沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

2 / 17
第01話 四つの石門の都

「——おい、坊主。着くぞ」

 

 がたん、と荷馬車が大きく揺れた。

 弾みで壁に頭を打ちつけ、俺ははっと目を覚ました。

 

 幌の隙間から、冷たい風が吹き込んでくる。肌を刺すような、山脈から下りてくる風だ。鼻の奥に、湿った土と、遠い湖の匂いが混じっていた。

 

 夢を見ていた。

 また、あの夢だ。

 

 左眉のすぐ上にある古い傷跡を、無意識に親指でなぞる。父さんが、引退してからよくやっていた癖だった。あの人は囲炉裏の火を見つめて、俺は、水底の夢を見つめる。

 

「……すまない、御者さん。うとうとしてた」

「構わねえよ。もうすぐエルデンブルクの北門だ。あれを見りゃ、誰でも眠気なんざ吹っ飛ぶさ」

 

 御者が顎でしゃくった方を見る。

 幌の隙間から見えたのは、巨大な石の門だった。その向こうに、城壁都市が広がっている。

 

 アルバ=レイク地方の領都、エルデンブルク。

 またの名を、「四つの石門の都」。

 

 ごくり、と喉が鳴った。

 背中のリュックに入れた、父譲りの長剣の重みを確かめる。革帯の護符袋も、確かにそこにある。

 

 水底の夢の残滓は、まだ胸の奥に冷たく残っていた。

 けれど、それ以上に、これから始まる冒険への期待が、心臓を熱くさせていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 荷馬車は、巨大なアルゲン山脈を背にして、王道メルナ街道を南へ下っていた。

 長く続いた山道が終わり、視界が不意に開ける。そこには、巨大な盆地が広がっていた。直径百二十キロにも及ぶ、巨大なカルストの盆。アルバ=レイク地方だ。

 

 遠く、段々畑のように連なる段丘が見える。一番高い段丘には鬱蒼とした森が広がり、その一段下には、整然と区画された麦畑とぶどう畑が広がっていた。石垣に囲まれた畑の間を、白い街道が縫うように走っている。道の脇には、この地方でよく見かける古い時代の横穴墓が、黒い口を開けていた。

 

 街道のあちこちに、色とりどりの幟が立てられている。

 年に一度の、湖灯祭。それを目当てに、王国中から人が集まってくるのだ。

 

「すげえ……」

 

 思わず、声が漏れた。

 俺が育ったアスタリオン村とは、何もかもが違う。規模も、活気も、行き交う人の数も。

 

 やがて、馬車は盆地の第二段丘に築かれた城塞都市、エルデンブルクの城門前へとたどり着いた。

 北門だ。

 門の前は、人と馬車でごった返していた。入市税を払う商人、巡礼服の旅人、そして、俺と同じように武具を身につけた冒険者たち。誰もが、祭りの熱気に浮かされたような顔をしている。

 

「ほらよ、坊主。ここが終点だ。達者でな」

「ああ、世話になった」

 

 御者に銅貨を数枚渡し、俺は馬車を降りた。

 背負ったリュックの紐を握りしめ、人波をかき分けて門の衛兵の列に並ぶ。自分の番が来て、懐から出した羊皮紙の身分証を見せた。

 

「アスタリオン村のアリウス。歳は十七。冒険者ギルドの第一階梯か。ずいぶん若いな。ま、祭りの間は稼ぎ時だ。頑張りな」

 

 衛兵は慣れた手つきで証書を確認し、無愛想に手で払った。

 その仕草ひとつにも、大都市の貫禄のようなものを感じる。

 

 分厚い石で組まれた巨大な門をくぐり抜けた瞬間、街の喧騒が全身を包んだ。

 石畳の道。道の両脇にひしめくように建つ、石と木でできた三階建て、四階建ての建物。窓という窓から、祭の飾り布が垂れ下がっている。

 

 道は緩やかな下り坂になっていた。

 そして、その坂道の先、建物の切れ間の向こうに——それが見えた。

 

「……湖」

 

 街の南東側、低くなった土地に、巨大な銀色の円盤が嵌め込まれていた。

 アルバ湖だ。

 陽の光を浴びて、水面がきらきらと輝いている。その広大さは、まるで内海だ。父の話では、中央の最も深い場所は二百六十メートルを超すという。

 

 あの底に、神殿が眠っている。

 

