Black Heart Vulpecula   作:扇架

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十話

 

「……大健闘だったが」

 所詮十二歳の子ども。

 繰り手――裂かれた魂の一欠片、五十年前『秘密の部屋』を開き、ホグワーツを混沌で満たし、一人のマグル生まれを殺した少年――は呟いた。不規則に揺らいでいた輪郭は定まり、淡い淡い色彩は鮮やかに立ち上がる。かつての「トム・マールヴォロ・リドル」は、もはや実体と変わらぬ力を持っていた。

 生き残った男の子相手に、思わぬ苦戦をしてしまったものの、最後に笑うのは繰り手である。その証拠に『秘密の部屋』で倒れ伏しているのはハリー・ポッターだ。バジリスクの牙に貫かれながらも生き延びたものの……体力の限界だったらしい。不死鳥が、かばうように翼を広げているが無駄な努力というものだ。

「サラザール・スリザリン様のものを――バジリスクを奪ったんだ」

 代償は必要だろうよ。

 くす、と繰り手は笑う。こぎつねがいれば任せてもよかったのだけど。万全を期するために多めに魔力を吸ったものだから、宿主たるこぎつねは倒れてしまった。別に構うまい。死ぬほどの量ではない。それに、繰り手は杖を持てるようになった。こぎつねを宿主とする必要はもはやない。共犯者として生きていけばよいのだ。

 憑依し、操らなくてもこぎつねは十分に働いてくれるだろう。繰り手が限りなく実体に近づいたせいか、繋がりが薄れて――。

 いや。

「……引きちぎられて?」

 魔力を吸ったはず。倒れているはず。優勢なのは繰り手のほう。たかが十五歳の少年。しかし闇を印されたもの……。

 ひく、と繰り手は喉を鳴らす。素早く半歩、ずれた。その空隙を銀色が切り裂く。

「やあ、考えてみるべきだった」

 呟く。くるり、と振り向く。燃えるような紅色――ブラック家の灰色から、変じたそれが、繰り手を射抜く。

 禍つ星の彩と呼ばれる、美しくも恐ろしい輝きに、双眸を染め上げて。

 蛇の王――バジリスクを滅ぼした剣を握りしめ。

 こぎつね座のウルペクラが立っていた。

「僕は限りなく実体に近いが――」

 あくまでも影。零し、改めて認識する。そう、繰り手は影でしかないのだ。

 一、ニ、三、と流れるような連撃を、繰り手はかろうじて回避し、あるいは防御する。

「そして、こぎつね……ウルペクラ。君は未来の僕が見込んだもの。捧げられた者」

 ちり、と繰り手の黒髪が一筋持って行かれ、霧となって消えていく。

「君の肉体は詐術でもなんでもない、真のもの。魔力が少々とられようが――」

 赫怒している。呟き、神経を極限まで張り詰める。魂の欠片とて、いやだからこそ死にたくはないのだ。

「とどめに――」

 この技量。剣の心得があるとは承知していたが、ここまでとは。素直に感嘆する余裕もない。

 と、と歩を踏む。ぎゃり、と音を立て、刃――ゴドリック・グリフィンドールの剣が、石床を切り裂き、繰り手を追う。

 こぎつねは、一言も発さず、淡々と剣を振るう。なんということだろう、と繰り手は乾いた笑いを漏らした。このトム・マールヴォロ・リドル、あまりなにかを怖いと思ったことはなかったのだが。

 この少年には恐怖を覚える。ただ怒り狂っているだけならばいいのだ。それだけなら、鼻で笑ったろう。

「待て待てこぎつね」

 落ち着こう? 僕らはともだちだろ。

 叫べど無駄だった。

 握手の用意はできていたが――片腕を斬り飛ばされた。

「……やっぱり、そっちのほうが格上か」

 くそ、と毒を吐く。握手作戦は失敗だ。くる、とハリー・ポッターの杖を回転させる。どうせ下手な呪いなんて効きやしない。毒蠍のレストレンジ、その粋を発現させた稀なる者は、毒を無効化するという。毒――悪意と呪いは似たようなもの、実のところこぎつねは呪いへの耐性も有している。

――そりゃあ

 未来の己が目を付ける。わかるとも親愛なる『名前を言ってはいけない例のあの人』。僕だって絶対にこぎつねを己のものにしたろうよ。喜んで使うだろうよ。最適だもの。毒無効、呪い耐性。元から優秀なのだから、底上げすればどうなるか、だ。

