タイトル通りです。
 他の人には見えない『ナニカ』に苦しめらていた少女が、偶然にも安全地帯(人)に出会って勝手に救われる話です。

 なお、救った本人は大して気にかけていない模様。


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深夜テンションで書いた文章を見直すとき、深夜テンションで書いた文章もまた作者を見直しているのだ(?)


視える少女

 個人経営の小さな飲食店———名を《やぶさか》という。昼は定食屋、夜は居酒屋という変則的な店である。

 また人通りの少ない裏路地に店舗を構えているので、時間帯を問わず滅多に客が来ない寂れた所でもある。その様相は、決して広くない店内が広壮と見えてしまうくらい、寂寥感の漂う伽藍堂となっていた。

 

 「相変わらず、人が来ねえなあ……」

 

 ぼうっとした顔でオープンキッチンの厨房に突っ立ってる若い女は、その台詞とは裏腹に微塵も寂しさなど感じていなかった。楽ができるので、彼女からすればこの現状は好ましい。

 

 この女は碧原岬(へきはら みさき)という。現役の大学一年生であり、家族構成は母親、父親、自分の三人家族。そのうち母親のほうが《やぶさか》のオーナーと店長を兼任しているので、その手伝いとして娘である自分が働いている。

 この店の経営状況は、あまり好調とはいえない。それは、この店の切り盛り自体が、あくまでも母親の趣味の範疇であり、店の収入はお世辞にも高いとは言えないからだ。提供される品々の味には一定の評価があって、常連となる人も極小数だけ存在するが、その数少ない常連客も夜の更けた頃にしか来店しないし、そもそも新規のお客が圧倒的に不足しているので、やはり相対的に見ると客足と乏しい店である。父親のほうが高収入の稼ぎ頭なので、この店の収支は端から期待されておらず、そのため店の宣伝なども行わない適当な運営となっているのだ。

 

 岬としては、客が来ないことは何ら問題ではない。どうせなら働きたくないし。

 それに今は偶然にも母親が不在である。つまりサボってもバレない。今は昼時ゆえ人が来ないので、阿保面して『バナナ〜』と言っていても業務に大した支障はないのだ。

 

 チリンチリン——

 

 そのとき、来店を知らせる鈴の音が鳴った。

 その清音に反して、岬は軽く絶望した。

 

 ———あゝ、なんと儚き一世か(ついに働かなくちゃならんのか)

 

 そうして視線を客のほうに向けると、そこには———どえらい美少女がいた。

 

 「らっしゃせー……おぉん」

 

 岬の喉から思わず変な音が漏れ出てしまうほど、超弩級の美少女だった。

 腰まである艶やかな長い黒髪。あどけなさを残しつつ、どこか大人の色香を感じさせる端麗な容姿。魅力的なスレンダー系の引き締まった身体。男の人どころか、きっと女の人でも放って置かないだろう。自分はそういう性的な興味は湧かなかったが。

 なんかのモデルさんだろうか、あるいはアイドルか。少なくとも一般人の容姿と身体ではない。なんかこう、バランスが良すぎる。黄金比とでも言うのか。あるいは黄金人だろうか。そもそも黄金人ってなんだろう。

 

 「……」

 

 その美少女は席につくこともなく、綺麗な双眸を見開いて扉の付近に佇立している。どこか絶句しているようにも、瞠目しているようにも見えた。

 もしかして店内が汚かっただろうか。いや、それなりに清潔を保っているはずだが。

 ではゴキブリでもいたのか。ならば捕まえて、家で飼ってるカマキリの餌にしたい。

 

 そこで岬は思い出した。この《やぶさか》が位置する場所を。

 ここは辺鄙で廃れた裏路地だ。この店がある場所は、少なくとも普通に歩いていて目に留まる所ではない。

 それに今は平日の真昼である。美少女は服装こそ私服であるが、まず間違いなく自分よりも年下だろう。サボりだろうか。あるいは休講日だろうか。いや、どちらであっても懸念は消えない。

 

 ———こんな場所へ、こんな時間に足を運ぶ学生なんて、きっと何かしらの訳アリに違いない!

