帰属問題なお膠着
EU・中華連合・マスマフ首長国連合が領有権主張
国際人口調査機構は30日、アフリカ大陸の推定人口が100万人を下回ったと発表した。アフリカは第三次世界大戦において主要戦域として指定され、大規模な異能部隊および戦略兵器の投入を受けた地域である。終戦から9年が経過した現在も統一的な統治機構は再建されておらず、EU、中華連合、マスマフ首長国連合による帰属問題は膠着状態が続いている。
────毎朝新聞2051年10月31日の朝刊の見出し
2052年1月19日 東京港三鷹市のバー「ROまん」
営業時間外の店内は静かだった。入口には、CLOSEの札が架けられている。カーテンも閉じられている。破邪は店内を一周した。換気口、照明、酒棚、冷蔵庫、カウンター下、どれも異常なし。もっとも、仮に盗聴器があっても発見できる。だが確認は習慣だった。認識阻害は万能ではない。頼り切る者から死ぬ。"破邪""はそう考えている。確認を終えると、カウンター席に腰を下ろした。ノートパソコンを開く。画面に次々と接続が表示された。世界各地の支部。それぞれ異なる名を持つ者たち。全員が揃ったのを確認し、破邪は口を開く。
「みんなそろっているね。
『夜中にやるなよ』
即座に文句が飛んだ。画面の向こうで欠伸をしている男が今回の主役だ。
『Torchbearersの”
ざわめきが起きる
「
”破邪”が静かに尋ねる。
『あることには気づかれた。場所は”鏡門”の嬢ちゃんが、運んだが、跡地に気づいたってとこだ』
会議に緊張が走る。
『跡地だけか?』
『ゲートそのものじゃない?』
『構成員との接触は』
『今のところ確認されてない』
博士は肩を竦めた。
『だが相手はジェリーだ、保証はできん』
誰も反論しない。保証できる人間などいない。破邪は数秒考えた。
「"鏡門"は?」
『無事だ、予定通り次の設置先へ移動してる』
「追跡は?」
『確認されてない』
破邪は頷いた。それならまだ被害は限定的だ。少なくとも表面上は、だが問題はそこではない。
「ジェリーは何をしていた?」
『いつもどうりの、異能者のイメージアップだ』
数秒。会議室が静まり返る。
『は?』
『なんでだ』
『それで見つかるのか』
博士が疲れた顔で続ける。
『病院を回って、孤児院を回って、テレビ局の取材を受けて、その帰りだ。港の労働者に差し入れをしていたら”鏡門”の異能の痕跡を見つけたらしい。』
沈黙。
『意味が分からん』
『本当に意味が分からん』
『仕事してるだけじゃないか』
『善行しかしてないぞ』
誰かが頭を抱えた。”博士”も同じ気持ちだった。
『私に言うな、本人に言え』
破邪が静かにコーヒーを口に運ぶ。
「ジェリー スターリングだからじゃないかな」
誰も反論できなかった。それ以上の説明が存在しない。
「ジェリーはなんと言っていた?」
『潜入任務中のやつ曰く、「珍しい異能だネ、軍に欲しいヨ。でも入るには少し若すぎるgirlネHAHAHAHA」』
”博士”はさらに続けて言う。
『異能の痕跡だけを見てこれだ。まったく理不尽というほかない。年齢、性別、異能の用途、全部推測してやがる。しかも半分以上当たってる』
会議室に重い沈黙が落ちる。
『どうやってるんだ』
『知らん』
『異能か?』
『本人は勘だと言っている』
『最悪だな』
誰かが呟いた。全員が同意した。勘と言われるのが一番困る。対策のしようがない。破邪は静かにコーヒーを飲んだ。
「まあ、ジェリーだからね」
『その一言で済ませるな』
「済むよ」
破邪は平然としていた。
「ジェリーは昔からそうらしい。現場を見て、痕跡を見て、数秒考える。そしてだいたい当てる」
誰かが頭を抱えた。
