沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

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第02話 銀髪の少女は、過去を読む

 俺はしばらく考えてから、ごくりと喉を鳴らした。

 路銀の心配は、確かにある。金貨一枚の報酬は、どうしたって魅力的だ。だが、それだけじゃない。この銀髪の少女——リエルが口にした「沈んだ神殿」という言葉が、心の奥で燻っていた何かに火をつけた。

 あの夢。水底の神殿。そして、依頼票に書かれていた『眠り』という言葉。

 偶然とは思えなかった。

 

「……わかった。現地確認だけ、という条件なら」

 俺がそう答えると、リエルはこくりと小さく頷いた。表情は変わらないが、氷色の瞳の奥に、わずかに安堵の色が浮かんだように見えた。

 

「話が早くて助かるわ。じゃあ、場所を変えましょう。ここでは目立ちすぎる」

 

 彼女は手際よく依頼票を元の場所に戻し、鋲を打ち込むと、俺を促して人混みを抜けていく。

 向かったのは、ギルドの隅にある酒場のテーブル席だった。周囲では、体格のいい冒険者たちが酒杯を片手に今日の獲物を自慢し合っている。その喧騒が、かえって俺たちの存在を掻き消してくれているようだった。

 

 席に着くと、リエルは腰のポーチから小さな羊皮紙の巻物と、インク瓶、羽根ペンを取り出した。どれも使い込まれているが、手入れは行き届いている。

 

「ギルドの依頼票は、原則として持ち出し禁止よ。だから、ここで内容をすべて書き写しておくのが確実なの」

 

 そう言って、彼女は再び貼り付け板へ向かい、例の依頼票を外して戻ってきた。

 羊皮紙を広げ、手慣れた様子でインクにペン先を浸す。さらさらと、淀みない動きで、彼女は依頼票の文面を写し始めた。その横顔は、まるで祈りを捧げる神官のように真剣だった。

 

 俺はただ、黙ってその手元を見つめていた。

 リエルの指先から、古い文字が紙の上に再現されていく。それは、俺が独学でかじったものとは比べ物にならないほど、流麗で正確な筆致だった。

 

「……裏面の警告文は、やはり気になるわね」

 表面を書き写し終えたリエルが、ぽつりと呟いた。

「『青灯の向きを変えるな』『青い灯の向こうを見るな』。これはアルバ=レイク地方の子供なら誰でも聞かされる古い禁忌。でも、問題はここ」

 

 彼女はペン先で、書き写した地図の一文を指し示した。

 『青の道は、沈んだ神殿の“外郭礼拝区”へと通ず』。

 

「“外郭礼拝区”というのは、おそらく神殿本体に入る前の参道や、巡礼者が儀式を行った場所のことだと思うわ。本体ではない。けれど、それでも第一文明期の遺跡であることは間違いない。普通なら、王国騎士団や学術院が管理するはずのものよ。それを、なぜ一介の冒険者に?」

 

「危険だから、じゃないのか?」

「ええ。でも、その危険の種類が問題なの」

 

 リエルは書き写した図面を指でなぞった。湖岸から地下へ延びる、細い水路。その所々に、青い灯を示す印が付けられている。

 

「この水路、祭の時にだけ使われる管理用通路ね。青灯は、立入禁止区域を示すためのもの。でも、この警告文の書体は、通路が作られた時代よりずっと古い。まるで、元々そこにあった何かに、後から通路を繋げたみたいだわ」

 

 彼女の言葉は、淡々としていながら、確かな熱を帯びていた。

 ただの金稼ぎでこの依頼を見ているのではない。彼女は、この依頼の奥にある「謎」そのものに惹かれているのだ。

 

 俺の目が、彼女がなぞった図面の隅、小さな注釈に吸い寄せられた。

 古い文字の羅列。長文は読めない。だが、その中に、見覚えのある形があった。

 三つの線が渦を巻くような記号と、器を示す記号。二つ合わせて、ひとつの意味になる。

 

「……『湖の心』」

 

