静がさっき立ったの
きっと天才なんだわ
私に似てかわいい子になる
明日九州から出てお母さんと暮らせる
最近、物騒だから
────爆撃された家から見つかった携帯電話のデータ。送信はされていなかった
2052年1月27日 ニューフクオカのある研究所
ウ──────────
研究所に警報が鳴る。研究者たちが顔を上げる。手術台に乗せられた小さな体が身をよじる。
「また、敵襲ですか」
「いえ仕方ありませんよ。敵は多いですから」
「ですねぇ」
誰も慌てない、避難もしない。警報は日常だからだ。白衣の男が端末を操作する。
「今回はどこです?」
「西側外壁です」
「ああ」
納得したように頷く。
「傭兵ですね」
「でしょうね」
別の研究者が資料をめくる。
「異能者回収組織かもしれませんよ」
「だったら面倒ですね」
「ええ」
会話の内容に反して口調は穏やかだった。手術台の上の少女だけが震えている。腕に繋がれた管。体温と同じ温度になった固定具。眩しい照明。何度も見た光景だった。
「38番」
研究者が呼ぶ。少女は反応しない。
「38番」
もう一度。少女は唇を噛んだ。
「……怖いのがくる。バチバチしてて熱いのが」
研究者たちは顔を見合わせた。
「予知ですか?」
「違いますね」
端末を確認する。38番:感覚拡張。
「彼女の異能は感覚拡張です」
「では何を感じたのでしょう」
少女は震える手で扉の方を指差した。
「くる」
「誰がです?」
「分かんない」
首を振る。固定具が小さく軋んだ。
「でも怖い」
研究者が溜息を吐く。
「敵襲警報に反応しただけでしょう」
「そうかもしれませんね」
少女は必死に首を振った。
「違う、違う!」
珍しく大きな声だった。研究者たちが少し驚く。少女の瞳は扉を見ていた。その先を。何枚もの壁を、何本もの廊下を見通しているかのように。
「熱いの、すごく熱い」
「熱源探知の副作用ですかね」
「かもしれません」
研究者たちは真面目に検討する。少女だけが怯えていた。
「熱くて、でも動いてない」
その言葉に。研究者の一人が少しだけ眉をひそめた。
「動いていない?炎熱型なら揺らぎがでるはずだ」
その瞬間に照明が消えた。警報が止む。研究室を満たしていた機械音も途絶える。静寂が訪れるそして。手術室めいた部屋の壁が音もなく崩れていった。爆発ではない、衝撃でもない。まるで最初から存在しなかったかのように、壁が消えていく。太陽の光が差し込む。研究者たちは目を細めた。その向こうに、一人の小さな女がいた。
黒髪に黒い瞳。教師用のジャケット。その目は誰も見ていなかった。研究者も少女も崩れた壁も、もっと遠く、どこか別の場所を見ているようだった。研究者の一人が息を呑む。
「……誰です」
女は答えない。ゆっくりと視線を動かす。手術台から固定具へ。点滴、少女、その順番で見た、そして。
「……………うん?高位異能者じゃない?まあいいか」
女はそう言うと悠然と歩きだした。雇われた傭兵たちがようやく駆け付ける
「実験体には当てるな!!それはいく────」
白衣の男が言い終える間もなく、頭が潰される。その肉体がパタリと倒れる。その体を牡丹が踏み越える、否、触れる直前にその肉体が風化し消えた。骨も血も肉も、その身を包む白衣すらも残らない。研究室が静まり返る。研究者の一人が後ずさった。
「な、なんだそれは」
牡丹は答えない。答える価値がないと思っているようだった。ただ少女の前まで歩いていく。固定具を見る。管を見る。薬液を見る。
「……………ふーん」
小さく呟く。そして。
パキッ
固定具が砕けた。
「……………治療できる人のもとに送る。星宮と名乗る女」
牡丹がそう言うと。手術台ごと少女が消える。そうしてようやく、振り向いた。研究者も傭兵も動けない。まるで巨大な鉄塊の中にいるようだった。