『本当に嫌だな』
『敵にしたくない』
『味方でも嫌だ』
『味方ならまだいい』
『敵よりはマシだ』
意見が割れ始める。”博士”が咳払いした。
『とにかく、現時点で組織への興味は確認されていない。調査行動もなし。追跡もなし。軍への報告もなし』
破邪は頷いた。
「なら問題ない」
『本当にか?』
「うん。ジェリーが本当に危険なのは、興味を持った時だ」
静かな声。
「今は、珍しい異能を見つけた。それだけだから笑って終わってる」
そして少しだけ表情を曇らせる。
「もし笑わなくなったら」
会議室が静まり返る。
「その時は、逃げる準備をした方がいい」
誰も反論しなかった。ジェリー・スターリングは最高位異能者であり。
そして――人類の希望そのものだ。だからこそ彼らにとってやり難い。
「さて、せっかくみんな集まったんだ、なにかあるかい?」
”破邪”が尋ねる。
『ない』
『ありません』
『”首無鴉”が飲んだ酒代はお前に請求するぞ”破邪”』
「ああ、分かった。彼は役に立っているかい?」
『かなりな』
即答だった。画面の向こうで何人かが頷く。
『戦闘能力だけなら支部長クラスだ』
『仕事も早い』
『口は悪いが有能だな』
破邪は小さく笑った。
「それは良かった」
『良くない』
別の画面から声が飛ぶ。
『あいつ先月だけでワインセラー三本空にしたぞ』
『こっちはウイスキーだ』
『私のところではブランデーだった』
沈黙、破邪はそっとコーヒーを飲んだ。
「請求書は後で送ってくれ」
『払うのかよ』
『払うんだな』
『お前、甘すぎないか』
破邪は肩を竦める。
「有能な人材は大事だからね」
『それで済む額じゃない』
『酒代だけで車が買える』
『あいつ本当に人間か?』
画面の隅で誰かがため息を吐いた。首無鴉。継火が外部契約している傭兵。実力だけなら世界でも上位に入る。問題は酒量だった。
『酒を飲むか戦うかしかしてない』
『戦場でも飲んでる』
『酔ってる方が強いんじゃないか?』
『本人もそう言ってた』
会議室の空気が少しだけ緩む。ジェリーの話が出た直後だっただけに、このくらいの雑談はありがたかった。破邪は議題一覧を確認した。特に大きな問題はない。各支部とも順調。資金も確保。ゲート網も拡大中。百年計画も予定通り。だからこそ逆に不安になる。
順調すぎる。破邪はそういう時ほど警戒する。
「"鏡門"関連は以上だね。では私からボスには通達したが、天守島に葭江躯の分体がいた。そして、私の異能を破る者がいた」
沈黙。今度は本当に誰も喋らなかった。
『待て』
最初に口を開いたのは”博士”だった。
『今なんと言った』
「聞こえた通りだよ」
破邪は平然としている。
「葭江躯の分体。そして認識阻害突破者」
『……冗談だろ』
『そっちの方が問題だ』
『ジェリーの話じゃなかったのか』
『なんで後から出てくる』
誰かが頭を抱えた。ジェリーにアメリカ支部の痕跡発見。確かに危険だ。だがそれはまだ遠い。しかし今の話は違う。すでに足元にいる。しかも二つ同時だ。破邪はコーヒーを飲んだ。
「安心してほしい」
『安心できる要素が一つもない』
「今のところ敵対はしていない」
『今のところだろ』
「そうだね」
あっさり認めた。会議室の空気がさらに重くなる。
『葭江躯は本物か』
「おそらく」
『おそらく?』
「黒井灰という名を使っていた。だから分体と判断した」
『本体だったら?』
「少なくともここにいたのは、私の代わりに遺影だね」
誰も笑わなかった。冗談ではないからだ。
『……分体でよかったと思うべきなのか?』
「うん」
破邪は即答した。
「気づかれていなかった」
会議室が静まる。誰もすぐには言葉を返さなかった。