 

 岬は一人で勝手に戦慄していた。岬は小さな不安を大きくすることに一家言ある人間であり、さらに自分の世界で情報を完結させる悪癖があった。

 そもそも大前提として、こんな立地に店を立てるほうが狂ってる———という経営側の瑕疵を棚に上げて、客がイカれてるかもしれないと誇大妄想をして身構えている。なんとも哀れな独り相撲。人間初心者さんかな。でも心の中で何を思おうが岬の勝手である。態度に出して他人を不快にさせない限りは。

 

 「……あのぉ、お好きな席へどうぞ」

 「……」

 

 それとなく指で近くの席を示しながら、声をかけて誘導してみる。ちなみに、自分に近いカウンター席へ誘導しようとしたのは、単に提供するときの手間が減るからである。

 

 そんな少しの打算を含めた接客に対して、美少女の反応は『無』であった。あまりにも自然な無視である。この時点で、岬の接客に対するモチベーションがぐぅーんと下がった。

 

 「……ない」

 

 岬が死んだ目で美少女の挙措を観察していると、なにかを呟くような声が聞こえた。

 

 なんだろうと耳を澄ませてみると———

 

 「……何も、いない」

 

 ———とんでもないことを口走っているではないか。コイツには私が見えていないのか。コイツの視界どうなってんだよ。怖すぎるんだが。

 

 岬の表情が『カナブンが自分の顔面を目掛けて飛んできた』ときのような絶望に染まる。あんまり想像のできない比喩表現かもしれない。

 

 そんな感じで、岬が『もしかしたらヤベェ客か……?』とビビっていると、美少女のほうは覚束ない足取りで岬の目の前のカウンター席についた。まるで何かに戸惑うような、迷宮の中を手探りで彷徨するような、そんな感じの恐々とした挙動だった。

 

 しかも岬をガン見している。超ガン見している。バッチリ目が合っている。暗闇の中で見つけた一筋の光を、決して見失うまいといった謎の気迫を感じる。かなり怖い。

 

 「……おぉん」

 「あの、おすすめのメニューってありますか?」

 

 岬が変な声を出す。美少女が言葉を発する。

 

 「あ、はい。この『日替わり珍味定食』が今一番アツいです」

 「じゃあ、それで」

 

 この会話をしている間も、美少女は岬から一度も視線を逸らさない。めっちゃガン見してる。

 怖すぎるので、それを誤魔化すように「承りましたー」と調理を開始する。岬は自分の料理に対して相当の自信を持っているので、どんな精神状態でも完璧な料理が可能なのだ。

 

 「あの……」

 

 美少女のほうは少し遠慮しながら、それでも『聞かないわけにはいかない』といった感じで、なんだか出所の分からない覚悟の籠った声音で話しかけてくる。

 岬のほうは、正直なところ相手が誰であってもコミュニケーションは嫌いである。苦手だとか、トラウマがあるとか、地雷であるとか、そういう大層な理由ではなくて、ただ単に面倒であるから。

 

 それでも無視するという選択肢はなく、渋々といった感じで「はぁい」と応答する。

 

 「店員さんって、お化けとか視える人ですか?」

 「おぉん……?」

 

 いきなり何を言ってんだろう。マジでラリってる人が来てしまったのかもしれない。

 

 そんな岬の困惑を知ってか知らずか、いや、たぶん知らずに美少女は続ける。

 

 「あるいは、何か特別な力を持ってる人ですか?」

 「あぉん……?」

 

 まあ、こんな感じで岬と美少女———正神昇菜(まさかみ しょうな)は邂逅した。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 私———正神昇菜の人生はロクなものではない。そう確信している。

 

 私は生まれつき、他の人には見えない『ナニカ』が視える。

 ヤツらへの対抗策はない。私は無視するしかない。しくじれば『ナニカ』のほうから私の存在が補足されて、たちまち問題が発生するのだ。今まで私の命が存続してきたことが、もはや一種の奇跡だった。

 一応、避難所のような場所はある。たとえば神社などの神聖な場所は『ナニカ』にも効果があるようだが、そもそも神社にいる『神』も周囲にいる『ナニカ』も、私からすれば大した違いはないから、どっちにしても精神的に無理だった。

 また、それらは必ずしも人型とは限らない。個人的には人の形をしているほうが厄介だと思うけど、やっぱりグロテスクな姿をしているものは生理的に見たくないと感じる。

 

 この視えることが理由で、幼少期は何とも不安定な子供だった。

 急に泣き出したり、パニックになったり、大声で騒いだり———両親に『ナニカ』について相談して、精神状態に深刻な異常をきたしていると判断されたり。

 

 あのときの信頼を裏切られたという失望の感覚。今になって振り返ると、両親の決断は至極当然の結果であると思うし、私の将来を思っての行動だったのだろう。

 

