艦隊これくしょん 残響のアイ   作:SAMICO

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第15話 第二次東京湾海戦

 東京湾は、二度目の戦場になった。

 

 最初の東京湾防衛戦では、高梨湊が名古屋を背負い、東京中枢と皇居を守った。

 

 だが、未来は諦めていなかった。

 

 深海提督、高梨未来。

 

 彼女は今度、陽動ではなく本命として東京湾へ来た。

 

 しかも、自ら前線に出て。

 

      *

 

 警報は夜明け前に鳴った。

 

『東京湾外縁に深海反応多数!』

『湾口部に戦艦級、重巡級、空母型らしき反応!』

『深海霊子、指揮統制波形あり!』

『高梨未来、前線に出ています!』

 

 浜松鎮守府の管制室で、結有はその報告を聞いた。

 

 隣にはアイ。

 神通。

 暁。

 最上と夕立もいる。

 

 画面には、高梨湊が映っていた。

 

 彼女の表情は静かだった。

 

 だが、結有にはわかる。

 

 これは静けさではない。

 

 研ぎ澄まされた怒りだ。

 

『未来が前に出たということは、決着をつけるつもりです』

 

 高梨は言った。

 

『こちらも、全力で止めます』

 

 裕二新本部長の声が通信に入る。

 

『各鎮守府、東京湾防衛戦へ移行。高梨一佐を現場指揮官とする。浜松、富士田子の浦、横須賀方面戦力を集中。敵指揮個体、高梨未来を最優先警戒対象とせよ』

 

 結有は拳を握った。

 

 アイが袖をつまむ。

 

「結有」

 

「大丈夫」

 

「嘘?」

 

「少し」

 

 アイは黒い目で見た。

 

「未来は、言葉で引っ張る」

 

「うん」

 

「今日は、近い」

 

「うん」

 

「私たちで止める」

 

 結有は息を吸った。

 

「止める」

 

 神通が静かに言った。

 

「討つ覚悟も必要です」

 

 部屋が一瞬、重くなる。

 

 討つ。

 

 それは、倒すでも止めるでもない。

 

 高梨湊の双子の姉を、殺すという意味だった。

 

 結有は黙った。

 

 アイも黙った。

 

 高梨の画面の向こうで、鷹取修平が副官席に立っている。

 

 彼もまた、何も言わなかった。

 

      *

 

 東京湾は黒い霧に覆われていた。

 

 大和の主砲が、第一射を放つ。

 

 遠方で水柱が上がり、深海棲艦の前衛が崩れる。

 

 だが、敵は止まらない。

 

 未来の指揮は、以前よりさらに鋭かった。

 

 深海棲艦たちは、ただ突っ込んでくるのではない。

 射線を重ね、囮を使い、損傷艦を下げ、こちらの救助線を狙ってくる。

 

 未来は人間の戦術を深海に与えていた。

 

 そして、深海の異常な耐久と怨念を、人間的な指揮で動かしていた。

 

『中央、押されています!』

 

『左翼に空母型!』

 

『湾内へ抜ける小型、三!』

 

 那珂の通信整理が飛ぶ。

 

『全員、落ち着いて! 中央は神通さん、左翼は川内ちゃん、抜けた小型は浜松第二線!』

 

 川内が低く笑う。

 

『夜明け前の海戦か。悪くないね』

 

 神通は静かに砲を構える。

 

「悪くありません。ですが、油断はしないでください」

 

 結有は高速艇で第二線へ入っていた。

 

 隣をアイが走る。

 

 アイの専用艤装が、黒い霧の中で白く光る。

 

 がうがう。

 ろング。

 ぴか。

 

 帰るための武器。

 

「アイ、右!」

 

「見えた」

 

 がうがうが短く火を噴く。

 

 小型深海棲艦の砲口が砕ける。

 結有は高速艇を滑らせ、敵の注意を引く。

 アイのLAWSが黒い霊子の膜を焼く。

 

 神通の砲撃が追撃した。

 

『各務原提督、突出しすぎです』

 

「はい!」

 

『今、少し飛ぼうとしましたね』

 

「してません!」

 

 アイが言う。

 

『顔が飛んだ』

 

「顔だけ!」

 

『減点』

 

 暁の通信が割り込む。

 

『戦闘中に採点しない! あと結有さん、本当に飛ばない!』

 

 結有は少しだけ笑った。

 

 笑える。

 

 まだ笑える。

 

 だから、まだ崩れていない。

 

      *

 

 未来は、湾口中央にいた。

 

 黒い外套をまとい、海面に立つ。

 

 周囲には深海棲艦の護衛。

 その背後に、巨大な戦艦級。

 

 高梨湊は指揮艦上で未来を見ていた。

 

『未来』

 

 通信がつながる。

 

 未来は微笑んだ。

 

『湊。今日は逃げないわ』

 

「逃がしません」

 

『言うようになった』

 

「あなたが教えたのです。帰る場所を壊す者は、止めなければならないと」

 

 未来は笑った。

 

『いい顔。昔のあなたは、もっと優しかった』

 