『それは……確定か?』
「ほぼ」
破邪は頷く。
「少なくとも黒井灰はね。問題は私の認識阻害を破ったほうだ」
空気が変わる。葭江躯は危険だ。だがそれは分かっている危険だ。問題はもう片方。
『誰だ?白橋 不羈か?』
「彼じゃない。彼の異能は情報を隠すものだ。菅原牡丹という女性教師だ」
『本当に誰だ?』
『聞いたことがない』
『日本政府か?』
『軍か?』
「分からない」
破邪は正直に答えた。
「ただ、彼女の勤務先に葭江躯がいた」
会議室が静まる。
『教師か?』
「いや」
破邪は首を振った。
「生徒だ」
沈黙。
『……は?』
『誰が?』
「葭江躯」
『生徒?』
「高校二年生として潜入していた」
さらに沈黙。
『意味が分からん』
『待て』
『葭江躯だぞ?』
『あの葭江躯か?』
「その葭江躯だ」
誰かが頭を抱えた。
『なぜ高校生なんだ』
「潜入任務だからじゃないかな」
『そういう問題か?』
『国家戦力だぞ』
『高校に潜入させるな』
『いや潜入できるのか』
『できたからいるんだろ』
会議の空気が少しおかしくなる。だが破邪は真面目だった。
「問題はそこじゃない」
全員が黙る。
「葭江躯分体といえ私に気づかなかった」
『良かったじゃないか』
「うん」
破邪は頷く。
「でも菅原牡丹は気づいた」
静寂。
『……ああ』
『なるほど』
『それは面倒だ』
今度は全員が理解した。葭江躯が危険なのは当然だ。だが葭江躯に見つかる危険は織り込み済み。問題は、葭江躯が見つけなかったものを見つけた教師ということだった。
「だから調べている」
破邪はコーヒーを飲む。
「少なくとも普通の教師ではない。経歴は中学生からずっとニートをしている40代よりも白い。けど見ようとした異能自衛隊に潜入していた子が3人死んだ。最後の子が死ぬ前に送信したのはこれだ」
名前
生年月日 2030年12月21日 (満 21歳)
住所 千葉県新船橋市 3-3-1
2030年12月21日 出生
2052年1月12日 天守島異能力学校に異能戦闘訓練の教師として勤務
教員免許
『経歴書。これがすべてか?』
「ああ、私も驚いたよ」
”破邪”は頷き、カップにコーヒーを注いだ。しばらく沈黙が続く。誰もが資料を見返していた。出生、教師就任。その二行だけ。人生が丸ごと抜け落ちている。
『いや待て』
最初に口を開いたのは”博士”だった。
『近隣調査はしたんだろうな?』
「もちろんしたさ」
『結果は?』
「7年前から菅原家に住んでいる。近所は全員知っている」
『親族扱いか』
「ひ孫らしい。菅原夫妻がそう説明した」
『戦争孤児か』
『難民の子か』
『珍しくもないな』
その通りだった。第三次世界大戦後、親を失った子供。戸籍を失った子供。国籍が消えた子供。そういう人間は珍しくない。親戚が引き取ることもあった、血縁の有無すら曖昧なこともある。
『なら説明つくじゃないか』
誰かが言った。だが破邪は首を振る。
「そこまではね」
そして資料を示した。
「問題はその後だ」
『何がだ』
「誰も彼女の過去を知らない」
静寂。
「7年前に現れた。そこまでは全員一致している。でもそれ以前を知る人間がいない」
『戦争で家族が死んだんだろ。よくある話だ』
「そう思った」
破邪は頷いた。
「だから調べた」
そして続ける。
「何もなかった」
『何も?』
「孤児院、避難所、難民記録、移住記録、医療記録、学校記録。全部ない」
『……』
「戦争孤児なら普通は何か残る。戸籍がなくても避難記録くらいは残る。だがない」
誰も喋らない。
「だから変なんだ」
破邪は資料を閉じた。
「7年前からは普通なんだよ。近所付き合いもある。買い物もする。挨拶もする。菅原夫妻とも仲が良いという目撃情報もあった」
