戦争が長引くと、敵は深海棲艦だけではなくなる。
海が荒れ、航路が細り、物資が不足し、港の監視が手薄になる場所が出る。
そうなると、必ず人間の中から、海の混乱を飯の種にする者が出た。
海賊。
密輸屋。
偽装救助船。
難民船を装った略奪船。
艦娘や妖精さんの補給品を狙う者。
沈んだ船の積荷を漁るだけでなく、生存者から物資を奪う者。
神通は戦争初期、各務原裕二と共に、そういう相手も処理していた。
深海棲艦なら沈める。
人間なら捕らえる。
ただし、撃ってくるなら制圧する。
その線引きは単純ではなかったが、少なくとも艦娘本部には記録が残っていた。
ところが最近、記録に載らない事件が増えていた。
「海賊の不審死?」
浜松鎮守府の執務室で、結有は報告書を見ながら眉をひそめた。
最上が頷く。
「うん。駿河湾から遠州灘にかけて、密輸と海賊行為に関わっていた連中が、妙な死に方をしてる」
暁が顔をしかめた。
「妙な死に方って?」
「船の甲板で一人だけ気絶して、そのまま心臓が止まってたとか。逃走中に自分で海へ飛び込んだとか。武器を構えたまま腰を抜かして、仲間に踏まれて重傷とか。あと、なぜか警察署の前で泣きながら自首した幹部が三人」
「最後のは死んでないじゃない」
「でも不審ではある」
アイが報告書を覗き込んだ。
「深海?」
「霊子反応は薄いんだよね」
最上は別紙を出す。
「ただし、全部の現場で共通点がある」
神通が静かに言った。
「背後、ですね」
最上が苦笑した。
「さすが神通さん」
結有は嫌な予感がした。
「背後って、まさか」
その時、執務室の電話が鳴った。
裕二からだった。
結有が受話器を取る。
「はい、浜松鎮守府、各務原結有です」
『結有』
「父さん?」
『メリーをそちらに送る』
「えっ、なんで」
『事情聴取だ』
「何したの!?」
『海賊の後ろにいた』
結有は目を閉じた。
「……それ、たぶん一番やばいやつ」
数十分後。
浜松鎮守府の応接室には、妙な緊張感が漂っていた。
中央の椅子に、メリーさんが座っている。
見た目は少女。
白い肌。
古めかしい服。
手には小さな人形。
表情はあまり変わらない。
その左右に、裕二と神通。
向かいに結有、暁、アイ、最上。
少し遅れて、高梨湊と鷹取修平も到着した。
湊は入室するなり、状況を見て微笑んだ。
「なるほど。怪異案件ですね」
鷹取は小声で言った。
「高梨一佐、怪異案件に慣れないでください」
「慣れたくはありませんが、各務原家と関わると避けられません」
「父さん、反論は?」
裕二は腕を組んだまま言った。
「事実だ」
「認めた!」
暁が叫んだ。
湊はメリーさんの前に座る。
「メリーさん。いくつか確認してもよろしいですか」
メリーさんはこくりと頷いた。
「私メリーさん。今、椅子にいるの」
「はい。ありがとうございます。まず、最近、海賊の方々の後ろにいましたか?」
「いたの」
全員が沈黙した。
結有が額を押さえる。
「早い。供述が早い」
湊は穏やかなまま続ける。
「どのくらい、いましたか」
「たくさん」
「たくさん」
「悪い人の後ろにいたの」
メリーさんは悪びれずに言った。
暁が恐る恐る聞く。
「その、後ろにいて、何をしたの?」
「言ったの」
「何を?」
メリーさんは少し誇らしげに胸を張った。
「私メリーさん。貴方の後ろにいるの」
応接室の空気が固まった。
アイが頷く。
「完成度が高い」
「褒めないの!」
暁が止める。
神通は目を閉じた。
「それを言われた海賊は、どうなりましたか」
「叫んだの」
「それから?」
「走ったの」
「それから?」
「落ちたの」
裕二が深く息を吐いた。
最上が資料を確認する。
「あー、三日前の甲板転落事故、それだね」
湊は別の書類を開いた。
「こちらの、警察署前で自首した方々は?」
「後ろにいたの」
「何と言いましたか」
「私メリーさん。貴方の後ろにいるの」
「その後は?」
「泣いたの。『全部話します』って言ったの」
結有は頭を抱えた。
「怖すぎる退職代行みたいになってる」
「退職ではなく自首です」
鷹取が真面目に訂正した。
「そこじゃないです、鷹取さん」
アイがメリーさんを見た。
「殺した?」
部屋の空気が、少し重くなった。
メリーさんは首を傾げた。
「殺してないの」
湊の目が細くなる。
「直接、手をかけてはいない?」
「触ってないの」
「では、なぜ亡くなった人がいるのでしょう」
「勝手に、びっくりしたの」
メリーさんは人形を抱きしめた。
「悪い人、銃を持ってたの。撃とうとしたの。でも後ろにいたら、変な方向に撃ったの。仲間が怒ったの。喧嘩になったの」
最上が資料をめくる。
「密輸船内の同士討ち事件……これか」
「別の人は、後ろにいたら、海に飛び込んだの」
「夜間逃走中の溺死未遂。救助後に自首」
「別の人は、後ろにいたら、『ごめんなさい』って言って倒れたの」
「心因性ショック疑い」
暁の顔が青くなる。
「ほぼ全部じゃない!」
メリーさんは少し不満そうにした。
「悪い人の後ろにいただけなの」
結有は小さく呻いた。
「うーん……メリー的には本当にそうなんだろうな……」
裕二が低く言った。
「問題は、結果だ」
「父さん、最初に膝蹴りした人が言うと重い」
「その件は反省している」
