牡丹は花火になりたい   作:ズンドロ

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第三次世界大戦で50憶人もの命が失われた。これは戻らない。私たちは多くを守れず、多くを間違えた。生き残った私たちも後世にはどうしようもない愚者として語られるだろう、あるいは創作のわかりやすい悪者にされるかもしれない。それでいい。笑われるべきことは、確かにあった。だが、だからといって、下を向いてはならない。私たちが絶望を選べば、その瞬間、死者は本当に無意味になる。ならばせめて。私たちの子孫が、私たちより少しだけマシな世界で笑えるように。私たちの子孫に笑われようとも、その子孫のために希望を残そうではないか。

────ジェリー スターリング 終戦五年祭演説より抜粋


私にはわからないことがある

2052年1月16日 天守島異能力学校生徒会室

 

「いやだから待てって!!」

 

 立川は椅子に縛られていた。ガムテープでミイラような姿になっていた。雑な梱包のようになっている。

 

「立川、お前なんで縛られてるんだよ」

 

 神藤が呆れた顔で言う。

 

「七條さんに黒井の情報を吐けって言われて、拒否したらこれさ」

「なんで黒井の情報持ってんだよ。まず俺に教えろよ」

「神藤くんもそっち側!?」

 

 立川がガムテープまみれのまま暴れた。七條は静かに紅茶を飲んでいる。

 

「悠馬、黒井くん、気にならない?」

「まあ気にはなるけど」

⦅立川お前、黒井灰=葭江躯のこと言ってないよな⦆

⦅うん言ってない。もしバレたら、今頃海の底⦆

 

 七條がが静かに紅茶を置く。彼女は何かに気づいたようだ。

 

「悠馬、知っていることを言って。全部」

「俺は何も知らない」

「本当は?」

「言えない。「七條」として知らないほうがいい。一つ言うなら国家防衛監督省の白橋校長より上だ」

 

 七條の眉がピクリと動く、そして紅茶を飲む。

 

「ならいいわ」

「引くの!?」

 

 立川が驚愕した。

 

「いやそこ!? 国家防衛監督省案件で白橋校長より上だよ!?」

「だからこそよ、それ以上は、知る側の話になる」

「…………」

 

 神藤が少しだけ目を細める。それを見た立川が嫌そうな顔をした。

 

「その反応できる辺り、七條さんも大概なんだよなぁ」

「七條家をなんだと思ってるの」

「怖い名家で内部で暗殺者の嵐」

「嵐ほどじゃないわ、基本二か月に一回くらいよ」

「多いよ……」

 

 神藤は椅子へ座った

 

「つーか、お前もよくそんな情報拾えるな」

「新聞部部長をなめないでほしい」

「いや怖ぇんだよ」

「ちなみに黒井関連、3回くらい消されかけた」

「やめろもう」

「1回は物理」

「やめろって」

 

 立川はガムテープまみれのまま続ける。

 

「あと一回、見なかったことにしましょうねって、白橋校長にめちゃくちゃ優しい声で言われた」

「うわぁ……」

 

 2人同時だった。神藤が頭を抱える。

 

「なんでお前生きてんだよ」

「俺も不思議」

 

 七條が少し考える。

 

「でも黒井くん、多分必要ならちゃんと消すわよね」

「そうだろうと思うよ、まじで怖い目にあったし。でも黒井くんって、危険じゃないよ」

「ん?」

「あの人、必要ならやるだけなんだよ」

 

 神藤が少し黙る。

 

「……あー、なんとなく分かったわ」

「だから逆に怖い」

 

 七條は静かに頷いた。

 

「ブレーキが倫理じゃなくて、必要性からきているものだから」

 

 神藤はカップにあった冷めた紅茶を飲み干し、ため息を吐いた。と、その時、生徒会室の扉が開く。

 

「…………なにしてるの」

 

 牡丹は室内を見回した、拘束されミイラみたいに見える、椅子と一体化している立川。疲れた顔でカップをもつ神藤。特務機関の総司令官のように手を組んでいる七條。

 

「…………平和」

「どこがですか」

 

 神藤が即答した。しかしどことなく精彩を欠いているようだ。

 

「…………なんで縛られてるの」

「黒井の情報吐けって言われて」

「…………なるほど」

「納得するんだ」

 

 牡丹は少し考えた。

 

「…………でも黒井、別に隠してない」

「隠してないのに国家機密級なのが怖いんですよ」

 

 牡丹は首を傾げる、理解できないからだ。

 

「…………?」

 

 神藤が疲れた顔で言う、嫌な予感がした。

 

「牡丹先生基準やめてもらっていいです?」

「…………黒井は、あしえだから」

「その説明で分かる人類いないんですよ」

 

 立川が言った瞬間、生徒会室が静まり帰った、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。

 

「…………ん?」

 

 立川が固まる、神藤が顔を覆った、七條が静かに腕を解く。

 

「菅原先生」

「…………なに」

「今、葭江って言いました?」

「……………うん、言った」

 

 立川が震える声で言う。目がマグロのように泳ぐ

 

「僕……海の底……?ダイビング部の部品借りれるかな?」

「……………あしえは、葭江………むくろ?私の上司だった」

 

 ガチャン

 

 七條が珍しく、持っていたカップを机へ少し強めに置いた。

 