そこまで聞けば普通の娘だ。だが、「7年前以前だけが存在しない」その一言で全てが不気味になる。
『……つまり、突然現れたように見えるのか』
「そう」
”破邪”は苦笑した。
「しかも本人は教師をしている。教員免許まで持っている。なのに取得過程が存在しない」
『やめろ、また怖くなってきた』
誰かが頭を抱えた。
『戦争孤児の話なら理解できる』
『だが教員免許が理解できない。そこだけ急に現代社会へ戻るな』
”破邪”も同意だった。戦争で記録が消えた。それはよくある。しかし、教員免許だけが何事もなかったように存在している。そこが一番説明できない。
「あと、嵐山実巳が菅原牡丹の教員免許取得に関与したという情報もある」
会議室が静まる。
『嵐山実巳、異能幕僚長の?』
『異能自衛隊トップの?』
「そう」
破邪は頷く。
『なるほど』
『じゃあ経歴操作か』
『教師にするために作ったんだろ』
誰かが言った。だが破邪は首を振る。
「違う、調べた」
破邪は資料を切り替える。
「嵐山が触ったのは教員免許だけらしい」
『……は?』
「それ以前の空白は元から存在していた」
数秒、誰も理解できなかった。
『待て、つまり経歴を消したんじゃないのか』
「うん」
『作ったんじゃないのか』
「うん」
『じゃあ何をした』
「教員免許を渡した」
会議室が静まる。
『なんで?』
「知らない」
『教師にするためか、理由は?』
「知らない」
再び沈黙。
『待て、じゃあ出生から14歳まで空白。14歳から21歳までは菅原家で生活。そして嵐山が教員免許を用意した』
「そういう風に見える」
誰かが頭を抱えた。
『余計に意味が分からなくなった。嵐山が隠したなら理解できる。嵐山が捏造したなら理解できる。だが免許だけ与えた?』
「そうだ」
破邪は本気でそう思っていた。異能自衛隊の頂点。日本で最も強い権限を持つ男の一人。その嵐山実巳が、経歴不明の女に教員免許だけ与えた。それ以外は何もしていない。
『……嵐山は正体を知っているのか?』
「知っている可能性は高い」
『可能性?』
「知っているならまだ説明できる」
『知らないなら?』
破邪は少し考えた。
「もっと嫌だね」
誰も反論しなかった。嵐山実巳ほどの人間が、正体不明の人物へ教員免許を与え、教師として送り出している。その方がよほど理解できない。
『結論』
博士が言った。
『触るな』
『賛成』
『全面的に賛成』
『嵐山実巳が動いた。葭江躯そしてその教師同じ場所に集まってる時点で近づきたくない』
満場一致だった。破邪はコーヒーを飲み干す。
「私も同意見だ。少なくとも今はね」
会議の参加者たちは知らない。実際の菅原牡丹は、最高位の異能者の”花火”であり。7年前に菅原家へ来て、静かに暮らし、たまに買い物へ行き、石鹸で全身を洗い、最近教師になっただけだった。 今この瞬間も、組織が総出で警戒していることなど知らず、たぶん生徒の提出物でも眺めている。その事実を、この会議室にいる誰一人として知らなかった。
────
────────
その夜、バー「ROまん」は閑古鳥が鳴いていた。
「まったく、暇だね」
カウンターはきれいに磨かれ、グラスには曇り一つない。酒棚は埃もない。全ての掃除は終わっている。”破邪”はため息をついた。
現在22:10。常連客が一人二人程度来てもいい時間帯だ。
カラン
ドアベルが鳴る。破邪は顔を上げた。
「いらっしゃい」
入ってきた人物を見て、一瞬だけ目を細める。菅原牡丹だった。
「こんばんは。始めてのお客さんかい?」
「……………こんばんは。おじい様……目白の紹介」
「ああ、目白さんの」
