何らかの自己回復手段を持っていること。
最低でも1日で1億人以上殺害可能であること。
2050年までの人類の発明品では撃破不可能であること。
────世界連合 異能憲章3章2節
2052年1月2日 東京都国家防衛監督省異能管理局本部地下2階
大雪の地上よりも、さらに冷え切った空気が部屋を支配していた。数十人いるスタッフ、並びに護衛たちが息を殺し危機が過ぎるをただ待っていた。今この部屋を支配しているのは神経質そうな眼鏡の男である。彼は厚さ50センチの特殊装甲が使用された扉をやすやすと粉砕し、樋野を叩きのめした。彼の感情に呼応して、有機と無機の境界を操る異能が漏れ出し足元のリノリウムが脈打つ。彼は異能自衛隊特別異能尉
「説明してもらおうか、嵐山異能幕僚長」
葭江の低い声がコンクリートの部屋を震わす。目の前にいるのは、彼の上官である嵐山 実巳である。
「おや、
嵐山は悪びれることもなく粉砕された扉を一瞥し、万年筆をペン立てに戻した。
「雪ノ下…菅原 牡丹を天守島異能力学校に送った件についてだ。菅原は一般人として人生を過ごさせるというのが俺と幕僚長の取り決めであったはずだが。あの
「その件、もう掴んだの耳が早いね。菅原くんは少し強い戦闘経験がある異能者として送ったんだ。知っているのはそこの校長だけだよ。」
葭江の眉間のしわがさらに深くなり、足元のリノリウムが深い緑に変色をして毛羽立つ。空調設備の駆動音だけが響く。
「だからなんだ、ゲオルギウスの墳墓は
「仮にも同盟国の軍人で君の友人だよ
「最高位の異能者の条件を満たすのは
葭江の叫びが部屋を包む。微かな悲鳴が上がりアンモニア臭が漂い始める。
「どいつもこいつも
「でもねぇ、現状その二人はいないとなっているのだから。あとこの件は僕が提案して彼女が乗っただけの話さ。そうそう、君も天守島に行ってもらう。顔をくらい簡単に変えられるでしょ。命令だよ」
嵐山はうきうきした様子で、収納から服を取り出し葭江に渡す。葭江の額に青筋が浮かび上がり、部屋自体がうねりを上げる。
「………………了解」
葭江は長い沈黙の後部屋を修復し、東京港に向かった、雲の隙間から日の光が差し込んでいる。
2052年1月3日京都府京都エクスペンシブホテル本館
「お爺さんの葬式ぶりですね、七條 葵さん。こちらの見たことがない男性は噂の彼ですか」
目の前で人の良さそうな笑みを浮かべて
⦅この下民がねぇ、七條にふさわしくないな。葵は私の息子の婚約者にする予定だったんだが⦆
神藤はその内心に驚いて声が出なかったが。そこに助け舟を出すものがいた。
「あら、修二さん。そうですの私の婚約者の神藤 悠馬です。」
⦅この人は伊藤修二、多分何人か沈めてるから気を付けて。スーツのことを褒めて。今日は”
「こんにちは、伊藤修二さん。神藤悠馬です。そちらのスーツ”
「おっ、分かるのかい。そうなんだよ”
⦅このガキ、頭が働くな。消すか⦆
(いやダメじゃん)
思わず完璧な淑女の微笑みを貼り付けた己の婚約者に色々言いたくなるのを我慢していると、右から親戚だろうか優雅にワイングラスを傾ける三十路くらいの淑女がやってきた。
「あら、葵さんの婚約者さん。葵さんにも話したのだけれども、うちの養子にならない。そうすればこういった場で受け入れやすいのよ」
⦅あら、お父様が死んだらすぐに遺産相続の書類を偽造して、利権をこっちに引っ張ってくる手筈は済んでるの。邪魔なこの貧乏人を先にうちの籍に入れて、適当な事故に見せかけて合法的に処理してしまえば、七條の直系なんてこの小娘一人。あとはどうとでも料理できるわ⦆
(おいおいおい、さっきの修二っておっさんもだけど、身内同士で暗殺と書類偽造の脳内シミュレーションを同時進行すんなよ……)
神藤の背中に、冷や汗を通り越して強烈な寒気が走る。この淑女もまた、上品な笑みを浮かべながら脳内ではとんでもない地獄絵図を描いていた。神藤はもうこれ以上、この狸たちの化け物合戦に付き合う気力は残っていなかった。神藤は自身の異能をほんの僅か、目の前の淑女に向けて放った。ほんの数瞬、建前と本音を切り替えるストッパーを緩めるだけの軽い干渉、友人たちによく行う、ただの軽い失言を誘うものだ。
