牡丹は花火になりたい   作:ズンドロ

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最高位の異能者は精神構造に共通性が確認されている。長期戦争・大量殺戮・国家崩壊などを経験しても精神崩壊に至る例はない。その代わり、多くの個体が『世界や人類に過度な期待をしていない』という冷めた価値観を共有している。これは絶望というより、「人類という種を観察対象として見ている」状態に近いと分析されている。
────世界連合 異能研究所


制御は大事

2052年1月12日 東京都三鷹市のバー「ROまん」

 

「危なかったー」

 

 警備員の服がカウンター席へ倒れ込むように座った。黒い防寒ジャケットの下は汗でびっしょりだった。東京都三鷹市。駅前雑居ビル地下。バー「ROまん」薄暗い店内では、古いジャズが小さく流れている。棚へ並ぶ酒瓶はどれも埃一つない。そこにいたのは二人だけだった。

 

「”海洋迷宮”を誘導するなんてやるじゃん。俺漏らしそうになったけど」

「あれは偶然だ。近くにいることは知っていたがまさか来るとはな。だが幸運だった、そのままだと捕まっていた」

 

 バーテンダー姿の女がグラスを磨きながら答える。

 

「”破邪”、君が「幸運」なんて言う質かよ。つーか誰も気付かれてないだろ侵入。また行こうぜ」

「実際幸運だ、一人に気付かれていたよ”首無鴉”」

 

 グラスを磨く音が止まる。女は、”破邪”はわずかに眉を上げた。

 

「葭江躯の分体のそばにいた小さな女性教師だ」

「あの小さなやつがか、名前は確か菅原牡丹か」

 

 防寒ジャケットを脱いだ”首無鴉”は資料をめくりながら、面倒そうに眉をひそめた。紙ではなく薄型端末だが、わざわざ古い紙束のような表示形式にしているあたり、趣味が悪い。

 

「菅原牡丹。担当教科は異能戦闘訓練、経歴ほぼ空白。記録上は3学期から天守島勤務。異能分類も未登録……なにこれ、穴だらけじゃん」

「意図的に消されている」

 

 ”破邪”は短く言った。グラスを照明にかざして、汚れがないか確認する。

 

「国家防衛監督省上層部の秘匿処理だ。閲覧しようとした監査官が三人死んだ」

「うわぁ、嫌なタイプ」

 

 男は端末を閉じる。バーテンダー姿の女――”破邪”は磨いていたグラスを棚へ戻した。

 

「だが、確かなが一つある、菅原牡丹は私たちを見ていなかった」

「そういう異能?チートじゃん」

「それなら、私が無効化できるよ。そんなことも覚えていないのかい」

 

 ”首無鴉”は笑いながらグラスを揺らした。氷がからん、と鳴る。”破邪”は数秒沈黙したあと、静かに首を横へ振った。

 

「そうだとしても気付かれていたよ」

「……は?」

 

 地下バーの空気が少しだけ冷える。

 

「私たちがいたはずの「無」を認識していた」

「まてまて、俺らがいたのは島の真反対だぞ。「無」を認識するってなんだよ」

 

 ”首無鴉”の軽薄な声が、わずかに硬くなる。”破邪”は否定しなかった。

 

「距離の問題ではない」

「いや問題だろ普通」

「普通ならな」

 

 女は静かにグラスを置いた。

 

「”首無鴉”、君の異能は影に溶け込むものだな」

「そうだけど」

「その時溶け込んでいる影に触れているモノを知覚できると記憶しているが」

「うん」

 

 ”首無鴉”は気軽に頷く、グラスの中にある琥珀色の液体をチビチビ舐める。

 

「それはどのくらいの範囲で知覚できる?」

「面積が増えるとわからなくなるから2kmがマックスだ」

 

”首無鴉”は指でグラスを回しながら答えた。

 

「それ以上広げると情報がノイズになる。人間の脳で処理しきれない」

 

 ”破邪”は静かに頷く。

 

「つまり、その範囲内の影に触れているものを知覚しているわけだ」

「まあ、大雑把には」

「ならば菅原牡丹も同じだ」

 

 数秒、沈黙。

 

「…………は?」

 

 ”首無鴉”が固まる。”破邪”は淡々と続けた。

 

「規模が違うだけで構造は近い」

「待て待て待て。俺のは影だぞ?」

「菅原牡丹は十中八九環境だ」

 

 ジャズが低く流れる。

 

「空気、熱、水分、振動、気流、気配、人間、異能反応……周囲を一つの場として認識している。恐らく自身の肉体すらも」

「スケールおかしくない?」

「おかしい」

 

 即答だった。”首無鴉”はしばらく口を閉じたままグラスを見つめていた。氷がゆっくり溶け、水滴が指先へ落ちる。

 

「……つまりなに? 島全体を感覚器にしてるってこと?」

 

「恐らくはもっと広い」

 

 ”破邪”は静かに言った。彼女はグラスを取り出し酒を注ぐ。

 

「天守島内部だけではない。風の、海流の流れも辿っていると思う」

「いや意味わかんねぇよ」

 

 ”首無鴉”は笑おうとした。だが笑いきれない。

 

「そんなの人間の知覚じゃないだろ」。

 

 地下バーの薄暗い照明が、グラスの縁へ淡く反射する。”破邪”はその光を見ながら続けた。

 

