艦隊これくしょん 残響のアイ   作:SAMICO

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第13話 霊子の根源

 明石は、その日、珍しく笑っていなかった。

 

 浜松鎮守府の工廠ではなく、研究棟の一室。

 

 机の上には、複数の測定記録。

 アイの専用艤装のログ。

 結有の霊子反応データ。

 神通の艤装出力推移。

 時雨のハワイ攻防戦時の断片的な記録。

 そして、深海提督未来が市ヶ谷急襲時に残した黒い霊子波形。

 

 明石は眼鏡を押し上げ、静かに言った。

 

「霊子の根源について、かなり重要な仮説が立ちました」

 

 部屋には、結有、アイ、神通、暁、高梨湊がいた。

 

 高梨は富士田子の浦から通信で参加している。

 画面の向こうの顔は、いつものように穏やかだが、目は真剣だった。

 

 結有は椅子に座り直した。

 

「霊子の根源?」

 

「はい」

 

 明石は端末を操作した。

 

 画面に、複数の波形が並ぶ。

 

「これまで霊子は、艦娘や深海棲艦に特有のエネルギー、あるいは情報粒子のように扱われてきました。妖精さんとの同調、艤装の制御、深海棲艦への干渉。それらを説明するための概念です」

 

 暁がうなずく。

 

「難しいけど、なんとなくわかるわ」

 

「ですが、ずっと説明しきれないことがありました」

 

 明石は結有を見る。

 

「各務原提督の徒手空拳です」

 

「僕?」

 

「はい。あなたは艦娘ではありません。艤装も装備していない状態で、深海棲艦へ直接打撃を通せる」

 

 結有は少しだけ気まずそうに言った。

 

「軽巡イ級とか」

 

「刺身にしたやつですね」

 

「そこまで言わなくても」

 

 神通が静かに言う。

 

「事実です」

 

「はい」

 

 明石は続ける。

 

「それから、各務原裕二本部長の戦争初期の近接戦闘。霊子処理ナイフを使っていたとはいえ、深海棲艦の装甲継ぎ目へ有効打を与えていました」

 

 画面に、古い横須賀の戦闘記録が出る。

 

 若い裕二。

 返り血を浴びた神通。

 水際の戦闘。

 

 神通は少しだけ目を伏せた。

 

「さらに、艦娘の艤装暴走。時雨さんの最後。アイさんの深海干渉拒絶。これらはすべて、単なる出力値では説明しきれません」

 

 アイが首を傾げる。

 

「じゃあ、何」

 

 明石は一度、息を吸った。

 

「霊子の根源は、意志力です」

 

 部屋が静かになった。

 

 結有はその言葉を繰り返す。

 

「意志力」

 

「はい。何かを成そうとする意志。守る、帰る、沈める、戻る、拒む、進む。そういう意志が、何らかの形で圧縮され、発露したもの。それが霊子の根本ではないかと」

 

 暁が眉をひそめる。

 

「気合いとか根性ってこと?」

 

「近いですが、同じではありません」

 

 明石は首を横に振る。

 

「精神論ではなく、実際に観測される干渉力です。強い意志が肉体、艤装、妖精さん、あるいは深海核を通じて世界へ作用する。その作用が霊子として見えている」

 

 高梨が通信越しに言った。

 

『なるほど。だから、艦船の砲撃は逸れる』

 

 明石はうなずいた。

 

「はい」

 

 結有が顔を上げる。

 

「どういうことですか」

 

 高梨が説明を引き継ぐ。

 

『人間の艦船から放たれる砲弾やミサイルは、機械的には強力です。でも、攻撃主体が機械システムになりやすい。もちろん乗員の意志はありますが、深海棲艦へ干渉するほど直接的に乗りません』

 

 明石が続ける。

 

「一方、艦娘の砲撃は違います。艦娘本人の意志、艤装に宿る艦の記憶、妖精さんの制御。それらが一体化して弾に乗ります」

 

「だから当たる」

 

 結有が言った。

 

「はい」

 

 明石は結有を見た。

 

「そして、人間本人が直接殴る、蹴る、刺す場合」

 

 結有の目が少しだけ開いた。

 

「身体を通して、意志が直接乗る」

 