「……………うん、この中で一番偉いのはだれ?」
そうして、体を固定する力が小さくなっていく。白衣を着た一人の男が前に出る。
「私だ、所属と目的はなんだ。金か異能か?」
「……………天守島異能力学校。補修に来た」
男が沈黙した。
「補修?」
「……………うん」
「何の話だ」
「……………進級できない子がいた」
牡丹は答える。男は理解できない。周囲の研究者も理解できない。
「……………だから来た。薬を回収して」
指を一本立てる。
「子供を回収して」
二本目。
「報告書を書く」
三本目。
「補修」
沈黙。研究者たちは顔を見合わせた。目の前の女は本気だった。本気で、この研究所への襲撃を補修授業の一環だと思っている。
「正気か」
誰かが呟いた。牡丹は首を傾げた。
「……………?」
その顔に冗談の色はない。だから余計に怖かった。男は唾を飲み込む。
「君は何者なんだ」
牡丹は少しだけ考えた。そして、
「……………担任」
そして、答えた。牡丹に影が差す。牡丹は半歩動いた。地面に槍が刺さる。研究室の床が蜘蛛の巣状に砕けた。瓦礫が跳ねる。研究者たちが悲鳴を上げる。だが、槍の落下地点にいたはずの牡丹は半歩横にいた。それだけだった。まるで散歩中に小石を避けたような動きだった。そして、グリズリーめいた大男が槍の上に着地する。身長は二メートルを超えている。筋肉の塊に改造した軍用装備を纏っている。研究者たちが息を呑んだ。
「すまない、遅れた」
男はそう言った。牡丹は男を見上げる。
「……………うん。強いな」
「褒められているのか?」
「……………かなり」
「嬉しいな俺の奇襲を避けたのは君で49人目だ」
そう言いながら槍を掴む。そして飛び上がった。研究者たちと牡丹の間に着地する。槍の穂先が牡丹を向く。初めて、男の殺気が空間を満たした。
「研究者と傭兵諸君。巻き込まれないように逃げてくれ」
研究者たちは一瞬固まった。
「え?」
白衣の男が聞き返す。男は視線を逸らさない。ずっと牡丹を見ている。
「避難しろ。今すぐだ」
「ま、待ってください。こちらにはまだ──」
「死ぬぞ」
研究者の言葉が止まる。男は冗談を言っていなかった。
「俺が負けるかもしれないからじゃない」
槍を握る手に力が入る。
「戦闘になるからだ」
研究者たちはようやく理解した。この男はこの施設で最強の護衛だ。その男が。勝敗ではなく、余波を心配している。牡丹は首を傾げる。
「……………私、急いでる」
「知っている」
男が答える。
「だがここから先には行かせん」
「……………そう」
牡丹は頷いた。怒りも不満もない。ただ事実を受け入れるように。
「……………じゃあ倒す」
研究者たちの背筋が凍った。まるで、ドアを開けると言うのと同じ口調だった。
二人の姿が消える。そして槍と拳が衝突する。
轟音
研究室の窓ガラスが一斉に砕けた。
(硬い!!皮膚すら貫けない。しかも、この見た目で俺と同じくらいの重さがある!!)
男は歯を食いしばる。槍の穂先が牡丹の拳を捉えている。だが貫けないし、刺さらない。そもそも押し負けている。
(なんだこいつは)
目の前にいるのは華奢な女だ。身長も低いし筋肉もない。なのに、押されているのは自分だった。
(うん。生徒じゃ勝てないなこいつ。桐山と七條あと神藤が協力して二割くらい?桐山の防御なら三発。七條は一発。神藤は接近禁止。やっぱり
衝撃が爆ぜる。研究室の壁が吹き飛んだ。研究者たちが床を転がった。天井の照明が砕け、ガラス片が雨のように降り注ぐ。しかし二人は止まらない。男の槍が唸る。突き、薙ぎ、払い、それは軍隊式でも武術でもない。純粋に人間を殺すためだけに研ぎ澄まされた技術。牡丹の頭を狙う、喉を狙う、心臓を狙う。だが、当たらない。牡丹は最低限だけ体をずらしていた。それだけで必殺の軌道が外れていく。
(見えているのか?)