 夢で見た光景が、不意に脳裏をよぎった。昏い水、沈む灯、巨大な神殿の影。

 現実の湖は、ただ静かに、美しく広がっているだけだ。だが俺には、あの輝く水面の奥に、別の顔が隠されているような気がしてならなかった。

 

 ——よし。

 

 小さく息を吐いて、俺は歩き出した。

 まずは宿を探し、それからギルドへ向かう。やるべきことは決まっている。

 

 街の中は、祭の準備で大わらわだった。

 大通りでは、職人たちが屋台を組み立てている。香辛料の匂い、焼いた肉の匂い、甘い菓子の匂いが風に乗って鼻をくすぐる。道の脇には、まだ火の入っていない灯籠が山と積まれていた。白い灯、黄色い灯、そして、数は少ないが、深い海の底のような色をした青い灯も見える。

 

 宿は、すぐに見つかった。

 だが、問題はその値段だった。

 

「祭の間は特別料金でね。相部屋のベッドひとつで、一泊銀貨一枚と銅貨二十枚だよ」

 

 宿の主人は、申し訳なさそうに、しかしきっぱりとそう言った。

 銀貨一枚と銅貨二十枚。

 アスタリオン村なら、家族三人が一週間は暮らせる金額だ。

 

 母さんが旅立ちのときに持たせてくれた路銀は、銀貨二十枚。それに、村の幼馴染がなけなしの金をはたいてくれた銅貨が数十枚。

 この宿に泊まれば、十日もすれば無一文だ。

 

「……わかった。少し、考える」

 

 礼を言って、俺は宿を出た。

 いくつかの宿を回ってみたが、どこも似たようなものだった。一番安い木賃宿ですら、銀貨一枚を要求される。祭の間のエルデンブルクは、駆け出しの冒険者には厳しい街らしい。

 

 腹が、ぐぅ、と鳴った。

 懐と相談して、屋台で買った黒パンと干し肉をかじりながら、俺は冒険者ギルドの本部へと向かった。

 こうなったら、一刻も早く仕事を見つけるしかない。

 

 

 

 エルデンブルクの冒険者ギルド本部は、街の中央広場に面して建っていた。

 辺境伯の城にも引けを取らない、巨大な石造りの建物だ。入口の扉には、剣と杖を交差させたギルドの紋章が彫り込まれている。

 

 中へ入ると、むっとするような熱気が顔を撫でた。

 酒の匂い、汗の匂い、なめした革と鉄の匂い。併設された酒場では、屈強な冒険者たちが昼間から酒を酌み交わし、大声で笑っている。その誰もが、俺よりもずっと経験を積んでいるように見えた。

 

 訓練課で教わった階梯の話を、ふと思い出す。

 冒険者の階梯は、第一から第五までの五段階。第一階梯が俺のような駆け出し。第二階梯が中堅手前、第三階梯が中級、第四階梯が上級。そして第五階梯ともなれば、王国の英雄と謳われる存在だ。

 俺は第一階梯の、訓練課程を終えたばかりの新米。ここで酒を酌み交わしている連中は、皆もっと上にいる。同じ冒険者でも、立っている場所がまるで違うのだ。

 

 少しだけ気圧されながらも、俺は奥にある依頼票の貼り付け板へと向かった。

 コルクが張られた巨大な板に、羊皮紙の依頼書が隙間なく鋲で留められている。

 

「『坑道のゴブリン退治』、報酬は銅貨五十枚……パスだな」

「『街道警備の助っ人』、三日間拘束で銀貨二枚か。悪くないが……」

 

 薬草採集、害獣駆除、商人の護衛。

 第一階梯の冒険者が受けられる依頼は、どれも地味で報酬も安い。これでは宿代を稼ぐので精一杯だ。

 

 何か、もっと割のいい仕事はないか。

 焦りながら板を眺めていた俺の目に、ふと、一枚の依頼票が飛び込んできた。

 事務的な、飾り気のない文字でこう書かれている。

 

 

『依頼:湖灯祭管理水域・魔素異常調査』

 

 

 魔素の調査。魔法の素質が「中の上」と判定された俺にも、できなくはない仕事だ。

 だが、俺の目を引いたのは、仕事内容よりもその下に書かれた報酬額だった。

 

 

『成功報酬:金貨一枚』

 

 

 金貨、一枚。

 銀貨百枚分。平民の、数か月分の稼ぎに相当する額だ。

 第一階梯向けの依頼としては、完全に破格だ。危険手当が上乗せされているのだろう。ゴクリ、と喉が鳴った。これさえあれば、当面の宿代の心配はなくなる。

 