「その通りです」

 

 結有は、ゆっくり息を吐いた。

 

「だから深海棲艦には、人間の直接攻撃が効くのか」

 

 その言葉に、部屋の空気が変わった。

 

 長い間、経験則として知られていた異常。

 

 結有の拳。

 裕二のナイフ。

 霊子適性者の直接干渉。

 

 それが、初めて一本につながった。

 

      *

 

 明石はさらに資料を表示する。

 

「各務原提督が砲弾を蹴った時、足に集まった霊子は通常の出力上昇とは違いました。危険を止める、当てさせない、守る。その意志が一点に集中していました」

 

「僕、そんなこと考えてたかな」

 

 結有が言う。

 

 アイが即答した。

 

「考えてない」

 

「ひどい」

 

「でも、思ってた」

 

 結有は黙った。

 

 たしかに、あの時は考えるより先に身体が動いた。

 

 当たったら危ない。

 

 止める。

 

 それだけだった。

 

 明石はうなずく。

 

「言語化されていなくても、意志としては十分です。むしろ純度が高い」

 

 神通が口を開く。

 

「では、時雨さんの最後は」

 

 部屋が重くなる。

 

 明石は、少し慎重に答えた。

 

「時雨さんの場合、守る意志が大きすぎたのだと思います」

 

 結有の手が動く。

 

 アイがそっと袖をつまむ。

 

 明石は続ける。

 

「味方を逃がす。輸送船団を守る。深海中枢を止める。その意志が、時雨さんの高すぎる霊子と結びつき、艤装のリミッタを吹き飛ばした」

 

 神通は目を閉じた。

 

「守る意志が、彼女自身を爆弾にした」

 

「はい」

 

 明石の声は小さかった。

 

「だから、強い意志は美しいだけではありません。危険です。制御されなければ、本人を壊します」

 

 高梨が静かに言った。

 

『強い個人に頼りすぎる危険と同じですねえ』

 

「はい」

 

 明石はうなずく。

 

「意志力が霊子の根源なら、意志の強い人ほど危ない。結有提督も、アイさんも、神通さんも」

 

 結有は自分の手を見る。

 

 拳。

 

 深海棲艦を殴れる手。

 

 誰かを守れる手。

 

 でも、制御を失えば壊す手。

 

「僕、怖いですね」

 

 ぽつりと言った。

 

 暁がすぐに言う。

 

「怖がれるなら大丈夫よ」

 

「暁」

 

「怖がらない脳筋が一番危ないって、前にも言ったでしょう」

 

 アイがうなずく。

 

「怖がる脳筋は、まだよい」

 

「褒め方が独特」

 

 神通が静かに言う。

 

「意志を持つことと、意志に呑まれることは違います。そこを訓練しましょう」

 

「はい」

 

      *

 

 アイは、自分の艤装を見ていた。

 

 がうがう。

 ろング。

 ぴか。

 

 それらは、明石が作った兵器だ。

 

 だが、ただの兵器ではない。

 

 帰るための武器。

 結有を止めるための武器。

 浜松を選んだアイの意志を形にしたもの。

 

「私は」

 

 アイが言った。

 

「深海の意志もある?」

 

 部屋が静かになる。

 

 明石は少し迷った。

 

 高梨が代わりに答える。

 

『あります』

 

 アイは画面を見る。

 

『アイさんの中には、深海側の意志もあると思います。戻れ、沈め、奪われたものを返せ、というような強い残響が』

 

「艦娘の意志も?」

 

『あります』

 

「時雨も?」

 

 結有の呼吸が止まる。

 

 高梨は静かに言った。

 

『おそらく』

 

 アイは自分の胸に手を当てた。

 

「たくさんある」

 

「うん」

 

 結有は小さく言った。

 

 アイは続ける。

 

「でも、私の意志もある」

 

 明石がうなずいた。

 

「それが一番重要です」

 

 アイは少しだけ目を細めた。

 

「私は戻らない。私は浜松側。結有のパートナー」

 

 暁がすかさず言う。

 

「嫁は?」

 

「保留」

 

「よし」

 

 結有は少し笑った。

 

 アイは真面目に続けた。

 

「私の意志が、私の霊子?」

 