「ご提案はありがたいのですが、僕は葵さんの婚約者ですので、他の方の養子になるわけにはいきません」
神藤がわざと生真面目に、少し困ったような顔で断ると、ストッパーを外された淑女は、自分の脳内で考えていた醜悪な計画をそのまま叫ぶように口にしてしまった。
「チッ、生意気なガキね! 養子にさえ入れば、お前を適当な事故に見せかけて合法的に処理して、叔父様が死んだあとの遺産相続の書類を偽造して天守島の利権を奪い取る計画が完璧に運ぶっていうのにさぁ!」
――一瞬にして、周囲の空気が凍りついた。淑女の本音の暴露に、それまで笑顔でワインを飲んでいた周囲の親戚やビジネスパートナーたちの目の色が変わった。上品な微笑みの仮面をかなぐり捨て、失脚が確定した彼女へとハイエナのように一斉に群がっていった。
「おやおや、今、遺産書類の偽造とおっしゃいましたか?」
「これは看過できませんねぇ。七條グループのコンプライアンスに関わる大問題だ」
建前というメッキが剥がれ、周囲の大人たちに揉みくちゃにされながら
「違うの! 今のは私の本心じゃなくて……!」
と青ざめて弁明する彼女の声を遠くに聞きながら、悠馬は完全に真顔で引いていた。
(ハイエナだ、本当にハイエナだ。桐山グループが、チワワに見えるわ)
「ナイスよ、悠馬。これで次の親族会議で、あの派閥をまとめて潰せるわ。さあ、次はあそこの国家防衛監督省の政務官のところに行くわよ」
「勘弁してくれ……精神の摩耗が凄まじいんだけど、立川と馬鹿話がしたい」
笑顔の七條に腕を引かれながら、神藤は天守島の生活が恋しいと心の中で血の涙を流すのだった。窓の外の景色は雲に覆われていた。
2052年1月3日 ある無人島
「せいっ、うりゃ。これで3000!!」
(それにしても、今日のノルマの3000本……ちょっと身体が軽すぎたかな。新学期が始まったら、また生徒会の書類仕事で鈍っちゃうし、明日は5000本に増やそうっと)
そんな気の抜ける掛け声と共に海面が割れる。
「…………ふぅ」
(神藤くん、葵ちゃんに連れ回されて今頃ボロボロになってないといいけど。……ううん、なっているか。まあ知る由もないし、手も出せないけど)
既に日が落ち、焚火と星のみが明かりを放つ世界の中で八谷は哀れなクラスメイトへの心配をやめ先ほど獲った魚を焼き始めた。彼女の異能で清潔にした木とロープで作ったベンチに座り、ただ薪の爆ぜる音と波の音に耳を澄ませながら俗世から解離した空間での生活に彼女は満足している。
「まぁ、悠馬くんには花婿としての責任があるんだし、頑張ってもらわないとね」
八谷はクスクスと笑い満点の星空の中で彼女だけの夜は更けていった。
2052年1月4日 天守島異能力学校学生寮
「たすけて、ゆるして」
立川はトイレで信じてもいない神に祈りをささげていた。昨日食べたカキフライに中ったのだ。学生寮の管理人がカキの在庫が余っているからと言われて大量に食べたのがマズかった。カキフライは非常においしかったのだが。彼の地獄耳は胃腸の荒れ狂う音と心臓が脈打つ音を超高精度でとらえている、彼の異能は命の危機に反応して進化を始めていた。管理人が置いてくれたスポーツドリンクを飲む。液体が食道を流れる音。今、学生寮にいるのは立川と管理人の二人である。胃腸の荒れ狂う音。小型船が港に泊まる音。心臓の鼓動。胃腸の荒れ狂う音。管理人がくしゃみをする音、彼は中らなかったようだ。白橋校長が学校の地下で誰かと話す音。心臓の鼓動。胃腸の荒れ狂う────
「うん、なんだ?校長だれと話しているんだ?」
トイレで這いつくばりながらも立川はジャーナリズム精神を奮い立たせ、白橋の周りにに聴覚を絞る。すると、白橋が話しているのが鮮明に聞こえてきた。
「────というわけでですね、地下のこれを作ってもらいたいんです」
「そうか、理解した。俺のことはそうだな、黒井と呼んでくれ」