 わかってはいるが、困ったことになった。

 お気に入りが暴れれば、どうなるかという喫緊の問題が……迫っている。

 恨むぞヴォルデモート、未来の僕、と繰り手は自棄になった。

 こぎつねと死の舞踏を舞う。実体に近いからこその痛みをこらえ、杖を振る。単純な、呼び寄せ呪文。ぐっとこぎつねの衣が引っ張られ、たまらずよろめく。繰り手はがむしゃらに飛びついた。

 危険物を除去しなければならない。

 金のこぎつねと、黒の繰り手はもみ合った。魔法もなにもない、ただの力比べであった。

 グリフィンドールの剣を――バジリスクの毒を吸った一級の危険物を、繰り手はどうにかもぎとった――と思いきや、激怒したこぎつねは諦めない。もつれ合うようにして石床に転がり、互いに互いを蹴り、殴り……。

 繰り手を、銀色が貫いた。

 

 紅の眼を見開いた、黒髪の少年がウルペクラを見ていた。その腹には深々と切っ先が埋まっており、石床にまで達している。

 繰り手が喘ぐ。じんわりとどす黒いものが『秘密の部屋』に漂う。

 ぽた、ぽた、と血が垂れる。

 ぱちり、とウルペクラは瞬き……己が握りしめる剣――ゴドリック・グリフィンドールの名が記されたそれを見た。とろりとした紅がついている。腕には何条かの切創。

「……野蛮な穢れた血もびっくりな」

 無様な喧嘩だったな?

 ウルペクラはせせら笑う。彼は、おおまかな記憶を取り戻していた。なんとまあ都合よく使われたことか。大失態である。

 ぐぅ、と屈辱に顔をゆがめる寄生虫から剣を引き抜き、とどめに首を落としてやる。家令夫妻には感謝である。杖なしでも戦えるように、剣弓槍、格闘術からナイフ投げまで仕込んでくれたのだから。

――とはいえ

 こんな影ともみあった拍子に腕を切るなんて、ウルペクラもまだまだ未熟だ。

 鼻を鳴らす。垂れる血はそのままに、ぽつねんと置かれた黒い日記――元凶に歩み寄る。

「すまないな、ハリー・ポッター」

 お前に花を持たせたかったが。ひそり、と声を落とし、日記を睨めつけた。

 紛れもない闇の品。悪霊の火で部屋ごと燃やしてしまおうか。却下。体力がない。それに、繰り手こと「トム・マールヴォロ・リドル」が泡を食って奪おうとした事実、そして繰り手を貫いた事実からして……。

「十分だろう」

 素っ気なく言い、ウルペクラはグリフィンドールの剣で、闇の品を切り裂いた。

 断末魔とともに、元凶が去っていく。

 目眩をこらえ――ようとしたが、座り込む。剣を放り出した。朦朧とした意識の中、手近にあった剣を拝借したのだけど、直感だか本能だかは正解を引き当てたらしい。

 ちら、とローブのポケットに眼をやる。日記と髪飾りからは同質のにおいがする。と、いうことは……。

 寝かせておくか、と呟く。日記は「返し」が仕込まれていなかったが、髪飾りはわからない。なにせ、闇の帝王が手ずからおつくりになった品だ。日記は事故、偶然で言い逃れができようが……。それに、万が一のときのための手札にしておきたい。最悪でも家令夫妻と妖精たちの保護くらいは願えるだろう。ダンブルドアが死喰い人たるウルペクラを受け入れるとは思えなくとも。危険は分散しておくべきで、流れによってはどこにでも身を寄せられるように考えておくべきだ。

 起きたばかりで難しいことを考えすぎた。はあ、と息を吐く。己の腕から滴る血を、ぼうっと眺めた。ちょうどよい、とローブのポケットから小瓶を取り出す。なみなみと血を注いだ。

――あとは

「……なんだったか」

 バジリスクの亡骸は放置。牙は回収したい……が、後で取りに戻ってもいいか。保留。

 いやでも、繰り手がいなくなったから、憑依は解除されて、つまるところ蛇語の力は消えたはず。考えるのが面倒になって、首を振る。

 ひとまず、今は脱出が先だ。

 よろよろと立ち上がる。ポッターと赤毛の小さいの、どっちを先に回収すべきか迷っているうちに、限界がやってきた。

 数ヶ月憑依され、最後の最後はたっぷりと魔力を吸われたのだ。

 生きているのが奇跡であった。

 