男が眉をひそめる。
(いや違う)
見えてから避けているのではない。もっと前。槍を振る前から。牡丹はそこにいない。そんな感覚だった。男は笑った。
「面白い」
槍を握る手に力が入り床が沈む。次の瞬間、男の姿が消えた。研究者たちには見えない。音だけが響く。轟音。轟音。轟音。研究所そのものが悲鳴を上げる。牡丹は槍を拳で受け止めた。金属が悲鳴を上げる。
「君の名前は。俺は”
「……………菅原牡丹」
ロバートが笑った。
「そうか牡丹というのか。いい名前だ」
槍を引く。そして再び突く。今度は先ほどよりも速かった。研究者たちには軌道すら見えない。ただ、牡丹の髪が一房宙を舞った。初めてだった。攻撃がかすった。ロバートの目が細くなる。
(当たる)
確信した。この女は異常に硬い、だが無敵ではない、だから殺せる。その瞬間、牡丹も結論を出した。槍を見る。男を見る。
(貫通特化。空間型と身体変形型の複合異能。あの槍は骨。道理でちくっとする。うん強い異能、空間型の影響で私の異能が乱される)
牡丹は髪を触る。既に再生は終わっている。ロバートは牡丹を見る。切断されたはずの毛先も元に戻っていた。まるで最初から傷など存在しなかったように。
(再生している!!身体強化それも再生もあるのか?でも、壁を塵すら残さず消したぞ、じゃあなんで使わない?)
ロバートは崩れた外壁を見る。その一部はまるで、磨き上げられた鏡のようだ、見間違いではない。使われたらだいぶ不利にはなるだろう。
(リキャストがあるのか?)
強力な異能の中には、制限がある物が少なくない。使用しすぎると一時的に使えなくなるなどは典型的な例だ。
(そうなら使わないうちに仕留めるしかない)
槍を変形させる。より鋭くより迅く、突きを放てるように。
(でも純粋に武術は向こうの方が上、やりずらい)
体術に重心移動。視線誘導と間合い管理どれも全てが異様な水準にある。しかも無駄がない。まるで何十年も戦場で生きてきた兵士のような技量。
(でも、だけど楽しい!!)
ロバートは笑った。 牡丹は無表情のまま。二人とも、相手を認めていた。ただし、ロバートは「強敵」として、牡丹は「生徒をぶつけなくて正解だった相手」として。
「仕方ない、これを使うか」
そして懐から、赤い液体が入ったシリンジを取り出し、腹部に突き刺した。
「……………竜血か」
「そうだ、出し惜しみをしていたら勝てないからな」
ロバートの体がさらに厚みを増し、皮膚を押し破るように骨の棘が伸びる。背中から肩、腕。そして首筋。白い骨が鎧のように肉体を覆い始めた。周囲の空間が軋みを上げる。床が沈む。砕けたコンクリートが浮き上がり。次の瞬間には圧力で粉砕された。
「やっぱ痛いなこれ。じゃあ行くぞ」
槍を構える。否、槍だったものを構える。骨の槍はさらに巨大化し、もはや一本の樹木のような質量になっていた。
それを振り回すと、延長線にあったものが消し飛び、空気がそこに吸い込まれる。研究棟の壁が抉り取られる。数十メートル先の建物まで一直線に吹き飛んだ。研究者たちは悲鳴を上げる。ロバートは竜のような牙を覗かせながら笑う。
ゴォォォォ
(うん、身体機能2.5倍、異能の出力は10倍。寿命は半年減)
牡丹は観察する。筋肉血流骨格異能反応。全てを見て。
(やっぱり竜血)
結論を出す。ロバートは槍を肩に担いだ。
「どうした」
「……………なにが」
「驚かないのか」
牡丹は少し考える。
「……………強くなった」
「そうだなそれだけだ」
「……………けど、ここを壊されたくない。場所を変える」
牡丹は飛び上がり、逆さになった状態でロバートの頭を掴む。二人纏めて射出される。
ボッ バァァン
複数のビルを貫通し、廃工場に激突しようやく止まる。
(速い!!見えなかった。治るとはいえ痛い!)
