沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

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第10話 祭りの始まり

 もう夜になっている。

 だというのに、湖面は無数の灯に照らされて、まるで白昼のように明るかった。

 意思を持った光の群れが、湖の中心へと吸い寄せられていく。それは、千や二千ではきかない数だ。祭の初めから今この瞬間までに流された、すべての灯籠が集結しようとしている。

 その光景は、どこか神々しくさえあった。まるで、星々が天から降り立ち、湖の底に眠る何かへ、一斉に拝跪しているかのようだ。

 

「……始まっちゃった」

 俺の隣で、セシルさんが絞り出すような声で言った。

 彼女の榛色の瞳には、美しい光景への感動などひとかけらもない。ただ、これから起ころうとしている災厄への、戦士としての深い絶望が映っていた。

 

「水底の番人が、地上の灯を制御し始めたんだわ。私たちが、拒絶したから。あの番人は、アリウスを奥へ通す『鍵』だと誤認した。そして、鍵が通らないのなら、外敵を排除するために、本来の儀式を強制的に始めようとしている」

 リエルが、早口で分析を口にする。その声は震えていたが、それは恐怖だけが原因ではなかった。千七百年もの間眠っていた古代の機構が、今まさに目の前でその機能を見せつけている。その事実に、学者としての魂が粟立っているのだ。

 

「街へ戻ろう!」

 セシルさんが、誰よりも早く我に返った。

「こんな場所にいても、何もできない! この異常は、湖だけじゃ済まないはずだよ!」

 

 彼女の言葉に、俺たちは弾かれたように駆け出した。

 湖岸の立入禁止区画を飛び出し、祭の喧騒が残る南門下の広場へと戻る。

 そして、俺たちはすぐに、セシルさんの予感が正しかったことを思い知らされた。

 

 街の様子が、おかしい。

 人々はまだ、陽気な音楽に合わせて笑い、酒を酌み交わしている。だが、その頭上で煌々と輝く屋台の火が、奇妙な色をしていた。

 本来なら、暖かな赤や橙色のはずの炎が、まるで幽鬼の燐光のように、青白く揺らめいているのだ。

 

「……おい、なんだいあの火は」

「祭の新しい見世物かね? ずいぶん不気味な色だな」

 

 何人かの客が、異変に気づいて首を傾げている。だが、まだ誰も、それを本物の危険だとは認識していない。酒の酔いと祭の熱気が、人々の警戒心を麻痺させていた。

 

 俺たちは、言葉もなく顔を見合わせた。

 だめだ。間に合わない。

 湖の底で始まった儀式は、すでにその影響を、この街全体へと広げつつある。

 

 ふと、大通りを行く一団の影が、俺の目に留まった。

 仮装行列だ。

 祭を盛り上げるために、人々が古代の神々や伝説の英雄の姿に扮し、笛や太鼓に合わせて練り歩いている。

 その、陽気な行列の中に——いるはずのない者たちの姿が、混じっていた。

 

 第一文明期のものと覚しき、古風な神官の衣をまとった男。

 第四文明テオドラ聖王国の、重装歩兵の鎧を身につけた兵士。

 彼らは、実体があるようでない。半透明の、ゆらゆらと揺らめく魔素の残響だ。

 周囲の誰も、その存在に気づいていない。楽しげに笑う祭の客のすぐ隣を、千年以上も昔の亡霊が、無表情で通り過ぎていく。

 過去と現在が、境界を失い、混じり合い始めていた。

 

「アリウス君、あっち!」

 セシルさんの鋭い声に、俺ははっと我に返った。

 彼女が指さす先、湖へと下る石段の近くで、最初の異変が起きていた。

 

 屋台の焼き菓子を頬張っていた若い男が、ふ、と動きを止めた。

 その瞳から、急速に光が失われていく。まるで、眠りに落ちる寸前のように、ゆっくりと瞼が下りてくる。

 そして、彼はうつろな足取りで、一歩、また一歩と、湖の方角へと歩き始めた。その顔には、苦悶も恐怖もない。ただ、安らかな、満ち足りた微笑みだけが浮かんでいた。

 

「おい、どうしたんだよ、急に」

 連れの男が、訝しげにその肩を掴む。

 だが、男はまるで夢の中を歩いているかのように、その呼びかけに反応しない。

 一人だけではなかった。

 あちこちで、同じ現象が起き始めていた。老いも若きも、男も女も、まるで美しい夢に誘われるかのように、穏やかな顔で、次々と湖へ向かって歩き出していく。

 