「おそらく本人も境界を認識していない」

「境界?」

「自分と周囲の区別だ」

 

 ”首無鴉”の眉がわずかに動く。

 

「……あー」

 

 ようやく少し理解したらしい。

 

「だから「見てる」感じじゃなかったのか」

 

「ああ」

 

 ”破邪”は頷いた。

 

「視線ではない。異能でもない。場そのものを当然のように把握しているだけだ」

「いや怖、なんでそんなのが教師やってんの」

「葭江躯の分体が近くへ置いている時点で察しろ」

「余計怖いんだけど」

 

 ”首無鴉”はグラスを煽る。アルコールの熱で、ようやく少しだけ震えが収まった。

 

「でもさ、それなら俺ら終わってない? 気付かれてたんだろ?」

「断定はしていない」

 

 ”破邪”は冷静だった。慌てていても無意味だからだ。

 

「正確には「違和感を認識した」段階だ」

「違和感?」

「本来そこに存在するはずの情報が欠落していた」

 

 数秒の沈黙。”首無鴉”はゆっくり顔をしかめる。

 

「……あー、なるほど」

「理解したか」

「”破邪”の異能で消えてた部分を逆に見つけたのか」

「そういうことだ」

 

 バーの空気が少しだけ重くなる。”首無鴉”はソファへ深く沈み込んだ。

 

「最悪じゃん。透明人間見つける方法がそこにある空気がないなの、反則だろ」

 

 ”破邪”は否定しなかった。

 

「本来、私の異能は「知覚から零れ落ちる」類だ。認識阻害と隠密を複合している。普通の観測者ならまず見抜けない」

「普通じゃなかった、と」

「ああ」

 

 女は静かにグラスを拭き続ける。

 

「菅原牡丹は「個体」を認識していない。空間全体の連続性を認識している」

「……なんだそれ」

「例えば水面だ」

 

 ”破邪”はカウンターへ指先で円を描いた。

 

「静かな湖へ石を落とせば波紋が広がるな」

「まあ」

「私は異能で「石」を消せる。だが波紋だけは残る」

 

 ”首無鴉”はそこで言葉を失った。

 

「……だから、位置まで特定されたのか」

「恐らくな。少なくとも「何かいる」までは確信していた」

 

 ジャズのサックスが低く鳴る。バーの空調音だけが妙に大きく聞こえた。

 

「いや待って。それ、もう探知系とかじゃないだろ」

「だから言ったろう、異能ではない」

 

 ”破邪”は淡々としていた。

 

「おそらく本人にとっては、知覚しようとすらしていない。呼吸と同じだ。恐らく君が影に溶け込んでいることも把握しているよ」

 

 ”首無鴉”の表情が止まった。今日一番の驚愕である。

 

「…………は?」

「言葉通りだ」

 

 ”破邪”は静かにグラスを置く。

 

「君は「影へ隠れている」つもりだろうが、菅原牡丹からすれば違う。影の一部に何かいる」

 

  カラン――。

 

 バー「ROまん」の扉についたベルが、小さく鳴った。入ってきたのは制服姿の少女だった。ブレザーの上へ雑に黒いコートを羽織り、金色に染めた髪を後ろで束ねている。年齢だけ見れば完全に女子高生だ。だが、店内へ入った瞬間、空気が僅かに張り詰めた。

 

「おや、”鏡門”。天守島のゲートは処理できたかい」

 

 ”破邪”が軽い調子で手を振る。少女――”鏡門”は露骨に嫌そうな顔をした。

 

「できたわよ。急な呼び出ししないでよ」

 

 カウンター席へ鞄を放り投げる。制服のスカートが揺れ、その下の太腿にはナイフベルトが覗いていた。

 

「こっちは寒空の下で死ぬほど走らされたんだけど」

「生きてるじゃん」

「死にかけたっつってんの」

 

 ”首無鴉”はケラケラ笑う。”鏡門”は無視してカウンターへ肘をついた。

 

「で? なんでこんなタイミングで招集?」

 

 ”破邪”は無言でグラスへオレンジジュースを注いだ。そして”鏡門”に渡す。

 

「予定が変わった」

「”海洋迷宮”が来たんでな」

 

 その瞬間、”鏡門”の表情が固まった。

 

「は?」

「偶然、天守島へ接近した」

「偶然で済ませていい単語じゃないでしょそれ」

 

 即答だった。”首無鴉”が肩をすくめる。

 

「しかもトイレ借りに来ただけ」

「もっと意味わかんないんだけど」

 

 ”鏡門”は真顔でグラスを掴む。

 

「いや待って。じゃあ警備レベル上昇も、海上封鎖も、全部あの怪物女?」

「概ね、そうだね」

「人類かわいそ」

 

 ”首無鴉”は吹き出した。だが”破邪”だけは笑わない。

 

「問題はそこではない」

 

 店内の空気が少し静まる。

 

「……何」

 

 ”鏡門”が低く聞く。”破邪”は短く答えた。

 

「こちらの存在を認識した者がいる」

「誰」

「菅原牡丹」

 

 ”鏡門”の眉がぴくりと動く。

 

「あの新任教師?」

「ああ」

「嘘でしょ。私のゲートも抜かれたの?」

「完全ではない。だが違和感として捉えられていた」

 

 ”鏡門”はゆっくり息を吐いた。

 