”破邪”は納得した。菅原目白はこの店の常連だった。酒に強いわけではない。だが植物の話や昔話を肴に、静かに飲んでいく客だった。
「それで来てみたのかい?」
牡丹は頷く。
「……うん」
「何か飲みますか?」
「……………beestoneの10年、ボトルとジョッキを」
「アルコール60%あるけど大丈夫ですか」
「……………大丈夫です。そういう異能」
「なるほど、どうぞ」
トクトクトクトク
濃い琥珀色の液体がジョッキに注がれる。そして牡丹は一気に飲み干した。
「……………ふう、樽のいい香り」
ジョッキがカウンターへ置かれる。空だった。破邪は数秒それを見つめた。Beestone10年、アルコール度数60%、しかもジョッキ一杯。普通の人間なら病院行きだ。
「本当に大丈夫そうだね」
「……………うん」
牡丹は頷く。
「……………酔えないから」
「便利なのか不便なのか分からない異能だ」
「……………おじい様も同じこと言ってた」
牡丹はそう言ってボトルへ手を伸ばす。そして自分でジョッキへ注ぎ始めた。
トクトクトクトク
遠慮がない。破邪は少しだけ眉を上げた。
「気に入ったようだね」
「……………うん……………木の匂いがする。甘い」
「それは褒め言葉として受け取っておくよ」
再びジョッキが空になる。顔色は変わらない、呼吸も乱れない、脈拍すら変化していないように見える。破邪は観察する。職業柄でもあり、本能でもあった。
人を見る
癖を見る
嘘を見る
それが生き残る術だった。だが目の前の女は妙だった。酒を飲んでいる。確かに飲んでいる。しかし身体が一切反応していない。まるで水でも飲んでいるようだった。
「ずいぶん強力な異能なんだね」
「……………そうかも」
牡丹は曖昧に答えた。興味がないのだろう、自分のことなのに。破邪は苦笑する。昼間の会議で世界規模の組織が警戒していた相手とは思えない。本人は酒の香りについて考えている。しばらくして牡丹が口を開いた。
「……………私は学校で先生をしている」
「ああ、目白さんが言っていた。ひ孫が学校で働き始めたと。君だったのか」
「………………最近、学校に不審者が入った。認識阻害の異能者」
ジョッキを持ったまま牡丹が言う。”破邪”の表情は変わらない。だが内心では静かにため息をついた。やはりその話か。
「物騒だね」
「……………うん…だから探した」
「見つかったのかい?」
「……………ううん」
即答だった。破邪は少しだけ驚く。
「見つからなかった?」
「……………もういなかった」
それだけ言って酒を飲む。破邪は相槌を打つ。
「それは残念だ」
「……………でも」
牡丹は続けた。
「……………目的はたぶん終わってた」
静かな声だった。
「……………生徒は無事だったし」
「それは良かった」
「……………うん」
数秒沈黙。店内にはジャズだけが流れている。牡丹はジョッキを眺めながら言った。
「だから今は別にいい」
破邪は黙って聞く。
「でも」
牡丹は顔を上げる。
「……………次は困る」
その言葉に威圧感はない。殺気もない。ただの事実確認だった。教師が生徒の話をしているだけ。だが”破邪”には十分だった。
「君は生徒思いなんだね」
「先生だから」
またその答えだった。牡丹にとってはそれだけなのだろう。
教師だから守る。
教師だから気にする。
教師だから止める。
そこに善悪も思想もない。破邪はようやく理解した。昼間の会議で感じていた違和感の正体を。この女は世界を救いたいわけではない。世界を壊したいわけでもない。ただ、自分の教え子に手を出されるのが嫌なだけだ。
「なるほど」
破邪は笑った。
「なら安心してほしい」
「……………?」
「私はバーの店主だからね」
牡丹は数秒考え、