「今も優しいですよ」

 

『そう?』

 

「あなたを止めるくらいには」

 

 未来の周囲の霧が濃くなる。

 

『なら、止めてみて』

 

 深海棲艦が一斉に動いた。

 

 未来自身も前へ出る。

 

 速い。

 

 艦娘ではないはずなのに、海面を滑る速度は軽巡に近い。

 黒い霊子が刃となり、川内の進路を切る。

 

 川内が舌打ちした。

 

『こいつ、前線でもやるね』

 

 未来は答えた。

 

「深海提督が後ろにいるだけだと思った?」

 

 神通が横から入る。

 

「前へ出る指揮官は危険です」

 

「あなたに言われると重いわね、横須賀の鬼妹」

 

「その呼び名はやめてください」

 

 神通の砲撃が未来の足元を撃つ。

 

 未来は避けた。

 

 その一瞬。

 

 結有の視界に、未来への道が開いた。

 

「アイ!」

 

「行く」

 

 二人は同時に動いた。

 

 神通が叫ぶ。

 

『各務原提督!』

 

「神通さん!」

 

 結有は高速艇のアクセルを開く。

 

「今回は、必要です!」

 

 神通は一瞬だけ黙った。

 

 そして言った。

 

『三十秒。私が退路を作ります』

 

「了解!」

 

 アイが結有の横へ並ぶ。

 

「飛ぶ?」

 

「最後だけ」

 

「許可?」

 

「たぶん」

 

「減点」

 

「あとで!」

 

      *

 

 未来は、結有とアイを見た。

 

「来たのね」

 

「止めに来ました」

 

 結有は言った。

 

 未来はアイを見る。

 

「アイ。まだ間に合うわ」

 

「戻らない」

 

「人類はあなたを利用する」

 

「知ってる」

 

 アイの答えに、未来が少し目を細める。

 

「知っていて、そちらにいるの?」

 

「利用しようとする人もいる。でも、結有は違う。浜松は違う。高梨も、神通も、暁も、明石も」

 

「甘い」

 

「甘いかもしれない」

 

 アイはがうがうを展開した。

 

「でも、私が選んだ」

 

 未来は微笑んだ。

 

「選んだ、ね」

 

 黒い霊子が伸びる。

 

 結有の高速艇を狙う。

 

 アイのLAWSがそれを焼く。

 

 結有は艇を捨てた。

 

 海面を蹴るように跳ぶ。

 

 足に霊子が集まる。

 

 梶本真太の蹴り。

 

 母・時雨の霊子。

 

 父・裕二の踏み込み。

 

 自分の意志。

 

 守るため。

 帰るため。

 止めるため。

 

「だあああああッ!」

 

 結有の飛び蹴りが未来へ向かう。

 

 未来は黒い霊子の盾を作った。

 

 それを、アイのろングが貫いた。

 

 第一段階出力。

 

 未来の盾に穴が開く。

 

 結有の足が、その穴を通る。

 

 未来の胸部へ、蹴りが入った。

 

 未来の身体が大きく揺れる。

 

 だが、まだ倒れない。

 

 彼女は結有の足を掴んだ。

 

「やはり、あなたは危険」

 

 黒い霊子が結有を絡め取る。

 

 アイが叫んだ。

 

「結有!」

 

 がうがうを撃とうとして、止める。

 

 結有に当たる。

 

 撃てない。

 

 未来は笑った。

 

「強い武器は、撃てない時が一番重いでしょう?」

 

 アイの目が揺れる。

 

 その時、結有が叫んだ。

 

「アイ!」

 

「何!」

 

「撃たなくていい!」

 

 結有は未来の腕を掴んだ。

 

「一緒に来て!」

 

 アイは理解した。

 

 ろングではない。

 がうがうでもない。

 ぴかでもない。

 

 アイ自身が動いた。

 

 海面を蹴り、未来へ体当たりする。

 

 白黒の艤装が未来の黒い霊子を押し潰す。

 

 結有は未来の腕を極める。

 梶本の教え。

 裕二の骨法。

 神通に叩き込まれた制御。

 

 壊すためではない。

 

 止めるために。

 

 未来が初めて苦しげに息を吐いた。

 

「二人で」

 

 アイが言う。

 

「隣だから」

 

 結有が言う。

 

「僕たちは、帰るために戦う」

 

 未来の黒い霊子が膨れ上がる。

 

 暴走する。

 

 このままでは、周囲を巻き込む。

 

 高梨の声が通信に飛ぶ。

 

『未来!』

 

 未来は笑った。

 

「来ないで、湊」

 

 未来の胸元に、深海核のようなものが見えた。

 

 アイが叫ぶ。

 

「そこ!」

 

 結有は拳を握る。

 

 撃つか。

 殴るか。

 止めるか。

 

 一瞬。

 

 結有は、梶本の声を聞いた気がした。

 

 足より先に心が突っ込むな。

 

 結有は拳を開いた。

 

 掌底。

 

 霊子を一点に集め、深海核を叩く。

 

 アイが同時に、自分の霊子をぶつける。

 