ミキミキミキ。異音が鳴り、体が修復される。
「……………まだやる?」
「もちろん」
ロバートは笑った。口の端から血が流れる。だが目は死んでいない、むしろ先ほどより輝いていた。
竜血が肉体を修復する。折れた骨が繋がり、裂けた筋肉が再生する。皮膚を突き破った棘がさらに成長した。牡丹はそれを見ていた。
(再生速度上昇、出力維持、まだ戦える)
頷く。ロバートも槍を構える。
「君はどうなんだ」
「……………なにが」
「楽しいか」
牡丹は少し考えた。本当に少しだけ。
「……………うん」
ロバートが笑う。
「そうか」
「……………強いから」
「嬉しいな」
空気が震える。ロバートの周囲に骨が生える。地面から、壁から無数の白い槍が生える。廃工場が一瞬で骨の森になる。その全てが牡丹を狙う。研究所で戦っていたら間違いなく施設ごと吹き飛んでいた。牡丹は周囲を見る。
(うん桐山なら三秒、七條なら一秒、神藤は見た瞬間終わり、星宮なら逃げられる)
結論。
(やっぱり私でよかった)
ロバートは数秒黙る。そして、槍を持ち上げる。骨槍が唸る、空間が裂ける。竜血によって強化された異能が限界まで出力される。
「死ぬ気で来い」
牡丹は首を傾げた。
「……………死なない」
「そうか」
ロバートは笑った。
「なら俺が死ぬ気で行くぞ」
次の瞬間、世界が白く染まった。ロバートが消える。骨槍が消える。空間そのものが槍になる。廃工場全域を覆う一撃。それを見て。牡丹は初めて拳を握り直した。
(うん、これは少し強い)
ほんの少しだけ。楽しそうに目を細めた。
「……………でも、
白が壊れた、世界が戻る。空間を埋め尽くしていた槍が砕ける。骨が砕ける。空間が砕ける。そして、ロバートの全身が砕かれた。轟音。巨体が地面に叩き付けられる。廃工場が沈む。クレーターが広がる。数秒、誰も動かない。風だけが吹く。そして。
ミキミキミキミキ
嫌な音が鳴る。ロバートの身体が修復を始めた、腕が戻り、肋骨が繋がる。肺が膨らみ、心臓は鼓動を再開した。竜血が最後の力で肉体を繋ぎ止める。
ロバートが空を見ながら笑う。
「参ったな」
牡丹が近付く。土埃が避けていく。
「……………持っている情報を言え」
「俺はあそこに襲撃する輩を排除するという契約だ。あそこで何をやっていたのかは知らない。期待に沿えなくて済まない」
「……………そう。ならいい」
牡丹はそれ以上追及しなかった。嘘をついていない、そう判断したからだ。そして、次の瞬間には消えていた。風だけが残った。ロバートは空を見上げる。しばらくして。
「ははははっははは」
笑う。傷が痛む、肺も痛い、全身が痛い。
「あー痛い」
だが、笑いは止まらない。
「初めて負けた」
EU。中東。北米。戦場はいくらでもあった。異能者も殺し、怪物も殺した。一度負けなかった。それなのに。
「でも不思議と悔しくないな」
思い出す。あの女。戦闘中ですら何かの心配をしていた。竜血を見ても驚かなかった。勝ったあとも自慢しなかった。情報だけ聞いて帰っていった。
「変なやつだ」
ロバートは目を閉じる。起き上がろうとして、無理だった。
「連絡は……取れないか」
通信機は壊れている。槍も折れた、骨も折れた。だが、妙に気分は良かった。
「まさかあんな強者がいるなんてな」
空を見上げる。そして、少しだけ笑った。
「EUで修業でもするか」
人生で初めての敗北、それはロバートにとって終わりではなく。久しぶりに見つけた、新しい目標だった。
研究所では、まったりとした雰囲気であった。”
「また襲撃があったんですか。これで八日連続ですよ」
「というかここ何やってるんだろうな」
「知らないほうがいいんじゃないんですか」
「それもそうだな」
誰かが笑う。誰かが煙草を咥える。誰かが壊れた機械を運ぶ。そんな時だった。研究所全域に放送が流れる。
ノイズ
『第三実験棟より緊急連絡』
全員が顔を上げた。
『実験体38番、消失』
「は?」
作業員の一人が声を漏らす。
『実験体102番、消失』
『実験体85番、消失』
『142番、消失』
『57番、消失』
放送が続く。研究者たちの顔色が変わった。
「待て」
「おい」
「なんだそれ」
通信の向こうも混乱していた。
『監視カメラ異常になし』
『施錠異常もなしだと』
『警備異常なし。いや消失確認』
沈黙。そして、誰かが気付いた。
「全員異能者だ」
ざわめきが広がる。研究者が端末を叩き名簿を確認する。顔色が青くなる。
「本当だ」
異能者だった。
「なんで」
「どうやって」
「転移系か?」
「そんな規模の異能者がいるか」
その時、遠くで爆発音が響いた。
第四研究棟。全員が振り返る。通信が入る。
『第四研究棟より緊急連絡!実験体回収用の保管庫が開いている!』
研究者の一人が椅子を蹴飛ばした。
「ありえない!」
保管庫は特殊合金。異能対策済み。内部からは絶対に開かない。だから、誰かが開けた。誰かが全部連れて行った。その瞬間だった、ある研究者が震える声で呟いた。
「……補修」
全員がそちらを見る。
「なんだ?」
「さっきの女」
冷や汗が流れる。
「補修に来たって言ってた」
「まさか」
誰も言葉を続けられなかった。
補修
その言葉が、あまりにも場違いだったからだ。その時、研究所の最深部の誰にも知られていない監視室で、一人の男がモニターを見つめていた。そこには消失した実験体たちの情報。破壊された区画。消息不明となった護衛部隊。そして、たった一つの名前。男は静かに呟いた。
「菅原牡丹」
画面を閉じる。次の瞬間。
ドゴォン!!
