艦隊これくしょん 残響のアイ   作:SAMICO

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第18話 全世界の艦娘による合同反攻作戦

 結有が海に立った翌日、世界はそれを知らなかった。

 

 浜松鎮守府の岸壁で起きた小さな奇跡は、正式には「高霊子適性者による限定的海面干渉現象」と記録された。

 

 明石は「人間提督海上機動化第一例」と書きたがったが、神通に赤ペンで消された。

 結有は「なんか僕が改造されたみたいで嫌だ」と言い、アイは「結有、浮く脳筋」と評価した。

 暁は「評価しないで!」と怒った。

 

 だが、その裏で、艦娘本部は動いていた。

 

 四国連合艦隊壊滅。

 帰還ほぼゼロ。

 損害率九十五パーセント。

 そして、未来の最期の言葉。

 

 全ての原因はアイアンボトムサウンド。

 

 もう、日本だけで抱えられる段階ではなかった。

 

 市ヶ谷の地下深く。

 大貫悟が使っていた艦娘本部作戦会議室は、各務原裕二陸将補の指揮下で再整備されていた。

 

 壁一面に世界地図。

 中央には太平洋の立体海域図。

 南太平洋、ソロモン諸島、ガダルカナル、そしてアイアンボトムサウンド。

 

 そこに、各国の代表が集まっていた。

 

 日本艦娘本部。

 米国艦娘司令部。

 英国海峡鎮守府。

 豪州南太平洋艦娘戦隊。

 欧州共同護衛艦娘群。

 インド洋方面艦娘連絡部。

 国連艦娘多国籍艦隊司令部。

 

 人間の将官、外交官、作戦参謀。

 そして、艦娘たち。

 

 大和。

 神通。

 川内。

 那珂。

 暁。

 扶桑。

 山城。

 最上。

 米国代表の空母艦娘。

 英国代表の戦艦艦娘。

 豪州方面の軽巡艦娘。

 それぞれが、それぞれの国の海を背負っていた。

 

 結有は、会議室の端で少し緊張していた。

 

 正式提督とはいえ、十八歳。

 しかも周囲は各国代表。

 普段の浜松鎮守府なら「脳筋提督」で済むが、ここで飛び蹴りの話など出たら国際問題である。

 

 アイは隣に立っている。

 

 白い髪。

 無表情。

 どの国の艦娘でもない。

 深海でもあり、艦娘でもあり、時雨の残響を宿す存在。

 

 各国代表の視線は、何度もアイへ向かった。

 

 警戒。

 興味。

 恐怖。

 期待。

 

 アイはそれらを見返して、短く言った。

 

「見るな」

 

 結有が慌てて小声で言う。

 

「アイ、国際会議だから」

 

「見世物ではない」

 

「それはそう」

 

 神通が静かに二人の前に立った。

 

 視線のいくつかが外れる。

 

 神通は何も言わなかった。

 ただ立つだけで、かなりの国際的圧があった。

 

 やがて、会議室前方に裕二が立った。

 

「艦娘本部長、各務原裕二だ」

 

 短い自己紹介だった。

 

「本日の議題は、アイアンボトムサウンドに対する合同反攻作戦である」

 

 会議室が静まる。

 

「まず前提を共有する。深海提督・高梨未来は、第二次東京湾海戦で撃破される直前、『全ての原因はアイアンボトムサウンド』と言い残した。四国連合艦隊は、中央命令を待たず独断出撃し、壊滅した」

 

 裕二はそこで一度、言葉を切った。

 

「この二つを混同してはならん。鉄底海峡に原因がある可能性は高い。だが、準備なしに突入すれば死ぬことも、同時に証明された」

 

 米国代表の将官が腕を組んだ。

 

「では、日本本部は反攻を遅らせるつもりか」

 

 裕二は即答した。

 

「違う。勝つために準備する」

 

 湊がその横に立った。

 

 高梨湊一等海佐。

 

 柔らかな雰囲気。

 穏やかな声。

 だが、会議室の誰も、彼女をただの若い女性とは見ていなかった。

 