 俺の口から、またしても言葉が滑り落ちた。

 リエルの羽根ペンが、ぴたりと止まる。彼女の視線が、俺の顔に突き刺さった。

 氷色の瞳が、先ほどよりもさらに大きく見開かれている。

 

「……今、なんて言ったの?」

「あ……いや、その文字。『湖の中心』とか、そういう意味じゃないかと思って」

 

 俺が指さした場所を、彼女は食い入るように見つめた。

 そこには、こんな意味の一節が書かれているらしかった。

 『青灯の灯りは、本来、湖の心へ向けるべし』。

 

 リエルは、しばらく無言だった。

 ただ、俺の顔と、俺が指した文字とを、何度も交互に見比べている。やがて、彼女は小さな、ほとんど吐息のような声で尋ねた。

 

「……どうして、読めるの? 線文字シャナトの複合語よ。学院でも、上級課程でようやく習うような……」

「……」

 

 俺は答えに窮し、無意識に左眉の傷を親指でなぞっていた。

 どう説明すればいいのか。父さんの元同僚だった冒険者の話か。俺が毎晩見る、水底の夢の話か。どちらも、今この場で信じてもらえるとは思えなかった。

 

 迷った末に、俺は背負っていたリュックを下ろし、中を探った。

 そして、一番奥にしまっていた、一冊の粗末な冊子を取り出した。

 

 継ぎ接ぎの羊皮紙を、麻のひもで綴じただけの、手作りのノートだ。

 表紙もなく、ただインクの染みが点々とついている。俺が村の冬の間に、少しずつ書きためてきたものだ。

 

「これ……」

 

 俺はそれを、テーブルの上に置いた。

 リエルは、怪訝そうな顔でそれを見つめている。俺は意を決して、ページを開いた。

 中には、不揃いで子供のような文字が並んでいた。古代文字の単語と、その横に、俺たちの国の言葉で意味が書き添えられている。俺だけの、自作の辞典だった。

 

「父さんの昔の仲間で、遺跡巡りが好きな人がいたんだ。その人から、子供の頃に少しだけ……文字の形と意味を、焚き火の前で教えてもらった。これは、その時の記憶を頼りに、俺が自分でまとめたものだ」

 

 リエルは、黙ってそのノートを受け取った。

 白く細い指が、ごわごわしたページの上を滑る。だが、その目は文字の内容を精査しているようではなかった。

 不揃いな文字の形、インクのかすれ、何度も書き直した跡。そのひとつひとつを確かめるように、彼女の視線がゆっくりと動く。

 

「……これを、独学で?」

「ああ。村の冬は長いからな。少しずつだ。読めるところしか書いてないけど」

「なぜ、これを?」

 

 彼女の問いは、純粋な疑問だった。

 俺は少し迷ってから、正直に答えた。

 

「……読みたかったからだ。昔の人が、石に何を刻んで、何を遺そうとしたのか。それを、自分の目で確かめてみたかった」

 

 俺が冒険者になって理由——父の元仲間が見つけたという神殿を探している、とは言えなかった。あまりに個人的な夢だからだ。

 けれど、「読みたかった」という気持ちに嘘はなかった。

 

 その言葉を聞いた瞬間、リエルの雰囲気がわずかに変わった。

 彼女は俺のノートから顔を上げず、長い沈黙に落ちた。ただ、右手の指先が、テーブルに置かれた自分の杖の頭——氷色の魔石を、ゆっくりと撫で始めた。それは、彼女が何か深い考えに沈む時の癖のようだった。

 

 ようやく顔を上げた彼女の瞳には、先ほどまでの好奇心とは違う、もっと静かで、深い光が宿っていた。

 

「……そう。あなたも、なのね」

 

 ぽつりと、彼女が呟いた。

 その声には、どこか共感するような響きがあった。

 

「俺よりもすごいのはリエルだよ。俺なんて単語を拾うのが精一杯なのに、すらすら読んでいく」

 俺が素直な感心を口にすると、彼女は少しだけ視線を逸らした。

「学院で、何年もかけて学んだから。……それに、家の事情もあるから」

 