後ろから飛んできた扉に激突された。男の体が壁にめり込む。
「ごっ──!?」
何が起きたのか理解できない。監視室の入口を見る。そこにあったはずの重厚な防爆扉が、なくなっていた。いや男にぶつかってきた。その扉の向こうから、小柄な女が歩いてくる。
「……………ここか。情報があるのは」
牡丹だった。男は咳き込みながら立ち上がる。
「どうやってここを」
「……………あったから」
意味が分からない。
「ここは秘匿区画だぞ!」
「……………うん」
牡丹は頷く。そして壁を見る。天井を見る。床を見る。監視カメラを見る。
「……………隠してた」
「当たり前だ!」
男が叫ぶ。
「何で見つかる!」
牡丹は少し考えた。
「……………あったから」
男は頭を抱えたくなった。会話にならない。牡丹は既に男への興味を失っていた。モニターを見る。サーバーを見る。資料を見る。指先で机を軽く叩く。
「……………うん」
その一言で男の顔色が変わる。
「待て」
「……………なに」
「それに触るな」
牡丹は首を傾げる。
「……………情報ある」
「だから触るなと言っている!」
男が叫ぶ。そして異能を起動しようとする。だが、牡丹の視線が向いた。それだけだった、男の体が床に沈む。コンクリートが割れる、呼吸すら苦しい。
「がっ……!」
「……………静かに」
牡丹はモニターへ視線を戻す。
「……………今読むから」
男はそこでようやく理解した。研究所は襲撃されたのではない。見つけられたのだ。おそらく最悪の相手に。
「……………うん。あなたは偉い人?」
「そうだ、ここのがっ」
「……………異能犯罪対策法3-101、異能管理法1-1-12と5-3-1、世界憲章第三条違反で全員死刑」
男が固まる。牡丹はモニターを見たままだった。資料を読み続けている。
「反論は世界連合の世界裁判所に提出して」
「待て」
「……………なに」
「それは裁判所が決めることだ!」
牡丹が頷く。
「……………そう」
男が少し安堵する。だが、次の言葉で凍り付いた。
「……………だから提出して」
「は?」
「……………私は回収担当」
男の顔色が変わる。牡丹は淡々と続ける。
「……………判決はもう出る」
「出るわけがない!」
「……………出る」
牡丹は画面を指差した。
「……………証拠ある」
人体実験。誘拐。人身売買。違法研究。臓器摘出。実験記録。映像。資金の流れ。購入者名簿。全て揃っていた。男の顔から血の気が引く。
「そんなものは」
「……………ある」
「公開できると思うな!握りつぶさるだけだ」
「……………公開しない」
男が一瞬だけ安堵する。だが。
「……………提出する」
牡丹はそう言った。脅しでもなく宣言でもない。事務連絡だった。男は理解する。この女は自分を憎んですらいない。恨んでもいない。だから交渉もできない。ただ手続きを進めている。自分たちは既に「敵」ですらなく、書類上の処理対象になっているのだと。牡丹は端末を操作する。
「……………送信」
数秒後、世界連合、異能犯罪対策局、自衛隊、各国捜査機関。大量の送信先が画面に並ぶ。そして、ピコン。返信がきた。差出人は嵐山異能幕僚長。
『やっていいよ。後処理は僕がやる』
牡丹は画面を見る。
「……………うん」
男は固まった。
「待て」
「……………なに」
「それだけか?」
「……………うん」
「確認は!?」
「……………された」
「裁判は!?」
「……………後」
男の額から汗が流れる。
「後?」
牡丹は頷いた。
「……………死んだ後」
男の顔色が変わる。
「待て!」
「……………なに」