「……冗談きつ」

 

 彼女は髪をかき上げながら椅子へ座る。

 

「私の「門」は座標を折り畳む。通常の追跡じゃ辿れないはずなんだけど」

「普通ならな」

 

 ”首無鴉”が苦笑する。

 

「ずっとその話してた。どうもあの先生、“普通”じゃないらしい」

「知ってるわよ。葭江躯の分体が側に置いてる時点で察してた」

 

 ”鏡門”はグラスを傾けた。

 

「でもまさか、“破邪”と”首無鴉”の隠密をまとめて感知するとか聞いてない」

「感知ではない」

 

 ”破邪”が訂正する。

 

「環境の連続性を認識しているだけだ」

「それを感知って言うんじゃないの普通」

「普通ではない」

「またそれ?」

 

 ”鏡門”は頭を抱えた。地下バーのジャズが静かに流れる。しばらく沈黙したあと、彼女はぽつりと言った。

 

「……で、その菅原牡丹って、どのくらい危険なの」

 

 ”破邪”は即答した。

 

「”海洋迷宮”より怖いと、私は考えているよ」

「あんたがそう思うならそうなんでしょうけど」

「だから、天守島の潜入はこれっきりにする」

 

 ”鏡門”は眉をひそめた。

 

「……は?」

 

 ”首無鴉”も目を瞬かせる。手に持っていたグラスを取り落とす。

 

「マジで? あの計画、半年かけて準備してたろ」

「ああ、だが割に合わない」

「いやいやいや」

「ちょっと待て。”破邪”が撤退判断するレベル?」

「そうだ」

 

 即答だった。地下バーの空気が静まる。”鏡門”はオレンジジュースを飲み干し、低く息を吐いた。

 

「……理由は菅原牡丹?」

「それだけではない」

 

 ”破邪”は棚へグラスを戻す。

 

「葭江躯が何かあると知った。あの分体は感知はほぼできないが、それでも正面からでは全員でも勝ち目がない。ある程度は情報を知れたから撤退する」

「りょーかい、ボスに報告する」

「ああ、頼む」

 

 そして、”鏡門”はバーから出て行った。ベルが鳴り、バー「ROまん」の扉が閉まる。地下へ降りる冷たい外気が一瞬だけ流れ込み、すぐに静寂へ溶けた。”首無鴉”はソファへ深く沈み込み、長く息を吐く。

 

「俺は休んでていい」

「駄目だ、君は引っ張りだこだからね」

 

 ”破邪”は即答した。氷を入れたシェーカーを軽く振る。その金属音が静かなジャズへ混ざる。

 

「えぇ……。今回マジで寿命縮んだんだけど」

「安心しろ。寿命程度ならまだ縮められる」

「フォロー下手かよ」

 

 ”首無鴉”はげんなりしながら頭を掻く。

 

「次どこ?」

「マスラフ首長国連合だ」

「あの”金貨蜘蛛(ミダススピナー)”のとこかよ。何しに行くんだ」

「ある異能を買ってきて欲しい。詳しい話は現地の幹部に聞いてくれ」

「あいあい」

 

 ”首無鴉”は影に溶けて消えた。”首無鴉”が消えたあと、バー「ROまん」には再びジャズだけが残った。低いサックスの音が地下空間へ滲む。”破邪”は静かに棚を眺め、それから空になったボトルラックへ視線を落とした。

 

「おや」

 

 わずかに口元が緩む。

 

「貴重なbeestoneの30年ものを持って行ったな」

 

 棚の奥、本来なら琥珀色の瓶が置かれていた場所が空いている。いつ盗ったのかすら分からない。”破邪”はため息混じりにグラスを磨いた。

 

「まあ、彼はそのくらい働いたからね。良いだろう」

 

 誰へ言うでもなく呟く。地下バーの時計は午後3時を回っていた。天守島潜入作戦は終了。半年かけた計画も凍結。だが、それでも得た情報は大きい。菅原牡丹。葭江躯。そして――天守島そのもの。”破邪”は磨き終えたグラスを静かに棚へ戻す。

 

「……さて」

 

 彼女はカウンター下から古い通信端末を取り出した。液晶へ一瞬だけ無数の暗号文字列が走る。送信先は一つ。画面へ表示された名前を見て、”破邪”は珍しく少しだけ眉をしかめた。

 

「面倒な相手だな」

 

 通信接続音。そして、誰かが出る前に、彼女は短く呟いた。

 

「予定を前倒しにする必要があるかもしれない」

 

 

2052年1月12日 天守島異能力学校 大会議室

 

「それで、2人侵入者がいたと…………今までの準備が無駄でしたね」

 

 白橋が資料端末を机へ置き、静かに視線を上げた。大会議室の照明は白く、窓には分厚いカーテンがかかっている。数時間前まで続いていた海上封鎖の余韻か、室内の空気は妙に張っていた。

 

「そうだ、菅原からな、一人は影に潜る異能、もう一人は認識阻害の異能。異能の感触で判断したらしい」

 

 答えたのは黒井灰だった。

 

「感触ってなんですか感触って……」

 

 国家防衛監督省の監査官が疲れた顔で呟く。

 

「異能を感覚で分類しないでください」

「だが実際合っている可能性は高い」

 

 黒井は淡々としていた。

 