「……………それもそう」
と頷いた。破邪は内心で苦笑する。信じるのか、そんな簡単に。だが同時に分かる。この女は嘘を見抜けないのではない。見抜いた上で、今はそれ以上どうでもいいのだ。
「おすすめのカクテルがあるんだ、飲むかい?」
「……………うん」
”破邪”は少しだけ考える。そして酒棚の奥から数本のボトルを取り出した。
「これは目白さんのお気に入りでね。最後によく頼むんだ」
「……………そうなんだ」
「ああ」
”破邪”は氷を入れる。静かな音が響く。シェイカーを振る。慣れた動きだった。数十秒後。淡い紫色のカクテルが差し出される。
「どうぞ」
牡丹はグラスを持ち上げる。一口。数秒考える。
「……………甘い」
「さっきも同じことを言ったね」
「……………でも違う」
「ほう?」
「………花みたいな匂いがする」
”破邪”は少しだけ驚いた。そこまで分かる客は少ない。
「正解だ」
「……………?」
「花の香りを使っている」
牡丹はもう一口飲む。今度はゆっくりだった。香りを確かめている。
「……………おいしい」
「バーテンダー冥利に尽きるよ」
────
────────
「……………ふう」
酒を飲み干した牡丹は、財布を取り出す。
「……………いくら?」
「……………53万6000円です」
「おいしかった。今度は受付してから来てね」
「えっ。ああ、うん」
カラン
牡丹は扉を開けてしっかりした足取りで出て行った。”破邪”は思わず座り込む。
「いや、飲みすぎだよ。感覚だけじゃなく、臓器も特別か。毒も効かないかなこれじゃあ。天守島の潜入やめてよかった」
大量の空き瓶を片付けるべく”破邪”は立ち上がった。
プルルルルプルルルル
「”鏡門”なにかい。今私は大変疲れているんだ」
『……………”破邪”。警察に補導された。迎え来て』
「……………わかったよ。どこだい?」
『三鷹警察署』
”破邪”はコートを着た。CLOSEの札をかけて、店の鍵を閉めて、”鏡門”の回収に向かった。
夜風が冷たい。破邪は車を走らせながらため息をついた。
「今日は厄日かな」
昼にジェリー。夜に菅原牡丹。そして現在。補導された”鏡門”。頭が痛い。二十分後。
三鷹警察署
受付で名前を告げる。警察官は露骨に安心した顔をした。
「ああ、保護者の方ですね」
「そんなところです」
案内された先。長椅子に座る”鏡門”がいた。その近くに婦警が二人。
「ああ、保護者の方、こんな時間に歩いていたので補導をしました。近頃物騒ですので、保護の意味もあります」
「本当にすみません。鏡花だめだよ。今日は友達の家に泊まると言ってたけど」
「うっさい、帰る。波並はなんで連絡できなかったの」
鏡花は不機嫌そうに言った。婦警が少し困った顔になる。
「お知り合いなんですよね?」
「ええ、一応」
”破邪”――いや、波並は頭を下げた。
「昔からこういう子でして」
「こういう子なんですね……」
婦警は納得したような、していないような顔をした。実際問題、補導されている本人が全く反省していない。
「夜道は危ないですからね」
「はい」
「保護者の方も気を付けてください」
「ええ」
「鏡花さんも」
「帰る」
「返事は?」
「……はい」
棒読みだった。婦警はまたため息をつく。波並も同じ気持ちだった。手続きを終え、二人は警察署を出る。夜風が吹く、数秒の沈黙。
「で」
波並が口を開く。
「本当は何をしていたんだい」
「アメリカから帰ったら、こっちが真夜中ってこと忘れてた」
波並は数秒黙った。
「………………」
「………………」
夜風が吹く。沈黙が続く。
「つまり」
波並が確認する。
「君は本当に散歩していただけかい」
「うん」
「任務は?」