「そんなことが許されるわけがない!」
牡丹は少し考えた。端末を見る。男を見る。資料を見る。そして。
「……………許可出てる」
男は絶句した。その横で、牡丹は新しいメッセージに気付く。追加で送られてきていた。
『あと、研究所は残しておいて回収班送ってるから。人は無関係の人と一番上以外やっていい』
「……………うん」
牡丹は端末を閉じた。男はまだ状況を理解できていなかった。
「何を……言われた」
「……………研究所残す」
男が少しだけ安堵する。だが。
「……………あなたは駄目」
安堵は一秒で消えた。
「待て!」
「……………なに」
「私は協力できる!」
「……………うん」
「情報も出す!」
「……………うん」
「なら!」
牡丹は少し考えた。そして端末を見せる。
「……………一番上以外じゃない」
男の顔から血の気が引いた。沈黙、牡丹は資料をめくる。
「……………理事長」
「……」
「……………責任者」
「……」
「……………最高権限者」
ページを閉じる。
「……………それじゃない」
男は初めて理解した。あえて低くしていた自分の地位が、初めて不利に働いた。牡丹は既に別の資料を見ている。
「……………地下5階」
「何だ」
「……………子供14人」
男が息を呑む。
「地下7階、薬剤保管庫。地下8階、竜血の原液」
その言葉で男の顔色が変わる。牡丹はそれを見た。
「……………重要?」
男は答えない。牡丹は頷いた。
「……………重要か」
そして通信を開く。
「……………嵐山さん」
『なに』
「……………竜血あった」
珍しく嵐山が黙った。
『全部確保して』
「……………うん」
『絶対壊さないで』
「……………うん」
『子供より後でいいから』
「……………子供先」
『それでいい』
通信が切れる。牡丹は立ち上がった。
「……………じゃあ行く」
「待て!」
男が叫ぶ。
「まだ話は終わっていない!」
牡丹は振り返る。
「……………終わった」
「私はまだ何も」
「……………聞いてない」
「なぜだ!」
牡丹は少し考えた。そして。
「……………もう読んだから」
男の背筋が凍った。資料記録取引名前全て、既に読まれていた。牡丹は興味を失ったように出口へ向かう。
「待て!」
最後の叫び。牡丹は振り返らない。
「私はまだ生きている!」
「……………うん。もう死ぬ」
残された男の肉体が白い光を放ったそして、どんどん消えていった。静寂が残った。
「しっかしなにがあったんだ」
「いいじゃないですか、口止めもらったんですから」
「それもそうだな。よしこれで焼肉でもいくか」
「いいですねぇ」
帰らされた作業員たちはそんなことを言いながら研究所から去っていった。彼らは幸運である。研究所内の怪奇現象を見なくて済んだのだから。
音もなく、研究員の体が光の粒子になって消えていく。檻の中の子供たちはそれを不思議そうに見つめていた。そして扉が開き、女が入ってきた。
「……………けがはあるが死にはしない。家に帰れるよ」
「ほんと」
「……………うん」
檻が枷が朽ちた。数か月ぶりの自由だった。子供たちの目に涙が浮かぶ。
「……………そこにいて。もうすぐ自衛隊の人がくるから」
そういって牡丹は出て行った。
「……………うん。これで全部か」
自衛隊のヘリが隊列を組んでいるのがはるか遠くに見えた。あと数分もしないうちにここに到着するだろう。
「……………あしえも混じってる」
人物紹介
菅原牡丹(21) 主人公。三十分で終わらせた。
ロバート=ペトロ・ウィリアムズ(24) 高位異能者の傭兵。アメリカ生まれ。かなり強い。