超かぐや姫!トロフィー『反逆の星獣』取得RTA 作:くりぢゅん
いろP誕生日おめでとう!!(おっそ)
かの半目に、いまだ結びきらぬピースの仕草、まことに見事に物語を宿しており候。
ただ艶やかに美しき絵にあらず、そこに心の流れと余情の感じらるるが……実にやってくれ給ふ。
(はやく彩葉書きたいな)
今話ちょっと長いです
木漏れ日が差し込む、穏やかな昼下がりの森。
しかし、俺の目の前には生臭い匂いが漂っていた。
「ギ、ギァアアアァァァァッ!!」
黒い靄のようにうごめく異形の獣が、断末魔の悲鳴を上げて消滅していく。
俺は手に持っていた剣を軽く振り、付着した汚れを払い落とした。
「……終わったか」
短く呟き、剣を鞘に納める。息一つ乱れていない。感情の揺れもない。月から落ちてきたかぐやは、この星にとっては異物だ。彼女が歩む軌跡には、時折こうした歴史の淀みのような『影』が引き寄せられ、実体を持って襲いかかってくることがある。
俺の役目は、それらが彼女の目に触れる前に密かに排除し、同時に自らの魔術を極限まで鍛え上げること。来るべき未来の過酷な旅路に備えるための、果てしない自己鍛錬だ。
日中、彼女が野花を摘むのに夢中になっている隙を突き、少しだけ離れた場所でこの影を処理していたのだが――。
ドォォォンッ!
最後の一体を魔術で吹き飛ばした余波で、周囲の土が大きく跳ね上がった。
「……あ」
「ちょっと、モク!!」
背後の茂みから、抗議の声が上がる。振り返ると、安全な場所で待機させていたはずのウミウシの姿になっているかぐやが、魔術の余波で盛大に泥を被り、茶色く汚れてしまっていた。
「モク! どこ行ってたの! ちょっと目を離したすきに急にいなくなるから、びっくりして追いかけてきたのに!」
「……悪かった。少し火力を出しすぎた」
「そういう問題じゃないよ! もー、せっかくのキラキラなウミウシボディが泥だらけじゃん! モクのバカ!」
かぐやはウミウシの体をぷりぷりと揺らしながら、不満げに俺を見上げている。だが、文句を言い連ねていた彼女の声は、ふっと小さく、震えるようなトーンに変わった。
「それに……一人にしないでって、言ったでしょ」
「……」
「モクがいなくなったら、私、またあのときみたいに一人ぼっちになっちゃうんだよ……? 声も出せなくて、誰にも気づかれなくて、ずっと、ずっと一人で……」
その瞳の奥に、深い海の底に沈んだような、惨いまでの孤独が覗く。途方もない時間をたった一人で待ち続けるという絶望。彼女がどれほどの思いで未来の『会いたい人』を待ち望んでいるかを知っているからこそ、俺は胸の奥がギリッと締め付けられるのを感じた。
「……すまん。もう勝手にいなくなったりしない。約束する」
「……ほんと? 絶対だよ? 次勝手にいなくなったら、モクの寝顔を泥だらけにしてやるんだから!」
俺の言葉に、かぐやは少しだけ安心したように、いつもの明るい声を取り戻した。底抜けに明るく振る舞っているが、その実、彼女の心は薄氷の上に立っている。だからこそ俺は、不器用ながらも、彼女の旅を最後まで守り抜くと決めていた。
「近くに川があったはずだ。そこで洗うといい」
「うん、そうする! モクはそこで反省して待っててよね!」
ぶつぶつと文句を言いながら、かぐやは這うようにして川の方へと向かっていった。俺はその後ろ姿を、無表情のまま見送る。