「終わった」
「追跡は?」
「ない」
「敵対組織は?」
「見てない」
「異能自衛隊は?」
「見てない」
「ジェリーは?」
「見てない」
波並は空を見上げた。頭が痛い。本当にただの散歩だったらしい。
「鏡花、せめて時計を見なさい」
「アメリカでは昼だった」
「ここは日本だ」
「知ってる」
「知らなかったから補導されたんだろう」
鏡花は少し考えた。
「それはそう」
波並は額を押さえた。反論できない。二人は車に乗り込む。
「まあいい、ゲートはもう十分できた。”鏡門”。君には勉強して天守島異能力学校に入学してもらう」
「勉強なんてしないし、天守島は潜入しないって決めたんじゃないの」
「君が死んだらゲートはなくなる。天守島に生徒としている限り、菅原牡丹は味方になる。”鏡門”の命は安全だ」
鏡花は露骨に嫌そうな顔をした。
「嫌。勉強したくない、学校は嫌い。朝起きたくない。先生も嫌い」
「それでも君が死んだら、ゲートが使えなくなる。生徒である限り菅原牡丹は君を守る」
「嫌」
「君は貴重な空間系の異能者だ。しかも世界中にゲートを作れるのは、数人しかいない。組織は君を失いたくない。あと少しで組織はかなり派手に動く。その時、君を守る人すら惜しい。だから天守島異能力学校に入学してもらいたい」
「なんで菅原牡丹がそんな人って言えるの?あってもないくせに」
「さっき私の店で飲んでた。彼女、先生なら生徒を守るって決まりに従う人間だ」
「嘘でしょ」
車が赤信号で止まる。波並は鏡花を見る。
「本当さ。そして、彼女と話して分かった。菅原牡丹はそうあるべしに従う。金銭や権力には興味はない」
「菅原牡丹は何時間いたの」
「3時間くらいかな」
「短すぎる。それで分かるの?」
「ああ」
信号が青に変わる。車は進む。
「随分と分かりやすい。彼女は精神的には幼いといっていい。能力が高すぎるだけで」
波並はさらに考える。
「幼いというより、その高すぎる能力が成長する機会を奪っている。だから、精神が歪だ」
「どういうこと?」
「成長はできないことができるようになることだ。基本的にはね。けど彼女は生まれ持った力だけで解決できてしまう」
「別に何が問題なのそれ、勉強しなくてもいいじゃん」
「おそらくたいていの事は答えが出せる。そして答えが出せないなら解は存在しない。その領域にあるものは悩まない。成長しない。人間として成熟しない。それが彼女だ。できないことに理解はできるが、共感はできないだろうね」
鏡花はしばらく考えた。
「羨ましい」
「そうかい?」
「悩まなくていい」
「そうだね」
「失敗もしない」
「そうだね」
「最強じゃん」
波並は笑った。
「だから歪むんだよ」
「?」
鏡花は分からないという顔をした。
「人間は失敗から学ぶ」
「うん」
「無力さを知る」
「うん」
「他人に助けられる」
「うん」
「だから他人を理解できる」
夜の道路を車が走る。波並はゆっくり続けた。
「でも彼女は違う」
「……」
「困っている人を見れば助けられる」
「うん」
「壊れたものは直せる」
「うん」
「敵は倒せる」
「うん」
「死ですら覆せるかもしれない」
鏡花は黙る。それはもう人間の尺度ではない。
「だから逆に分からない」
「何が」
「どうして普通の人間が失敗するのか」
波並はそう言った。
「理解はできるよ」
「うん」
「頭もいい。良すぎる」
「うん」
「優しい」
「うん」
「でも共感はできない」
少し考えて、
「たぶんね」
と付け加える。
「例えば君が勉強したくないと言う」
「うん」
「私は分かる。昔からそうだったしね」
「うん」
「でも彼女なら」
波並は少し笑った。
「「やればできる」と言うと思う。そして実際にやったらできる」