 でも、当時の私はまだ幼くて、ただ漠然とした不信感だけが募ってしまった。

 

 精神がそれなりに成熟した今となっては両親のことも嫌いではないが、やはりどこか一線を引いてしまう。それが視える私と見えない両親の境界線だった。

 

 学校などの集団生活でも、多大な苦労を要した。

 いくら容姿が優れていても、地頭が良くても、性格が良いように振る舞っても、幸せな人生を送れるとは限らない。

 

 少なくとも私にとっては、そうだった。

 

 一度だけ、学校で『ナニカ』に反応してしまったのだ。不意打ちだった。

 幸いにも、その『ナニカ』についての問題は何とかなった。しかし周りに対してのアフターケアを怠ってしまったのだ。そんな余裕がなかったというのもあるが。とにかく、普通の人たちには、私の反応がさぞ異常なものに映ったのだろう。

 

 人は特異なものを排他したがる生き物だと、個人的には思う。それは必ずしも悪いことではないけど、私にとってはその性質が不利に働いてしまった。有体に言えば、イジメが始まったのだ。そこまで過激なものではなかったけど、結局精神的にキツいのは変わらない。また、あとになって気づいたのだが、キッカケが『ナニカ』だったのは間違いないけれど、そこには私の容姿に対する嫉妬も含まれていたんだと思う。

 

 高校生になると、受験に成功して地元から抜け出すことができた。今までの柵がない場所を目指して、私は都内の私立へと進学したのだ。

それからはイジメもなくなったが、まあ人間の問題がなくなっただけで、肝心の『ナニカ』については少しも解決しなかった。

 

 また私を取り巻く人間の環境が変わっても、疲弊した精神が大々的に回復するわけではなかった。だから、どうしても気力が湧かなくて、他人とコミュニケーションをする機会が段々と減っていき、果てには独りになった。嫌がらせをされるよりはマシだが、集団の中で孤立するのは、それはそれで寂しかった。

 

 何とかしようと努力はした。住職に相談してみたり、ネットや掲示板で解決方法を模索してみたり、いろいろと試行錯誤した結果、ぜんぶ無駄だった。

 

 それから、わりと全部が嫌になって、慢性的に疲れていて、ずっと頭が痛くて、黒い澱みが精神に纏わりついて離れなくて、視界に映る何もかもが無価値に見えて、安息の場所なんてなくて、どこにいても近くに『ナニカ』がいて、でも望んだ人は誰も私の隣にいなくて、きっと心のどこかで人生に深く絶望していた。

 

 私が生きているのは、たぶん産まれてしまったから。

 私が死んでいないのは、きっと死んでいないから。仮に死ぬ機会が向こうから訪れたら、私は抵抗しないと思う。

 

 ———その日も、いつもと変わらない日常(地獄)だった。

 寝起き一番に目玉の集合体が部屋中を浮遊していて、顔を洗いに洗面台へ赴くと『顔を掻きむしって肉が露出した女』がいて、朝食で出されたトーストの上には腐敗した虫の群れが蠢いていて、着替えていると制服がひとりでに話し始めて、私はその尽くを無視していた。

 

 いつまで経っても慣れないけど、全部いつも通りのことだった。だけど、ふと疲れたなと思って、学校をズル休みすることにした。

 学校を休んだところで気分転換にはならないけど、それでも学校に行く気が湧かなかったから。

 

 そうして都内を散策する。

ゲーセンで取った人形に臍の緒がついていたり、電柱にしがみつく影をスルーしたり、信号が赤のときだけ異世界になる歩道を歩いたり、とにかく歩き回った。

 

 『ナニカ』は本当にどこにでもいる。今まで真の意味で何もいなかったことはない。神社とか、パワースポットとか、そういう場所では数が少なくなったりもする。あと『ナニカ』の中でも特出して『ヤバい』奴がいるときは、他のヤツらが蜘蛛の子を散らしたみたいに掃けたりもするが、やっぱりそれだけだった。

 

 だから、ある裏路地の入り口に通りかかったとき、とてつもない違和感を感じたのだ。

 

 最初は、段々と『ナニカ』の数が減っていった。それだけなら、また『ヤバい』個体がいるとかとも思ったが、でも『ヤバい』とき特有の雰囲気をまったく感じなかった。あの本能に訴えかけてくる警鐘が、そのときはなかったのだ。

 

 これまで曲がりなりにも『ナニカ』とは上手く付き合ってきたから、自分の直感にはそれなりの自信があった。

 