少し離れた場所から、微かに水音が聞こえてくる。どうやら無事に川へ着いて泥を洗い流しているようだ。俺も後を追おうと足を踏み出した、その時だった。
「わわっ!?」
「モク! モクーッ!!」
木々の向こうから、急な水しぶきの音とともにかぐやの悲鳴が響いた。
「かぐや……!?」
考えるより先に体が動いていた。川の流れに沿って、森の中を全速力で駆け抜ける。木の枝が頬を掠めようが構わない。ただ最短距離で下流へと向かう。
数分ほど走った先。川幅が広くなり、流れが緩やかになっている場所に出た。そして、そこで信じられない光景を目にする。
「ほう、これは奇妙なものが釣れたものだ」
川辺で釣り糸を垂らしていた高貴な身なりの女性。その釣り針の先には、ぐったりと力なくぶら下がっているかぐやの姿があった。
「……」
俺は無言のまま茂みから飛び出し、高位であろう女性とその護衛らしき兵士たちの前に立ち塞がった。
「何者だ!」
兵士たちが一斉に槍を構える。だが、俺は彼らに見向きもせず、真っ直ぐその女性を見据えた。
「……それを、返していただきたい」
感情を殺した、低く冷たい声。一触即発の空気が流れる中、女性はふっと柔らかな笑みを浮かべ、兵士たちを手で制した。
「よい。刃を収めなさい」
「し、しかし皇后様!」
「この者の目に、害意はありません。ただ、大切なものを守ろうとする強い意志があるだけです」
女性――神功皇后は、釣り針からそっとかぐやを外し、俺の前に差し出した。
「あなたの連れ合いですか?」
「……ええ」
「モクぅ……怖かったよぉ……」
泣きべそをかくかぐやを手のひらに乗せ、安堵の息を小さく吐き出す。
「申し訳ありません。連れがご迷惑をおかけしました」
「ふふ、構いませんよ。占いの糸にこのような不思議な命が引っかかるとは。これもなにかの縁でしょう」
皇后は慈愛に満ちた瞳で俺とかぐやを見つめた。その圧倒的なまでの器の大きさに、俺はただ静かに頭を下げることしかできなかった。
……そうして俺たちは奇妙な縁から、神功皇后の集落に数年ほど滞在することになった。
「ほら、見て見て! このお花、綺麗でしょ!」
「あー! あー!」
昼下がり。縁側でかぐやが、皇后から生まれたばかりの幼い子供に向かって、楽しそうに花を見せびらかしている。月にいた頃の話、一人で海を漂っていた時の惨い孤独の話。そして、未来で出会うはずの、絶対に会いたい大切な人の話。かぐやはそれを、子供に昔話として語り聞かせていた。
かぐやの無邪気な声と、子供の笑い声、そして皇后の穏やかな微笑みが、平和な集落の空気に溶け込んでいく。
俺は少し離れた柱に寄りかかり、その光景を無表情のまま見守っていた。
「モクも、こっちに来て一緒にお話ししようよぉ!」
「……いや、俺はここでいい」
短く返し、目を伏せる。俺の役目は、あくまで彼女が未来へたどり着くまでの『護衛』であり、彼女の果てしない孤独にただ黙って寄り添うだけの傍観者に過ぎないのだから。
「モクは相変わらず愛想がないんだからー。ねえ、皇后さまもそう思うでしょ?」
「ふふ、そうでしょうか。私には、彼がとても優しい目をしているように見えますよ」
「……」
皇后の言葉に、俺は少しだけ居心地の悪さを感じて視線を逸らした。この人に敵う人はいるのだろうか。
日中は、こうして穏やかな時間が流れていく。誰もが笑い、命の繋がりを喜び合う、尊い時間。
だが、その平穏は決してタダで手に入るものではない。かぐやという特異な存在がいる限り、歴史の暗がりからは常に彼女を脅かす『影』が這い寄ってくる。