「悠馬何で止めなかったの?どうしよ、いやこれ上司ってことは。菅原先生は葭江躯の部下ということは、特別異能戦略実行部隊?ああもう知らないほうがよかった」

「………そう、七條は知ってるんだ」

「…………………………菅原先生、そういう時は知らないっていうんです」

 

 七條は数秒、黙ったりこくった。彼女は説明方法を探している顔だった。神藤はもう諦めたように椅子へ沈み込み、立川はガムテープまみれのまま「終わった……」と呟いていた。牡丹だけが、本当に分からなそうだった。

 

「……………なんで?調べたらわかるよ」

 

 悪意も、挑発もない、純粋な疑問である。七條はゆっくり息を吐く。

 

「普通は分からないんですよ」

「……………?あるのに?たどり着けないの?」

 

 七條は静かに頷いた。

 

「そうです、普通の人は、辿り着けません」

 

 牡丹は本当に不思議そうに首をかしげる。

 

「………あるモノがわからないの?」

 

 まるで、光が見えない人がいるの?とでも聞くような声だった。神藤がゆっくり天井を見上げる。

 

「あー……これ、本当に感覚違うんだな」

 

 立川はガムテープまみれのまま小さく震えていた。

 

「なんか今、宇宙人と人類の対話見てる気分なんだけど……」

 

 七條はゆっくり息を吐く。

 

「あります」

「……………?」

「人間は、「そこにある」だけでは分からないんです」

 

 牡丹は黙る、理解できない顔だった。七條は慎重に続ける。

 

「例えば星がありますよね」

「……………うん」

「昼は見えないでしょう?」

「……………見えるよ」

 

 七條が止まる、神藤がゆっくり顔を覆う。立川はガムテープまみれのまま天を仰いだ。

 

「あっ、駄目だこれ」

 

 牡丹は本当に不思議そうだった。

 

「……………?」

 

 七條は数秒考えてから、疲れた顔で言う。

 

「普通の人基準で話してはいけなかったわね……」

 

 神藤が乾いた笑いを漏らす。

 

「普通の人間は見えないって前提が成立してねぇ」

 

 牡丹は少し首を傾げた。

 

「……………昼でも、ある」

「あるわ」

「……………見える」

「先生にはね!」

 

 七條が思わず突っ込む。牡丹は静かに考える。

 

「……………?」

 

 本当に、本当に理解できない顔だった。立川が小さく呟く。

 

「この人、観測できないって概念薄すぎる……」

「たぶん、見ようとして見えない経験ほぼ無いんだろ」

 

 七條は額へ手を当てた。

 

「そういうことね……」

 

 牡丹は少し考えてから言う。

 

「……………じゃあ、人間はあるだけじゃ駄目?」

「駄目です」

「……………見えないの?……………でも、星はあるよ」

「ええ」

「……………見えなくても」

「そうです」

 

 七條は慎重に言葉を選んだ。

 

「でも普通の人間は、見えないものを認識し続けるのが苦手なんです」

 

 牡丹はまた黙る。本気で考えていた。

 

「……………忘れる?」

 

 七條が少し驚いた顔をした。

 

「……近いです」

「……………見えないと、ないに近くなる?」

「そういう人も多いです」

 

 牡丹は窓の外を見たまま、小さく瞬きをする。青空に昼の星がある。これは当たり前に、彼女は見えている。だからこそ牡丹は、「見えない」という感覚が、ひどく遠い。神藤がぼそっと言った。

 

「牡丹先生って、世界をあるかないかで見てるんだな」

「たぶんね」

 

 七條が頷く。

 

「人間は、認識できるかどうかで世界を見てる。でも菅原先生は違う」

 

 牡丹は静かに呟いた。

 

「……………あるものは、ある」

「そう」

「……………見えなくても」

「ええ」

 

 七條はそこで少し苦笑する。

 

「でも人間にとって、「見えない」はかなり「ない」に近いんです」

 

 牡丹はゆっくり振り返った。

 

「……………じゃあ、機密も?」

「そう」

 

 七條は静かに頷く。

 

「普通の人には、辿り着けない。だから知らないになる」

 

 牡丹は少しだけ目を細めた。

 

「……………でも、知ろうとしたら?」

「大抵は途中で止まります」

「……………なんで?」

「届かないからです」

 

 牡丹はまた黙る。立川がガムテープまみれのまま呟いた。

 

「この人にとって情報って、海みたいなもんなんだろうな……そこにあって、繋がってて、辿れば行ける」

 

 神藤が小さく息を吐く。

 

「だから「ここから先は立入禁止」が感覚として分かりにくい」

 

 牡丹はその言葉で少し考え込む。

 

「……………白い線」

 

 牡丹はゆっくり言った。

 

「……………私は、越えられる」

「そうです」

「……………でも、人間は越えられない」

「越えられない人が多い」

 

 牡丹はそこで初めて、少しだけ困った顔をした。

 

「……………じゃあ、向こう側を見たって言うと怖い?」

 

 七條は静かに答える。

 

「とても」

 

 神藤が机へ突っ伏す。

 

「やっと伝わった……」

 

 立川は涙目だった。

 

「いやでもこれ、理解っていうか翻訳だよね!?」

「十分よ……」

 