「菅原の知覚は観測型異能に近い。特に環境干渉系の隠密には敏感だ」

「それをもっと早く共有して欲しかったんですが!?」

 

 警備主任が机を叩いた。

 

「こちらは“海洋迷宮”対応で限界だったんですよ!? そこへ隠密侵入まで通されるとか聞いてません!」

「”海洋迷宮”が消えたのと同時に消えた。菅原は警備側の人間と思っていたらしい。あいつが島に来た時にはもういたとのことだ。消えたので警備ではないと分かった」

 

 大会議室の空気が、一段重くなった。

 

「……つまり」

 

 監査官がこめかみを押さえる。

 

「“海洋迷宮”接近以前から、既に侵入されていた可能性があると?」

「そうだ」

 

 黒井は即答した。

 

「少なくとも菅原はそう判断している」

「なぜもっと早く報告しないんですか!」

 

 警備主任が半ば悲鳴みたいな声を上げる。黒井は眉一つ動かさなかった。

 

「本人が「警備の人いる」くらいの認識だったからだ。菅原が最後にこの島に来たのは9日、対異能警備隊が来たのは10日、増員が来たのは今日だ。分からないのも当然だ。そして、恐らく今日警備に紛れて侵入した」

「最悪じゃないですか」

 

 監査官が真顔で言った。

 

「警備増強のタイミングへ合わせて侵入? 内部構造、警備配置、封鎖手順……全部見られた可能性があるんですよ?」

「そして、警備として駐留する可能性もあった。これまでの対策が無意味になったな」

 

 黒井は淡々としていた。その言葉で、会議室の空気が完全に死んだ。監査官が乾いた声を出す。

 

「無意味って言いました?今、無意味って?」

「事実だ」

「相手が認識阻害と影潜行の複合なら、通常監視では見抜けない。警備側へ混ざられた時点で識別不能だ」

「識別不能を前提に警備組んでませんよこっちは!」

 

 警備主任が叫ぶ。

 

「入島時の身元照合!監視ドローン! 全部通過されたってことですよね!?」

「恐らくな」

「恐らくで済ませないでください!」

 

 机を叩く音が響く。一方、白橋だけは静かだった。疲労の色は濃いが、半ば諦めたような落ち着きがある。

 

「……侵入目的は?」

 

 その問いに、黒井は少しだけ考える素振りを見せた。

 

「不明だ。だが破壊工作ではない」

「根拠は?」

「何も壊れていない」

 

 即答だった。

 

「情報収集目的の可能性が高い。もし破壊が目的なら、“海洋迷宮”来訪の混乱時が最適だった」

「確かに……」

 

 分析官の一人が頷く。

 

「警備は海側へ集中。校内封鎖も混乱。内部工作には絶好だった」

「でも実際には何も起きていない」

 

 白橋が低く言う。

 

「つまり途中で計画変更した?」

「その可能性が高い」

 

 黒井は視線を上げた。

 

「“海洋迷宮”を見て撤退したのか、別の要因かは不明だがな」

 

 監査官が嫌そうに顔をしかめる。

 

「別の要因ってなんです」

 

 黒井はゆっくり会議室の隅を見る。そこでは菅原牡丹が会議用のお菓子をぼんやり眺めていた。さっきから一言も発していない。クッキーを持ち上げ、裏返し、また戻している。

 

「…………」

 

 監査官の顔が引きつる。

 

「まさかとは思いますが」

「知らん」

 

 黒井は即答した。

 

「だが、隠密系能力者が撤退判断する理由としては十分だ」

「いや本人なんもしてないですよね?」

 

 警備主任が困惑した声を出す。

 

「菅原先生、普通に海見てただけですよね?」

「それが問題だ」

 

 黒井は淡々としている。

 

「本人に探知している自覚が薄い」

「怖いこと言わないでください」

 

 監査官が頭を抱えた。

 

「つまり何です? 本人は「警備員かな」と思ってスルーしてたけど、相手側からすると「自分たちの存在へ気付いてる何か」がいた?」

「恐らくな」

 

 白橋が静かにため息を吐く。

 

「しかも、よりによって“海洋迷宮”と普通に会話していた」

 

 その瞬間。

 数人の職員が同時に顔をしかめた。

 

「あぁ……」

「確かに嫌だなそれ……」

「隠密潜入中に国家級災害存在と雑談してる教師見たら帰りたくなる……」

 

 警備主任が遠い目をした。

 

「しかも、その隣にいるのが葭江躯でしょう?」

「形式上は黒井灰だ」

「そこはどうでもいいです」

 

 即答だった。会議室後方で、分析官が新しい映像を表示する。

 

「第2区画監視ログ、拡大します」

 

 壁面モニターへ、校舎廊下の映像が映る。生徒が走り回り、教師が避難誘導し、警備ドローンが飛び交う混乱の最中。その端。1フレームだけ。壁際の影が、妙に濃い。

 

「これか」

 

 黒井が映像を止める。誰も喋らない。数秒後。

 

「……いるな」

 

 分析官が小さく呟く。

 

「熱源がない」

「監視AIの人物判定にも引っかかってません」

「なのに光量だけ歪んでる……」

 

 監査官が顔を青くする。

 

「なんだこれ……」

「影潜行型だろう」

 

 黒井は平然としていた。

 

「そして、その隣の空間が少し歪んでいる」

「え?」

「認識阻害だ」

 