 

 

「……まだ動けませんよ」

 家令夫妻――妻のほう、父の乳兄妹である彼女に言われ、ウルペクラは頷いた。時刻は夜。『秘密の部屋』から脱出し、約一時間……らしい。

 気が付けばホグワーツの医務室にいた。幸い、マダム・ポンフリーは憑依による極度の疲労と診断したようで、わざわざ衣服を脱がして傷を確かめるような真似はしなかったようだ。

――隠蔽はしてあるが

 誤魔化しの術で、闇の印は隠してある。余人が見たところでわからない。

「坊ちゃま、聞いておられます?」

 事件――脱出後のあらましを話していた魔女が、きつく言う。ウルペクラは柳に風と受け流し、命じる。

「使ってくれ」

 指を鳴らし、ローブのポケットから小瓶を呼び寄せる。血が満たされたそれに、魔女は顔をしかめた。

「そこまでなさる必要が?」

 答えない。ただ告げた。

「騒ぎになるだろうが、知らぬ存ぜぬで通せ。呪いの元凶がいなくなった……と解釈するだろう」

「坊ちゃまも被害者ですよ?」

 ルシウス・マルフォイの……と魔女の声は冷たい。ウルペクラはくつりと笑った。

「どこまで聞いた?」

「ウィーズリーの娘が」

 坊ちゃまが日記を……。助けてくれた、と。

「過ぎた品を持っていたから、奪っただけだ」

 身を起こすのも億劫で、けだるく言う。魔女はお見通しのようだった。

「ああそうですか、あの娘が持て余すだろう、命を落としてもおかしくないだろう、危険な品を回収した、と」

「……悪かったとでも言えばいいのか。さっさと仕事をしに行ってくれ」

 唸れば「まあ、ロドルファス様にそっくり」「素直じゃないところが」ところころ笑い、魔女が去っていった。

 彼女に任せれば問題ないだろう。ウルペクラの血は力を秘めている。強力な毒にも、癒しの薬にもなる……とされている。軽く数百年ぶりに顕れた血なもので、伝聞でしかない。どうか呪いを、痛みをと願えば毒に、癒しを、調和をと祈れば薬になると、レストレンジの史書は謳うのみ。

 毒蠍のレストレンジが大陸に散らばり、英国に渡ったのは狩りから逃れるためだとも。血の秘密は密やかに伝えられ……やがて暗殺の徒、薬師という表向きの顔がつくられた。そうして、長い長い時の中に、血の秘密は埋もれていったのだ。

 疲れた、と眼を瞑る。本当に、疲れた。約一年の記憶はぐちゃぐちゃとかき回されている。

 それでも、闇の品を奪わなければよかったと後悔はしない。

 なぜならば――借りをつくりたくないからだ。

 こぎつねは、微睡む。幼い時を夢に見る。

 燦々と陽が降り注ぐ道、ダイアゴン横丁での買い物。死喰い人に恨みを持つ者に捕まって。

 家令――魔女が同行していたけれど、手が出せなかった。なぜならばいつ何時「坊ちゃま」の命が刈られるかわからなかったから。

 ざわめき。死喰い人……子ども。当然。報い。あのレストレンジ……。

 ひそり、とした囁きが細波を立てていた。冷たい眼がたくさん。魔女の張りつめた顔。ぎゅっと構えた杖先が、震えていた。

 ほとんど、こぎつねのことを案じている者などいなかった。

 死喰い人の子など、どうなってもよいと思っていた。

――あの人を除いては

 こぎつねを拘束していた男が、呻きをあげて倒れた。た、と駆け寄り、素早くこぎつねを抱きかかえたのは、燃えるような赤毛の男。

『子どもに恨みをぶつけるのは間違っている』

 そう、彼は観衆――死喰い人の子に嫌悪を向ける者たちに向かって、吼えたのだ。なにもしようとしない子羊どもと違い、彼は勇気ある者であった。子どもが捕まっているとみるや、それが誰なのか問うこともせず、ただ救うために動いた。透明呪文を駆使して背後に忍び寄り、鮮やかに失神呪文を行使してのけた。

 こぎつねは、ろくに礼も言えなかった。魔女が礼を言っても、彼は「私にも子どもがいるのでね」と謝礼も受け取らず去っていったのだ。

 アーサー・ウィーズリー、血を裏切る者に、ウルペクラ・レストレンジは遠い遠い日の借りを――。

――ようやく返すことができたのだ。




二章終了
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