 七條は疲れた顔で紅茶を飲み直す。牡丹はまだ少し納得していなかった。たぶん最後まで完全には分からないだろう。

 

「……………みんな、見えないんだ」

 

 その呟きには、少しだけ、人類への驚きが混じっていた。

 

 

ドドドド バァン

 

 生徒会室の扉が爆発したみたいな勢いで開き、息を切らした白橋とあきらめ顔の黒井が生徒会室に入ってきた。

 

「菅原先生ぇぇぇぇぇぇぇ!!そのことは機密って言ったでしょ」

「白橋校長、いつかは漏れる。信頼できる生徒でよかったと思うべきだ」

「よくないですよぉ!!」

 

 白橋が机へ両手を叩きつけた。

 

「「いつかは漏れる」で済ませていい機密じゃないんです!!」

「だがこいつに存在する情報を完全秘匿しろは無理だ。他国の軍人(ジェリー)軍事機密(俺の異能)のことをべらべら喋ったこともあるからな」

 

 黒井は疲れた顔のまま言う。

 

「おかげさまで、ほとんどの国が俺の異能の詳細を知っている」

「あの理由そうなんですか。もう、昔それで、会議が毎日でしたよ。ああ思い出したくない」

 

 白橋はその場で崩れるように椅子へ座り込んだ。

 

「各国から問い合わせ!抗議!確認要請!監査!説明責任!地獄でしたよ私は!!」

 

 神藤が目を瞬かせる。

 

「え、マジで国際問題なったんですか」

「なりましたよ!?」

 

 白橋が叫ぶ。

 

「しかも内容が内容なんです!!葭江躯の異能構造が他国へ流出した可能性ですよ!?」

「流出ではない、こいつが喋った」

「同じですよ!!」

 

 立川がガムテープから脱出して震える。

 

「えっ待って、あれ世界規模でやってたの……?」

「三週間寝れてませんでした」

 

 白橋が死んだ目で答えた。七條が静かに紅茶を飲む。

 

「ちなみにどこまで?」

「ほぼ全部だ」

「うわぁ……」

 

 神藤が顔を引きつらせる。牡丹は不思議そうだった。

 

「……………でも、聞かれた」

「聞かれても答えちゃ駄目なんですよ!!」

 

 白橋が半泣きで叫ぶ。どことなく老けて見える。牡丹は少し考える。

 

「……………知りたいのかと思った」

「知りたいでしょうよ!世界最強クラスの異能者の能力ですよ!?でも普通は喋らないんです!」

 

 牡丹はまた沈黙し、本当に理解できていない顔をしている。神藤が小さく息を吐く。

 

「ジェリーさん?はなんて言ってたんですか?」

「……………Youそんなこと話さないほうがいいよ」

「でしょうね」

 

 神藤は即答した。白橋は白橋は机へ突っ伏したまま力なく言う。

 

「むしろ向こう側からとめてくれたんですよ、同盟国とはいえアメリカの軍人である、あのジェリー スターリングが」

「ジェリー スターリングってあのアメリカの、「希望の象徴」ですか」

 

 神藤が目を丸くした。

 

「マジか」

 

 立川も引きつった顔になる。

 

「いや待ってください。「希望の象徴」の?」

「そのジェリー・スターリングです」

 

 白橋は遠い目のまま頷いた。

 

「会議で各国が荒れてる中、あの人だけですよ。「まず落ち着こう」って言ったの」

「うわぁ……ヒーローっぽい」

 

 神藤が苦笑する。七條が静かに紅茶を飲みながら呟く。

 

「でも、止めてくれたのは大きいわね」

「大きかったですよぉ……」

 

 白橋は完全に燃え尽きた顔だった。

 

「下手したら、「日本は最高機密を制御できていない」で国際問題がもっと大きくなってましたから」

「実際制御できてなかった」

「葭江さん黙ってください」

 

 即答だった。牡丹は少し考える。

 

「……………ジェリー、困ってた?」

「困ってましたねぇ……」

 

 白橋は当時を思い出すように顔を覆う。

 

「でも怒るより先に、「この人本当に悪気ないな」って理解したんですよ」

「……………うん」

「だから、「それは話さないほうがいい」って止めてくれたんです」

 

 牡丹は少し黙る。

 

「……………優しい」

「めちゃくちゃ優しいですよ」

 

 神藤が真顔で頷く。

 

「普通の軍人ならもっと聞き出そうとしてもおかしくない」

「というか大半はそうするわね」

 

 七條が静かに補足した。黒井は淡々としている。

 

「ジェリーは、「線」を理解してる」

「だから希望の象徴なんでしょうね……」

 

 白橋が疲れた声で言った。

 

「……………ジェリーは、知ってても越えない?」

「そういうことです」

 

 七條は尊敬する人の話を聞けて嬉しい半分、機密を知って頭が痛いのが半分で答える。

 

「知ってる。でも踏み込まない。人類社会ではそれが大事なの」

「……………難しい」

「でしょうね」

 

 白橋が力なく笑う。

 

「でも、菅原先生は少しずつ覚えてますよ。「言える」と「言っていい」は違うって」

「……………違う」

「ええ」

「……………でも、ジェリーは止めてくれた」

「そうですね」

「……………怒らなかった」

「たぶん、菅原先生だからでしょうね」

 

 神藤がぼそっと言う。

 