 会議室が静まり返る。

 

「二人並んでいたのか……?」

 

 警備主任が呆然と呟く。

 

「しかも監視カメラの真正面を通って?」

「大胆というか、慣れているな」

 

 黒井は淡々と分析した。

 

「恐らくプロだ」

「嫌な単語しか出てこないんですが」

 

 監査官は机へ突っ伏しそうになっていた。

 

「しかも、その二人が“海洋迷宮”来訪の混乱に紛れて消えた……」

「綺麗すぎる撤退だ」

 

 白橋が低く言う。

 

「まるで最初から、あの騒ぎを利用すると決めていたみたいですね」

 

 その時、それまで黙っていた牡丹が、ぽつりと言った。

 

「……でも、びっくりしてた」

「何がです?」

 

 白橋が聞く。牡丹は少し考えてから答えた。

 

「……海が静かになった時に空気が揺れた」

 

 黒井の目が僅かに細くなる。

 

「“海洋迷宮”が喜んだ時か」

「うん」

 

 牡丹は頷いた。

 

「……「うわっ」って感じした。だから、警備の人かと思った」

 

 牡丹は淡々と言った。会議室が静まり返る。

 

「待ってください」

 

 監査官がゆっくり顔を上げる。

 

「その判断基準なんなんです?」

「…………?」

 

 牡丹は逆に不思議そうだった。

 

「警備の人も、「うわっ」ってなってたから」

 

 白橋は数秒間なにも言えず、やがて乾いた声を絞り出した。

 

「……比較対象が“海洋迷宮”見た人類の反応なんですか」

「うん」

「スケールを合わせてください」

 

 即答だった。だが牡丹は首を傾げる。

 

「でも、似てた」

「どう似てたんです?」

 

 白橋が静かに聞く。牡丹は少し考え込んだ。

 

「……びっくりしてるけど、静かにしようとしてる感じ」

 

 黒井の視線が鋭くなる。

 

「隠密維持中だったか」

「……たぶん。だから警備の人だと思った」

 

 監査官が顔を覆う。

 

「相手にとっては最悪ですね」

「何がです?」

 

 分析官が聞く。

 

「つまり侵入者、菅原先生には普通に認識されてたってことですよ」

「あ」

 

 警備主任が固まる。

 

「認識阻害、意味なくないですかそれ」

「いや、菅原以外には有効だったんだろう」

 

 黒井は冷静だった。

 

「ただ、菅原の知覚は少し特殊だ。本人が「人として認識しているか」とは別問題だが」

「怖いこと言わないでください」

 

 監査官が即座に返す。白橋が低く息を吐いた。

 

「つまり、侵入者側は「見つかった」と思っていた可能性が高い」

「実際には「警備員がいる」くらいで認識されてたわけか……」

 

 警備主任が遠い目をする。

 

「嫌すぎるだろその状況」

 

 黒井はモニターへ映る歪んだ影を見ながら呟く。

 

「菅原は異能を「気配」で覚える。以前接触した系統に近ければ、無意識的に分類する」

「便利なのか雑なのか分からない能力ですね……」

「本人は考えて使ってないからな」

 

「……使ってなくてもわかる。少し漏れてるから」

 

 牡丹は淡々と言った。会議室が静まり返る。

 

「…………漏れてる?」

 

 かろうじて監査官が聞き返す。

 

「異能がか?」

「うん」

 

 牡丹は頷く。

 

「影の人は、影が暗くなる。認識の人は、目が滑る」

 

「説明が抽象的すぎる……」

 

 分析官が頭を抱えた。

 

 だが黒井は真顔だった。

 

「いや、間違ってはいない」

「擁護するんですか!?」

 

 警備主任が振り返る。黒井はモニターへ映る歪みを指差した。

 

「異能は簡単には閉じられない。特に環境干渉型は、周囲へ滲む。使っていなくてもな」

「それを感覚で識別してると?」

「そうだ」

 

 黒井は淡々と続ける。

 

「例えば炎熱系なら空気の揺れ、電撃系なら微弱な刺激、認識阻害なら視線の滑り。菅原はそれを理屈で捉えている」

 

 黒井は淡々と言った。牡丹が小さく首を傾げる。

 

「……理屈?」

「無意識だがな」

 

 黒井はさらに続ける。

 

「菅原は異能を「現象」として見ている。人間を見ているわけじゃない」

 

 監査官がゆっくり顔を上げた。

 

「それどういう意図ですか?」

 

 監査官の声は、わずかに警戒を含んでいた。黒井は数秒黙ったまま、モニターへ映る廊下映像を見ていた。誰もいない空間。だが、光だけが微妙に歪んでいる。

 

「文字通りだ」

 

 黒井は静かに言った。

 

「普通、人間はまず「人」を見る。顔、声、姿勢、気配……そういう情報を脳で統合して認識する」

 

 牡丹は黙って聞いている。

 

「だが菅原は違う。全てを一つのものとして捉える」

 

 警備主任が眉をひそめた。

 

「つまり?」

「例えば認識阻害系なら、「空間の認識処理がおかしい」と感じる。だから菅原は、認識阻害を受けても「そこに何かいる」までは分かる」

「理屈がおかしい……」

 

 分析官が呻く。黒井はモニターの静止映像を操作した。廊下角の監視カメラ。誰もいないはずの空間。だが、光の流れだけが微妙に歪んでいる。

 

