葭江躯
ジェリー・スターリング
ロン・フーロン
マゼンタ・カイ
イヴォーグ・サラス
パオ・ボーグ
この7人が世界に存在する最高位の異能者である。
────世界連合 異能研究所の発表
2052年1月23日 天守島異能力学校職員室
「さて、来月、2年生は修学旅行があります。行く場所は、マスマフ首長国連合です」
白橋が朝礼で言う。職員室がざわつく。
「……………マスマフ?ザヒールのとこか」
白橋が頷く。
「ちょっと待ってください、行先は沖縄じゃあ」
「向こうからお誘いがありました。次代の異能者たちにマスマフを見せたいと。ザヒール・アルザード本人から」
職員室が静まり返った。数秒遅れて。
「は?」
誰かが間の抜けた声を出した。
白橋は資料をめくる。
「ですので修学旅行先は変更です」
「いやいやいや」
歴史教師が手を挙げた。
「相手、ザヒールですよね?」
「そうですね」
「世界最強の一人ですよね?」
「そうですね」
「なんで修学旅行に呼ぶんですか?」
白橋は肩を竦めた。
「本人に聞いてください」
職員室がざわつく。
ザヒール・アルザード
世界連合が公表している7人の最高位の異能者の1人。中東の異能国家、マスマフ首長国連合の大統領。そして世界の中で最も安全な国を作った男。
「……………聞きに行くか、白橋校長少し外に行ってきます」
「どうぞ菅原先生」
カバンから電波吸収マントを取り出した牡丹は、職員室の窓から飛び出した。
「………………」
職員室が静かになる。窓だけが開いている。歴史教師が聞いた。
「止めなくていいんですか」
「大丈夫ですよ」
白橋はお茶を飲む。
「どこ行ったんですか今」
「マスマフです」
「マスマフ!?」
「往復一時間もかからないでしょう」
職員室がまた静まり返った。
牡丹は成層圏にいた。窓から飛び出してから70秒足らずでマスマフ首長国連合の首都アル・マスマフ、第三次世界大戦前はバグダッドに到着した。
「……………ザヒールはそこか」
ホテル アル・マスマフ
そこには客のスーツケースを運ぶ男がいた。肌は褐色、目は蒼、身長は190cmくらい。
「これは2057号室か」
「……………おい」
「何のことでしょう」
牡丹の手に異能が集まる。男の顔が青くなる。
「わかった。わかったから、それを止めてください”花火”」
「……………修学旅行」
「ああその件ですか、これを運んでからでいいですか」
「……………うん」
「これで、バーにいてください」
男は金貨を何枚か牡丹に手渡す。そしてどこかに連絡をする。牡丹は受け取った金貨を眺めた。表面には蜘蛛の紋章。裏面には見たことのない文字。マスマフ通貨だった。
「……………」
バーに向かう。ホテル最上階。ガラス張りの空間だった、他に客はいない。第三次世界大戦以前はバグダッドだった街並みが見える。だが知っている景色とは違う。緑が多い。戦争で焼けた土地とは思えなかった。真夜中だが、街灯が道を照らしている。
「お客様」
バーテンダーが声を掛ける。
「何かお飲みになりますか」
牡丹は考える。
「ミダスネクタル、ボトル」
「かしこまりました」
バーテンダーが金の装飾がされた瓶を持ってきた。
「ミダスネクタル、3年でございます。他にご入用のものがございましたらお申し付けください」
「………………いらない」
「かしこまりました」
透明だか少し粘度がある液体がゆっくりと注がれていく。牡丹はそれを口に含んだ。バーにあった新聞を広げる。英語でザヒール・アルザード大統領が演説を行ったと書いてある。それに写っているのは、長い髭に威厳のある見た目をした男。
「……………ふう、おいしい」
「それは良かったです」
先ほどのホテルスタッフが牡丹の隣に座った。
「……………ザヒール。どういう意図だ」
「まあまあ、再開を祝してまず一杯」
「……………」
牡丹は目の前にいる男をザヒールと呼んだ。そう牡丹の目の前にいるのがザヒール・アルザードだ。世界最大級の市場を支配する男。マスマフ首長国連合大統領。最高位の異能者の一人”
その本人が、先ほどまで宿泊客の荷物を運んでいた。
「……………相変わらず、ホテルのスタッフ。大統領やらないの」
ザヒールはグラスを揺らした。
「影武者がやっていますよ」
「……………やってない」
「やっています」
「……………そのせいで私に泣きついてきた」
「その件は内密に」
「……………無理」
即答だった。ザヒールが頭を抱える。
「なぜですか」
