沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

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第12話 約束

 ギルドの臨時詰所である倉庫を飛び出すと、夜明け前の冷たい空気が肺を刺した。

 街は、巨大な熱病に浮かされた患者のように、静かな狂気に満ちていた。遠くで鐘が鳴り、眠りへと誘う魔素の波が、闇に溶けて広がっていくのが肌で感じられる。屋台の火は青白く揺らめき、人々の影を不気味に引き伸ばしていた。

 

 作戦開始まで、時間はほとんど残されていない。

 俺たちは、ギルドから駆けつけてきた増援の冒険者たちと合流し、最後の準備を急いでいた。武具のベルトを締め直し、回復薬の入った小瓶の数を確かめる。誰もが、口数少なく、しかし決意を秘めた顔をしていた。

 

「——アリウス君」

 

 不意に、背後から声をかけられた。

 振り返ると、セシルさんが立っていた。その手には、予備の松明と、数本の鉄杭。彼女はそれを、俺のリュックの空いている隙間に手際よく差し込んだ。

 

「地下は、地上よりさらに魔素が濃いはずだよ。万が一、灯りが消えた時のために持っていって」

「……ありがとう、セシルさん」

「いーえ。……君の行く場所が、一番、何が起こるかわからないからね」

 

 彼女はそう言うと、まっすぐに俺の目を見た。

 その榛色の瞳には、もう普段の快活な光はない。これから仲間を最も危険な場所へ送り出す、盾役としての、静かで真剣な覚悟が宿っていた。

 

「君にだけ反応する、水底の番人……。それが何を意味するのか、私にはわからない。でも、たぶん、君はまた奥へと誘われる」

 

 セシルさんの言葉に、俺は息を呑んだ。

 彼女の言う通りだ。あの白い仮面は、必ずまた俺に囁きかけてくるだろう。『こちらへ』と。

 

「だから、約束して」

 セシルさんは、俺の胸元を、人差し指でとん、と軽く突いた。

「行くなら、戻ってこい。絶対に。君が戻ってくるまで、私がこの街を支えておくから」

 

 それは、命令でも、懇願でもなかった。

 ただ、仲間としての、率直で、力強い約束の要求だった。

 俺は、こみ上げてくる何かを抑え、強く頷いた。

 

「……ああ。わかってる」

 

「私も、一つだけ」

 

 静かな声が、横から割って入った。

 いつの間にか、リエルが俺たちの隣に立っていた。彼女は、これから向かう石橋の方角を示した古地図の写しを、革の手袋をつけた手で固く握りしめている。

 

 その氷色の瞳は、俺の背後にある闇……湖の方角を、一瞬だけ見据えていた。

 彼女もまた、わかっているのだ。俺が、あの場所で何を見る可能性があるのかを。千七百年もの間、誰も触れることのできなかった、古代の真実の断片に。

 

「あなたが、水底で何を見聞きしたとしても……」

 リエルは、一度、言葉を切った。

 そして、まるで自分に言い聞かせるかのように、静かに、しかしはっきりと続けた。

「それは全部、帰らないと何の意味もないのよ…… いいわね?」

 

 その言葉に、俺は胸を突かれた。

 彼女の根源にあるのは、尽きることのない知的好奇心のはずだ。未知の遺跡、失われた知識。そのためなら、どんな危険も厭わない。それが、リエル・エル・クルーシェルという少女だと、俺は思っていた。

 だが、今、彼女は言ったのだ。

 真実よりも、俺の生還を優先しろ、と。

 彼女なりの、最大限の、仲間への想いだった。

 

 俺は、二人の顔を順番に見た。

 盾を構え、俺の帰る場所を守ると言ってくれる先輩。

 知識を求めながらも、俺の帰りを待つと言ってくれる仲間。

 

 もう、迷いはなかった。

 

「ああ。約束する」

 俺は、はっきりと答えた。

「必ず、戻る」

 

 その言葉に、セシルさんとリエルは、同時にわずかに表情を和らげた。

 張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。

 その、一瞬の静寂を破ったのは、セシルさんのわざとらしい咳払いだった。

 

「もー……なーに、しんみりしちゃってんの!」

 彼女は、照れ隠しのように両手を腰に当て、ぷいとそっぽを向いた。

「言っておくけど、ただ戻ってくればいいってもんじゃないからね! 無事に、五体満足で、きっちり役目を果たして戻ってくること! これは、パーティーの先輩として、お姉さんとしての命令ですからね!」

 

 その、いつも通りの快活な口調に、俺とリエルは思わず顔を見合わせ、小さく笑った。

 そうだ。これが、俺たちのパーティーだ。

 

「——時間だ!」

 ギルドの班長の声が、広場に響き渡る。

「各員、持ち場へつけ! 作戦を開始する!」

 

 その号令を合図に、俺たちは頷き合った。

 もう、言葉は必要ない。

 

 セシルさんは、ギルド員たちを率いて、南門下の湖岸へと続く大通りを駆け出していく。

 リエルは、護衛の冒険者と共に、入り組んだ東の路地裏へと姿を消した。

 そして俺は、地下へと続く昏い入り口を目がけて、石畳を蹴った。

 

 三つの方向に、三つの影が散っていく。

 その瞬間、大聖堂の鐘が、ごう、と重々しく鳴り響いた。

 それは、夜明けを告げる鐘ではない。

 湖の底から湧き上がる眠りの波が、最後の抵抗を試みるかのように、街全体へと一斉に広がっていく、始まりの合図だった。

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