 俺は、吸い寄せられるようにその依頼票に手を伸ばした。

 その時だった。

 

「……興味があるの?」

 

 澄んだ、鈴を振るような声が、すぐ隣から聞こえた。

 はっとして横を見ると、そこに一人の少女が立っていた。

 

 俺と同じくらいの歳だろうか。

 背中まで届く長い銀髪を、緩い三つ編みにして左肩の前に流している。肌は、陽の光を知らないかのように白い。深い紺色のローブに身を包み、その瞳は、まるで薄い氷のように淡い色をしていた。

 鼻筋の通った、人形のように整った顔立ち。だが、その表情には一切の感情が浮かんでいない。

 ローブで分かりにくいが、起伏に富んだ体つきをしている。

 

 彼女もまた、俺が見ていた依頼票をじっと見つめていた。

 

「あ、いや……報酬がいいな、と」

 我ながら、間抜けな答えだった。

 少女は俺を一瞥したが、特に気にした様子もなく、再び依頼票に視線を戻した。

 

「金貨一枚。確かに、ただの魔素調査にしては高すぎるわね。何か裏があるはずよ」

「裏?」

「依頼票は、裏も確認するのが基本でしょう?」

 

 そう言って、彼女は慣れた手つきで鋲を抜き、依頼票を裏返した。

 裏面には、手書きの簡易な地図と、いくつかの注意書きが記されている。

 

「……これは、湖岸の地下水路の図面ね。祭の期間だけ解放される、管理用の通路。青灯が立てられている場所が、調査区域……」

 

 彼女は、そこに書かれた古い文字をすらすらと読み解いていく。

 学院で専門教育を受けた魔術師か、学者の卵だろうか。俺には、単語を拾うのがやっとだ。

 

「古い禁忌。『青灯の向きを変えるな』『青い灯の向こうを見るな』……ありきたりな警告ね。でも、この一文は興味深いわ」

 

 彼女が、白く細い指で示した場所。

 そこに、他の文字とは少し違う、より古い書体で一行が書き加えられていた。

 

「『青の道は、沈んだ神殿の“外郭礼拝区”へと通ず』……。なるほど。だから報酬が高いのね。これはただの調査じゃない。未踏遺跡に繋がる可能性がある、ということかしら」

 

 沈んだ神殿。

 その言葉に、心臓がどきりと跳ねた。

 俺は、彼女が指した文字の列を必死で目で追った。長文は読めない。だが、独学で覚えた知識の中に、見覚えのある形があった。

 

 水と、器と、蓋。

 三つの記号を組み合わせた、ひとつの単語。

 

「……『眠り』」

 

 ぽつりと、俺の口から言葉が漏れた。

 その瞬間、それまで無表情だった少女の氷色の瞳が、わずかに見開かれた。

 

「……あなた、今、何て?」

「え? いや、その……この文字、たぶん『眠り』とか、そういう意味の……」

 

 しどろもどろに答える俺を、彼女は信じられないものを見るような目で見つめていた。

 冷たい氷のようだった瞳に、初めて知的な好奇心の光が灯る。

 

「……あなた、古代文字が読めるの?」

「全部じゃない。単語を、いくつか……独学で」

「独学で、線文字シャナトを?」

 

 彼女はしばらく何かを考え込むように黙り込み、やがて、すっと俺に向き直った。

 そして、まるで取引を持ちかける商人みたいに、きっぱりと言った。

 

「あなた、名前は?」

「アリウス。アリウス・アスタリオン」

「私はリエル。リエル・エル・クルーシェルよ」

 

 リエルと名乗った少女は、俺の藍色の瞳をまっすぐに見据えた。

 

「アリウス。この依頼、どうせ一人で受けるつもりだったのでしょう? もしよかったら、現地調査だけでも組まないかしら。もちろん、報酬は折半で」

 

 金貨一枚の、半分。銀貨五十枚。

 それでも、今の俺には喉から手が出るほど欲しい大金だ。

 それに何より——。

 

 沈んだ神殿。

 『眠り』という、謎の言葉。

 

 あの夢と、何か関係があるのだろうか。

 確かめたい。自分の目で、この依頼の先にあるものを見てみたい。

 

 路銀の心配と、未知への好奇心。

 二つの感情が胸の中で渦を巻き、俺はすぐには答えを返せずにいた。




線文字シャナト:第一文明の時代の文字。この地域には今の文明を含めて、合計六つもの文明が存在していた。
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。