「わかりました、黒井さん。申し訳ないです多忙の中呼び出しに答えてもらって」
「かわまん。基本的に待機だ。あと俺も」
「そうですか、あなたも菅原先生と同じく
「そうだ。相も変わらず、優秀ではあるが人使いが荒い男だ」
(ひとりで?先輩ってだれだ?校長の先輩かつ異能自衛隊のお偉いさんだろうけど。分からない、ノロじゃなきゃ偶然を装って行ったのに)
白橋と会話をしているのは黒井という偽名の男である。なにやら白橋が地下に作ろうとしているのは把握していた立川だったがまさか一人の異能者が作るとは予想していなかった。この天守島は第三次世界大戦で作られた人工島で地下は迷宮のようになっている。自衛隊の施設、米軍の通信跡地、そしてこの島が建造された当時の実験区画。その膨大な暗渠を、一人の異能者が白橋の要望通りに変形させているのだ。もし寝ていたら気付かない程度のかすかな振動を発生させながら地下空間が拡張されていく。
(嘘だろこんな大規模な異能行使、あり得るとしたら特別異能部隊、それも上から何番目かの異能者だ)
立川の進化した異能は特殊合金が芽吹き、根を張りながら成長し、コンクリートがアメーバのように移動する不気味な音をとらえている。それは有機物と無機物の境界を曖昧にし、物質の性質を根底から変質させていく、冷徹で圧倒的な異能の気配。
「白橋校長、生徒は残っているのか?」
「ええ一人だけ、ただ彼はノロウイルスで体調を崩しておりまして」
「そいつ、トイレで苦しみながらも聞いているぞ」
「そうですか。立川くんダメですよ」
次の瞬間、白橋の異能によって盗聴は遮断されてしまったが、立川は立川は冷え切ったトイレの床で、ただ呆然とするしかなかった。 白橋が言葉を紡ぐと同時に、立川が捉えていた地下の音響空間が、突如として静寂に包まれたのだ。それは物理的な壁で遮られた音ではない。すべての電波や音波、そして異能の探知すらをも完全に吸い込んで無効化する、情報を遮断する霧が地下空間に発生した証拠だった。
「やっぱり、校長先生は天敵だな、ははは、あーお腹痛い」
立川は涙目で呟き、信じてもいない神への祈りを再開した。 白橋校長の霧の奥で、着々と完成へと向かう地下施設。その全貌が明かされる3学期の授業まで、あと9日。空は憎たらしいほどの快晴である。
2052年1月9日 千葉県新船橋市菅原家
「…………もしもし、白橋校長なんですか?今日、出勤できるかって……できます」
ベット中から目覚まし時計を見つめる牡丹は白橋からの電話を受け出勤することにした。
(冬休み、あと3日もあったはずなのに……まあいいか)
「…おばあ様行ってきます」
「いってらっしゃい牡丹」
スーツに着替えた牡丹は靴をカバンに入れ、嵐山からもらった電波吸収の特殊マントを羽織り裸足で庭の出た。燐光が牡丹の足周りに発生し、彼女の体は数秒で八丈島上空を通過していた。水平線の彼方に天守島が見えた。微細な異能行使によって極超音速の移動は完全なる無音である。ほんの10秒で、天守島上空に到着した。空中で靴を履き、ゆっくりと降下した。校門の前に着陸した牡丹はスーツの皺を直し、校舎に入る。
「…………誰もいない」
無人の校舎を歩き、校長室の扉をコンコンと叩く。すると中から機械音声が流れた
『認識…菅原 牡丹。記録音声を流します「あー白橋です、急な呼び出しをして留守で申し訳ない。第Ⅰ体育館に来てください」記録終了』
「……はあ、たらい回しにされてる気がする」
牡丹は小さくため息をつき、回れ右をして校長室を後にした。冷え切った校舎の廊下を歩く。コツン、コツンと響く無機質な足音だけが、無人の学校に虚しく響いていた。
第Ⅰ体育館の重い鉄製の扉の前に立ち、牡丹は無表情のまま手をかけた。ガラガラと音を立てて扉を開けると、そこには冬休みの閑散とした空気ではなく、どこか張り詰めた気配が漂っていた。そこにいたのは白橋と学生服を着た見慣れぬ、しかしよく知った男がいた。
「……あしえだ。8年ぶり。なんでそんな恰好してるの。17くらいに見えるけどこすぷれ?というやつか。似合わないよ」
