艦隊これくしょん 残響のアイ   作:SAMICO

38 / 52
幕間 名古屋市、灰の中で立つ

 名古屋市は、壊滅した。

 

 その言葉は、最初、誰も使いたがらなかった。

 

 大規模被害。

 都市機能の重大な損傷。

 広域災害。

 深海棲艦による都市圏攻撃。

 

 報告書には、いくつもの言い換えが並んだ。

 

 だが、現地を見た者は、最後に同じ言葉へ戻った。

 

 壊滅。

 

 港湾施設は焼け、道路は寸断され、避難所は足りず、通信は断続的にしかつながらない。

 市中心部にも被害が及び、庁舎機能はほとんど麻痺した。

 

 死傷率、八割。

 

 市長以下、主要幹部は全滅。

 

 名古屋市という巨大な自治体は、一夜で頭脳と手足の大半を失った。

 

      *

 

 高梨湊の判断により、静岡連合艦隊主力は東京湾へ向かった。

 

 結果、東京中枢と皇居への深海侵攻は阻止された。

 

 戦略的には、正しかった。

 

 誰もがそれを理解していた。

 

 だが、名古屋にいた者たちにとって、その正しさは何の慰めにもならなかった。

 

 現有戦力で持ちこたえろ。

 

 名古屋の提督たちは、その命令に従った。

 艦娘たちは、燃える港の前で踏みとどまった。

 市職員たちは、庁舎が揺れる中で避難誘導を続けた。

 消防、警察、自衛隊、医療班、民間協力者。

 

 誰もが、足りない手で、足りない時間を支えた。

 

 そして、足りなかった。

 

      *

 

 名古屋市役所の臨時対策本部は、崩れた庁舎ではなく、被害を免れた郊外の体育館に置かれた。

 

 そこへ、ひとりの男が入ってきた。

 

 村河隆史。

 

 元名古屋市長。

 現職の衆議院議員。

 

 年を取っていた。

 だが、声はまだ大きかった。

 

「生きとる職員を全員集めやあ」

 

 最初の一言が、それだった。

 

 周囲の職員たちは、呆然としていた。

 指揮系統は崩れている。

 市長はいない。

 副市長もいない。

 局長級も、ほとんどいない。

 

 誰が何を決めるのか。

 

 誰もわからなかった。

 

 村河は、机を叩いた。

 

「泣くのは後だぎゃ。名古屋はまだ死んどらん」

 

 その声で、何人かが顔を上げた。

 

「国とは話をつける。県とも話す。艦娘本部とも話す。わしが市長に戻る。文句は後で言え。今は人を助ける」

 

 誰かが震える声で言った。

 

「村河先生、市長は」

 

「死んだ」

 

 村河は言った。

 

 逃げなかった。

 

「市長は死んだ。副市長も死んだ。幹部も死んだ。だから、今ここにおる者でやる」

 

 体育館が静かになる。

 

「名簿を作れ。生きとる職員。動ける職員。怪我しとる職員。家族を失った職員。全部だ」

 

 彼は周囲を見回した。

 

「避難所、医療、遺体収容、上下水道、食料、福祉、孤立地域、子供、高齢者、障害者。担当を立て直す。役職が足りん? なら今ここで作る」

 

 その場にいた若い職員が、泣きながら端末を開いた。

 

 名古屋市は、灰の中で再起動を始めた。

 

      *

 

 福祉課は、ほとんど壊れていた。

 

 課長は死亡。

 係長も死亡。

 ベテラン職員の多くが、避難誘導中に巻き込まれた。

 残ったのは、数名の若手と、応援に来た他部署の職員。

 

 その中に、新人職員がいた。

 

 名は、佐伯真帆。

 

 採用二年目。

 本来なら、まだ上司の指示で窓口対応や書類整理を覚えている時期だった。

 

 その佐伯の前に、村河が立った。

 

「お前さん、福祉課か」

 

「は、はい」

 

「上は」

 

 佐伯は答えられなかった。

 

 目が赤い。

 

 村河は少しだけ声を落とした。

 

「そうか」

 

「私、まだ新人で」

 

「名前は」

 

「佐伯真帆です」

 

「佐伯。今日からお前さんが福祉課を背負え」

 

 佐伯は固まった。

 

「無理です」

 

「無理でもやる」

 

「できません」

 

「できるように周りをつける。だが、福祉のことを知っとる生き残りはお前さんだ」

 

「でも、私、まだ」

 

「まだ、で人は待ってくれん」

 

 村河は体育館の隅を指した。

 

 高齢者が毛布にくるまっている。

 車椅子の人がいる。

 薬を失った人がいる。

 親とはぐれた子供がいる。

 避難所で声を上げられない人たちがいる。

 

「書類の上では新人でも、あの人らには今、福祉課が要る」

 

 佐伯の手が震えた。

 

「私が失敗したら」

 

「わしが責任を取る」

 

 村河は即答した。

 

「お前さんは背負え。責任はわしが持つ。だから動け」

 

 佐伯は、泣きそうな顔で敬礼しようとして、途中でやめた。

 市職員に敬礼の習慣はない。

 

 代わりに、深く頭を下げた。

 

「やります」

 

「よし」

 

 村河は大声を上げた。

 

「誰か! 佐伯の下につけ! 福祉課を立て直す!」

 

      *

 

 福祉課の再編は、机一つから始まった。

 

 紙。

 端末。

 ホワイトボード。

 避難所一覧。

 要支援者名簿。

 薬が必要な人。

 介護が必要な人。

 人工透析。

 妊婦。

 乳幼児。

 障害者。

 身寄りのない高齢者。

 家族を失った子供。

 