だからこそ。
「……少し、休んでくる」
皆が笑い合っている平和な昼下がり。俺は「休憩する」と告げて静かに席を外し、誰にも見られない森の奥へと向かう。
穏やかな青年としての仮面を捨て去り、平和を守るための冷徹な刃として、再び迫り来る影の群れへと身を投じる。
明日も、あいつが笑ってあの子供に話しかけられるように。 ただ、それだけのために。
◆ ◆ ◆
深い森の奥。月明かりすら届かない暗闇の中で、生臭い匂いが漂っていた。俺の目の前には、黒い靄のように蠢く数体の異形の獣――歴史の淀みが引き寄せる『影』が迫っていた。
「グルルルゥ……ッ!」
獣の一体が鋭い爪を振り下ろす。避けられる軌道だった。だが、俺は一歩も動かず、その一撃を自らの肩で受け止めた。
「ぐっ……!」
肉が裂け、鮮血が夜の空気を濡らす。痛覚を麻痺させているとはいえ、命が削り取られていく鈍い衝撃は確実に体を蝕んでいく。
だが、それでいい。俺が求めているのは、圧倒的で理不尽なまでの力だ。来るべき未来、かぐやを襲うであろう過酷な運命を打ち砕くためには、並大抵の鍛錬では到底足りない。
自らの肉体を死の淵という極限状態にまで追い込むこと。命の灯火が消えかけるその瞬間、生存本能とともに魔力が爆発的に跳ね上がり、術の威力が限界を突破する。それこそが、俺の見出した狂気的な修練だった。
「……これくらいか」
視界が白濁し、体が重く沈み込む。命の限界点に達したことを悟った俺は、静かに息を吸い込んだ。
「『紫煙魔術』」
肺に満たした空気を、濃密な紫色の煙として森全体へと吐き出す。ただの目眩ましではない。煙に触れた影たちの五感を奪い、方向感覚を狂わせる強力な結界だ。混乱し、暗闇の中で互いにぶつかり合う影たちの群れ。
その紫煙の海を泳ぐように踏み込み、俺は両腕を『獣化』させた。黒い羽毛と禍々しい鋭い爪を持つ獣の腕。死の淵で極限まで研ぎ澄まされたその一撃を、無造作に振り抜く。
ズドォォォォォンッ!!!
極大の魔力と獣の爪が交わり、紫煙の中にいた影たちは悲鳴を上げる間もなく消し炭となって消滅した。 俺は獣の腕を解き、荒い息を吐きながらその場に膝をつく。
誰にも見せられない、血みどろの研鑽。明日も、あいつが笑って過ごせるように。俺はただ、静かに傷を癒やし、夜明けを待った。
◆ ◆ ◆
数日後。都の屋敷の縁側では、平和な昼下がりが流れていた。
「それでね、そのウサギさんはぴょーんって月まで飛んでいったんだよ!」
「あー! あー!」
かぐやが幼児(のちの応神天皇)に向かって、身振り手振りを交えながら楽しそうに昔話を聞かせている。子供の無邪気な笑い声が響き、穏やかな空気が満ちていた。
俺は少し離れた柱に寄りかかり、その光景を静かに見守っていた。……はずだった。
ズキンッ、と。不意に、脳の奥底が焼けるような痛みに襲われた。
次の瞬間、俺の脳裏に「擦り切れた記憶」が鮮明にフラッシュバックする。
――火の海に包まれる都。逃げ惑う民の絶叫。
――そして、すべてを失い、絶望の底に突き落とされるかぐやの姿。
「……ッ」
それは予知ではない。ひどく摩耗し、何度も繰り返してきたかのような強烈な『既視感』だ。なぜそんな光景が見えるのかは分からない。だが、俺の魂が本能的に告げていた。
今夜、この都を、数千の影の群れが急襲する。あの凄惨な破滅が、すぐそこまで迫っているという確信。
