沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

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第11話 三つの灯点

 冒険者ギルドの臨時詰所として借り上げられた、古い倉庫の一室。その空気は、鉄と油の匂い、そしてインクと羊皮紙の乾いた匂いに満ちていた。

 部屋の中央に置かれた大きな作業台の上には、エルデンブルクの市街図が二枚、広げられている。一枚は祭管理所が作った華やかな観光案内図。もう一枚は、灯籠職人の老人が貸してくれた、実用一点張りの古い配置図だ。

 

 窓の外からは、喧騒と、時折上がる短い悲鳴が聞こえてくる。眠りの波に誘われ、湖へ向かおうとする人々の群れと、それを必死に食い止めようとするギルド員たちの怒声。祭の夜は、悪夢の様相を呈していた。

 

「……やはり、ここだわ」

 

 リエルが、地図の上の一点を、白く細い指で力強く指し示した。

 その指先は、もう震えてはいない。彼女の氷色の瞳は、目の前の混乱ではなく、その背後にある巨大な法則性だけを、冷徹に見据えていた。

 

「南門下の湖岸。観光用の地下区画。そして、街の東側を流れる水路に架かる、古い石橋。昨夜から今朝にかけて、異常な魔素の放出が確認されたのは、すべてこの三つの地点に集中している」

 彼女は羽根ペンを手に取り、地図の上に印した点を、素早く線で結んでいく。

「他の青灯も、この三点に引かれるようにして、次々と向きを変えさせられている。まるで、巨大な磁石に引き寄せられる砂鉄のように。ここが、この儀式の……ううん、この現象の要であることは間違いないわ」

 

「三つの灯点……」

 俺は、彼女が示した三つの点を睨みつけた。それぞれが、街の要所に位置している。ここを止めなければ、眠りの波は止まらない。

 

「でも、どうしてこの三つなの? 他にも青灯はたくさんあるのに」

 セシルさんが、腕を組んで唸った。彼女の顔には、長時間の警戒による疲労の色が濃く浮かんでいる。

 

「わからないわ。ただ……」

 リエルは、職人用の古い配置図に視線を落とした。

「この図面によれば、この三つの灯点は、他の青灯よりも一回り大きく、そして特別な祝福の文様が刻まれている、とある。おそらく、古来から特に重要な意味を持つ場所だったのでしょう」

 

 その時、俺の脳裏に、水底で見た光景が蘇った。

 沈んだ参道。等間隔に並べられた、石の台座。そして、俺にだけ反応した、あの白い仮面。

 

「……台座と、同じかもしれない」

 ぽつりと、俺の口から言葉が漏れた。

「え?」

「水底で見たんだ。灯を置くための、石の台座がいくつも並んでいた。その並び方と、この三つの灯点の場所が……」

 うまく言葉にできない。地図の上で、二つの異なる場所の記憶を重ね合わせようとするが、もどかしく、思考が空転する。

「なんて言えばいいんだ……。地図の上だと、こう……重なる気がするんだ。天と地で、同じ形を描いているような……」

 

 我ながら、要領を得ない説明だった。

 だが、リエルは、俺のその言葉を聞き逃さなかった。

 彼女ははっと顔を上げると、俺の目をまっすぐに見た。その氷色の瞳に、閃きとでも呼ぶべき強い光が宿る。

 

「……なるほど。地上の灯籠配置と、水底の外郭礼拝区の台座配置が、鏡合わせになっている、ということね。アリウス、あなたのその直感……試させてもらうわ」

 

 リエルは言うなり、すっと目を閉じた。

 彼女は腰に下げた杖を抜き放つと、その先端の氷色の魔石を、広げられた地図の中心にそっと触れさせる。

 そして、静かに、しかし凛とした声で、短い呪文の詠唱を始めた。

 

「——観よ、理の目。流れよ、力の脈。閉ざされし色を、我が前に示せ」

 

 杖の先端から、淡い光が放たれた。

 光は、地図の上に薄い膜のように広がり、部屋の空気がわずかに震える。知覚系の中位魔術だ。彼女は、この部屋にいながらにして、街全体に広がる魔素の流れを、その理性の目で見通そうとしている。

 

 やがて、リエルはゆっくりと目を開いた。

 その瞳に映っているのは、もうこの薄暗い倉庫の光景ではなかった。

 

「……見えるわ」

 彼女の声は、どこか夢見るように、うわずっていた。

「街全体が、澱んだ魔素の霧に覆われている。そして、その霧の中心から、三本の……いいえ、三条の濁流が、脈を打つように流れ出しているのが」

 

