水の底に、灯が沈んでいた。
ゆらゆらと、いくつも。
夜の湖に浮かぶはずの小さな灯が、なぜか黒い水の底へ降っていく。紙でできた灯籠は濡れもせず、消えもせず、星の欠片みたいに暗い水の中を漂っていた。
その光の向こうに、石の階段が見える。
とても古い階段だった。端は欠け、表面には細かな文字が刻まれている。けれど文字は水に揺れ、読もうとすると形を変えてしまう。階段の先には巨大な柱が並んでいた。人の手で作ったものとは思えないほど高く、太く、静かで、まるで山の骨だけが水底に残されたようだった。
そこを、誰かが歩いていた。
遠い。
灯の列の向こう側を、ひとりの影が進んでいく。その人はひどく疲れているように見えた。肩を落とし、片手に何かを引きずっている。剣かもしれない。杖かもしれない。ただ、金属が石に触れるたび、夢の中なのに胸が痛くなるような音がした。
待ってくれ。
そう言おうとした。
けれど声は出なかった。
水が口の中にあるわけではない。息もできる。なのに、喉の奥だけが凍りついたように動かなかった。叫びたいのに、叫ぶべき名前も分からない。ただ、その背中を行かせてはいけないことだけが分かっていた。
影は振り返らない。
階段を降り、柱の間を抜け、さらに奥へ行く。奥には扉があった。扉というより、夜そのものを石で固めた壁だった。あまりに大きく、あまりに遠く、見ているだけで自分が小さな虫になった気がした。
その扉の前で、影は立ち止まった。
白い火がともる。
扉のそばに、仮面のようなものが浮かんでいた。女の顔にも見えた。灯籠にも見えた。目も口もないのに、こちらを見ている気がした。
影が何かを言った。
言葉は聞こえない。ただ、その声がひどく優しいことだけは分かった。優しくて、疲れていて、もう二度と戻らないと決めた人の声だった。
水底の灯が、一斉に揺れた。
頭上で、誰かが泣いている。
母の声に似ている、と思った。でも違う。知らない女の声だった。知らない子供の声だった。知らない誰かたちが、遠い遠い水面の向こうで、ひとつの名前を呼んでいる。
その名前だけが、聞き取れなかった。
聞き取ってしまえば、何かが終わる。
そんな気がした。
影は、持っていたものを床に置いた。
置かれたそれの周りに、白い花が咲く。花など咲くはずのない水底で、白い花びらがひらひらと浮かび上がる。灯籠の光を受けて、花びらは雪のように見えた。
美しかった。
そして、嫌になるほど寂しかった。
扉が閉じていく。
初めから閉じていたはずの扉が、さらに深く、さらに固く、世界から遠ざかっていく。
行かないでくれ。
今度こそ叫ぼうとした。
声はやはり出なかった。
代わりに、白い仮面がこちらを向いた。夢の中で、確かに目が合った。
目などないのに。
灯が消える。
水が黒くなる。
最後に、誰かの声がした。
『——眠れ』
それは命令のようで、祈りのようで、別れの言葉のようでもあった。
アリウスは、そこで目を覚ました。
馬車の車輪が、石畳を踏む音がした。