 その洗練された第六感は、今まで感じたことのない静謐な雰囲気を感じていた。

 

 ———なんだろう。

 

 ふとした好奇心に導かれて、その裏路地へと入っていった。そこに一縷の希望もなかったのかと言えば、ほんの少しだけ期待していたかもしれない。ずっと昔に諦めた、救いという可能性を。

 

 その裏路地は昼なのに仄暗くて、静かで、きっと度胸のない人は近寄らないだろうなと思った。でも視える私は、少しも恐怖を感じていなかった。『ナニカ』も殆ど消え失せていて、むしろ人生の中で最も楽に呼吸ができる時間だったから。

 

 その終着点は、ある定食屋だった。立て看板には《やぶさか》と書かれている。

私は少し躊躇いながらも、その扉を開いて中に入った。

 

 ———そこには、この世で最も清涼な空間が広がっていた。

 

 なんの不純物もない。一匹たりとも『ナニカ』がいない。空気の美味しい、暖かい世界。なによりも渇望して、切望して、熱望した夢のような場所。

 

 そのときの感情は、正直、上手く言語化することができない。筆舌に尽くしがたいというのは、こういうことを言うのだろうと思う。

 

 感動のままに泣くようなこともなく、ただ大きく目を見開いて、瞬きも忘れて、この世界を目に焼き付けていた。

これまで視界に映っていた黒く深い絶望が、この清潔で透明な世界に溶けていったのだ。

 

 そうして唖然としているうちに、どうやら店員さんが話しかけていたらしい。

 そのときは、あまりの衝撃に脳が機能していなくて、不本意ながら無視をしてしまった。それは失礼なことだから、なんとか応答しようとして———また絶句した。今度こそ、完全に言葉を失った。

 

 その店員さんは、とても透き通って見えた。

 綺麗で、壮麗で、潔白で、とにかく凄かった。そう感じると同時に、私はすぐさま理解する———こうして清涼な空間が作られているのは、この人がいるからだ。この空間そのものが透明なのではない。この人がいるから、この空間は何よりも安心できる世界になっているのだ。

 

 私は、そう本能的に確信する。

 人生最大の喜びと緊張で、勢い余って「お化けが視えるのか?」とか「特殊な力を持っているのか?」とか、随分ぶっ飛んだことを聞いてしまったが、どうやら店員さんは困惑しているようなので、きっと自分の力を自覚していないのだろう。

 

 それよりも、私が不躾な質問をしたせいで、なんだか変な雰囲気になってしまった。

 かなり居た堪れなくなったが、この場所から去ろうとは考えられなかった。だから適当に話を逸らして、それから手際よく料理をする店員さんを眺めていた。

 

 

 

◇◇◇

 

 

 

 「えぇと、あの……宗教勧誘とかですかね?」

 「……いえ、すみません。変なことを聞きました。どうか忘れてください」

 「はあ……」

 

 ———いや、忘れられるわけねえだろと。どう考えても、このまま飯を食う展開にはならないだろと。お母さん早く帰ってきてくれと。

 

 そう胸懐で叫びながらも、岬は料理の手を止めない。正確には止められない。怖いので。

 

 美少女は、じっとこちらを見てる。

 さすがにもう目は合っていないが、それでも目線は岬から逸れていない、どうやら自身が料理している様を観察しているようだ。その視線に悪意は感じない。たぶん純粋な好奇心とかだと思う。

 

 そして岬もまた、美少女のことを観察していた。こちらは純粋な恐怖からである。

 そうして目敏く見ていると、美少女は何だか疲れている様子だった。一見なんともないような表情をしているが、その裏に掩蔽された疲労は結構なものだろう。

 

 でも岬の知ったことじゃないので、見なかったことにさせていただく。下手に突っ込む勇気も、そこまで踏み入る度胸も、心配してやる義理もないから。

 

 そんなとき、いつか母親が言っていたことが、ふと岬の脳裏をよぎった。

 それから少し悩んで、やっぱり話しかけてみることにした。あと二人きりの空間に充満する沈黙が怖くなってきたから。

ちなみに、この二つの理由のうち、占める割合が大きいのは後者である。普段なら、そういう気まずい空気もまったく意に介さない岬だが、なんか視線の圧が強いのよぉ、この人……。

 

 料理をする手は止めず、視線を美少女のほうに向けることもなく、そんな素っ気ない態度のまま「なんだかお疲れの様子ですね」と話を振ってみる。

 