「人を見るタイプなんだろうなぁ、ジェリーさん」

 

 黒井どことなく嬉しそうにうなずく。

 

「だから英雄だ、ジェリーは」

 

 その声は静かだった。だが、そこにははっきりとした敬意があった。

 

プルルルル プルルルル

 

 黒井の携帯端末から着信があった。 黒井の眉間に皺が寄る。

 

「緊急連絡、誰だ?────チッ、何の用だ、嵐山異能幕僚長」

 

 生徒会室の空気が少し固まった。立川が震える。

 

「異能幕僚長って聞こえたんだけど」

「聞き間違いよ」

「七條さん目逸らさないで」

 

 端末の向こうから、落ち着いた男の声が響く。

 

『佐渡の葭江くんから連絡があってね、バレたらしいじゃん』

 

 白橋がその場で崩れ落ちた。

 

「あっ、情報共有されてる……」

 

 神藤が乾いた笑いを漏らす。

 

「佐渡の葭江くんって呼び方なんなんだよ……」

 

 黒井は露骨に舌打ちした。

 

「余計な電話をかけてくるな」

『いや確認だよ確認。誰まで知った?』

「七條の令嬢と、その婚約者、あと白橋校長が言っていた「面白い子」の三人」

 

『あー、その三人か』

 

 嵐山の声は妙に落ち着いていた。

 

『ならまあ大丈夫寄りかな』

「先輩、寄りってなんですか寄りって!!」

 

 白橋が半泣きで叫ぶ。

 

『いや完全に大丈夫な状況ではないでしょ』

「その認識あるんですね!?」

『あるよ? 一応僕、異能幕僚長だし』

 

 神藤がぼそっと呟く。

 

「一応って付ける役職じゃないだろ……」

 

 立川はガムテープを肩から垂らしたまま震えている。

 

「なんかもう感覚麻痺してきた……」

 

 嵐山は電話越しに続ける。

 

『七條家のお嬢さんは?』

「どうだ」

「「知らない」という答えでよろしいでしょうか」

 

 嵐山の声が一段と楽しそうになる。

 

『偉いねぇ』

七條は静かに紅茶を飲みながら答える。

 

「本能的に、これ以上は駄目だと理解しただけです」

『それができる時点で優秀なんだよ』

 

 神藤が小さく肩をすくめた。

 

「なんか褒め方が怖ぇんだよな、この人……」

 

 立川もこくこく頷く。

 

「「知らない」を褒められる空間初めて見た……」

 

 黒井は腕を組んだまま淡々としていた。

 

「七條は線引きができる」

『だから七條の次の当主なんだろうね』

「どうしてそれを」

 

 七條が驚いた顔をする。

 

『どうしてって』

 

 電話越しに嵐山が少し笑った気配がした。

 

『君、七條家の人間の中で一番「止まれる」じゃん』

 

 七條は一瞬、言葉を失った。神藤が横で小さく呟く。

 

「うわ、評価基準が怖ぇ……」

 

 立川も引きつった顔で頷く。

 

「「強い」とかじゃないんだ……」

 

 黒井は静かに補足する。

 

「名家ほど、止まれない人間は危険だ」

『そういうこと』

 

 嵐山の声は穏やかだった。

 

『力がある人間ほど、「越えてはいけない線」を理解してないと危ないからね』

 

 七條は静かにカップを置く。

「……随分、見られてるんですね」

『七條家を?』

「私をです」

 

 少しの沈黙、そして。

 

『見てるよ、そりゃ』

 

 軽い声だった。

 

『次代の七條だし』

 

 七條の目が少し細くなる。

 

「それ、あまり嬉しくないですね」

『だろうねぇ』

 

 嵐山は笑った。

 

『でも安心して。君のことを「危ない側」とは思ってない』

 

 七條は少しだけ黙る。その横で、神藤がぼそっと聞いた。

 

「ちなみに危ない側って?」

『葭江くんとか』

「おい」

『牡丹ちゃんとか』

「……………?」

『あと昔の僕』

 

 白橋が力なく呟く。

 

「嵐山先輩は昔もっと酷かったんですよ……」

『若かったからね』

「戦後復興期に五か国の異能部隊潰した人が何言ってるんですか」

『僕はやってないよ、葭江くんたちがやった』

「……………嵐山さんが指示した」

『細かいことは気にしない』

 

 嵐山があっけらかんと言う。白橋が机へ突っ伏した。

 

「気にしてくださいよぉ……」

 

 神藤が乾いた笑いを漏らす。

 

「「五か国の異能部隊潰した」が細かいこと扱いなんだ……」

 

 立川はもう感覚が麻痺していた。

 

「なんかもう、歴史の裏側聞かされてる気分なんだけど……」

 

 黒井は腕を組んだまま淡々としている。

 

「実際裏側だ」

「肯定しないでくれよ!」

 

 嵐山は電話越しに笑っていた。

 

『いやでも、本当に若かったんだって』

「先輩、その時もう40超えてたでしょう」

『権力者基準では若いよ』

「嫌な基準ですねぇ……」

 

 牡丹は少しだけ首を傾げた。

 

「……………五か国」

『うん』

「……………潰した」

『正確には、かろうじて崩れていなかったのを潰したかな』

 

 神藤が頭を抱える。

 

