艦隊これくしょん 残響のアイ   作:SAMICO

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第19話 偵察からの第二次ソロモン海戦、結有とアイ。深海女王の前にタッチダウンする

 作戦符号、リターン・ライン。

 

 その名の通り、作戦は帰還線を引くことから始まった。

 

 国連艦娘多国籍艦隊は、南太平洋へ展開した。

 日本、米国、英国、豪州、欧州、インド洋方面。

 各国の艦娘と妖精さん、補給艦隊、通信中継部隊、医療搬送部隊が、巨大な網のように海へ広がっていく。

 

 アイアンボトムサウンドへ一直線に突っ込む者はいなかった。

 

 それを許さないために、高梨湊が総指揮官代行として中央にいた。

 

「第一偵察線、速度を落としてください。深海霊子濃度が上昇しています。前進ではなく、確認を優先」

 

 富士田子の浦鎮守府から移設された多国籍艦隊旗艦指揮室で、湊は淡々と命令を出していた。

 

 声は穏やか。

 指示は短い。

 無駄な言葉はない。

 

「豪州補給拠点二番、妖精さん工廠の稼働率を七割に抑制。全力運転はまだ早いです。米国航空支援群、外縁索敵を広げすぎないでください。英国戦艦隊は主力線を維持。川内さん、夜戦枠の拡大申請は却下です」

 

『えーっ、今!?』

 

「今です」

 

 通信の向こうで川内が不満そうな声を出し、那珂が「川内ちゃん、今は我慢だよ」となだめている。

 神通は何も言わなかった。

 言わなくても、妹二人には伝わっていた。

 

 鷹取修平は湊の横で、各国通信を整理している。

 

「高梨一佐、第一偵察線より報告。霊子観測ブイ三基が同時に反応消失。ただし自爆信号なし」

 

「消失位置は」

 

「アイアンボトムサウンド北西外縁。四国連合艦隊の最終通信地点より、さらに外です」

 

 湊の目が細くなった。

 

「食われたのではなく、見られましたね」

 

「見られた?」

 

「敵中枢が、こちらの偵察網を認識しました」

 

 湊は地図を拡大する。

 

「全艦隊へ。これより偵察段階を警戒段階へ移行。前進は禁止。帰還線を再確認してください」

 

 その命令が出た瞬間、海が変わった。

 

 遠く、ソロモンの海。

 

 霊子観測画面に、巨大な影が浮かび上がった。

 

 艦ではない。

 島でもない。

 深海棲艦の群れでもない。

 

 それら全部を内側に含んだ、ひとつの意志。

 

 アイが、その反応を見た瞬間、顔を上げた。

 

 浜松鎮守府所属、中枢接触班。

 結有とアイは、主力艦隊後方の霊子防護艇にいた。

 

 結有はすでに海上行動用の軽装備を身につけている。

 明石が作った霊子リミッタと、神通が確認した安全拘束。

 アイの専用艤装には、がうがう、ろング、ぴかの各兵装が搭載されている。

 

 暁は同じ艇の中で、何度も結有の装備を確認していた。

 

「リミッタ、よし。通信、よし。緊急帰還符、よし。結有、分かってるわね」

 

「分かってる」

 

「突っ込まない」

 

「分かってる」

 

「飛び蹴りしない」

 

「場合による」

 

「場合によらない!」

 

 結有は苦笑した。

 

 だが、その目は緊張していた。

 

 神通が静かに近づく。

 

「結有さん」

 

「はい」

 

「時雨の霊子を、怒りで燃やさないこと」

 

「はい」

 

「アイさんを、深海へ返さないこと」

 

「はい」

 

「そして」

 

 神通は少しだけ間を置いた。

 

「帰ってくること」

 

 結有は頷いた。

 

「帰ります」

 

 アイが横から言う。

 

「私が帰す」

 

「僕もアイを帰す」

 

「相互帰還」

 

「いい言葉だね」

 

 そこへ、通信が入った。

 

『中枢接触班、待機。まだ出番ではありません』

 

 湊の声だった。

 

 結有は通信へ返す。

 

「了解。待機します」

 

『結有さん』

 

「はい」

 

『待機できるようになりましたね』

 

「今言います?」

 

『今だから言います』

 

 通信の向こうで、少しだけ湊が笑った気がした。

 

 その直後だった。

 

 第一偵察線が崩れた。

 

 深海棲艦群が現れたのではない。

 

 海底から、記憶が浮かび上がった。

 

 沈んだ艦の影。

 錆びた砲塔。

 折れたマスト。

 名前を失った船体。

 帰れなかった乗員たちの声。

 艦娘の記憶と、人間の死と、深海の霊子が絡み合い、敵として形を取った。

 

 観測員が叫ぶ。

 

『敵影多数! いや、数えられません!』

『下から来る!』

『霊子波形、既知の深海棲艦と一致しません!』

『通信に声が混ざっています! 帰れない、帰れないって……!』

 

 湊は一瞬だけ目を閉じた。

 