 美少女は驚いたように目を見張ったが、それは一瞬のこと。すぐに平素の状態へと戻って、少し間を置いてから「そう見えますか?」と問い返してきた。

 この言葉には『あまり話したくないけど、それでも完全に拒絶することできない』といった半端な弱みが込められているように感じた。

 

 「まあ」

 「……そうですか」

 

 岬が曖昧な返事をすると、美少女のほうも曖昧に頷いた。

 

 少しの緘黙。それは両者にとって居心地の悪いものではなく、とくに美少女にとっては決断を下すための大事な時間だった。

それから間もなくして、美少女は細々と絞り出すように言葉を紡ぎだす。

 

「……私、今まで自分の手に負えない問題を抱えていたんです。それが疲れている原因です」

「誰かに相談なされないのですか?」

「……いえ。これは私ひとりの問題で、他の誰も頼れないものでして」

「それは……」

「その問題が何であるかは、まあ……ちょっと言えません。いくら何でも、巻き込むのも憚られますしね」

 

 岬はバカだが、愚かではない。

 今の言葉や、先ほどの『お化け』『特殊な力』といった突飛な発言から、彼女が疲労している理由についても、なんとなく推察できることがあった。でも岬は気づかないフリをする。結局は見知らぬ他人だし、なんだか面倒な気配を察知したので。ただ———

 

 「さっき『今まで』って言いましたけど、それは解決したんですか?」

 「いえ、解決したわけでは。でも……今だけは、忘れることができました」

 

 美少女は嬉しそうにはにかんで言った。

 

 「なぜ今だけ忘れられるんですか?」

 「……ええっと」

 

 美少女が言い淀む。ここまで踏み入ってくるとは思わなかったから、少し不意打ちだった。

 

 「じゃあ、聞き方を変えます。それは私のおかげですか?」

 

 その問いに、美少女は思わず肩を跳ねさせる。

 そんな美少女の反応を見て、岬は少し気怠げに続ける。

 

 「なら、なんのことかは分かりませんけど、まず感謝してください。私に」

 「え、ああ……その、ありがとうございます?」

 「ふふ、どういたしまして」

 

 岬は満足した様子で笑ったが、美少女のほうは少し困惑している。

 よくよく考えたら、なにもおかしいことは言っていないが、それでもド直球に感謝を強請られると、それはそれで変な気持ちになった。

 

 「私、人から感謝されるの、それなりに好きなんです」

 

 なんだか煮え切らない状態の美少女を置き去りにして、岬は語りだす。

 

 「少なくとも、私が労力を尽くしたり、私に害がない限りは、人助けを積極的に避ける理由はないと思っています。まあ、積極的に人を助ける理由もないですけど。言うなれば、そのときの機嫌次第ですね。お菓子とか自慰行為、あるいは性癖と一緒です。ふとしたときに『ああ、なんか今、無性に感謝されたいなあ』って気分になるんです。それで感謝されるなら嬉しいし、もし感謝されなくても、心の中で『いま私、善いことしたなあ〜』って思うのが気持ちいいので。逆に『ああ、なんか今、無性に誰かの不幸が見たいなあ』ってときもあるんですけど。まあ人間、誰しも心の中ではこんな感じだと思います」

 

 「は、はあ……?」

 

 岬の怒涛の自分語りに、美少女は気圧されていた。

 

 「母親の受け売りなんですけど、人生って基本的に下り坂らしいです。どんな人間でも、辛いことのほうが大きく感じられて。自分の人生を歩いていく上で、どこかしこに苦痛が転がっています。それに足を躓かせて、痛い思いをしながら生きているみたいです」

 

 それでね———と岬は続ける。

 

 「幸福って、勝手に振ってこないらしいです。人生は前方にだけ続くゴールの分からない一本道で、後ろからは何かが追いかけて来て、苦しいことが溢れていて。だから自分で『幸福』を作るしかないんですって」

 

 「なんでもいいんです。たらふく寝るとか。ゲームするとか。本を読むとか。友達と話すとか。あるいは人助けをしてみるとか、逆に人を苦しめてみるとか。それこそ美味い飯を食うとか。自分の幸福を尊重するために、自分の心を満足させるために、やれることって意外とあるらしいです。母親が笑って言ってました。最低限のモラルも必要だって言ってましたけど」

 

 「私にとってのそれが、たまに行う細やかな人助けだったり、ちょっとした意地悪だったり。あと美味しいご飯も好きです。一人の空間も悪くない」

 