 東京湾を救った女。

 名古屋を切った女。

 未来を腕の中で看取った女。

 そして、戦略・兵站・法務・統治を一つの机で扱う女。

 

 湊は静かに頭を下げた。

 

「高梨湊です。本作戦案を説明します」

 

 画面が切り替わる。

 

 作戦名。

 

『国連艦娘多国籍艦隊合同反攻作戦』

『作戦符号:リターン・ライン』

 

 結有はその名前を見て、小さく息を飲んだ。

 

 帰還線。

 

 湊らしい名前だった。

 

「本作戦の目的は三段階です」

 

 湊は指示棒を動かした。

 

「第一。アイアンボトムサウンド周辺の深海霊子中枢構造を確認すること」

 

 海域図に、偵察線が表示される。

 

「第二。可能であれば中枢へ打撃を加え、深海棲艦の広域指揮能力を低下させること」

 

 次に、補給拠点と通信中継線。

 

「第三。失敗した場合でも、艦娘と人員を帰還させ、次の作戦に繋がる情報を持ち帰ること」

 

 英国代表の戦艦艦娘が眉を上げた。

 

「成功条件に撤退を含めるのか」

 

「はい」

 

 湊は微笑んだ。

 

「帰還できない偵察は、情報ではなく遺言になります」

 

 会議室の空気が少し変わった。

 

 厳しい言葉だった。

 だが、四国連合艦隊の直後だからこそ、誰も軽く扱えなかった。

 

 湊は続ける。

 

「作戦は四段階です」

 

 第一段階。

 遠隔偵察。

 

 無人観測ブイ、妖精さん搭載霊子観測機、潜水艦娘による外縁偵察。

 ただし、一定濃度以上の深海霊子を検知した場合は即時撤退。

 名誉による継続は禁止。

 

 第二段階。

 前進補給拠点構築。

 

 豪州北東、ソロモン外縁、複数の浮体補給基地。

 米国、豪州、日本、英国が分担。

 補給艦娘と妖精さん工廠を前進配置するが、単独孤立させない。

 

 第三段階。

 霊子通信中継線設置。

 

 深海霊子による通信断絶を防ぐため、艦娘の霊子波長に合わせた中継艦を配置。

 この任務には高練度の軽巡、駆逐、通信妖精隊を組み合わせる。

 

 第四段階。

 主力接触および中枢打撃。

 

 大和を中心とする主力艦娘隊。

 米英空母艦娘による航空霊子支援。

 川内、神通、那珂を含む夜戦・近接戦群。

 そして、結有とアイによる中枢接触班。

 

 そこまで説明した時、会議室の視線が結有に集まった。

 

 結有は背筋を伸ばした。

 

 逃げたくはなかった。

 だが、正直に言えば怖かった。

 

 湊は言った。

 

「各務原結有提督は、時雨由来の霊子融合により、限定的に海上行動が可能となりました。アイさんは深海・艦娘双方の霊子構造を持ちます。この二名は、アイアンボトムサウンド中枢に対する接触可能性が最も高い」

 

 米国代表が鋭い声で聞いた。

 

「つまり、十八歳の提督と正体不明個体を中枢へ送ると?」

 

 裕二の目がわずかに鋭くなった。

 

 だが、湊が先に答えた。

 

「送るのではありません。二人が行く以外に、中枢が応答しない可能性が高いと判断しています」

 

「危険すぎる」

 

「危険です」

 

 湊は否定しなかった。

 

「だから、多国籍艦隊全体で帰還線を作ります。彼女たちを英雄として投げる作戦ではありません。彼女たちが接触し、情報を掴み、必要な打撃を行い、帰還するために、世界中の艦娘で道を作る作戦です」

 

 会議室が沈黙した。

 

 アイが小さく言った。

 

「私は行く」

 

 結有も続けた。

 

「僕も行きます」

 

 神通が後ろでわずかに息を止めた。

 

 結有は続けた。

 