「このタイプの認識阻害は自分の情報を認識できないものに変える。だが環境そのものは完全には騙せない。光、音、熱、空気の流れ……そういう副次情報には歪みが残る」

 

 黒井は淡々と続けた。

 

「普通の人間はそこまで見ない。脳が「人間がいない」と補完した時点で認識を止めるからだ」

 

 監査官が腕を組む。

 

「ですが菅原先生は違うと」

「ああ」

 

 黒井は頷いた。

 

「こいつは先に「空間全体」を見る。だから一部だけ不自然に繋がらない場所があると分かる」

 

 牡丹がぽつりと言う。

 

「……ノイズみたいになる」

 

 分析官が顔をしかめた。

 

「認識阻害を「映像の乱れ」みたいに感じてるんですか?」

「近いな」

 

 黒井は即答した。

 

「しかも菅原の場合、異能由来の違和感を経験で記憶している。だから以前接触した系統に似ていれば、「ああ、これ前もいた」となる」

 

 警備主任が疲れた顔になる。

 

「それで「警備の人がいる」扱いされた侵入者がいるわけですか……」

「今回はそういうことだ」

 

 黒井はモニターを拡大する。

 

 映像の端。

 壁際の影が、一瞬だけ遅れて揺れた。

 

「影潜行型も同じだ。影へ沈んでいても、「光の繋がり」までは完全に一致しない」

 

  会議室の誰かが、小さく息を呑んだ。拡大された映像では、廊下の照明が一定周期で点滅している。だが壁際だけ、ほんの僅かに暗転のタイミングが遅れていた。

 

「……本当にいる」

 

 分析官が掠れた声を漏らす。

 

「フレーム単位で見ないと分からないぞこれ」

「通常監視AIは人型判定を優先するからな」

 

 黒井は平然としていた。

 

「人として認識できなければ、異常値として処理されない」

「欠陥じゃないですか」

「仕様だ」

 

 即答だった。監査官が頭痛を堪えるように額を押さえる。

 

「待ってください。つまり現在の警備システム、“認識されない異能”に対して根本的に脆弱ってことです?」

「少なくとも完全対応はできていない」

 

 黒井は淡々と言う。

 

「そもそも認識阻害系は、人間の知覚を騙すための能力だ。視覚情報へ依存する監視AIとも相性が悪い」

「終わってる……」

 

 警備主任が椅子へ沈み込む。

 

「じゃあどうするんです。対策あるんですか」

「ある」

 

 黒井は短く答えた。全員の視線が向く。

 

「環境監視へ切り替える」

「環境?」

「人を探すな。歪みを探せ」

 

 モニターへ複数の数値が表示される。温度分布。気圧。微細振動。光量偏差。

 

「認識阻害は「存在を消す」能力じゃない。「認識を誤誘導する」能力だ。なら副次現象は残る」

「……理屈は分かります」

 

 分析官が呻く。

 

「でもそんな微細誤差、常時監視なんて――」

「普通は無理だ」

 

 黒井は牡丹を見る。

 

「だから菅原がいる」

「人力前提なんですか!?」

 

 監査官が叫んだ。

 

「国家防衛システムの穴を、一教師の感覚で埋める気ですか!?」

「現状、最も精度が高い」

「…………無理、夜は帰る」

 

 牡丹は淡々と言った。会議室が静まり返る。

 

「帰るんだ……」

 

 警備主任が呆然と呟く。黒井は即答した。

 

「労働契約上、勤務時間外だ。帰っても何も問題はない」

「そこ法律適用されるんですか!? 国家級案件ですよ!?」

「適用される」

 

 黒井は一切迷わない。

 

「むしろ適用されなければ問題になる」

「論点そこじゃないんですよ!」

 

監査官が叫ぶ。警備主任が牡丹の返答に疑問を抱き質問をする

 

「寮には住まないんですか」

「……住まない。毎日通うつもり」

「この島に船が来るのは2日に1回ですよ。どうやって」

「…………異能で飛んで」

 

 数秒、会議室の時間が止まった。

 

「は?」

 

 最初に声を出したのは監査官だった。牡丹は特に変わらない調子で続ける。

 

「………飛行可能な異能は多い」

「本土まで1140kmありますよここ。そんな長く飛べないですよ」

「…………10秒でつく」

 

 沈黙。監査官がゆっくり黒井を見る。

 

「今、聞き間違いですか?」

「いや」

 

 黒井は即答した。

 

「本人基準では事実だ」

「本人基準を国家基準へ持ち込まないでください!」

 

 警備主任が悲鳴を上げる。

 

「音速どころの話じゃないですよ!?」

「正確には飛行ではない」

 

 黒井は端末を操作しながら続けた。

 

「菅原の異能は大雑把に言えばエネルギー操作系だ。運動エネルギーと反作用制御を併用している」

 

 分析官が顔を上げる。

 

「……加速型?」

「近いが違う」

 

 黒井は首を横へ振った。

 

「こいつは対象へエネルギーを付与できる」

 

 牡丹がぽつりと言う。

 

「押してるだけ」

「押してる規模じゃないんですよ」

 

 監査官が即座に返した。

 

 黒井はモニターへ簡易図を表示する。空中。ベクトル。推進方向。周囲へ発生する衝撃波。

 