「……………3年前」
牡丹が指を一本立てる。
「……………影武者に監禁された。そして葭江に助けを求めた」
「断られました。自分でどうにかしろと」
「……………次にジェリー」
「ジェリーさんも、断りました。ミーは人気者だからネ、と」
「……………だから私がやった」
「ええ」
ザヒールは深く頷いた。
「本当に助かりました」
「……………」
「まさか影武者が私を監禁するとは思わなかったので」
「……………自業自得」
「否定できません」
ザヒールはコーヒーを飲む。牡丹も酒を飲む。少し沈黙。
「……………なんで監禁された」
「国家転覆を防ぐためです」
「……………?」
ザヒールは苦笑した。
「彼にとって私は危険人物だったんですよ」
「……………本人なのに」
「本人だからです」
意味が分からない、牡丹はそう思った。ザヒールは続ける。
「彼は本気で自分がザヒール・アルザードだと思っています」
「……………うん」
「そして私は」
コーヒーカップを置く。
「ザヒール・アルザードではありません」
「……………?」
「ホテルスタッフです」
「……………」
「ですから彼の判断は正しかった。不審なホテルスタッフが大統領官邸をうろついていた」
「……………」
「監禁されました」
牡丹は数秒考えた。そして。
「……………馬鹿」
「そうですね」
即答だった。ザヒールも否定しない。
「ですが」
少しだけ笑う。
「優秀なんですよ」
「……………監禁した」
「優秀です」
「……………大統領を」
「危険人物から守りました」
「……………本人」
「彼は知らないので」
牡丹は頭を押さえた。久しぶりだった。ザヒールと話すと時々こうなる。理屈は通っている。だが何かがおかしい。
「……………それで」
「はい」
「……………助けた後」
「影武者は精神崩壊しました」
牡丹は酒を飲んだ。
「……………うん」
知っている。
────
────────
あの日のことだ、監禁されていた地下施設。影武者、そして本物。影武者はずっと信じていた。自分がザヒール・アルザードだと。
大統領で
最高位の異能者で
”金貨蜘蛛”で
マスマフの支配者だと
だから。最初は笑っていた。不審者が捕まった、そうとだけ思っていた。だが。目の前に現れた男は違った。顔も違う。年齢も違う。背丈も違う。何もかも違う。だから最初は信じなかった。だが、異能だけが違った。いや、異能だけが同じだった。目の前の男が歩くたび。自分の中の何かが震えた。
契約
価値
交換
保存
蓄積
市場
無数の能力
無数の才能
無数の異能
無数の寿命
それらが、目の前の男へ引き寄せられていく。まるで、あるべき場所へ帰るように。抵抗すらできなかった。
”金貨蜘蛛”の中心は自分ではなかった。理解した瞬間、影武者は崩れ落ちた。膝をつき。震えながら。ただ一言。
『じゃあ私は誰なんだ』
『異能で、記憶、思考、外見を書き換えられた誰かです』
影武者は理解できなかった。いや、理解したくなかった。
『違う』
震える声。
『私はザヒールだ』
『そうです』
即答だった。
『私には妻がいる』
『ええ、ある契約をするために結婚させました』
『私には娘が』
『ええ、あなたを人間として社会に見せるために、作らせました』
『私は大統領だ』
『ええ、そうです大統領をさせるためにあなたを作りました』
影武者が立ち上がる。叫ぶ。
『私はザヒール・アルザードだ!』
だが。返ってきた言葉は静かだった。
『そう思うように作ったのは私です』
影武者が止まる。
『貴方は優秀でした』
『……』
『優秀だから選びました』
『……』
『優秀だから教育しました』
『……』
『優秀だから任せました』
そして。
『ですが、貴方は私ではありません』
影武者は震えていた。怒りではない、恐怖でもない、喪失だった。今まで信じていたものが。全て崩れていく。記憶、人生、夢、家族、肩書き、使命、全部、全部作られたものだった。自分が手に入れたものじゃなかった
『……じゃあ』
かすれた声。
『私は誰なんだ』
ザヒールは少しだけ考えた。そして。
『私の代わりに大統領をやるための存在です。あなたはもともと私を殺すために送られた暗殺者でした』
正直に答えた。
『……………えっ』
『妻に危害を加えようとしたので。これではいけないと思い、影武者を作ることにしたんです。丁度よく死んでもいい人が手に入ったので、それに任すことにしました。それがあなたです』
