しなかった。
反動で海底に沈むこともなかった。
ガトリングガンはうるさかったが、強かった。
明石は感無量という顔をしていた。
「アイさん、どうでした?」
アイは艤装を外しながら答えた。
「私のだった」
明石は少しだけ固まった。
「それは」
「よかった」
短い言葉だった。
だが、明石には十分すぎたらしい。
「よかったです……!」
明石は目元を押さえた。
暁も少し嬉しそうだった。
「ちゃんと安全で、ちゃんと強い艤装だったわね」
「ガトリングは?」
「うるさいけど、まあ……強かったわ」
神通は明石に向き直る。
「明石さん」
「はい」
「今回の艤装は、よいものです」
明石の背筋が伸びた。
「ありがとうございます!」
「ただし、三十ミリガトリングガンの使用基準は別途作成します」
「はい!」
「弾薬消費が激しいため、補給計画も」
「はい!」
「あと、かっこいいから搭載した、という説明は正式報告書に書かないように」
「はい!」
結有はアイの隣に立った。
「おめでとう、アイ」
「何が」
「自分の艤装」
アイは少しだけ黙った。
それから、艤装を見た。
「私は、艦娘?」
結有は答えに詰まった。
深海棲艦でもある。
艦娘でもある。
どちらでもないかもしれない。
でも、今のアイには専用艤装がある。
妖精さんが敬礼していた。
海に立ち、自分の力で戦った。
結有は言った。
「アイはアイだよ」
「逃げた」
「逃げてない。たぶん一番正確」
アイは結有を見る。
「脳筋なのに?」
「脳筋でも、たまにいいこと言う」
「たまに」
「そこは認める」
アイは少しだけ口元を動かした。
「なら、いい」
その日の浜松鎮守府公式記録には、こう記された。
『未確認個体アイ専用艤装、試製一号の装着および海上機動試験を実施。安定性、機動性、火力運用に良好な結果を確認。試験中に小規模深海棲艦群と接触、同艤装を用いた実戦運用に成功』
非公式記録には、こう残った。
『アイ、専用艤装で海に降り立つ』
『明石、今度は飛ばさなかった』
『対艦対空ダブル三十ミリガトリングガン、うるさい』
『HEIAP、強い』
『結有、飛ばなかったので八点』
『暁、耳が痛い』
『神通、使用基準作成を命じる』
最後に、誰かが追記した。
『明石、なんで対艦対空ダブル三十ミリガトリングガンを搭載したの?』
その問いに対し、明石は小さく書き足した。
『ロマンです』
神通はそれを見つけ、静かに赤ペンで線を引いた。
『正式理由にはしないこと』
アイはそのやり取りを見て、結有に言った。
「ロマン」
「覚えた?」
「うん」
「何だと思う?」
「明石が危ないことをする理由」
「だいたい合ってる」
窓の外には、夕方の海があった。
その海に、アイは今日、自分の艤装で立った。
深海に呼ばれる存在としてではなく。
誰かの艤装を借りた流れ者としてでもなく。
浜松鎮守府のアイとして。
結有はそれが、少し誇らしかった。