「まずい! 止めないと!」

 セシルさんは叫ぶと同時に、駆け出していた。

 彼女は、湖に最も近い場所にいた家族連れの前に立ちはだかり、左腕の盾を地面に突き立てる。

「皆さん、しっかりしてください! 目を覚まして!」

 その声は、眠りへと誘う甘い魔素の波を切り裂くように、鋭く響いた。

 

 だが、眠りの力は、あまりに強い。

 セシルさんの声に我に返るのは、ごく一部の者だけだ。大半は、彼女の存在に気づくことなく、その盾を避け、なおも湖へと進もうとする。

 

「くっ……!」

 セシルさんは歯を食いしばり、盾で直接人の流れをせき止め始めた。

 眠った人々を傷つけないよう、細心の注意を払いながら、ただひたすらに、その身体で壁を作る。

「近くにいる冒険者! 手を貸して! 眠った人を、建物の中か、坂の上の方へ運んで!」

 彼女の指示に、ようやく事態の異常さに気づいた何人かの冒険者が、慌てて動き始めた。

 

「リエル、地図を!」

 俺は叫び、背中のリュックから羊皮紙の束を取り出した。祭管理所の観光案内図と、職人たちに伝わる古い配置図。

「この異常、絶対に青灯篭と関係があるはずだ!」

 

「ええ、わかっているわ!」

 リエルは、セシルさんが作る防衛線のすぐ後ろで地面に膝をつき、二枚の地図を広げた。その上に、彼女が学院から持ち出した古文書の写しを重ねる。

 彼女の指が、インク瓶と羽根ペンを握りしめる。その瞳は、目の前のパニックではなく、この現象の背後にある、巨大な法則性だけを捉えようとしていた。

 

「眠りの波は、同心円状に広がっているわけじゃない……。脈のように、特定の場所から強く放出されている……。その源は……」

 彼女は、眠りに落ちた人々が現れた地点を、地図の上に次々と印していく。

 その手は、震えていなかった。目の前の人命の危機を前にしても、彼女は冷静な分析者であることをやめない。それが、このパーティーにおける彼女の役割なのだ。

 

 俺は、剣を抜いた。

 だが、斬るべき敵の姿はない。

 目の前にいるのは、ただ眠り、歩くだけの、何の罪もない人々だ。

 

「アリウス君、縄を!」

 セシルさんから声が飛ぶ。

 俺は言われるままにリュックから縄を投げ渡した。彼女はそれを受け取ると、近くにいた冒険者と共に、道幅いっぱいに縄を張り、物理的な防壁を作り上げる。

 俺も、彼女の隣に駆け寄った。剣は使えない。ならば、この身体で止めるしかない。

 眠った人の肩を掴み、引き戻す。抵抗はされないが、まるで水を相手にしているかのように、手応えがない。一人を止めれば、その横からまた別の誰かが、湖へと吸い寄せられていく。

 きりがない。まるで、決壊したダムを、掌で塞ごうとしているようなものだった。

 

 

「……アリウス!」

 

 リエルが、鋭い声で俺を呼ぶ。

 見ると、彼女は地図の上に記したいくつもの印を、一本の線で結び終えていた。その顔は、真実を発見した学者の、興奮に染まっている。

 

「……見つけたわ。異常が集中しているのは、三か所」

 彼女は、羽根ペンの先で、地図の三つの点を力強く指し示した。

 

「南門下の湖岸。観光用の地下区画。そして、あの古い石橋の上。この三つの地点に置かれた青灯が、異常なほどの魔素を放っている。他の灯は、この三点に引かれるようにして、向きを変えさせられているんだわ」

 

 三つの、灯点。

 そこが、この儀式の要。

 

「この三つの青灯の向きを、職人さんの図面通りに、湖心へ戻せば……。この眠りの連鎖は……止まる可能性があるわ」

 

 可能性。

 その言葉は、暗闇の中に差し込んだ、一条の光だった。

 だが、その光は、あまりにか細く、不確かだった。

 

「……可能性、ね」

 

 縄張りの中で、眠った老人を必死に抱きかかえながら、セシルさんが苦々しく呟いた。

 その額には汗が滲み、盾を握る腕は、小刻みに震えている。

 

「可能性に街を賭けるの、いやだな……」

 

 その言葉は、絶望ではなかった。

 だが、希望でもない。

 ただ、目の前の命を守る盾役としての、不確かなものに賭けるしかない現実への嘆きが、そこにはあった。

 

 街の鐘が、時を告げるために鳴り響く。

 だが、その音は、まるで眠りの大鐘の合図のように、街全体へと不気味にこだましていった。

 夜明けは、まだ遠い。

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