「はい」

 

 明石は答えた。

 

「だから、深海の声に対抗できたのだと思います。外からの意志に、自分の意志をぶつけた」

 

 アイは小さくうなずいた。

 

「なら、強くする」

 

 神通が言う。

 

「強くするだけではなく、整える必要があります」

 

「整える」

 

「はい。強いだけでは、暴走します」

 

 アイは結有を見る。

 

「結有も」

 

「うん」

 

「一緒に整える」

 

「そうだね」

 

      *

 

 高梨は画面越しに、少しだけ考え込んでいた。

 

「高梨さん?」

 

 結有が呼ぶ。

 

『この仮説が正しければ、未来の戦い方も説明できます』

 

「未来さんの?」

 

『はい。未来は深海棲艦を単に命令しているのではなく、深海側の意志を束ねているのかもしれません』

 

 神通が目を細める。

 

「深海提督とは、深海の意志を指揮する者」

 

『そう考えると、未来の危険性がさらに増します』

 

 高梨の声が少し低くなる。

 

『未来は、人類への失望と絶望を深海側の意志に接続している。だから深海棲艦が、あれほど人間的な指揮を受ける』

 

 結有は、市ヶ谷急襲を思い出した。

 

 人を殺しすぎず、施設を選んで壊し、大貫を討った未来。

 

 あれは、ただの深海棲艦の暴力ではない。

 

 意志を持った攻撃だった。

 

「じゃあ、未来さんを止めるには」

 

 高梨は答えた。

 

『未来の意志に負けない意志が必要です』

 

 アイが言う。

 

「殴るだけじゃだめ?」

 

『だめです』

 

 高梨は即答した。

 

『未来は、自分の絶望に理屈を与えています。帰る場所は腐っている、だから沈めるべきだと。そこに対抗するには、こちらも何を守るのかを明確にしなければなりません』

 

 結有はうなずいた。

 

「帰る場所」

 

『はい』

 

 高梨の声は、少しだけ柔らかくなった。

 

『意志力が霊子の根源なら、私たちはただ勝ちたいだけでは足りません。何のために勝つのか。誰を帰すのか。どんな場所を残すのか。それを間違えれば、霊子は歪むでしょう』

 

 神通が言った。

 

「深海棲艦は、歪んだ意志の塊でもある」

 

 明石は頷く。

 

「可能性はあります。沈んだもの。帰れなかったもの。奪われたもの。そうした意志が反転し、深海霊子として凝固した存在」

 

 暁が少し顔を曇らせた。

 

「じゃあ、敵もただの化け物じゃないの?」

 

 誰もすぐには答えなかった。

 

 アイが静かに言った。

 

「深海にも、意志がある」

 

 結有は深く息を吸った。

 

「でも、来るなら止める」

 

 アイが結有を見る。

 

「うん」

 

「意志があるからって、浜松を沈められていいわけじゃない」

 

 神通がうなずく。

 

「その通りです。理解することと、許すことは違います」

 

 高梨も言った。

 

『そして、止めることと、憎しみに呑まれることも違います』

 

      *

 

 その日の午後、結有は訓練場に立った。

 

 目の前には、深海棲艦を模した霊子標的。

 

 隣にはアイ。

 少し離れて神通。

 暁は記録係。

 明石は測定器の前。

 

「各務原提督」

 

 神通が言う。

 

「はい」

 

「今日は、出力を上げる訓練ではありません。意志を整える訓練です」

 

「意志を整える」

 

「はい。殴る前に、何のために殴るのかを言葉にしてください」

 

 結有は標的を見た。

 

 拳を握る。

 

 今までなら、考えるより先に踏み込んでいた。

 

 だが、今日は違う。

 

「僕は」

 

 結有は言った。

 

「浜松を守るために殴る」

 

 足元に霊子が集まる。

 

「アイを帰すために殴る」

 

 拳が熱くなる。

 

「神通さんや暁や、みんなと帰るために殴る」

 

 霊子が暴れかける。

 

 アイが袖を掴んだ。

 

「結有」

 

「うん」

 

 結有は息を吐いた。

 

「壊すためじゃない」

 

 霊子が少し落ち着く。

 