「その言い回し怖ぇんだよ……」

 

 七條は静かに嵐山へ聞いた。

 

「それで、「危ない側」なんですか?」

『うん』

 

 嵐山の声は妙に穏やかだった。

 

『力がある人間ってね、「できるからやる」に行きやすいんだよ』

 

 牡丹が少し反応する。

 

「……………できるから」

『うん。でも普通の人間は、その途中で止まる』

 

 黒井が小さく息を吐いた。

 

「俺たちは止まれなかった側だ」

『そういうこと』

 

 立川が震える。

 

「うわぁ……自己分析が重い……」

 

 白橋が小さく呟く。

 

「戦後直後は本当に、人類が壊れる寸前でしたからね……」

『文明維持優先だったからねぇ』

 

 嵐山の声から、少しだけ軽さが消える。

 

『あの時代、「やれる人間」が止まったら何百万人単位で死んだ』

 

 生徒会室が静かになった。神藤ですら黙る。黒井は淡々としていた。

 

「だからやっただけだ」

『うん』

 

 短い会話だった。だが、そこには、当時を知る者同士の重さがあった。牡丹は静かに呟く。

 

「……………幸福なほうがいい」

『そうだね』

 

 嵐山が優しく答える。

 

『でも、「幸福のためなら何をやってもいい」に行くと、人間じゃなくなる』

 

 牡丹は少し黙った。それはまさに、葭江や嵐山が彼女を一般人として過ごさせた理由だったからだ。黒井が小さく言う。

 

「だから一般人の中へ入れた」

『うん、正解だったと思うよ。マジでそうじゃなかったらどうなっていたか』

 

 嵐山は冗談みたいな口調で言った。

 

『まあ、戦争はなくなっていたね』

 

 誰も笑わなかった。神藤がゆっくり顔を上げる。

 

「……それ、比喩じゃなく?」

『うん』

 

 軽い声だった。

 

『物理的に「戦争」という選択肢が消えてたと思う』

 

 立川が喉を鳴らす。

 

「怖……」

 

 黒井は静かに目を伏せる。

 

「幸福のために、争いそのものを消す。合理的だ」

『菅原くんはできる側だからね』

 

 牡丹は少しだけ首を傾げた。

 

「……………戦争、ないほうがいい」

『そうだね』

「……………なら、なくしたほうがいい」

 

 その言葉に、神藤の背筋が少し寒くなる。黒井は淡々としていた。

 

「だから止めた」

『うん』

 

 嵐山も軽く頷く。

 

『牡丹ちゃんの怖いところって、善意100%なところなんだよ』

 

 白橋が小さく呟く。

 

「悪意ならまだ対処できるんですけどね……」

 

 七條は静かに牡丹を見る。

 

「菅原先生は、幸福なほうがいいを疑わない」

『しかも実現できる』

 

 嵐山が補足する。

 

『普通の理想論って、できないから理想論なんだよ。でも牡丹ちゃんは違う』

 

 立川が乾いた笑いを漏らす。

 

「うわぁ……」

『できる理想主義者って、ほんと一番厄介なんだよね』

 

 神藤が頭を掻く。牡丹は静かに考えていた。

 

「……………だめ?」

『駄目じゃないよ』

 

 嵐山の声は優しかった。

 

『ただ、幸福ってほら、人によって違うから』

 

 牡丹が少し黙る。

 

「……………違う?」

『うん。自分で選びたいって人もいる』

 

 黒井が続けた。

 

「たとえ苦しくても、自分で決めたい人間がいる」

「……………苦しいのに?」

「いる」

 

 短い返答だった。牡丹は理解しきれない顔をする。七條が静かに言った。

 

「人間は、正しいだけでは生きられないんです」

『そういうこと』

 

 嵐山が穏やかに笑う。

 

『だから菅原くんをあの夫妻に任せた。学校に入れた。普通の中で生きてもらうために』

 

 神藤がぼそっと言う。

 

「国家規模の教育方針が重すぎる……」

 

 立川も頷いた。

 

「世界を壊しかねない善人を一般社会に馴染ませよう計画だもんな……」

 

 白橋が遠い目をする。

 

「実際それですよ……」

「……………幸福なほうがいい」

『うん』

「……………でも、「決める」もいる」

 

 少しずつ、本当に少しずつ。牡丹は、人間を理解し始めていた。黒井はそんな牡丹を見ながら、小さく息を吐く。

 

「まあ、昔よりはマシだ」

『かなりね』

 

 嵐山が笑う。

 

『昔の牡丹ちゃんなら、「じゃあ全部幸せにするね」で本当にやってたから』

 

 生徒会室が静まり返った。神藤がゆっくり聞く。

 

「……止められたんですか?」

「止めた」

『まあ、一人幸福しか感じれなくなったけどね』

 

 空気が止まった。神藤の表情が固まる。

 

「…………は?」

 

 立川も笑えなくなった。七條だけが、静かに目を細める。白橋が頭を抱えた。

 

「ああ、その件……」

 

 牡丹は不思議そうだった。

 

「……………幸福だった」

 

 神藤がゆっくり牡丹を見る。

 

「待ってください」

「……………?」

「それ、何したんですか」

 

 牡丹は少し考える。

 

「……………脳をなおした」

「どこを」

「……………苦痛を感じるところ」

 