「……」
無意識のうちに、俺の顔はひどく険しく、殺気立ったものになっていたのだろう。
「どうしたの? モク。なんだか怖い顔して」
かぐやが幼児をあやす手を止め、不思議そうにこちらを覗き込んできた。いけない。ここでこいつを不安にさせるわけにはいかない。俺はふっと息を吐き、いつもの無愛想な表情を取り繕った。
「……いや、なんでもない。ただ、かぐやが子供相手にむきになってるのを見て、相変わらず子供っぽいなぁと思っただけだ」
「あーっ!? そういうこと言っちゃうんだ! せっかく心配してあげたのに、モクのバカ!」
頬を膨らませてぷんぷんと怒るかぐや。俺は小さく肩をすくめて視線を逸らす。
その時、縁側の奥。お茶を飲んでいた神功皇后と目が合った。
彼女は俺とかぐやのやり取りに口を挟むことはなく、ただ無言で、俺の瞳の奥を真っ直ぐに見透かすように見つめていた。
……すべてを察しているかのようなその静かな視線に、俺は少しだけ居心地の悪さを感じて目を伏せた。
◆ ◆ ◆
そして、夜。皆が寝静まった都の屋敷。俺は誰にも気づかれないよう、音を殺して自室を出た。
出立の前、かぐやが眠る部屋の前に立ち止まり、障子越しに聞こえるかすかで穏やかな寝息に耳を澄ませる。
……もう、朝までこの音を聞くことはできないかもしれない。数千の群れ。いくら極限の研鑽を積んできたとはいえ、一歩でも踏み間違えれば肉片すら残らずすり潰される無謀な死地だ。
だが、それでも構わない。俺は静かに目を伏せ、冷たい夜風の中へと歩き出した。
都から遠く離れた、深い森の奥。そこに辿り着いた瞬間、肌を刺すような圧倒的な『死』の気配が俺の全身を包み込んだ。
いつもの夜の比ではない。空気が重く、息を吸うだけで肺が凍りつきそうになるほどの異様な瘴気。
――脳裏に焼き付いた既視感が告げる、影たちの「源流」のど真ん中に、俺は一人で立っていた。
「グルルルゥゥゥ……ッ」
「ギァアアアァァァァッ!!」
視界を埋め尽くすほどの、異形の化け物たち。その数は数百、いや数千に及ぶだろう。
このままいけば、今夜、この数千の怪異が神功皇后の治める都を急襲する。逃げ惑う民、火の海に包まれる家屋、そしてすべてを失い、絶望の底に突き落とされるかぐや。
……なぜか、俺の脳裏にはその凄惨な光景が、まるで何度も経験したかのようにありありと焼き付いていた。 予知なんて便利なものじゃない。ひどく摩耗し、擦り切れた記憶の残滓のような、強烈な『既視感』だ。
理由は分からない。だが、奴らがどこから湧き出し、どのルートを通って都へ向かうのか。そのタイミングも、数も、俺の体は本能的に「知って」いた。だからこそ、俺は都から遠く離れたこの森の奥底——奴らの発生地点のど真ん中で待ち構えていた。
「……一歩も、近づけさせん」
『獣化』。 俺の両腕がバキバキと異音を立て、黒い羽毛と禍々しい鋭い爪を持つ『獣の腕』へと変貌する。 隠れる必要はない。ここは、俺一人と数千の化け物しかいない隔離された地獄だ。俺は息を深く吸い込み、肺に満たした空気を、濃密な『紫煙魔術』として森全体へと吐き出した。
視界を塗り潰すほどの紫色の煙が、這い寄る影の群れを次々と飲み込んでいく。敵の視界を狂わせ、五感を奪って動きを制限するデバフの結界だ。混乱し、暗闇の中で同士討ちすら始める怪異たち。その紫煙の海を泳ぐように踏み込み、俺は黒い獣の腕を無造作に振り抜いた。
ズドォォォォォンッ!!!