「普通の飛行能力は、自身を浮かせて移動する。だが菅原は違う」

 

 黒井は淡々としていた。

 

「肉体へエネルギーを付与し、瞬間的に爆発的推進力へ変換している」

「……自身に加速度を与えているのですか?」

 

 分析官が青い顔になる。

 

「いや待ってください。それ人間へ掛かる加速度どうなってるんです」

「……耐えてる、だめなの?」

 

 牡丹は小さく首を傾げた。

 

「だめというか、人類側が想定してません」

 

 警備主任が遠い目で言った。黒井は続ける。

 

「菅原の異能精度はnm単位だ。演算して行っている」

「演算……?」

 

 分析官が呟く。

 

「対象の運動、熱、圧力、応力を常時予測計算し、最適解を高速更新している」

「高速PDCAか」

 

 白橋が低く言った。黒井は頷く。

 

「そうだ」

 

 数秒、誰も喋らなかった。やがて白橋が静かに口を開く。

 

「ちなみに、その移動……レーダーへ映りますか?」

 

 黒井は短く答えた。

 

「映らん、電波吸収のマントがある」

「…………は?」

 

 監査官が数秒遅れて声を漏らす。

 

「映らない?」

「ああ」

 

 黒井は当然のように頷いた。

 

「熱源は短時間で拡散、衝撃は中和、加えて電波吸収処理済みだ。通常レーダーではノイズ扱いになる」

「待ってください待ってください」

 

 分析官が両手を上げた。

 

「今さらっと国家防空網突破みたいな話しませんでした?」

「突破ではない」

 

 黒井は淡々としている。

 

「検知できないだけだ」

「それを世間では突破って言うんですよ」

 

 警備主任が真顔で返した。牡丹は会議机へ置かれた飴を見ながら、小さく呟く。

 

「……別に隠れてない」

「余計怖いです」

 

 監査官が即答した。

 

「正確には、空気抵抗・衝撃波・熱変換を逐次制御している。力任せではない」

「そこまで精密制御してるなら、もう兵器運用理論なんですよ」

 

 分析官が疲れ切った顔で言う。

 

「実際、戦時運用はそれに近い」

 

 黒井の返答は簡潔だった。会議室が静まり返る。監査官が恐る恐る口を開く。

 

「……ちなみに、その話って」

「俺の部下だ」

 

 会議室の空気が止まった。

 

「…………は?」

 

 監査官がゆっくり黒井を見る。

 

「今なんて?」

「俺の部下だ」

 

 黒井は同じ速度で繰り返した。数秒後。

 

「特別異能戦略実行部隊の」

「そうだ」

 

 警備主任が反射的に突っ込んだ。

 

「あとさらっと国家機密みたいなこと言いましたよね今!?」

「お前たちには閲覧権限がある。だから言った」

「聞きたくなかった!」

 

 分析官が頭を抱える。牡丹は飴を転がしながら小さく呟いた。

 

「……あしえが拾った」

「野良猫じゃないんですから」

「似たようなものだ。落ちてたからな」

 

 黒井は平然としている。会議室が静まり返る。

 

「待ってください」

 

 監査官がゆっくり顔を上げる。

 

「“落ちてた”って何です?」

「そのままの意味だ」

 

 黒井は端末を閉じた。

 

「戦場跡地にいた」

「情報量を減らしてください!」

 

 警備主任が叫ぶ。

 

「なんでそんな危険物みたいな経歴を雑に説明するんですか!?」

「雑ではない。正確だ」

「正確ならいいって話じゃないんですよ!」

 

 分析官が頭を抱える。牡丹はころころと飴を転がしながら、小さく言った。

 

「……死んでると思われてた」

「重い!」

 

 監査官が即座に返した。白橋が静かに眉を寄せる。

 

「戸籍消失?」

「ああ」

 

 黒井は淡々と頷いた。

 

「戦時災害区域で記録が飛んだ。生存確認もされていなかった」

「で、拾った?」

「拾った」

 

 あまりにも自然に返される。警備主任が遠い目になった。

 

「その結果が国家防空網を10秒で横断する教師なんですか……」

「正確には横断していない。直線移動だ」

「そこどうでもいいです」

 

 即答だった。分析官が恐る恐る牡丹を見る。

 

「ちなみに……当時いくつで?」

「……8歳くらい。記憶喪失になっていたから分からない」

「戦場で記憶喪失の子供拾って、そのまま国家級戦力に育てる組織なんて聞いたことないですよ!」

「特殊事例だ」

 

 黒井は即答した。

 

「こいつだけだそれをしたのは」

「回数の問題じゃないんですよ!」

「しかも今の話、全部さらっと流しましたけど、完全に軍事機密級ですよね!?」

「だから閲覧権限を確認した」

「確認済みなら怖くないみたいな言い方やめてください!」

 

 白橋が立ち上がり言った

 

「今日はもう休みましょう」

 

 会議室が、一瞬しんと静まる。

 

「英断だ……」

 

 分析官が力なく呟いた。

 

「これ以上情報を詰め込まれると脳が処理拒否を起こします」

「もう十分起こしてるだろ」

 

 警備主任は椅子へ沈み込んだまま天井を見ていた。

 

「侵入者は認識阻害と影潜行で間違いはないのですね」

「…………うん」

「皆さん教職寮を使って休んでください。私も休みます」

 