 神藤が絶句した。立川が震える。

 

「いや待って、それ……」

『うん、人類倫理的にはかなりアウト』

 

 嵐山が軽い調子で言う。

 

『でも菅原くん的には、「苦しいなら消したほうがいいよね」くらいの感覚なんだよ』

 

 牡丹は静かに頷いた。

 

「……………ずっと苦しいって言ってた、3時間以上の睡眠がとれない状態だった」

 

 牡丹は静かに続けた。

 

「……………だから、なおした」

「………………」

 

 神藤が言葉を失う。立川も、もう軽口を叩けなかった。白橋が小さく目を伏せる。

 

「……その人、戦後の重度PTSD患者だったんですよ」

『しかも末期寄り、常時フラッシュバック、慢性的睡眠障害、自傷傾向あり。生きてるというより、壊れながら存在してる状態だった』

 

 生徒会室が静まり返る。牡丹だけが、本当に不思議そうだった。

 

「……………肉体が崩壊しかけていた」

 

 牡丹は静かに続けた。

 

「……………睡眠不足で脳機能も落ちてた。自律神経も壊れかけてた。ストレスで脳の構造も変化していた」

「………………」

 

 神藤は何も言えなかった。立川も、ただ黙って聞いている。

 

 牡丹は本当に、「壊れたものを修理した」感覚なのだ。

 

「……………だから、なおした」

 

 神藤が言葉を失う。立川も、もう軽口を叩けなかった。白橋が小さく呟く。

 

「その人は、手の施しようがなく、安楽死も視野に入っていました」

 

 白橋の言葉に、生徒会室の空気がさらに重くなる。

 

「………………」

 

 神藤は何も言えなかった。立川も、もう軽口を挟めない。白橋は静かに続ける。

 

「当時の医療技術でも限界だったんです。薬も効かない、睡眠も取れない、精神安定も不可能。肉体まで崩壊しかけていた」

『正直、延命だったね』

 

 嵐山の声も静かだった。

 

『本人も、「もう終わりにしたい」って言ってた』

 

 牡丹は少しだけ目を伏せる。

 

「……………苦しそうだった」

 

 その声には、ただ事実を述べる響きしかなかった。黒井が淡々と言う。

 

「だからこいつは治療した」

『そして実際、助かった』

 

 七條が静かに聞く。

 

「……では、なぜ問題になったんですか」

 

 少し沈黙。

 

 白橋が答える。

 

「救えたからです」

「……………?」

 

 七條は続きを待つ。

 

「人類倫理が想定していない形で、人を救えてしまった」

 

 静かな声だった。神藤がゆっくり息を吐く。

 

「……ああ、そうか」

 

 理解した。普通なら不可能だった。だから、議論されなかった。だが牡丹は、それを可能にしてしまった。立川が震える声で言う。

 

「苦痛を消して救うが実現できちゃったんだ……」

『そう』

 

 嵐山が答える。

 

『しかも牡丹ちゃんにとっては、直せるなら直すかくらいの感覚なんだよ』

 

 牡丹は静かに頷く。

 

「……………壊れてた」

「ええ」

 

 七條は否定しなかった。

 

「だから、あなたは間違ってはいないんです」

「……………?」

 

「でも、正しいだけでは済まない」

 

 牡丹は少し黙った、難しい顔をしている。黒井が静かに言う。

 

「幸福だけにすると、人間は偏る」

『苦痛も恐怖も、人間の判断を形作ってるからね』

 

 嵐山が補足する。

 

『それを全部切除すると、穏やかにはなる。でも、人間らしさも削れる』

 

 牡丹は窓の外を見る。

 

「……………でも、生きてた」

「そうだ」

 

 黒井は頷いた。

 

「だから俺も、間違いだったとは言わん」

 

 神藤が少し驚く。

 

「葭江さん……」

「だが、正解とも言わん」

 

 その言葉に、室内が静かになる。白橋が小さく笑った。

 

「だからずっと、保留なんですよ。この問題」

『戦後9年経っても結論出てないしね』

 

 嵐山が苦笑する。立川がぼそっと言う。

 

「なんかもう、SF倫理問題なんだけど……」

「実際そうよ」

 

 七條が静かに答えた。

 

「人類ができなかったから考えなくて済んだ問題です」

 

 牡丹はまた少し考える。

 

「……………なおせる」

「ええ」

「……………でも、やりすぎると、人間じゃなくなる」

「そうです」

 

 七條が頷く。牡丹は小さく呟いた。紅茶がポットから流れ出し、空中で球体に変化する。

 

「……………難しい」

 

 紅茶を飲んだ、その声は、少しだけ寂しそうだった。立川が何かに気づいた

 

「菅原先生の異能はエネルギー干渉型じゃ、どうやって直したんですか」

「……………壊れている部分を分解して」

 

 牡丹は静かに、自分にとっては当たり前のことを説明するみたいに続けた。

 

「……………正常な状態に、組み直した」

 

 数秒、誰も言葉を発しなかった。

 

「……………………は?」

 

 最初に声を出したのは神藤だった。理解が追いついていない顔をしている。立川も口を半開きにしたまま固まっていた。

 

「待ってください、組み直すって、何を」

「……………脳、壊れてたから」

 