 四国連合艦隊の記録と同じ兆候。

 

 だが、今回は違う。

 

 帰還線がある。

 

「第二偵察線、後退。主力前衛、穴を塞いでください。米国航空支援群、上空から外縁へ攻撃。英国戦艦隊、左翼を維持。大和さん、中央主力線を前へ」

 

『大和、了解しました』

 

 大和の声が落ち着いて響く。

 

『主砲、撃ち方始めます』

 

 海が震えた。

 

 大和の砲撃が、深海の影を吹き飛ばす。

 米国空母艦娘の航空隊が、夜明け前の空を裂く。

 英国戦艦艦娘の霊子砲が、左翼を押し返す。

 豪州軽巡隊が補給線へ迫る敵を叩く。

 

 川内が歓喜の声を上げた。

 

『夜戦だああああ!』

 

『川内ちゃん、突出しない!』

 

『那珂ちゃん、分かってるって!』

 

 神通の声が重なる。

 

『川内、三秒後に右へ。那珂は後続を拾ってください』

 

『了解!』

『了解だよ!』

 

 三姉妹の連携が、深海の夜を裂いた。

 

 第二次ソロモン海戦。

 

 後にそう呼ばれる戦いは、偵察から始まり、偵察の範囲を一瞬で越えた。

 

 深海棲艦は、ただ攻めてくるのではなかった。

 記憶を使ってきた。

 

 米国艦娘には、かつて沈んだ仲間の声が聞こえた。

 英国艦娘には、遠い海峡の霧が見えた。

 日本艦娘には、ソロモンの夜と、鉄底の冷たさが絡みついた。

 

 暁は霊子防護艇の中で震えた。

 

「声がする……」

 

 結有がその手を握る。

 

「暁」

 

「大丈夫。大丈夫よ。一人前のレディは、幻聴くらいで泣かないわ」

 

「泣いてもいい」

 

「泣いてない!」

 

 アイが海を見た。

 

「深海女王」

 

 結有が息を飲む。

 

「いるの?」

 

「いる。全部の奥。沈んだものを集めて、座っている」

 

 アイの黒い目が、暗い海の向こうを見つめる。

 

「私を呼んでいた声。時雨を食べた声。未来を使った声」

 

 結有の胸の奥で、時雨の霊子が熱を持った。

 

 怒りではない。

 

 警告だった。

 

 湊の通信が入る。

 

『全艦隊へ。敵中枢存在を仮称、深海女王と指定。中枢接触班、準備』

 

 結有は立ち上がった。

 

 神通がその前に立つ。

 

「結有さん」

 

「はい」

 

「ここから先は、あなたとアイさんにしか見えないものがあります」

 

「はい」

 

「ですが、帰還線は私たちが繋ぎます」

 

 神通は結有の胸元のリミッタを確認した。

 

「時雨を繰り返させません」

 

「僕も、繰り返しません」

 

 アイが海へ降りた。

 

 白い髪が霊子風に揺れる。

 がうがうが低く唸り、ろングが青白い光を帯び、ぴかの照準妖精さんが震えながらも親指を立てた。

 

 結有も艇の端に立つ。

 

 海面が待っている。

 

 以前なら、そこは境界だった。

 今は違う。

 

 結有は一歩踏み出した。

 

 海が足を受け止めた。

 

 アイが手を伸ばす。

 

「行く」

 

「うん」

 

 二人は海上に並んだ。

 

 湊の声が響く。

 

『中枢接触班、出撃。主力艦隊は接触班の進路を開いてください。目的は撃破ではなく、タッチダウン。深海女王前面への到達です』

 

 大和が応じる。

 

『大和、道を開きます』

 

 米国空母艦娘が続く。

 

『Air cover on contact route. We hold the sky.』

 

 英国戦艦艦娘が低く笑う。

 

『ならば、海面は我々が押さえよう』

 

 川内が叫ぶ。

 

『夜戦組、突入路の横腹を噛むよ!』

 

 神通の声は静かだった。

 

『結有さん、アイさん。十秒後、走ってください』

 

「了解」

 

 結有は膝を沈めた。

 

 海面が弾む。

 時雨の霊子が背中を押す。

 自分の意志が、それを制御する。

 

 燃え尽きない。

 爆ぜない。

 帰るために、前へ。

 

「アイ」

 

「結有」

 

「タッチダウンするよ」

 

「脳筋語」

 

「作戦用語だよ」

 

「たぶん違う」

 

 それでも、アイは少しだけ笑った。

 

 神通の声。

 

『三、二、一、今』

 

 二人は走った。

 

 海上を。

 

 砲火の中を。

 

 深海棲艦が進路を塞ぐ。

 結有は拳を握り、海面を蹴った。

 

 飛び蹴りではない。

 

 いや、少し飛び蹴りだった。

 

「結有さん!」

 

 通信で神通の声が飛ぶ。

 

「今のは必要なやつです!」

 