 情報は、壊れていた。

 

 同じ人が二重に載っている。

 必要な人が載っていない。

 避難所名が古い。

 通信がつながらない。

 

 佐伯は泣く暇もなく、線を引いた。

 

「この避難所に、介護職の応援を」

「薬のリストを医療班へ」

「この人、昨日移送済みです。二重登録を消してください」

「子供だけでいる避難者は、児童相談系の応援へ」

「福祉車両、動くもの全部確認してください」

「電源が必要な人を優先して、発電機のある避難所へ」

 

 声は震えていた。

 

 それでも、指示になっていた。

 

 周囲の職員たちが動き始める。

 

 誰かが言った。

 

「佐伯さん、次は」

 

 佐伯は一瞬だけ止まった。

 

 自分が呼ばれている。

 

 上司ではなく、自分が。

 

 怖かった。

 

 でも、村河の声が頭に残っていた。

 

 まだ、で人は待ってくれん。

 

「次は、独居高齢者の安否確認です」

 

 佐伯は言った。

 

「消防と自治会の生存者に協力を。あと、艦娘本部の輸送支援が使えるか確認してください」

 

      *

 

 名古屋の惨状は、浜松にも届いた。

 

 結有は報告を読んで、言葉を失った。

 

 死傷率八割。

 市長以下幹部全滅。

 村河隆史、緊急的に市長へ復帰。

 福祉課、新人職員が実務指揮。

 

 アイが横から見る。

 

「名古屋、壊れた」

 

「うん」

 

「高梨、苦しい?」

 

「すごく」

 

 結有は端末を握った。

 

 自分たちは東京湾へ行った。

 それで東京は守られた。

 

 だが、名古屋は壊れた。

 

 どちらかを選んだ結果。

 

 神通が静かに言った。

 

「各務原提督」

 

「はい」

 

「これは、背負うものです」

 

「はい」

 

「ただし、潰れるためではありません」

 

 結有は顔を上げた。

 

「助けるためです」

 

 神通は続けた。

 

「名古屋はまだ終わっていません。復興支援、避難者支援、輸送、医療。できることがあります」

 

 アイが言う。

 

「直す」

 

「うん」

 

 結有はうなずいた。

 

「直す」

 

      *

 

 高梨湊は、名古屋の臨時対策本部へ通信を入れた。

 

 画面に映った村河は、疲れ切っていた。

 

 だが、目は死んでいない。

 

『高梨一佐か』

 

「村河市長」

 

『まだ正式には市長に戻ったばかりだがな』

 

「名古屋への主力救援を送れなかったことを」

 

『謝るな』

 

 村河は遮った。

 

『謝られたら、こっちは怒れんくなる』

 

 高梨は言葉を失った。

 

 村河は続ける。

 

『怒っとる。わしは怒っとるぞ。名古屋は焼けた。人も死んだ。市長も幹部も死んだ。あんたの判断で助かった命もあるだろうが、助からんかった命もある』

 

「はい」

 

『だから、謝罪は後だ。今は物資を寄越せ。人を寄越せ。福祉車両、医薬品、仮設トイレ、発電機、通信機、事務屋。謝罪より先に、復興の弾を寄越せ』

 

 高梨の目が少し揺れた。

 

「送ります」

 

『よし』

 

「名古屋は」

 

『死んどらん』

 

 村河は言った。

 

『壊れたが、死んどらん。わしらが死なせん』

 

 通信が切れた後、高梨はしばらく黙っていた。

 

 隣にいた鷹取が言う。

 

「高梨一佐」

 

「はい」

 

「物資リスト、作成済みです」

 

 高梨は彼を見た。

 

 鷹取は端末を差し出す。

 

「福祉、医療、電源、通信を優先。浜松、富士田子の浦、沼津から出せる分を仮計算しました」

 

 高梨は端末を受け取った。

 

「ありがとう」

 

「副官ですから」

 

 高梨は少しだけ微笑んだ。

 

「では、送ります。謝罪より先に、復興の弾を」

 

      *

 

 その日の公式記録には、こう記された。

 

『名古屋市、深海棲艦による大規模攻撃により壊滅的被害。死傷率八割。市長以下主要幹部全滅。元名古屋市長・村河隆史衆議院議員が緊急的に市長職へ復帰し、復興指揮を開始。行政機能は生存職員を中心に再編。福祉課は新人職員佐伯真帆を中心に暫定再建』

 

 非公式日誌には、こう書かれた。

 

『名古屋、壊滅』

『村河隆史、名古屋市長へ返り咲き』

『第一声:生きとる職員を全員集めやあ』

『新人福祉課職員、佐伯真帆が福祉課を背負う』

『村河発言:まだ、で人は待ってくれん』

『高梨、謝罪より先に物資を求められる』

『鷹取、復興支援物資リストを即時作成』

『結有とアイ、名古屋を直すと決める』

 

 最後に、誰かが追記した。

 

『都市は建物ではなく、人が諦めた時に死ぬ』

 

 名古屋は、まだ死んでいなかった。

 

 灰の中で、村河が怒鳴っている。

 体育館の机で、佐伯が名簿を直している。

 避難所で、誰かが誰かの名前を呼んでいる。

 燃え残った街で、まだ人が立っている。

 

 高梨湊は、その報告を読み、静かに目を閉じた。

 

 そして、次の輸送計画を書き始めた。

 

 東京を守った判断の代償を、名古屋の復興で少しでも返すために。

 

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。