 神藤の喉が引きつる。七條だけが静かに目を細めていた。白橋は頭を抱えている。

 

「ああもう、その説明を雑にしないでください……」

 

 牡丹は少し考える。

 

「……………神経が潰れてた。発火も崩れてた。だから、壊れてるところをほどいて」

 

 彼女は空中へ指を伸ばす。紅茶の球体が静かにほどけ、糸みたいに細い線へ分解された。

 

「……………つなぎ直した」

 

 空気が凍った。神藤がゆっくり聞く。

 

「……まさか原子レベルで?」

「……………うん」

 

 立川が椅子ごと後ろへ下がる。

 

「いやいやいやいや待って待って待って」

 

 牡丹は本当に不思議そうだった。

 

「……………?」

 

 黒井が静かに補足する。

 

「こいつは物質を構造単位で見ている」

『人間も例外じゃないんだよね』

 

 嵐山が電話越しにため息混じりに言った。

 

『だから菅原くんにとって、脳も臓器も神経も骨も筋肉も、壊れる構造体なんだ』

 

 七條が静かに聞く。

 

「……では、精神は?」

 

 牡丹は少し黙った。

 

「……………脳」

 

 即答だった。悪意も躊躇もない。

 

「……………感情も、記憶も、苦痛も、発火と構造」

 

 神藤が絶句する。立川が震える声で言った。

 

「この人、心を物理現象として見てる……」

 

 牡丹は小さく瞬きをした。

 

「……………そうじゃなきゃなに?」

 

 本当に、何を驚かれているのか分からない顔だった。白橋が疲れ切った声で呟く。

 

「だから怖いんですよ……」

『しかも本人に倫理違反の自覚が薄い』

 

 嵐山が続ける。

 

『だって菅原くんからすると、壊れた人を治療しただけだから』

「……………?」

 

 牡丹はまだ理解できていない顔をしている。

 

「……………苦しそうだった」

 

 静かな声だった。

 

「……………眠れなくて、ずっと壊れてて、死にそうだった」

 

 誰も口を挟めなかった。

 

「……………だから、なおした」

 

 その言葉には、善意しか入っていなかった。だからこそ、恐ろしかった。

 

『あー、樋野くんなに────────。ごめん仕事だった。うん、でもその人は菅原くんに感謝をしていたよ』

 

 生徒会室には、しばらく誰も言葉を発さなかった。空調の低い音だけが響いている。牡丹は静かに紅茶を飲んでいた。自分が何か異様なことを言った自覚は、やはり薄い。神藤がゆっくり口を開く。

 

「……その人、今は?」

『生きてるよ』

 

 嵐山が答えた。

 

『普通に働いてる。睡眠も取れてるし、自傷も止まった。酒の飲みすぎで健康診断に引っかかった』

「人間らしくなってるじゃないですか……」

 

 立川が呆然と呟く。白橋は疲れた顔で頷いた。

 

「ええ。だから余計に、否定しきれなかったんです」

 

 七條が静かに聞く。

 

「……その方は、変えられたとは感じていない?」

『感じてないね』

 

 嵐山は少しだけ声を落とした。

 

『むしろ、「やっと眠れた」って泣いてたよ』

 

 空気が重くなる。牡丹は少しだけ目を伏せた。

 

「……………眠れるの、大事」

 

神藤は反射的に反論しかけて、止まった。違う、と言い切れなかったからだ。もし毎日、眠れず、苦痛が続き、脳が壊れ、死ぬことだけを考え続ける状態なら、そこから救われた人間へ、「それは間違った救いだ」と言えるのか。立川が小さく呟く。

 

「なんかもう、正しいとか間違いとか分かんなくなってきた……」

「それで正常よ。人類がまだ答えを持っていない問題だから」

 

 黒井は腕を組んだまま窓の外を見ていた。

 

「だから今も制限している」

 

 神藤が顔を上げる。

 

「制限?」

「菅原は、自分からは脳へ干渉しない」

 

 牡丹が小さく頷く。

 

「……………許可がいる」

 

 立川が目を瞬かせる。

 

「ちゃんとルールあるんだ……」

 

 白橋が苦笑した。

 

「はいあらゆる異能での脳の干渉は許可制になってます」

 

 神藤が少し眉をひそめる。

 

「……あらゆる?」

 

「ええ」

 

 白橋は頷いた。

 

「記憶操作、感情制御、認知改変、人格誘導。程度の差はあれど、精神へ直接触る異能は全部、国家監査対象です」

 

 神藤は嫌な顔をした。

 

「……あー、やっぱ俺も対象か」

 

 黒井は否定しなかった。

 

「お前は精神干渉型だ。それも範囲が広い」

「え、神藤くんってそんな危ない系なの?」

「危ない系って言い方やめろ」

 

 神藤は顔をしかめたが、黒井は淡々としていた。

 

「記憶、認識、感情誘導、精神安定、恐怖緩和、知覚補助。応用幅が広すぎる」

 

 七條が静かに補足する。

 

「つまり、できることが多いのね」

「そうだ、精神系は、出力より自由度のほうが危険になる」

 

 生徒会室が少し静かになる。立川が小さく呟いた。

 

「……あー、それ、菅原先生と似てるんだ」

 

 黒井が頷く。

 

「方向性は違うが、本質は近い。制限がなければ、人間の根幹へ触れられる」

 