「でも、勝手には行きません。帰る道がないなら行かない。帰る道を作るために、みんなの力を借ります」

 

 暁が隣で小さく頷いた。

 

 結有の声は震えていなかった。

 

「四国連合艦隊の人たちを、無駄だったとは言いたくありません。でも、同じことをしたら、本当に無駄にしてしまう。だから僕は、帰るために行きます」

 

 大和が静かに目を伏せた。

 

 米国の空母艦娘が、少しだけ表情を和らげた。

 

 英国の戦艦艦娘が言った。

 

「帰還を成功条件に含める反攻作戦。悪くない」

 

 豪州代表が頷く。

 

「前進補給拠点はこちらが主導できる。南太平洋は我々の庭でもある」

 

 米国代表はまだ渋い顔だったが、資料に目を戻した。

 

「航空支援と広域索敵は出せる。ただし、多国籍指揮系統は誰が握る」

 

 その問いに、裕二が答えた。

 

「国連艦娘多国籍艦隊総指揮官代行を置く」

 

 会議室がざわついた。

 

 裕二は湊を見た。

 

「高梨湊一等海佐を任じる」

 

 結有は思わず湊を見た。

 

 湊は、驚いていなかった。

 

 事前に知っていたのだろう。

 

 だが、その表情は少しだけ重かった。

 

 米国代表が言う。

 

「日本の一佐が、多国籍艦隊の総指揮官代行?」

 

 裕二は頷いた。

 

「不満はあるだろう。だが、東京湾で未来の狙いを読み、名古屋を切ってでも中枢崩壊を防いだ。鉄底海峡への無謀突入を最も嫌う。兵站、撤退、戦力集中を同時に見られる。適任だ」

 

 湊が一歩前に出た。

 

「私からも条件があります」

 

 会議室が静まる。

 

「第一に、撤退判断は現地指揮官の名誉より上位とします。撤退命令を拒否した部隊は、以後の作戦指揮権を剥奪します」

 

 誰も笑わなかった。

 

「第二に、独断突入を禁止します。国籍、階級、艦種を問わず、帰還線を外れた進撃は作戦違反です」

 

 湊の声は静かだった。

 

「第三に、結有さんとアイさんを特攻戦力として扱うことを禁じます。二人は中枢接触班であり、消耗品ではありません」

 

 アイが湊を見た。

 

 結有も見た。

 

 湊は振り返らなかった。

 

 でも、その背中ははっきりと言っていた。

 

 私は、あなたたちを投げない。

 

 裕二が続けた。

 

「俺は本部に残る」

 

 結有が顔を上げた。

 

「父さん?」

 

「国内防衛、補給、政治調整、各国との後方連絡、万一の指揮系統維持。誰かが後ろに残らねばならん」

 

「でも」

 

「結有」

 

 裕二の声は低いが、穏やかだった。

 

「お前は前に行く。俺は帰る場所を残す」

 

 結有は言葉を失った。

 

「大貫さんが残した本部を、空にするわけにはいかん。湊が前を束ねる。俺は後ろを潰させない」

 

 湊が静かに頭を下げた。

 

「本部長残留、了解しました」

 

 結有は拳を握った。

 

 父が一緒に来ないことが、少し怖かった。

 けれど、父が後ろにいることが、同じくらい心強かった。

 

 アイが言った。

 

「裕二は帰る場所」

 

 裕二は少しだけ眉を動かした。

 

「そうだ」

 

 神通が静かに頷いた。

 

「必要な役割です」

 

 会議は続いた。

 

 各国艦娘の配置。

 補給担当。

 退避線。

 負傷者搬送。

 霊子汚染対策。

 妖精さんの保護。

 深海側の幻聴、記憶干渉、通信偽装への対応。

 四国連合艦隊の失敗記録の共有。

 

 湊は一つずつ潰した。

 

 勇ましい演説はしなかった。

 奇跡を約束しなかった。

 必勝とも言わなかった。

 

 ただ、勝つために必要なものを積み上げた。

 