影武者がかろうじて言う。
『死んでも………いいひと』
『ええ、ですが、あなたは得をしています。そこで死なず、家族を得て、権力を得て、財を得ました』
『なにをいってる』
『あなたは本来は死んでいました。だけど今生きている。得をしているじゃないですか』
『ああ……………ああああああ…………………………あああああああああああああああああああああ』
影武者だったものが絶叫する。床に崩れ落ち、呼吸が乱れる。視線が定まらない。妻の顔。娘の顔。大統領官邸。演説台。国家予算。国旗。全部が砕けていく。全部が自分ではなかった。全部が誰かに与えられたものだった。
全部
全部
全部
──じゃあ私は誰だ。
その答えだけがどこにもない、だから壊れた。人間は、自分が誰か分からなくなると壊れる。ザヒールはそれを知っていた。だから。
『おや、壊れてしまいましたね。これで4回目です』
ザヒール・アルザードはそう告げた。影武者だったものには聞こえていなかったが。
『前回より早いですね』
少し考える。
『やはり本体との接触は避けるべきでしたか』
顎に手を当てる。まるで経営会議だった。
『ですが予備もありませんし』
ため息をつく。
『大統領不在は困りますね』
そう言って。ザヒールは倒れた男の前にしゃがみ込んだ。
『聞こえますか』
『あああああああああああああああ』
『聞こえていませんね』
ザヒールはポケットから金貨を一枚取り出した。蜘蛛の紋章が刻まれた金貨。
『では治療を始めましょう』
金貨が光る。
『交換』
静かな声。異能が発動する。
狂気
恐怖
疑問
記憶
喪失
それらが少しずつ剥がされていく。
『今回はどこまで戻しましょうか』
ザヒールは考える。
『本体の存在』
金貨が砕ける。
『削除』
男の瞳から光が消える。機械音声のような声が漏れる。
『地下施設』
金貨が砕ける。
『削除』
『監禁』
『削除』
『救出』
『削除』
『疑問』
そこで少し止まる。
『……』
ザヒールは考えた。
『これは残しましょう』
完全な人形は使いづらい。疑問も葛藤もある方が人間らしい。人間らしい方が大統領として信用される。
『では』
最後の金貨を握る。
『修復』
蜘蛛の紋章が輝いた。数分後、男はゆっくり目を開いた。
『……私は』
ザヒールが微笑む。
『おはようございます』
男は数秒考える。そして自然に答えた。
『ザヒール・アルザードだ』
『ええ』
満足そうに頷く。
『その通りです』
男は立ち上がる。少し頭痛がした。だが大したことではない。
『明日の予定は?』
『午前に首相との会談。午後に演説。夜に晩餐会です』
『そうか』
男は頷く。
『忙しいな』
『人気者ですから』
ザヒールが笑う。影武者も笑った。地下施設の床には、砕けた金貨だけが残っていた。
『……………あしえが嫌いな理由が分かった』
『おや』
────
────────
カラン。
氷がグラスの中で転がる。ホテル最上階のバーから夜景が見える。静かな音楽にミダスネクタルの甘い香り。
「……………天守島異能力学校を修学旅行に誘った理由はなに」
牡丹が聞く。ザヒールはグラスを傾けた。
「理由はいくつかあります」
「……………一つ」
「そうですね」
少し考える。
「投資です」
牡丹が眉をひそめる。
「……………またそれ」
「私は商人ですので」
ザヒールは笑った。
「未来へ投資するのは当然でしょう」
「……………生徒を商品みたいに言うな」
「商品ではありません」
即答だった。
「顧客です」
「……………変わらない」
「大きく違います」
ザヒールは真面目な顔で言った。
「商品は売るものです」
「……………」
「顧客は大切にするものです」
牡丹は無言で酒を飲んだ。やっぱり葭江が嫌う理由が分かる。理屈は通っている。だが何かがおかしい。
「未来の高位異能者が何人かいるでしょう」
ザヒールが窓の外を見る。
「神藤悠馬」
指を一本立てる。
「桐山破道」
もう一本。
「他にも数名」
牡丹の視線が鋭くなる。
「……………調べた」
「ええ」
「……………気持ち悪い」
「商人ですので」
またその返答だった。
「顧客情報の収集は基本です」
「……………帰る」
「まだ本題を話していません」
ザヒールが苦笑する。
「本当の理由は別ですよ」
牡丹が止まる。ザヒールは夜景を見つめていた。第三次世界大戦で焼けた土地。ルカが毒で染めた土地。
異能者たちが壊した土地。その上に建った国。
「彼らに見せたいんです」