紫煙による死角からの強襲。極大の魔術と獣の爪による一撃が、先陣を切っていた数十体の怪異をまとめて粉砕する。それを合図に、紫煙を突き破って数千の群れが怒り狂ったように俺へと殺到してきた。
「来いよ……全部まとめて、ここで消し炭にしてやる」
紫煙魔術で敵の連携を寸断し、押し寄せる波を獣の爪で力任せにすり潰す。この多対一を俺は無表情のまま、狂気的なまでの速度で剣と魔術を振るい続けた。
怪異の爪が俺の肩を抉り、瘴気が肺を焼き、血がとめどなく溢れ出す。だが、倒れるわけにはいかない。痛覚を麻痺させ、限界を超えて肉体を酷使する。背後にある平穏な都に、あのすやすやと眠るかぐやのもとに、一匹たりとも行かせるわけにはいかないのだから。
——ただ、ひたすらに狩り尽くす。泥と血に塗れ、体力が死の淵まで削り取られるような感覚での極限状態。俺の意識は白濁し、ただ目の前の敵を殺すための人形になり果てていた。
……。
…………。
「……はぁっ、はぁっ……」
どれほどの時間が経っただろうか。気づけば、周囲には蠢く影は一つも残っていなかった。数千の化け物たちはすべて光の粒子となって消え去り、森には再び夜の静寂が戻っていた。
「……終わったか」
獣の腕を解き、元の姿に戻る。全身の骨が軋み、立っていることすら困難なほどの虚脱感が押し寄せてくる。
だが、やり遂げた。脳裏にこびりついていた都の滅亡は防いだ。これで明日も、かぐやはあの縁側で子供に昔話を聞かせることができる。
俺はふらつく足に鞭を打ち、誰にも見つからないよう、夜の闇に紛れて静かに都へと歩き出した。
都の中心にある屋敷の廊下は、しんと静まり返っていた。かぐやも、他の者たちも皆、深い眠りについている時間だ。俺は床を軋ませないよう、音を殺して自室へと向かおうとした。 だが。
「……私が気づかないとでも思っていたのか? モク」
「っ!?」
暗闇の中から、不意に静かで、けれど威厳に満ちた声が響いた。月明かりが差し込む廊下の奥。そこに、神功皇后が凛とした佇まいで立っていた。
「皇后、さま……」
俺は息を呑んだ。なぜ起きている? なぜここにいる? 俺は血の匂いも完全に消し、誰一人として気づかれないように立ち回っていたはずだ。
だが、皇后は俺の血まみれの惨状を見ても、一切の動揺を見せなかった。
ただ、その瞳には、一国を統率する絶対的な指導者としての厳格な光が宿っていた。
「私は、この地を治める立場だ。これでも国を背負う身……あのような魑魅魍魎共が、この都を脅かそうと這い寄ってきていることなど、なんとなしに分かっていた」
「……!」
「そして、そなたが夜な夜な森へ入り、それらを一人で退けてくれていたことも」
皇后はゆっくりと俺の前に歩み寄り、そして、深く、深く頭を下げた。
「心から感謝を言う、モク。……そなたが己の身を削り、理不尽な影を防いでくれなければ、この都は、愛する民は、そしてあの子たちは、とうに無惨な結末を迎えていただろう。この恩、決して忘れない」
その言葉に、俺は言葉を失った。俺はただの「護衛」だ。いや、本質を言えば、脳裏にこびりついた不気味な既視感に従って、漠然とした破滅の予感を力任せに叩き潰しただけの存在に過ぎない。
それなのに、彼女は俺の行動のすべてを見抜き、一国の長として最大の敬意を払ってくれたのだ。
「顔を、上げてください。俺はそんな、感謝されるような……」
俺が戸惑いながらそう返すと、皇后は頭を上げ、ふっと表情を和らげた。先程までの、国を治める厳格な指導者としての威圧感が嘘のように消え去り、そこにあったのは、一人の人間としての、底知れぬほど穏やかで優しい顔だった。
ビリッ!!