「帰るために」

 

 踏み込む。

 

 拳が標的に入った。

 

 霊子標的が砕ける。

 

 だが、爆ぜすぎない。

 出力は高いが、散らない。

 

 明石が声を上げた。

 

「安定しています! 出力は高いですが、暴走波形なし!」

 

 神通がうなずく。

 

「よいです」

 

 暁が笑った。

 

「やればできるじゃない!」

 

 アイも言う。

 

「八点」

 

「十点じゃないの?」

 

「まだ顔が飛び蹴り」

 

「顔って何」

 

 結有は笑った。

 

      *

 

 次はアイだった。

 

 アイは海面に立つ。

 

 専用艤装を装着している。

 

 深海霊子を含む模擬干渉が、明石の装置から流される。

 

 戻れ、という疑似信号。

 

 アイの艤装が少し震える。

 

 結有は岸壁から見ていた。

 

「アイ!」

 

「平気」

 

 アイは目を閉じた。

 

「私は、戻らない」

 

 がうがうが静かに展開する。

 

「私は、沈めるためじゃない」

 

 ろングが低くうなる。

 

「私は、帰るために撃つ」

 

 ぴかのレンズに白い光が宿る。

 

「私は、アイ」

 

 深海干渉が押し返される。

 

 明石が測定器を見て叫ぶ。

 

「干渉、低下! アイさんの固有波形が優勢です!」

 

 神通が静かに言う。

 

「よくできました」

 

 アイは結有を見る。

 

「何点?」

 

 結有は笑った。

 

「十点」

 

 アイは少しだけ満足そうにうなずいた。

 

      *

 

 その日の公式研究記録には、こう記された。

 

『霊子の根源に関する新仮説。霊子は単なる艦娘・深海棲艦固有エネルギーではなく、意志力の発露である可能性が高い。艦娘、深海棲艦、人間適性者の霊子波形に共通する基盤として、目的志向性、自己定義、帰属意識、保護・攻撃意図が観測される』

 

 非公式日誌には、こう書かれた。

 

『霊子の根源は意志力らしい』

『結有、だから深海棲艦には人間の直接攻撃が効くのかと納得』

『時雨の最後は、守る意志が強すぎた危険例』

『アイ、自分の意志が自分の霊子だと理解』

『未来は深海の意志を束ねる深海提督と推定』

『神通、意志を整える訓練を開始』

『結有、帰るために殴ると宣言』

『アイ、帰るために撃つと宣言』

 

 最後に、誰かが追記した。

 

『根性論ではない。だが、根性が世界に干渉していた』

 

 結有はその一文を見て、少し笑った。

 

 夜。

 

 結有とアイは岸壁に座っていた。

 

 海は暗い。

 

 深海の声は聞こえない。

 

「アイ」

 

「何?」

 

「意志力って言われると、急に恥ずかしいね」

 

「なぜ」

 

「僕、だいたい考える前に動いてたから」

 

「でも、思ってた」

 

「うん」

 

「守る。帰る。隣」

 

「うん」

 

 アイは海を見る。

 

「深海にも、意志がある」

 

「うん」

 

「未来にも」

 

「うん」

 

「なら、強い」

 

「強いね」

 

「でも、私たちもある」

 

 結有はアイを見る。

 

 白い髪。

 黒い目。

 深海でも艦娘でもある少女。

 

 でも、今はそれ以上に、アイ自身だった。

 

「うん。ある」

 

 アイは結有の袖をつまんだ。

 

「帰る意志」

 

 結有は笑った。

 

「それ、強そうだ」

 

「強い」

 

 アイは短く言った。

 

「がうがうより」

 

 結有は少し驚いて、それから笑った。

 

「それはかなり強いな」

 

 夜の海が、静かに鳴った。

 

 戦争は終わっていない。

 未来はまだいる。

 深海はまだ呼んでいる。

 

 けれど、結有は少しだけわかった。

 

 自分の拳が何のためにあるのか。

 アイの艤装が何のためにあるのか。

 時雨が何を守ろうとしたのか。

 

 意志は、力になる。

 

 ならば、間違えてはいけない。

 

 何を成したいのかを。

 

 誰と帰りたいのかを。

 

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