「……………何を」
「結果を」
静かな声だった。
「異能者が国を壊した結果」
窓の向こう。緑が広がる。光が広がる。人が歩く。
「そして」
ザヒールは続けた。
「異能者が国を作った結果を」
牡丹は黙る。マスマフは異能者のいない国だ。だがその国を作ったのは最高位異能者だった。矛盾している。だからこそ存在している。
「天守島の生徒たちは優秀です」
ザヒールが言う。
「いずれ誰かは国家を背負う」
「……………」
「誰かは戦う」
「……………」
「誰かは人を救う」
そして少しだけ笑った。
「できれば、私達みたいにはなってほしくない」
牡丹が動きを止めた。ザヒール、葭江、ジェリー、そして自分。最高位の異能者は世界を救った者達でもあり、世界を壊した者達でもある。
「……………」
しばらく沈黙した後。
「……………珍しい」
「何がですか?」
「……………まともなこと言った」
ザヒールは数秒黙った。そして。
「失礼ですね」
本気で傷ついたような顔をした。
「私は普段からまともですよ」
「……………影武者」
「まともです」
「……………4回壊した」
「ええ、あのあと2回修理しました」
「……………」
「むしろアフターサービスが充実しています」
牡丹はグラスを置いた。やっぱりまともではなかった。
「……………帰る」
「ええ、では修学旅行で来ることをお待ちしています」
ザヒールは牡丹はヘリポートに案内する。
「今度は検査を受けてから来てください」
「……………善処する」
牡丹は東へ飛び去った。牡丹の姿が夜空の彼方へ消える。ザヒールはしばらくその方向を見ていた。
「相変わらず速いですね」
そう呟いてからホテルへ戻る。明日はジェリー・スターリングとの会談、午後は演説、夜は晩餐会。そして来月は修学旅行。
「忙しい」
だが少しだけ楽しそうに笑った。
天守島にて
神藤の眉間にしわが寄る。
「菅原先生。お酒の匂いします」
「……………しまった」
「しまったってなんですか、まさか朝飲んだんですか」
「……………向こうは夜」
「飲んでんじゃん」
「……………一杯だけ」
「絶対嘘ですよね」
「……………ボトル」
「ボトル!?」
「……………美味しかった」
「感想じゃないんですよ」
牡丹は神藤を引きはがし、授業を始める。
「……………今日は範囲制御の訓練」
「誤魔化したよ、この教師」
立川が思わず言う。
「……………立川は厳しくする」
「先生、それパワハラです」
「……………教育」
「便利な言葉だな!?」
生徒の叫びが地下訓練場に響き渡った。
「……………白橋校長、だからザヒールに敵意はない」
「わかりました、ところで生徒から飲酒していたと情報があり────」
「……………じゃあこれで」
牡丹の姿が掻き消えた、白橋はため息をついた。
「今回は見逃しましょう」
『ザヒール・アルザードに敵意は無くて良かったよ』
『同感だ』
「葭江さん、先輩助けてくださいよ。一人じゃ手に負えません」
『自分でどうにかしろ、関わりたくない────ブツッ』
『葭江くん、ザヒール・アルザードのこと嫌いだもんね。んー、樋野くん何か用、ごめん白橋────ブツッ』
「逃げやがったな、あの二人」
白橋は頭を抱える。修学旅行まで、あと25日。
人物紹介
菅原 牡丹 (21 女)
本作の主人公。天守島異能力学校2-B担任。ミダスネクタルは一本300万円する。それを3本飲んだ
神藤 悠馬 (17 男)
精神干渉系の異能者。天守島異能力学校2-B。新聞部。牡丹が酒の匂いがすることに気づいた。訓練で真っ先にやられた。
立川 一 (17 男)
二キロメートルまで、聴覚を飛ばすことができる異能者。天守島異能力学校2-B。新聞部部長。訓練で気絶すらできなかった。
白橋 不羈 (48 男)
情報を遮断する霧を発生させることができる異能者。天守島異能力学校学校長。今日で寿命が3年縮んだ気がする。
ザヒール・アルザード (31 男)
等価交換をすることができる最高位の異能者。マスマフ首長国連合大統領を影武者に任せ、ホテルのスタッフをしている。最高位の異能者全員からうっすら嫌われている。
嵐山 実巳 (51 男)
異能自衛隊異能幕僚長、死んだら自分の時間を5秒間巻き戻すことができる異能者。ザヒールが敵意がないことを知って、安心した。
葭江 躯 (26 男)
異能自衛隊特異異能尉。日本の最高戦力。ザヒール・アルザードのことが嫌い。牡丹の飲酒をあとで咎めた。