 結有の蹴りが、深海駆逐の頭部装甲を砕く。

 アイのがうがうが唸り、HEIAP弾が横から迫る敵を切り裂く。

 ろングが青白い線を引き、深海巡洋艦の砲塔を吹き飛ばす。

 ぴかが一瞬だけ光り、霊子障壁の薄い部分を焼き切る。

 

 結有とアイは、艦隊が開いた細い道を駆け抜けた。

 

 その背後で、世界中の艦娘が戦っている。

 

 大和が中央を支え。

 米国空母艦娘が空を守り。

 英国戦艦艦娘が左翼を固定し。

 豪州軽巡隊が補給線を守り。

 神通、川内、那珂が夜の裂け目を縫い。

 暁が通信中継艇の上で泣きそうになりながらも、結有の帰還符を握りしめている。

 

 湊は、全体を見ていた。

 

「右翼、三十秒だけ後退。敵が食いついたら中央砲撃。補給線三番、移動開始。中枢接触班の帰還線を細くしないでください。細くなったら、作戦は失敗です」

 

 鷹取が叫ぶ。

 

「深海霊子、中枢部で急上昇!」

 

「来ます」

 

 湊が言った。

 

 アイアンボトムサウンドの中心が開いた。

 

 それは海の穴だった。

 

 同時に、玉座だった。

 

 沈んだ艦の残骸が積み重なり、折れた砲身と錆びた甲板と無数の名札が、ひとつの王座を作っている。

 その上に、女がいた。

 

 深海女王。

 

 白い肌。

 黒い衣。

 王冠のように広がる深海艤装。

 顔は美しく、同時に無数の顔に見えた。

 

 時雨にも見えた。

 未来にも見えた。

 知らない艦娘にも、沈んだ船員にも、海で死んだ誰かにも見えた。

 

 声が響く。

 

『帰レナイ』

 

 結有の足が止まりかけた。

 

 アイが手を握る。

 

「結有」

 

「大丈夫」

 

『帰レナカッタ』

『奪ワレタ』

『沈ンダ』

『忘レラレタ』

『ナラバ、全テ沈メ』

 

 深海女王の声は、一つではなかった。

 

 何千、何万の声が重なっていた。

 

 結有の胸の奥で、時雨の霊子が震える。

 

 怒り。

 悲しみ。

 同情。

 恐怖。

 

 全部が来る。

 

 だが、結有は飲み込まれなかった。

 

「僕は、沈みに来たんじゃない」

 

 結有は海面を踏みしめた。

 

「帰るために来た」

 

 アイが隣に立つ。

 

「私は、深海に戻らない」

 

 深海女王の目が、アイへ向いた。

 

『残響』

『時雨ノ欠片』

『我ラノ子』

『帰レ』

 

 アイは首を横に振った。

 

「私はアイ。結有のパートナー。つまり嫁」

 

 結有はこの状況で一瞬だけずっこけそうになった。

 

「アイ、ここでそれ言う?」

 

「重要」

 

 深海女王が、わずかに表情を変えた。

 

 笑ったのか。

 怒ったのか。

 分からなかった。

 

 結有はアイの手を握り直した。

 

「湊さん」

 

 通信は雑音だらけだった。

 

 それでも、繋がっていた。

 

『聞こえています』

 

「タッチダウン、成功」

 

 湊の息を吐く音が聞こえた。

 

『全艦隊へ。中枢接触班、深海女王前面へ到達。リターン・ライン維持。これより最終接触段階へ移行』

 

 結有は深海女王を見上げた。

 

 海が鳴っている。

 

 沈んだものが叫んでいる。

 

 帰れなかったものが、帰る者を憎んでいる。

 

 それでも、結有は拳を握った。

 

 殴るためだけではない。

 話すために。

 受け止めるために。

 必要なら、砕くために。

 

 アイが艤装を構える。

 

 がうがうが唸る。

 ろングが光る。

 ぴかが照準を合わせる。

 

 深海女王の背後で、鉄底海峡が口を開いた。

 

 その日の国連艦娘多国籍艦隊公式記録には、こう残された。

 

『第二次ソロモン海戦、開戦。偵察段階より深海中枢反応を確認。敵中枢存在を仮称、深海女王と指定。国連艦娘多国籍艦隊はリターン・ラインを維持しつつ交戦。中枢接触班、各務原結有提督およびアイ、深海女王前面への到達に成功。』

 

 浜松鎮守府非公式日誌には、最上の筆跡でこう書かれた。

 

『結有とアイ、深海女王の前にタッチダウン。世界中の艦娘が道を作った。湊さん、帰還線を絶対に切らせない。神通さん、結有の飛び蹴り気味機動に一瞬怒る。暁、帰還符を握りしめすぎて手が白い。アイ、深海女王の前で嫁宣言。状況は最悪、でも通信はまだ繋がっている。』

 

 その下に、結有の字で一文。

 

『ここが、全部の底。』

 

 さらにアイの字。

 

『深海女王。大きい。でも、私は帰らない。』

 

 最後に、神通の美しい字で追記されていた。

 

『帰還線維持。最終接触へ。』

 

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