「え……?」
突然、皇后が自身の纏っていた高貴な着物の袖を、躊躇いもなく力任せに引き裂いた。
「こ、皇后さま!? 何を!」
「いいから、そこに座りなさい」
有無を言わせぬ、けれど母性にあふれた優しい声。俺が呆然と座り込むと、皇后は俺の隣に膝をつき、引き裂いた清らかな布で、血だらけになった俺の腕や肩の傷をそっと縛り始めた。
「痛むか?」
「……いえ。大丈夫、です」
「強がるでない。まったく、そなたは本当に不器用な子だ」
俺の腕を包み込む手つきは、恐ろしいほどに温かかった。彼女は自分の衣服が俺の血で汚れることなど一切気にも留めず、ただひたすらに、痛みを和らげようと丁寧に傷の手当てをしてくれる。
「……お前は一体、どれほどの重い運命を背負っているのですか」
傷口を布で縛りながら、皇后がぽつりと、悲しげに呟いた。
「自分の体をこんなにも痛めつけて、一人で血に塗れて……。それでも、あの子が笑うためだけに、何も言わずに傷を隠し続ける。……そんな悲しい生き方、誰かに命じられたのか?」
その問いに、俺は胸の奥がギュッと締め付けられるのを感じた。誰かに命じられたわけじゃない。ただ、俺があいつの終わりのない孤独を、どうしようもなく知ってしまったから。あいつの笑顔を、守りたいと願ってしまったからだ。
「……俺は、ただの護衛ですから」
気の利いた言葉など言えなかった。それでも、俺がそう絞り出すと、皇后は俺の顔を見つめ、やがて優しく吹き出した。
「ふふ……ええ、そうだな。そなたは、最高の護衛だ」
手当てを終えた皇后は、俺の頭を、まるで愛しい我が子を労うかのように優しく撫でた。
「ありがとう、モク。……今はゆっくり休みなさい。明日も、あの子にあの笑顔をさせてやらねばならないのだから」
月明かりが差し込む廊下。俺は、彼女のその底なしの優しさと器の大きさに、ただ静かに頷くことしかできなかった。
ふと、障子の向こうから「……モクぅ」という、かぐやの寝言が小さく漏れ聞こえた。
神功皇后と俺は顔を見合わせ、声を殺して小さく笑い合った。
月明かりが差し込む廊下。俺は、彼女のその底なしの優しさと器の大きさに包まれながら、静かに目を閉じた。
◆ ◆ ◆
――そして、季節は巡った。
神功皇后の治めるこの都に滞在してから、数年の月日が経っていた。あの大規模な怪異の襲撃の夜以降、森の奥から影の群れが這い出してくることはなかった。俺が夜な夜な行っていた影の討伐も、あくまで少数のはぐれ個体を処理する程度に落ち着いていた。
都は平和だった。人々は笑い、田畑を耕し、日々の営みを穏やかに紡いでいる。
このまま歴史の波風が立たないこの都に留まり、静かに時を過ごせば、最も安全に未来へと辿り着ける。外の世界へ出れば、得体の知れない化け物や野盗の危険が常につきまとう。だからこそ、俺はこのままこの都で穏やかに時を待つのが最善だと考えていた。
だが。
「……ねえ、モク」
ある日の昼下がり。縁側で一緒に休んでいたかぐやが、ぽつりと、どこか寂しげな声で俺を呼んだ。
「どうした?」
俺が静かに尋ねると、かぐやは小さく体を揺らして答えた。
「ヤチヨって、今どこで何してるのかな……って、思って」
ヤチヨ。 かぐやがこの世界に落ちてきてから、ずっと探しているという彼女の友人の名前だ。
「さあな。案外、どこかで無事に生きて、俺達を待っているかもしれないな」
「うん……そうだよね。私、ヤチヨに会いたい。きっと、ヤチヨもどこかで……」
かぐやの声は、次第に小さくなっていく。
「……でも、ここを出たら、怖い目に遭うかもしれない。それに、皇后さまにもすごくお世話になったから、赤ちゃんが大きくなるのも見ていたいなって……」