「最悪」
「いや」
波並は首を振った。
「正確には違うな。彼女は「できるならやるべき」と言う」
「同じじゃん」
「違う」
波並は即答した。
「彼女は努力を信じていない。結果を信じている」
鏡花は意味が分からない顔をした。
「例えば試験で百点を取るという目的があったとする。彼女はまず取れるかどうかを考える。取れるなら必要なことを列挙する。勉強することが必要だと分かった」
「うん」
「それなら覚える。解く。そして百点を取る。それだけだ」
鏡花は眉をひそめる。
「努力じゃん」
「私たちはそう呼ぶ」
波並は頷いた。
「だが彼女はそう思わない」
「なぜ?」
「必要だったからやっただけだから」
「……」
「呼吸と同じだ」
「嫌だなそれ」
「私もそう思う」
波並は苦笑した。
「だから彼女は優しいけど厄介なんだ」
「厄介?」
「ああ」
「できない人間を馬鹿にはしない」
「うん」
「見捨てもあまりしない」
「うん」
「だが」
波並は続けた。
「成功するまで必要なことをやらせる」
鏡花が露骨に嫌そうな顔をした。
「本当に嫌な奴」
街灯が流れていく様を見ている、鏡花にむけて波並が言った。
「話を戻そう。”鏡門”これは一応命令なんだ。天守島異能力学校に入学すること」
「天守島異能力学校になんて行かない」
「ああ、天守島異能力学校におにいちゃんがいたんだっけ」
「その話しないで」
鏡花は────神藤 鏡花は異能をかるくふかす。
パキッ
車内の空間がわずかに歪んだ。助手席の窓ガラスに細い亀裂のようなものが走り、すぐに消える。波並は前を向いたままため息をついた。
「車の中でやらないでくれ」
「……」
「修理代は経費で落ちないんだ」
「……ごめん」
声は小さい。だが謝っただけ珍しい。波並はそれ以上追及しなかった。数秒、沈黙が続く。街灯が流れていく。やがて波並が口を開いた。
「そんなに嫌かい」
「嫌」
即答だった。
「会いたくない?」
「嫌」
「話したくない?」
「嫌」
「顔も見たくない?」
「……嫌」
少しだけ返答が遅れた。波並は気付いたが指摘しない。
「生きているか確認するのも?」
鏡花は答えない。窓の外を見続ける。異能も使わない。ただ黙っている。それだけで十分な答えだった。
「そうか」
波並はそれ以上聞かなかった。組織の人間としてなら聞くべきなのかもしれない。だが今は違う。今の彼女は継火の実質トップではなく、補導された少女を迎えに来た保護者だった。
「……別に」
しばらくして鏡花が呟く。
「死んでたら嫌だし」
波並は黙って聞く。
「生きてても嫌」
「難しいね」
「難しい」
鏡花は小さく頷いた。車は夜の道路を走り続ける。
「コンビニ寄りたい」
「おや、何か買いたいものでもあるのかい?」
「トイレ」
「早く言ってくれ」
車はコンビニエンスストアに入っていった。
人物紹介
菅原 牡丹 (21 女)
本作の主人公。天守島異能力学校2-B担任。目白が通っているバーにいったら、天守島の侵入者がいてびっくりした。
阿慈谷 波並 (29 女)
認識阻害の異能者。組織の日本支部「継火」の実質No1コードネームは”破邪”.バー「ROまん」のバーテンダー。牡丹が来てびっくり。
神藤 鏡花(15 女)
空間系の異能者。組織の本部メンバー。コードネームは”鏡門”。小学生に負けるくらい弱い。勉強と兄と豆腐が嫌い。特に、人の心を操って、いじめをなくした兄が嫌い。
”博士” (38 男)
組織のアメリカ支部TorchbearersのNo1。コードネームは”博士”。英語が話せない鏡花の通訳をしていた。いつのまにかいなくなった鏡花をこの話の裏でずっと探していた。