沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

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第18話 報酬と罰金

 夜が、明けた。

 東の空を焼く朝焼けの光が、エルデンブルクの石畳を金色に染め上げていく。

 街は、深い眠りから覚めつつあった。あちこちの家で窓が開けられ、人々が何事もなかったかのように欠伸をしながら顔を出す。昨夜の悪夢を知っているのは、ごく一部の者たちだけだ。

 湖灯祭は、終わった。いや、強制的に終わらされた、と言うべきか。

 広場には、まだ眠りから覚めきらない人々が、毛布にくるまって横たわっている。だが、その寝顔は一様に穏やかだった。死者は、出ていない。それが、この長い夜の戦いで得られた、唯一にして最大の戦果だった。

 

 俺たち三人は、南門下の広場を見下ろす石段に、力なく座り込んでいた。

 朝日が眩しい。全身が、まるで鉛を詰め込まれたかのように重かった。魔素の枯渇、極度の疲労、そして張り詰め続けていた緊張の糸が切れた反動。もう、指一本動かすのも億劫だった。

 

「……終わった、んだよな……」

 俺の呟きに、隣のリエルがこくりと頷いた。彼女の銀色の髪は朝日を浴びてきらきらと輝いているが、その顔色はまだ紙のように白い。

「ええ。リュミナは、眠りについた。少なくとも、夜明けまでは」

 

「……でも、私の盾は、もう戻ってこない…… お父さんからもらった、大事な盾だったのに……」

 反対側の隣で、セシルさんが膝を抱えていた。その腕の中には、ばらばらに砕け散った盾の残骸があるだけだ。彼女の榛色の瞳は、夜明けの湖に向けられていたが、その焦点はどこにも結んでいないようだった。

 無理もない。父から贈られた、大切な武具だったのだ。

 

 やがて、ギルドの職員が慌ただしく駆けつけてきて、俺たちに休息と、そして事情聴取の時間を告げた。

 勝利の余韻に浸る間もなく、現実はすぐに俺たちを捕まえに来るらしかった。

 

 

 

 *

 

 

 その日の昼過ぎ、俺たちはギルド本部の、昨日とは別の、もっと格式ばった会議室に呼び出されていた。

 長机の向こう側には、ギルド支部長代理とバルツ氏、そして、見るからに位の高そうな辺境伯府の文官と、昨夜叩き起こされた祭管理所の小太りの役人が、苦虫を噛み潰したような顔で座っている。

 

「——では、改めて報告を願おうか。君たちが昨夜、遭遇したことのすべてを」

 辺境伯府の文官が、冷たい声で言った。

 そこから、長い長い事情聴取が始まった。

 俺たちは、代わる代わる昨夜の出来事を証言した。湖の底で見た白い仮面のこと。アリウスにだけ反応したこと。そして、最後の合言葉で、暴走が静まったこと。

 俺たちが話すたび、祭管理所の役人の顔が青から土色へと変わっていく。

 

「……ば、馬鹿な。湖の底に、そんなものが……。ただの魔素異常ではなかったというのか」

「ええ。あなたがたが『見栄えがいいから』と向きを変えた青灯が、その引き金を引いたのです」

 リエルが、一切の感情を排した冷たい声で事実を突きつけた。

 

「しかしだね」と、文官が口を挟んだ。

「その『リュミナ』とやらが、古代文明の遺物であるという証拠は? 君たちの集団幻覚という可能性は、拭いきれんのだが」

 その言葉に、それまで黙って聞いていたセシルさんが、静かに口を開いた。

 

「幻覚で、私の盾は砕けません」

 彼女は、布に包んで持参した盾の残骸を、どさりと机の上に置いた。ばらばらになった木片と、ひしゃげた鉄の縁が、無言で昨夜の戦闘の激しさを物語っている。

「幻覚で、街の屋台や石畳が、あれほど壊れますか? 幻覚で、何十人もの人が、一斉に湖へ向かって歩き出しますか? あなた方が書類の上で数字を眺めている間に、私たちは、この街が沈むのを、この身で止めていたんですよ」

 

 その言葉には、普段の彼女にはない、鋭い棘があった。文官と役人はぐっと言葉に詰まり、気まずそうに視線を逸らす。

 最終的に、場を収めたのはギルドの支部長代理だった。

 

「この件、これ以上の深入りは無用と心得よ。辺境伯府には、ギルドの名で正式な報告書を提出する。公式発表は、あくまで『祭の熱気によって引き起こされた、大規模な魔素異常』。湖底の遺跡については、一切を口外法度とする。いいね?」

 その言葉は、俺たち冒険者だけでなく、文官と役人にも向けられていた。これ以上、自分たちの落ち度を公にされたくなければ、ギルドの提案を呑めという、暗黙の圧力だ。

 俺たちは、こくりと頷いた。それで、いい。真実をすべて明かすことが、必ずしも正しいとは限らない。

 

「そして、君たちの功績についてだ」

 支部長代理は、俺たち三人に改めて向き直った。その厳しい表情が、わずかに和らぐ。

「君たちの迅速かつ的確な判断がなければ、エルデンブルクは今頃、眠れる水の底に沈んでいたやもしれん。ギルドは、君たちの功績を最大級に評価する」

 

 彼は、バルツ氏に目配せをした。バルツ氏は、待ってましたとばかりに立ち上がり、新しい身分証の札を二枚、俺とリエルの前に置いた。

 

「アリウス・アスタリオン、リエル・エル・クルーシェル。両名は本件における功績を認め、本日付で第一階梯から第二階梯へと昇格させるものとする!」

「え……!」

「第二、階梯……」

 思わず、声が漏れた。まだ駆け出しの俺たちが、一足飛びに二階梯になるなんて。

 