かぐやは迷っていた。この都での数年間は、彼女にとっても決して悪いものではなかったのだ。優しく慈愛に満ちた皇后がいて、無邪気に笑う子供がいる。ここは彼女にとって、ようやく見つけた温かく安全な場所だった。 ここを離れるのは惜しいし、外の世界は怖い。それでも、恩人に会いたいという願いが胸の中でくすぶっている。
俺は小さく息を吐いた。
「ここにいれば安全だ。皇后様の庇護下にあるのだから、外で危険を冒す必要はどこにもない」
それが、極めて真っ当で、合理的な判断だ。だが、その言葉を聞いたかぐやの、ウミウシの姿でありながらも確かに感じ取れるひどく沈んだ気配に、俺の胸の奥底から、どうしようもないほどの強い衝動が湧き上がってきた。
それが何なのか、俺自身にもわからない。なぜか、彼女のその秘めた願いを叶えてやらなければならないという、強烈な使命感のようなもの。
ただ、このままここに留まれば、彼女はずっと心のどこかで後悔を抱えたまま生きていくことになる。それだけは、絶対に避けなければならないと、魂が告げていた。
「……探しに行くか」
「えっ……?」
「ここにいれば安全だ。……だが、君はヤチヨに会いたい。なら、行くしかないだろう」
俺が静かに告げると、かぐやは驚いたように体を震わせた。
「でも、外は危ないよ?」
「ああ。俺一人でどこまでできるかは分からない。けれど、俺が死んでも君だけは守る。……だから、ヤチヨを探しに行こう」
「……モクぅ……」
かぐやは涙声になりながら、俺の服の袖にぴとっとすり寄ってきた。
「うん……うんっ! 私、ヤチヨを探しに行きたい! モク、一緒に来てくれて、ありがとう……!」
俺の手を引くような彼女の無邪気な声に、俺はただ静かに頷いた。彼女のこの真っ直ぐな願いこそが、俺が守るべきものなのだと、そう思えたからだ。
俺達は、皇后様に旅立ちの意思を伝え、数日後に出発することになった。
そして、澄み切った青空が広がる旅立ちの朝。
「モク! 忘れ物はない? 荷物、全部持った?」
「ああ、問題ない。……というか、君は俺の懐に入っているだけだから、荷造りなどしていないだろう」
「もー! かぐやだって心の中で『あれ持ったかな?』って一緒に確認してたんだからね! 共同作業!」
そんなやり取りを交わしながら、俺達は都の門へと向かった。そこには、俺達を見送るために、豪奢な着物を身に纏った神功皇后が立っていた。その傍らには、数年前はまだ腹の中にいた幼児が、皇后の手にしがみつくようにして立っている。
「かぐや、ばいばーい!またねー!」 「うんっ! バイバイ! またね、大きくなるんだよー!」
幼児が無邪気に手を振り、かぐやも首から下げた小さな袋の中から必死に触角を振って応える。
その微笑ましい光景を、皇后は目を細めて見守っていた。そして、静かな足取りで俺の目の前まで歩み寄る。
「……数年間、本当に世話になった。そなたたちがこの都にもたらしてくれた安寧、いくら感謝してもしきれぬ」
「いえ、俺達はただ、厄介になっていた分を少しお返ししただけです。……それに、この都が平和なのは、皇后様が皆を正しく導いているからです」
俺が深く頭を下げると、皇后はふっと柔らかな笑みをこぼした。
「相変わらず、欲のない男だ。……あの月明かりの夜から、そなたは何も変わらぬな」
その言葉に、俺は少しだけ目を見開いた。あの大群の怪異を退けた夜。血まみれになった俺の傷を、自らの着物を裂いて手当てしてくれた彼女の温かな手を思い出す。
彼女が今ここで穏やかに笑い、我が子の成長を見守れているこの時間が、少しでも長く続いてほしいと願わずにはいられなかった。
「皇后様」
「なんだ?」
「……どうか、ご自愛ください。この国には、あなたが必要です」