 家の事情。

 その言葉に、彼女の背負う何かの重さを垣間見た気がした。深くは聞けない。俺たちは、まだ出会ったばかりなのだ。

 

「……よし」

 リエルは書き写しを終えた羊皮紙を丁寧に折りたたみ、ポーチにしまった。

「これで準備はできたわ。依頼を受けるのなら、二人で受付に行く必要がある。どうする?」

 

「もちろん、行く」

 俺は即答した。

「現地確認だけ。危険だと判断したら、すぐに引き返す。その条件で、改めてよろしく頼む」

 

 俺が右手を差し出すと、リエルは少し戸惑ったようにそれを見て、やがて、そっと自分の手を重ねてきた。

 彼女の手は、見た目通りにひんやりと冷たかった。だが、同時に柔らかくて小さかった。そしてその握り返す力は、意外なほど強かった。

 

 これで、俺たちの仮のパーティーが成立した。

 報酬は金貨一枚を折半で、銀貨五十枚ずつ。それだけあれば、当分は宿にも困らない。

 

 俺たちは席を立ち、依頼を受理してもらうために、ギルドの中央にある受付カウンターへと向かった。

 高鳴る胸を抑えながら、冒険者としての第一歩を踏み出す。

 

 その、時だった。

 

 ガシャン、と。

 俺たちのすぐ目の前で、硬い金属がぶつかる音がした。

 

 はっとして顔を上げると、そこに一人の少女が立ちはだかっていた。

 俺と同じくらいの背丈。肩に届かないくらいで切りそろえられた金色の髪が、軽く外にはねている。前髪は少し斜めに流され、快活そうな印象を与えた。

 瞳は、黄金がかった澄んだ褐色——榛色だ。日に焼けた健康的な肌に、しっかりとした革のチョッキと胸鎧をつけ、膝上のスカートを身につけている。そして鎧の上からでもわかる豊かな胸をしていた。腰には片手剣、そして左腕には、麦穂の輪が彫られた円形の中型盾。

 背負った鳶色のコートが、彼女の動きに合わせて揺れている。

 

「ちょっと、君たち!」

 

 快活で、けれど有無を言わせない響きを持った声。

 彼女は俺とリエルの顔を交互に見比べ、やれやれとでも言うように肩をすくめた。

 

「貼り付け板の前から見てたけど、やっぱりその依頼、受けるつもりなんだね」

「……あんたは?」

 俺が警戒しながら尋ねると、彼女はにっと笑った。その瞬間、右の頬にだけ、小さな愛らしい笑窪ができた。

 

「君たち、その依頼の意味、本当に分かってる? 金貨一枚で釣り合う依頼じゃないよ、それ」

「……どういう意味かしら」

 隣で、リエルが冷たい声で問い返す。

 

 金髪の少女は、俺たちの緊張を意に介した様子もなく、自分の胸をどんと叩いた。

「私、第三階梯のセシル。セシル・リンド。盾使いだよ。湖辺の警備依頼は、去年と一昨年で二度ほど経験してる。だからわかるんだ。その手の依頼は、駆け出しが手を出しちゃいけないやつだって」

 

 第三階梯。俺よりも、二つも上の先輩冒険者だ。

 セシルと名乗った彼女は、俺たちの手から依頼票の写しをひょいと取り上げると、悪戯っぽく笑った。

 

「まあ、詳しい話はここじゃなんだし。まずはお茶でも飲みながら話そう? 大丈夫、私のおごりだから」

 そう言うと、彼女は俺たちの返事を待たずに、ぐいと腕を掴んできた。

「さ、こっちこっち!」

 

「ちょ、ちょっと待て!」

「放してちょうだい」

 

 俺とリエルが抗議するが、セシルさんはまったく聞く耳を持たない。見た目に似合わぬ力で、俺たちは酒場の別のテーブル席へと引きずられていく。

 

 このお節介な先輩は、一体何なんだ。

 これから俺たちの冒険はどうなってしまうのか。

 期待と不安が入り混じったまま、俺はなすすべもなく、金髪の背中についていくしかなかった。

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