 深海の意志を、アイの意志で押し返す。

 

「私は、戻らない!」

 

 黒い核が割れた。

 

 未来の霊子が、海面へ散った。

 

      *

 

 未来は倒れた。

 

 黒い霧が薄れていく。

 

 深海棲艦たちの統制が乱れた。

 

 大和の砲撃が戦艦級を押し返し、神通と川内が中央を閉じる。

 那珂が叫ぶ。

 

『敵指揮波形、崩壊! 全艦、押し返して!』

 

 戦況は、一気に人類側へ傾いた。

 

 だが、結有は動けなかった。

 

 アイも。

 

 未来は、海面に膝をついていた。

 

 胸元から黒い霊子が漏れている。

 

 高梨湊が駆け寄る。

 

「未来!」

 

 未来は倒れかけ、高梨の腕に抱き止められた。

 

 双子の姉妹。

 

 同じ顔。

 

 違う道を選んだ二人。

 

 未来は、高梨の顔を見上げた。

 

「湊」

 

「喋らないで」

 

「無理ね」

 

 高梨の手が震えていた。

 

 未来は少し笑った。

 

「あなた、また泣かないのね」

 

「泣きます」

 

「嘘」

 

「泣きます」

 

「なら、あとで」

 

 高梨は唇を噛んだ。

 

「なぜ、ここまで」

 

 未来は、遠くを見るような目をした。

 

「全部、そこからだった」

 

「何が」

 

 未来の声は、かすれていく。

 

「深海の底。沈んだ鉄。燃えた船。帰れなかった声。人間の戦争が、海の底で腐って、意志になって、深海になった」

 

 アイが息を呑んだ。

 

 未来はアイを見る。

 

「あなたも……その残響」

 

「どこ」

 

 アイが聞く。

 

「どこから?」

 

 未来は、最後の力で言った。

 

「全ての原因は……アイアンボトムサウンド」

 

 高梨の目が見開かれる。

 

「ソロモン……」

 

 未来は、ほんの少しだけ笑った。

 

「行きなさい、湊。あなたの帰り道が……そこまで届くなら」

 

「未来」

 

「私には……届かなかった」

 

 未来の手が、高梨の袖を弱く掴んだ。

 

「ごめんね」

 

 高梨は、もう何も言えなかった。

 

 未来は、高梨の腕の中で息絶えた。

 

      *

 

 第二次東京湾海戦は、人類側の勝利で終わった。

 

 敵指揮個体、高梨未来、死亡。

 深海統制波形、崩壊。

 東京湾防衛、成功。

 

 だが、誰も勝利に沸かなかった。

 

 高梨湊は、未来の遺体を抱いたまま、しばらく動かなかった。

 

 鷹取が近づいた。

 

 何も言わず、そばに立った。

 

 神通は結有の肩に手を置いた。

 

「各務原提督」

 

「はい」

 

「あなたとアイさんが、止めました」

 

「討ちました」

 

 結有の声は震えていた。

 

 神通は否定しなかった。

 

「はい」

 

 アイは、自分の手を見ていた。

 

「私も」

 

「うん」

 

「討った」

 

「うん」

 

 結有はアイの手を握った。

 

 アイは握り返した。

 

      *

 

 その日の公式記録には、こう残された。

 

『第二次東京湾海戦。深海提督高梨未来、自ら前線に出撃。浜松・富士田子の浦・東京湾防衛部隊と交戦。乱戦の中、各務原結有提督および未確認個体アイが未来の深海核を破壊。高梨未来、死亡。死亡直前、全ての原因はアイアンボトムサウンドとの言葉を残す』

 

 非公式日誌には、短く書かれた。

 

『未来、前線に出る』

『結有とアイ、未来を討つ』

『湊、未来を腕の中で看取る』

『最期の言葉:全ての原因はアイアンボトムサウンド』

『第二次東京湾海戦、人類側勝利』

『誰も勝った気がしない』

 

 最後に、誰かが追記した。

 

『帰れなかった声は、海の底でまだ終わっていない』

 

      *

 

 夜。

 

 浜松鎮守府に戻った結有は、岸壁に座っていた。

 

 アイが隣にいる。

 

「アイアンボトムサウンド」

 

 結有が言った。

 

「鉄底海峡」

 

 アイが言う。

 

「そこに、原因」

 

「たぶん」

 

「行く?」

 

 結有は海を見た。

 

 東京湾の戦いは終わった。

 

 未来は死んだ。

 

 でも、深海は終わっていない。

 

 むしろ、初めて本当の場所が見えた。

 

 アイアンボトムサウンド。

 

 ソロモンの海。

 多くの艦が沈み、多くの人が帰れなかった海。

 

 深海の根源。

 

「行くことになると思う」

 

「隣?」

 

「うん」

 

 アイは結有の袖をつまんだ。

 

「なら、行く」

 

 結有は小さくうなずいた。

 

「帰るために」

 

「帰るために」

 

 夜の海は、静かだった。

 

 だが、その静けさの奥で、遠い南の海が呼んでいる気がした。

 

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