俺の不器用な願いを、皇后はすべて見透かしているかのように、深く、静かに頷いた。
「ああ、分かっている。……そなたもな。あまり無茶をして、その胸にいる小さな命を悲しませるでないぞ」
「……はい」
皇后はそう言うと、懐からそっと「何か」を取り出し、俺の手に握らせた。
「これは……」
それは、一本の『紅い組紐』だった。丁寧に編み込まれたその紐からは、微かに温かな力が感じられる。
「この都に伝わる、縁を結ぶ守り紐だ。……ヤチヨ、という大切な人を探す果てしない旅の途中なのだろう? ならば、せめてもの餞別だ」
「わぁ!きれい……!ありがとね!」
「皇后様……ありがとうございます。大切にします」
「ああ。かぐや」
皇后は俺の懐にいるかぐやに視線を移し、慈愛に満ちた声で語りかけた。
「いましは縁起よしとぞ。……西へ行け。きっと、大丈夫だ」
その言葉は、まるで言霊のように、静かに、けれど力強く俺たちの心に響いた。
「……うんっ! ありがとう、皇后さま! 私、絶対にヤチヨを見つけるからね!」
かぐやが涙声で元気に返事をすると、皇后は満足そうに微笑み、一歩後ろへと退いた。
それが、出発の合図だった。
俺は皇后と、そして都の人々に向かって深く一礼し、踵を返した。都の門を抜け、長く続く街道へと足を踏み出す。
空はどこまでも高く、澄み渡っていた。吹き抜ける風が、都での数年間の記憶を優しく撫でていくように通り過ぎる。
「……ねえ、モク」
しばらく無言で歩いていたかぐやが、ぽつりと口を開いた。
「ヤチヨ、元気にしてるかな。……どこにいるのかな」
「どうだろうな。案外、どこかで元気に生きて、俺達を待っているかもしれない」
「きっとそうだよね。……よしっ!早く会いに行ってモクのこと、いーっぱい自慢してやらなきゃ!」
その言葉には、どうしようもないほどの愛おしさと、見知らぬ世界への微かな不安が入り混じっていた。
ヤチヨがどこで何をしているのか、今の俺にはわからない。それでも、友人との再会を信じて疑わない彼女の姿は、どうしようもなく健気だった。
「ああ。絶対に見つけ出そう」
俺は、皇后から託された紅い組紐を、腰の剣の柄にしっかりと結びつけた。
胸の奥から湧き上がる、理由のわからないこの強い使命感。俺がこの先、どれだけこの身を削り、どんな脅威と戦うことになるのかは分からない。
自分の力が決して万能でないことも知っている。だが、この手にある組紐の温もりが、そして懐から聞こえる彼女の無邪気な声が、俺に前に進む理由をくれている。
ただ、彼女が笑って、大好きな者の隣に並んで歩く。そんな当たり前で、けれど奇跡のような未来を……俺の命に代えても守り抜く。
「行くぞ、かぐや」
「うんっ! 出発進行ー!」
俺達は、見果てぬ「ヤチヨ」を探して、再び果てしない旅路へと歩みを進めた。
ハードコアってなんぞや??自分の発想性のなさに絶望の槍:ロンギヌス。
はやく現代まで書きたい気持ちと、書いてる最中でちゃんと書かかなきゃという思考に移り変わっていく、この矛盾があるんですわ。
まず現代に行くまでに時間かかると思われるのでゆったりとしていただけると幸いです
作中の彩葉が無量空処されてるシーン(BGM:満ちる月のセレナーデ)にめっさ感動して涙流して思いつきでかぐや(ヤチヨ)の8000年を深堀りしたいなということで今頑張ってますわ。
みなさんはあのシーンどう感じましたか?私はただ美しいと感じましたね。まずこの作品は曲が素晴らしい。そして内容が1分にも満たないように思えるほど密度が高かった。かぐやは淀殿やワインニキらとどう出会ったのかな。月人である彼女は人間から何を受け取ったのかな。様々なストーリーが想起させられました。
私はこの先もずっとこの作品を愛し続けたいです。感動をありがとう