 神藤は椅子へ深く座り込み、天井を見た。

 

「だから監視役付き、と」

「嫌か?」

「そりゃ嫌だろ」

 

 即答だった、だが神藤はすぐに小さく息を吐く。

 

「……でも必要なのも分かるわ」

 

 その言葉に、黒井は少しだけ目を細めた。七條が興味深そうに神藤を見る。

 

「意外ね。悠馬はもっと反発すると思っていたわ」

「昔はした」

 

 神藤は苦笑した。

 

「でもさ、精神系って本人だけで完結できない」

 

 立川が首を傾げる。

 

「どういうこと?」

「例えば、相手を落ち着かせる」

 

 神藤は指を一本立てた。

 

「それ自体は善行に見えるだろ。でも、どこまで落ち着かせるかで、もう操作になる」

 

 七條が静かに頷く。

 

「怒るべき場面で怒れなくなるかもしれない」

「そう」

 

 神藤は続けた。

 

「恐怖を消す。苦痛を和らげる。不安を軽くする。全部、善意でできる。でもやりすぎると、人間の判断そのものを変える」

 

 牡丹は静かに聞いていた。

 

「……………神藤も、なおせる?」

「俺は先生ほどじゃない」

 

 神藤は苦笑する。

 

「でも、感情には触れられる」

 

 牡丹は少し考える。

 

「……………苦しくないほうがいい」

「そうだな」

 

 神藤は頷いた。

 

「だから危ないんだよ。精神干渉って」

 

 牡丹が小さく瞬きをした。

 

「……………?」

 

 黒井が静かに言った。

 

「苦痛を消すのは、正しいように見える」

「……………うん」

「だが人間は、苦痛込みで選択する生き物だ」

 

 神藤も続ける。

 

「例えば、俺は親父を戦争で失って、母親がすごい苦しんだ」

「……………うん」

「その苦しみを全部消せるとして、本当に消していいのかって話」

 

 牡丹は少し黙る。

 

「……………苦しいのに?」

「すごい苦しんでいたよ」

 

 神藤は笑わなかった。

 

「でも、その痛みごと大事にしたいって言ってた」

 

 立川がぼそっと言う。

 

「うわぁ……難しい話になってきた……」

 

 七條が静かに紅茶を飲む。

 

「精神干渉型が危険視される理由ね」

 

 白橋も頷いた。

 

「だから国家監視対象です。特に神藤くんは自然にできてしまうタイプなので」

「嬉しくねぇ評価だな……」

 

 神藤が頭を掻く。黒井は腕を組んだまま淡々としていた。

 

「だが、お前は止まれる」

 

 神藤が少し目を向ける。

 

「……買い被りすぎじゃないですか」

「止まれない人間は、自分から危険性を認めない」

 

 短い言葉だった。生徒会室が少し静かになる。立川がぽつりと呟く。

 

「なんか今日、強い人間じゃなくて、止まれる人間ばっか評価されてない?」

 

 七條が小さく笑った。

 

「たぶん、この部屋ではそれが一番重要なのよ」

 

 牡丹は静かに窓の外を見る。

 

 青空の向こう、昼の星がまだ見えていた。

 

「……………止まる」

 

 小さな声だった。黒井がその横顔を見る。

 

「できるか?」

 

 牡丹は少し考える、長い沈黙、そして言った。

 

「……………みんなが嫌なら、止まる」

 

 神藤が苦笑した。

 

「そこ、自分が納得したからじゃないんだな」

 

「……………?」

 

「いや、先生らしいけどさ」

 

 神藤は椅子へ背中を預けた。

 

「たぶん先生、自分の正しさは疑ってないだろ」

 

 牡丹は静かに頷いた。

 

「……………うん」

 

 迷いのない肯定だった。

 

「……………苦しいより、苦しくないほうがいい」

 

 誰も否定できなかった。それは、あまりにも正しい。だからこそ、人間はその正しさに恐怖するのだ。




人物紹介

菅原 牡丹  (21 女)
本作の主人公。天守島異能力学校2-B担任。天体観測を昼にできる。

神藤 悠馬 (17 男)
精神干渉系の異能者。天守島異能力学校2-B。新聞部。母親に異能を使ったことはない。

立川 一   (17 男)
二キロメートルまで、聴覚を飛ばすことができる異能者。天守島異能力学校2-B。新聞部部長。実は異能自衛隊の情報将官候補になっている。

七條 葵   (17 女)
紅い電気のようなものとなり、また操ることができる異能者。天守島異能力学校2-B。天守島異能力学校生徒会会長。七條家次期当主。この後、八谷に何かあったと聞かれる。

黒井 灰  (17 男)
その正体は異能自衛隊特異異能尉、葭江 躯。天守島異能力学校に潜入任務として入る。正体がバレ、七條からサインをねだられた。


白橋 不羈  (48 男)
情報を遮断する霧を発生させることができる異能者。天守島異能力学校学校長。牡丹に直された人はこの人の元部下。

嵐山 実巳   (51 男)
異能自衛隊異能幕僚長、死んだら自分の時間を5秒間巻き戻すことができる異能者。全知個体の葭江躯から連絡を受けて黒井に電話した。牡丹の事を世界で2番目に知っている人。一番は葭江躯の全知個体。
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