 彼女の視線を追うように、俺もセシルさんも、ただの羊皮紙にすぎないはずの地図を食い入るように見つめた。

 もちろん、俺たちの目には何も見えない。

 だが、リエルの言葉は、その光景をありありと想像させた。

 眠りの波が、まるで毒の根のように、三つの灯点から街全体へと伸びていく様を。

 

「アリウスの言う通りよ。この三つの灯点は、水底の台座と魔力的に直結している。地上の灯が、水底の番人を起動させるための、巨大な儀式盤のスイッチになってしまっているんだわ」

 

 彼女は、そこで一度言葉を切り、荒い息をついた。

 魔素の消耗が激しいのだろう。額には、玉のような汗が浮かんでいる。

 だが、その顔には、確かな手応えを得た者の、強い光が満ちていた。

 

「対処法は、一つしかない。この三つの灯点に置かれた青灯の灯りを、職人さんの図面通りに、湖心へ向ける。そして、周囲の白灯と黄灯を、本来あるべき位置関係に戻す。そうすれば、儀式盤への力の供給が断たれ、水底の番人は眠りに戻る……はずよ」

「……はず、か」

 セシルさんが、乾いた声で呟いた。

「でも、今はそれに賭けるしかない、ってことだね」

 

「ええ」と、リエルは頷いた。

「これは、もうただの祭の飾りじゃない。これは、おそらく……」

 

 彼女は、何かを言いかけて、ふと言葉を飲み込んだ。

 『儀式だった』。

 その言葉が、彼女の唇の先まで出かかっているのがわかった。だが、彼女はそれを口にはしなかった。不確かな推論で、俺たちを惑わせるべきではないと判断したのだろう。

 

「……少なくとも、ただの祭飾りのつもりで扱っていいものじゃない。それだけは、確かよ」

 

 リエルの言葉を受け、セシルさんが動いた。

 彼女は地図から顔を上げ、俺たちの顔を順番に見る。その榛色の瞳は、もう迷いを振り切っていた。

 

「よし、やることは決まったね」

 その声は、盾役としての、頼もしい響きを持っていた。

「リエルちゃんの言う通りなら、この三つの灯点は、ほぼ同時に修正する必要がある。一つだけ直しても、他の二つから力が流れ込んで、すぐに元に戻ってしまうだろうから」

「……三人で、手分けするしかないか」

「そうなるね。でも、私たち三人だけじゃ、絶対に手が足りない」

 

 セシルさんは、地図の上の三つの点を指でなぞった。

「南門下の湖岸は、人手が一番多い。でも、その分パニックも大きい。ここは、私がギルドの応援を何人か連れて、直接指揮を執る。眠った人を誘導しながら、職人たちに灯籠を動かさせる」

 

 彼女は次に、観光用地下区画の印を指した。

「地下は、狭くて危険だ。昨日のように、守護者が現れる可能性もある。ここは、剣も魔法も使えるアリウス君が、向かってほしい。灯籠を直す職人を、君が守って」

 

 そして、最後に、古い石橋の印。

「この石橋は、入り組んだ路地の奥にあって、たどり着くのが一番難しい。それに、灯籠の位置関係も複雑だ。ここは、リエルちゃん。君の知識と、魔法での支援が必要になる。ギルド員を護衛につけるから、屋根の上からでも指示を出して、職人を動かして」

 

 それは、三人の長所を最大限に活かした作戦だった。

 リエルが現象を読み解き、俺が危険な場所を突破し、そしてセシルさんが、全体を指揮して守る。

 俺たちは、顔を見合わせた。

 恐怖は、まだ胸の奥にある。だが、それ以上に、やるべきことが定まったことへの、静かな覚悟が満ちてきていた。

 

「……異論は?」

 セシルさんの問いに、俺とリエルは、同時に首を横に振った。

 

「よし、決まりだ!」

 セシルさんは、ぱん、と力強く作業台を叩いた。

「時間は、ない。夜明けまで、あとわずかだ。みんな、自分の役割はわかったね?」

 

 俺たちは、強く頷いた。

 報酬のためでも、名誉のためでもない。

 この街を、この祭を、悪夢から救い出すために。

 

「行こう!」

 俺の言葉を合図に、三人は弾かれたように倉庫の扉へと駆け出した。

 それぞれの持ち場へ。

 そして、この長い夜を終わらせるために。

 扉を開けると、夜明け前の冷たい風と、遠い喧騒が、俺たちを出迎えた。

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