 「そうやって自分の幸福を作り上げるんです。それが『幸福に生きる』ためのコツだって。私は『ストレスを感じない』ことが『幸福』だと考えています。父親のほうは『苦痛』を『克服』するのが『幸福』だと考えていて、母親は『他人の幸福』を真似て遊ぶことが『幸福』だと思っていました」

 

 「あと人助けって、意外と凄いんですよ。それをやったあと、しばらく良い気分が継続するんです。お酒とか、ドラッグとか、そういうのは触れたことないけど、たぶんそれより気持ちいいと思います」

 

 そこで岬は言葉を区切って、初めて自分から美少女と眼を合わせて話す。

 

 「あなたには、ありますか? そういうの。あなたにとって、どういうのが『幸福』ですか?」

 

 完成した料理を美少女の卓に置きながら問いかける。

 美少女のほうは答えに詰まる。考えたこともなかったから。

 

 「ないなら、思いつかないなら。探せばいいんですよ。私も母に言われてから探し始めたんです。まだまだ人生これからだなって、まだまだ『やりたいこと』あるなって。どうですか? ありますか?」

 

 「たった今、思いつきました」

 

 岬の言葉に割り込むように、美少女が言った。

 

 「おお! それは何ですか?」

 「あなたの近くにいることです」

 「おぉん……?」

 

 岬は思わず変な声を出した。この変な鳴き声は岬の癖の一つである。

 

 「あなたの近くにいると、私は良い気分になります。今までの苦痛から一瞬だけ解放されるんです。私を捉えていたものを忘れられるのが、私にとっての『幸福』です」

 

 美少女は———正神昇菜は、岬の目をしっかりと見ながら告げた。

 その真剣な眼差しに、さすがの岬も空気を読んで茶化さなかった。

 

 「じゃあ、法に触れない程度で勝手にしてください。少なくとも、私の近くにいて、勝手に救われて、勝手に感謝する分には、私は困らないので」

 

 それを聞いた昇菜は、笑って「お願いがあるんですけど」と言う。

 

「なんですか?」

 「あの、友達になりませんか? 私、あまり経験はないですけど」

 「嫌ですよ。年も離れてるし。なにより私は店員で、あなたはお客様です」

 「でも……」

 「私の近くにいたいなら、それでいいじゃないですか。あなたが常連になって店に通う分には、あなたの勝手にすればいいと思います。それは私が制限できることじゃないし、なんなら売り上げが増えるので嬉しいです」

 「まあ、そうですよね……急に言われても、困りますよね」

 

 悲しそうに顔を伏せる昇菜を見て、岬は内心で『なんだコイツ』と思いながら、仕方なく話す。

 

 「頻繁に店へ通って、そのたびに私へ話しかければいいんですよ。そうして互いを知って、成り行きで仲良くなって、友達にすればいいんです。自分の幸福のためなら、わざらざ他人の事情に配慮する必要ないと思いますけどね、私は。まあ配慮することが幸福の一助になるなら、それもまたアリなんでしょうけど」

 

 「……ずいぶん他人事ですね。自分のことなのに」

 

 「まあ、私はあなたに大して関心がないので。今は」

 

 「……じゃあ、頑張ります。興味を持ってもらえるように」

 

 「そっすか。まあ頑張ってください」

 

 そうして、昇菜は『日替わり珍味定食』を搔っ食らう。変な名前だが、味はちゃんと美味しかった。

 

 「おお! ふざけた名前に反して意外と美味しいですね!」

 

 「失礼ですね。あと名前を決めたのは店長ですから、文句は店長にどうぞ」

 

 「あっ、そういえば言い忘れてましたけど、私『正神昇菜』って言います」

 

 「ほへぇ」

 

 「……名乗ってはくれないんですか?」

 

 「私、知らない人には不用意に名乗らないタイプの人間なんです」

 

 「し、知らない人……まあ、これから知ってもらう努力をしますよ。……あと追加注文ってできますか?」

 

 「……お気に召しましたか?」

 

 「はい。私も美味しいご飯を食べるのが好きです……いや、好きになりました」

 

 「……ほぉん。なんだか分からないけど、まあ、よかったですね」

 

 「……ふふっ、はい!」

 

 このあと、なぜか二人でメチャクチャご飯を食べた。




この後書って部分、ふざけてもいいと思うんです。なのでふざけます。

私、死んだら道行く人のパンツを片っ端から食い込ませる妖怪になるの!

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