「そして、セシル・リンド。君の働きも見事だった。パーティーの盾として、そして指揮官として、被害を最小限に食い止めた功績は大きい。君には、本来の依頼報酬とは別に、金貨三枚の特別報酬を授与する」

「き、金貨三枚……!?」

 セシルさんの目が、まん丸になった。

「もちろん、アリウス君とリエル君にも、それぞれ金貨一枚ずつの追加報酬を出そう。今回の働きに、十分見合う額のはずだ」

 

 金貨が、合計で五枚。

 それに、本来の依頼報酬だった金貨三枚を合わせれば、全部で八枚。

 俺たちは、顔を見合わせた。疲れ切った顔に、ようやく、信じられないといった表情と、隠しきれない喜びが浮かんでくる。

 

「やった……やったぞ……!」

 俺は、思わず拳を握りしめた。これだけあれば、当面の生活どころか、故郷の家族にだって楽をさせてやれる。

 だが、そんな俺たちの喜びを打ち砕くように、バルツ氏は「だが、しかしだな……」と、わざとらしく咳払いをした。

 

「え?」

「今回の件、君たちの功績は大きいが、同時に、街の備品に与えた損害もまた、甚大でな」

 彼は、別の羊皮紙を取り出し、そこに書かれた項目を、羽根ペンでなぞりながら読み上げ始めた。

「えーと、まず、南門下広場の石畳の修復費、それから破壊された屋台の補償金、祭用の灯籠の損壊分……。これらの一部を、危険手当から差し引かせてもらう。それから、ギルドへの事務手数料と、君たちの装備の破損査定に伴う特別経費……」

「ちょ、ちょっと待ってください!」

 セシルさんが、慌てて身を乗り出す。

「ちまちま引きますね!? ていうか、それってほとんど、私たちが戦ったせいで壊れたものじゃないですか!」

「だから『一部』と言っているだろう。大半は祭管理所と辺境伯府に請求するが、まあ、お役所仕事というやつでな。こういう形にしておいた方が、色々と通りがいいのだよ」

 バルツ氏は、悪びれもせずに肩をすくめた。

 

 結局、俺たちの手元に残ったのは、金貨八枚から、あれやこれやと差し引かれた後の、金貨六枚と銀貨数十枚だった。

 それでも、俺たちにとっては目がくらむような大金であることに変わりはない。

 だが、一度は夢見た金額から目減りした事実に、俺たちは何とも言えない顔で、ずしりと重い金袋を受け取るしかなかった。

 

 

 *

 

 

 ギルドの廊下を、俺たちは少しだけ軽くなった金袋を揺らしながら歩いていた。

「もー、なんなのよ、あのお役所仕事は!」

 セシルさんが、まだぷりぷりと怒っている。

「でも、金貨六枚よ? 三人で割っても、一人金貨二枚以上あるわ。十分すぎる成果じゃない」

 リエルが、冷静に宥める。

「まあ、そうなんだけどさ……。あ、そうだ。私の特別報酬分は、盾が壊れた修理費ってことで、多めにもらってもいいかな? 新しいの、あつらえないとだし」

「もちろん。一番の功労者なんだから」

「えへへ、ありがと」

 

 三人は、それぞれの取り分を計算し、その使い道に思いを馳せた。

「これで、学院からずっと取り寄せたかった古文書の写本が買えるわ。第二文明期の、魔導工学に関する貴重な資料なの」

 リエルは、早くも学者の顔に戻っている。

「私は、新しい盾と……あとは、故郷への仕送りかな。弟たちの生活の足しにでもなればいいんだけど」

 セシルさんは、少しだけ遠い目をして、故郷の家族を思った。

「俺は……」

 俺は、ずしりと重い革袋を握りしめた。

「これでやっと、まともな飯が食える……」

「君はまずそこからだもんね」

 二人に笑われ、俺もつられて笑った。

 そうだ。まずは、宿代の心配をしなくていい、暖かい寝床と、腹一杯の食事だ。それから、父さんのための金槌と、母さんのためのショールと、妹のための髪飾り。

 

 重い夜が明けて、俺たちは、冒険者としての、そしてただの人間としての、日常へと戻ってきたのだ。

 そんな当たり前のことが、今はひどく、尊いものに感じられた。

 

 ギルドを出ると、午後の陽光が目に眩しかった。

 俺たちは、湖が見える坂道の上で、何となく足を止めた。祭の後片付けが始まった街と、何事もなかったかのように静かに広がる、青い水面。

 その光景を眺めながら、リエルがぽつりと呟いた。

 

「……でも、やっぱり、もう一度あの外郭に行く必要があるわ」

 

 その言葉に、セシルさんが、ぎょっとしたように振り返った。

「ちょっと、リエルちゃん!? 本気で言ってるの!? あんな怖い思いしたのに、もうこりごりだよ!」

「怖いのは、事実。でも、それ以上に、知らなければならないことがある。あの番人は、眠っただけ。私たちが見たのは、神殿のほんの入り口に過ぎない。あの奥に、一体何が……」

 

 学者としての探求心が、再び彼女を突き動かし始めている。

 そんなリエルと、本気で嫌そうな顔をするセシルさん。

 その、いつも通りの二人のやり取りが、なんだかおかしくて、俺は思わず笑ってしまった。

 

 笑いながら、俺は、湖を見ていた。

 勝ったはずなのに。悪夢を退けたはずなのに。

 胸の奥で、まだ、あの夢の声が微かに響いている。

 湖の底で、まだ何かが、静かに眠っている。

 そして、それは、いつかまた目覚めるだろう。

 

 今は、行かない。

 だが、いつか。

 いつか、あの扉の向こうに刻まれた言葉を、俺自身の目で読む日が来る。

 そんな、予感がしていた。

 俺たちの、本当の冒険は、まだ始まったばかりなのだ。

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