メリーさんが裕二を見上げる。
「お父さんは、悪くないの」
裕二の眉間に皺が寄った。
明らかに弱っている。
神通がそこを逃さず言った。
「各務原陸将補。だからこそ、保護者として責任があります」
「分かっている」
湊は指を組んだ。
「まず整理しましょう。メリーさんは、海賊行為を行う人間の背後に出現した。直接攻撃はしていない。ただし、怪異としての性質により、相手に強い恐怖反応を与えた。その結果、発砲ミス、転落、同士討ち、自首、心因性ショックが起きた」
「兵器じゃん」
結有が呟いた。
その瞬間、神通と湊が同時に結有を見た。
結有は慌てて手を振る。
「違う違う! 道具にするって意味じゃなくて!」
湊は静かに頷いた。
「そこが一番危険です」
応接室が静かになる。
「海賊被害が減っている。これは事実です。けれど、『便利だからメリーさんを使おう』となれば、ブラック鎮守府と同じ発想になります」
神通も続けた。
「艦娘も、アイさんも、メリーさんも、道具ではありません」
アイがメリーさんを見た。
「メリーは、怪異。でも子ども」
メリーさんは少し首を傾げた。
「子ども?」
「たぶん」
「たぶんじゃないわよ!」
暁が言ったが、声は少し優しかった。
裕二が腕を組み直す。
「メリー。悪い人間を怖がらせるなとは言わん」
「言わないの?」
結有が思わず聞いた。
「言って聞くなら、最初から背後に行っていない」
「父さんの育児方針、豪快すぎる」
裕二は続けた。
「だが、勝手に行くな。特に海上、武装集団、深夜、船上は危険だ」
メリーさんは瞬きをした。
「私、後ろにいるの」
「それでも危険だ」
「怪異なのに?」
「怪異でも家族だ」
メリーさんは黙った。
人形を抱く手に、少し力が入る。
結有はその様子を見て、胸の奥が少し柔らかくなるのを感じた。
裕二は言葉が少ない。
だが、こういう時だけ、妙にまっすぐだった。
湊が微笑む。
「では、ルールを作りましょう」
暁が嫌な予感を覚えた。
「ルール?」
「はい。メリーさん背後出現安全規則です」
「何その規則!」
鷹取が即座にメモを取り始めた。
結有が叫ぶ。
「鷹取さんも書かないで!」
「必要な規則かと」
「必要なのが嫌なんです!」
湊は穏やかに読み上げた。
「一つ。メリーさんは、単独で武装集団の背後に出現しないこと」
メリーさんは頷いた。
「二つ。背後に出現する場合は、保護者または鎮守府関係者へ事前報告すること」
「背後に行ってから電話するのは?」
「事前です」
「むずかしいの」
「練習しましょう」
神通が言う。
「三つ。相手が海上にいる場合、転落や同士討ちの危険があるため、出現位置に注意すること」
暁が頭を抱えた。
「怪異に安全配慮義務を教えてる……」
アイが感心したように言った。
「湊、法務が強い」
「ありがとうございます」
裕二が低く付け加えた。
「四つ。悪い人間でも、裁けるなら裁判に回す」
メリーさんは少し考えた。
「裁判」
「そうだ」
「後ろにいても?」
「後ろにいても、最後は裁判だ」
「分かったの」
メリーさんはこくりと頷いた。
結有は小声で言う。
「すごい会話だな……」
最上が苦笑する。
「でも、今の時代っぽいよ。深海棲艦、艦娘、妖精さん、怪異、海賊、労務問題。全部一つの執務室に来る」
「浜松、窓口多すぎない?」
暁が言うと、アイが頷いた。
「浜松は混沌」
「否定できない!」
その後、海賊不審死事件の報告書は、非常に書きづらいものになった。
直接殺害の証拠なし。
怪異的干渉の疑いあり。
対象はいずれも海賊、密輸、武装略奪に関与。
人的被害の一部は自滅的行動によるもの。
複数名が自首。
海賊被害は一時的に減少。
結論。
『メリーさんの単独行動を制限し、保護者および艦娘本部による監督を強化する』
裕二はその報告書を見て、しばらく黙っていた。
「どうしたの、父さん」
「怪異の娘の生活指導で、陸将補が報告書を書く時代が来るとは思わなかった」
「僕も思わなかったよ」
メリーさんはその横で、練習していた。
「私メリーさん。事前に報告してから、貴方の後ろにいるの」
暁が即座に言った。
「長い!」
アイが真面目に頷く。
「奇襲性が落ちる」
「奇襲しなくていいの!」
神通が静かにお茶を置いた。
「まずは報告です」
結有は笑った。
「浜松式だね」
「殴る前に報告」
「背後に立つ前に報告」
「飛び蹴りする前に報告」
「最後のは僕だけじゃん!」
湊は紅茶を飲みながら、楽しそうに目を細めた。
「良い標語が増えましたね」
「増やさないでください!」
その日の非公式日誌には、最上の筆跡でこう残っている。
『海賊不審死事件、原因はメリーさん。本人いわく「悪い人の後ろにいただけ」。直接攻撃なし。ただし効果が強すぎるため、背後出現安全規則を制定。裕二陸将補、保護者として頭を抱える。神通さん、静かに生活指導。湊さん、怪異にも法と手続きを適用。結有、浜松の混沌を再認識。アイ、奇襲性を評価。暁、常識担当として過労。』
その下に、メリーさんの字で小さく追記があった。
『私メリーさん。今度から、先に言うの。』
さらにその下に、裕二の硬い字。
『先に言う相手は、標的ではなく保護者であること。』
最後に、結有が書いた。
『各務原家、また家族会議。』