 戦力。

 補給。

 撤退。

 通信。

 医療。

 予備。

 代替案。

 失敗時の手順。

 

 会議が終わる頃には、各国代表の顔から軽い反発は消えていた。

 

 代わりに、重い納得があった。

 

 これは殴り込みではない。

 世界が初めて、深海棲艦の根へ手を伸ばす作戦だった。

 

 会議後、結有は廊下で湊に追いついた。

 

「湊さん」

 

「はい」

 

「総指揮官代行って、すごく重くないですか」

 

「重いです」

 

 湊はあっさり答えた。

 

「怖くないんですか」

 

「怖いですよ」

 

「湊さんでも?」

 

「私でも」

 

 湊は窓の外を見た。

 

 市ヶ谷の空は、まだ少し傷ついているように見えた。

 

「でも、怖いから準備します。怒っているから手順を作ります。悲しいから、帰還線を引きます」

 

 結有は黙って聞いた。

 

「未来は、最後に答えの場所を残しました。四国連合艦隊は、準備なしにそこへ行き、戻れなかった。なら、私たちはその全部を持って行きます。未来の言葉も、四国の失敗も、名古屋も、東京湾も、大貫さんも」

 

 湊は結有を見る。

 

「そして、帰ります」

 

 結有は頷いた。

 

「はい」

 

 アイが結有の隣に立った。

 

「湊」

 

「はい」

 

「私は結有を帰す」

 

「お願いします」

 

「湊も帰る」

 

 湊は少し驚いた顔をした。

 

 それから、柔らかく笑った。

 

「はい。帰ります」

 

 そこへ鷹取がやって来た。

 

「高梨一佐、各国代表との個別調整が」

 

 湊がため息をつく。

 

「始まりましたね」

 

「はい。あと、米国代表から航空支援枠の再協議。英国代表から指揮権境界の確認。豪州代表から補給拠点候補地の現地気象資料。大和さんから主力艦隊編成案。川内さんから夜戦枠拡大要求」

 

「川内さんは後で」

 

「了解しました」

 

 結有が小声で言った。

 

「鷹取さん、完全に副官ですね」

 

「副官です」

 

 アイが言う。

 

「彼氏」

 

 鷹取が固まった。

 

 湊はにこりと笑った。

 

「反省文は作戦後にしましょう」

 

「作戦前でなくてよかったです」

 

 暁が後ろから走ってきて叫んだ。

 

「アイ! 国際会議の廊下でそういうこと言わない!」

 

 少しだけ笑いが起きた。

 

 ほんの少しだけ。

 

 けれど、その笑いは必要だった。

 

 世界がアイアンボトムサウンドへ向かう前に、人間が人間でいるために。

 

 その日の艦娘本部公式記録には、こう記された。

 

『国連艦娘多国籍艦隊合同反攻作戦、基本方針承認。作戦符号リターン・ライン。総指揮官代行、高梨湊一等海佐。艦娘本部長、各務原裕二陸将補は本部残留。中枢接触班、各務原結有提督およびアイ。作戦目的、深海中枢確認および可能な打撃。最優先条件、帰還線維持。』

 

 浜松鎮守府の非公式日誌には、最上の筆跡でこう残った。

 

『世界会議。湊さん、国連艦娘多国籍艦隊総指揮官代行になる。裕二陸将補は本部長として残留。結有とアイは中枢接触班。作戦名リターン・ライン。四国の失敗を繰り返さないため、撤退命令は名誉より上。川内さん、夜戦枠を増やそうとして後回し。鷹取さん、完全に副官。アイ、国際会議廊下で彼氏発言。暁、今日も常識担当として過労。』

 

 その下に、結有の字。

 

『僕たちは、世界に道を作ってもらって海へ行く。だから、絶対に帰る。』

 

 さらにアイの字。

 

『帰還線。いい言葉。』

 

 最後に、神通の美しい字で締められていた。

 

『勇気ではなく、帰還線を持って鉄底海峡へ向かうこと。』

 

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