「コスプレではない。潜入任務だ。しかし、聞いてはいたが変わらんなお前は。あの時のままだ」
「……あしえこそ、変わってない。陰気なまま、小さくなった。異能のせい?」
「そうだ。俺の異能は応用が効く。これくらいの肉体の縮小と偽装など容易い」
葭江は不機嫌そうに眼鏡のブリッジを指先で押し上げ、学生服の硬い襟元を鬱陶しそうに弄んだ。いつのまにか白橋が異能の霧で体育館を包んでいた。
「菅原先生、わざわざ今日呼び出したのはね、彼――3学期から君のクラスに編入することになった。黒井くんと私が総力を挙げて作った新しい訓練場を、新学期が始まる前に君にテストプレイしてほしかったからなんですよ」
「……編入?あしえが、私の生徒?あしえ説明」
「説明も何も、先ほど言った通り潜入任務だ。嵐山幕僚長からの直命である生徒の監視につく。あと今の俺は黒井だ。葭江 躯は現在も佐渡にいることになっている」
「……ある生徒ってだれ?」
「極秘だ。そして今のお前は一般人だ。説明する義理はない」
牡丹は相変わらずの仏頂面のまま、少しだけ不満げに視線を落とした。元特別異能戦略実行部隊の隊長であり、国家防衛の最高戦力の一角である葭江が、わざわざ姿を偽ってまで監視するべきある生徒。ここの学生の中に、そこまでの異能者はいるのだろうか。
「まぁまぁ、菅原先生。そこは国家機密ですから大目に見てあげてください。黒井くんが島にいる間は、校長である私と君しか彼の正体を知らないことになっていますから、学校生活では普通に黒井くんと呼んであげてくださいね」
「…………わかりました」
白橋は手に持ったタブレットを操作すると、体育館の床全体がゆっくりと下がり始めた。
「嵐山幕僚長からのお願いの一つでな。訓練場を新しく作って欲しいと言われた。曰く、お前が異能を使うと、校舎が消し飛びかねんとな、それは俺も同意見だが」
「…異能操作はあしえみたいに雑じゃない」
「何だと?」
葭江の眉間のシワが一段と深くなり、彼が踏みしめている床の板材がピキピキと音を立てて微細な棘が立ち始める。
「…そういうとこ」
牡丹は葭江の床を見つめつぶやいた後、遠ざかる天井の明かりを見つめた。
「まぁまぁ二人とも、そこまでにしてください。喧嘩をするなら訓練場で」
白橋が苦笑しながら2人を宥めていると、ガコン、という重々しい衝撃と共に床の下降が停止した。すると、バチン、バチン、とブレーカーが上がる音がして。地下訓練場の全容が牡丹の目に入る。牡丹は喜々として葭江の手を掴み訓練場に駆け出して行った。
「雪ノ下、待て。待てと言っている」
そんな二人を白橋は笑顔で見送った後、手元のタブレットに視線を落とし呟いた。
「安全性のテスト、まだでしたっけ」
人物紹介
菅原 牡丹 (21 女)
本作の主人公。天守島異能力学校2-B担任。久しぶりに軽くだが本気を出せて気分がいい
神藤 悠馬 (17 男)
精神干渉系の異能者。天守島異能力学校2-B。新聞部。冬休みが終わるまでに暗殺者が4人くらい来た。
立川 一 (16 男)
二キロメートルまで、聴覚を飛ばすことができる異能者。天守島異能力学校2-B。新聞部部長。冬休みで4キロ痩せた。
七條 葵 (17 女)
紅い電気のようなものとなり、また操ることができる異能者。天守島異能力学校2-B。生徒会会長。神藤に差し向けられた暗殺者を15人撃退した。
八谷 涼音 (17 女)
モノを清潔にすることができる異能者。天守島異能力学校2-B。生徒会会計。無人島は親からもらった。
嵐山 実巳 (51 男)
異能自衛隊異能幕僚長、死んだら自分の時間を5秒間巻き戻すことができる異能者。葭江に2回死ぬまで殴られた。
葭江 躯(26 男)
異能自衛隊特異異能尉。日本の最高戦力。このたび、初めての高校生活を送ることになった。第三次世界大戦で家族と婚約者を失っている。
白橋 不羈 (48 男)
情報を遮断する霧を発生させることができる異能者。天守島異能力学校学校長。体育館の床をエレベータにするのを提案した。訓練場の安全性は確かだと胸を張って言える。