 白橋が会議室から出て行った。それに続いて監査官がふらふらと立ち上がった。

 

「帰っていいですかもう」

「寮を使えと言っただろう」

 

 黒井が即答する。監査官は乾いた笑いを漏らした。

 

「今から船出せる空気じゃないでしょうこれ……」

「正しい判断だ」

 

 警備主任も重そうに立ち上がる。机へ散乱した資料端末を見下ろし、遠い目になった。

 

「認識阻害に影潜行、環境知覚、超高速移動、国家級戦力……」

 

 指折り数えていたが途中でやめた。

 

「今日だけで警備マニュアル三回くらい作り直しになってるんですが」

「五回だ。途中でレーダー関連も死んだ」

「言い方ァ!」

 

 監査官が反射で突っ込む。だが勢いがない。完全に疲弊していた。分析官は壁面モニターを切り替えながら、小さく呻いた。

 

「これ報告書どう書けばいいんですか……」

「誤魔化せ。上は常に問題なしを求めている」

 

 黒井は淡々と言った。会議室が静まり返る。

 

「最低だこの組織……」

 

 監査官が机へ突っ伏す。黒井は眉一つ動かさなかった。

 

「現実をそのまま出すと、会議が増える」

「理由が終わってるんですよ!」

 

 警備主任が叫ぶ。分析官は虚無の目で端末を見つめていた。

 

「いやでも実際、なんて書くんです……」

「簡潔でいい。「高位隠密異能者による侵入を確認」、「監視システムに改善余地あり」」

 

 監査官が顔を上げた。

 

「いや待ってください、「改善余地あり」ってレベルじゃないですよね!?」

「上へ危機感を与えすぎると予算会議が長引く」

「官僚制の悪いところ全部出てる!」

 

 警備主任が机を叩く。黒井は淡々と続けた。

 

「『人的被害なし』」

「そこだけは事実ですね……」

「まあこんなところだ」

 

 分析官はしばらく無言で端末を見つめていた。やがて、乾いた声で呟く。

 

「これ後世の人間が見たら、「平和だった日」だと思いますよ……」

 

 監査官が力なく頷いた。黒井は眼鏡を上げ、言った。

 

「あとは俺がどうにかする」

 

 会議室が静まり返る。

 

「それ、一番怖い台詞なんですよね……」

 

 監査官が死んだ目で言った。黒井は否定しない。

 

「実際どうにかはする」

「どうにかはなると思いますが」

 

 警備主任が即答した。黒井は端末を閉じながら淡々と続ける。

 

「侵入経路は再検証する。監視AIは環境偏差検出へ変更。対認識阻害用アルゴリズムも組む」

「急に真面目な組織運営が始まった……」

 

 分析官がぽつりと呟く。

 

「ただし根本対策は難しい」

「ですよねぇ……」

 

 誰も希望を抱いていない返事だった。黒井はモニターへ映る廊下の歪みを見ながら言う。

 

「認識阻害系は、“見えていないことに気付けない”のが本質だ。通常監視とは相性が悪すぎる」

「つまり?」

「最終的には人間側の感覚補助が必要になる」

 

 全員の視線が、自然と牡丹へ向いた。

 

「…………無理、夜は寝る」

 

 牡丹は即答した。

 

「まだ何も言ってませんよ!?」

 

 監査官が悲鳴を上げる。黒井は平然としていた。

 

「安心しろ。常時稼働させるつもりはない」

「その言い方だと非常時はあるんですよね?」

「ある」

「即答が重い!」

 

 警備主任が机へ突っ伏す。分析官は端末へ表示された報告書タイトルを見つめた。『天守島警備体制再評価報告書』数秒沈黙してから、小さく呟く。

 

「このタイトルの裏で国家防衛概念が崩壊してるんですよね……」

「誇張だ」

 

 黒井は短く返した。

 

「崩壊まではしていない。正確には、「前提条件の修正」だ」

「官僚語で世界の終わりを表現しないでください」

 

 警備主任が真顔で返した。その横で、牡丹は最後の飴を口へ放り込む。

 

「……おいしい」

 




人物紹介

菅原 牡丹 (21 女)
本作品の主人公。天守島異能力学校2-B担任。経歴は嵐山が書き換え終わった。

黒井 灰(17 男)
その正体は異能自衛隊特異異能尉、葭江 躯。天守島異能力学校に潜入任務として入る。牡丹を拾い戦い方を教えた。

白橋 不羈  (48 男)
情報を遮断する霧を発生させることができる異能者。天守島異能力学校学校長。今回の事件のために3日くらいほぼ寝れていない。

国家防衛監督省監査官(42 男)
国家防衛監督省の監査官。白橋の元部下。

国家防衛監督省分析官(31 男)
国家防衛監督省の分析官。先輩たちにこの仕事を押し付けられた。

国家防衛監督省対異能警備隊警備主任(35 男)
国家防衛監督省の対異能警備隊の警備主任。かなり強い。

”破邪”(29 女)
認識阻害の異能者。天守島に侵入した1人。表の顔はバー「ROまん」のバーテンダー。

”顔無鴉”(22 男)
影に潜ることができる異能者。天守島に侵入した一人。本業は暗殺者。

”鏡門”(15 女)
空間系の異能者。天守島に繋ぐ転移門を作った。冬休みで髪を染めた。
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