沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

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第04話 湖灯祭の灯の謎

 翌朝、俺たちはギルドの一角にある談話室に集まっていた。

 昨夜の戦闘で負った軽い擦り傷が、まだ少しだけ痛む。リエルは神官に治癒術をかけてもらったようだが、消耗した魔素が完全には回復していないのか、少し顔色が悪い。セシルさんだけは普段と変わらず、テーブルに山盛りの焼き菓子を広げていた。

 

「さて、と。昨日の件、ギルドには報告しておいたよ。『管理水域で魔素暴走。駆け出し冒険者一人が負傷、民間人一名が魔素酔いのような症状で卒倒。臨時パーティーで対処し、被害拡大を阻止』ってね。子供がなんであんな風になったのかはわからないけど、症状としては古代狂いの症状に近いから、魔素酔いにしておいた」

 

 セシルさんは焼き菓子を一つ口に放り込みながら、事もなげに言った。

 第三階梯の彼女は、こうした報告書の書き方にも慣れているらしい。

 

「ありがとう、セシルさん。助かる」

「いーえ。で、これからどうする? 依頼はまだ継続中だよ。昨日のアレは、始まりに過ぎないかもしれない」

 

 彼女の榛色の瞳が、真剣な色を帯びる。

 そうだ。昨日の水の腕は、たまたま向きの狂った青灯が一つあっただけで引き起こされた。もし、街のあちこちで同じことが起きたら……。

 

「原因を突き止めないと、また同じことが起こるわ」

 リエルが、静かだが強い口調で言った。彼女はテーブルに一枚の地図を広げている。エルデンブルクの市街図だ。

「職人たちが青灯を配置するのは、祭管理所から渡された配置図に基づいているはず。まずは、その図面を確認すべきよ。なぜ、あの青灯は湖ではなく、岸を向いていたのか」

 

「なるほど。祭管理所か。あそこの役人、面倒なのが多いんだよなぁ……」

 セシルさんは少しだけ顔をしかめたが、すぐに気を取り直したように立ち上がった。

「よし、決まりだね! さっさと行って、話を聞いてこよう!」

 

 

 *

 

 

 エルデンブルクの祭管理所は、辺境伯の城館の一角に設けられていた。

 中に入ると、小太りの役人が面倒くさそうに俺たちを見上げた。セシルさんが前に出て、ギルドから派遣された調査員であること、昨日の南門下での一件について聞きに来たことを簡潔に告げる。

 

「ああ、あの騒ぎかね。聞いているよ。まったく、祭の最中に物騒なことだ。だが、あれは些細な事故だろう? 魔素が濃くなれば、ああいうこともある」

 役人は、俺たちの報告書にちらりと目を落としただけで、まるで興味がなさそうに言った。

 

「些細な事故、ですって?」

 セシルさんの声のトーンが、わずかに低くなる。

「子供が一人、意識を失ったんですよ。もう少し対応が遅れていれば、どうなっていたか」

「だから、君たち冒険者がいるんだろう? そのためのギルドだ」

 

 話にならない。

 この役人は、すべてを「よくあること」で片付けるつもりらしい。

 その時、隣にいたリエルが、すっと一歩前に出た。

 

「お話はわかりました。では、一点だけ確認させてください。祭で使われる灯籠の配置図を、拝見することは可能でしょうか。特に、青灯の位置が記されたものを」

「配置図? そんなものを君たちに見せて、どうするというのかね」

「今後の事故を防ぐためです。昨日の魔素暴走は、青灯の位置と向きが関係している可能性があります。もし配置に問題があるのなら、今のうちに修正しておくべきです」

 

 リエルの冷静で理路整然とした物言いに、役人は一瞬たじろいだ。

 やがて、彼は舌打ちを一つすると、奥の棚から大きな羊皮紙の巻物を引っ張り出してきた。

 

「公開用のものなら、これだ。好きに見るがいい」

 

 テーブルに広げられたのは、美しい彩色が施されたエルデンブルクの鳥瞰図だった。

 祭の見物客のために作られた、観光案内の地図なのだろう。灯籠の配置も、見栄えよく描かれている。

 

 リエルの指が、その図面の上を滑る。

 そして、南門下の広場を示した一点で、ぴたりと止まった。

 

「……やっぱり」

 彼女が、小さな声で呟いた。

「どうした、リエルちゃん?」

「見て、セシル。ここの青灯の位置。昨日、私たちが向きを変えたものよ。この図面では、湖に背を向けて、広場側を照らすように描かれているわ」

 

 リエルが指さした場所には、確かに青い灯の印があった。

 そして、その灯りから伸びる光の筋は、見物客が集まる広場や、旅絵師が背景に使うための飾り台の方を向いている。

 

「これ……わざとじゃないか」

 俺が言うと、役人は鼻を鳴らした。

 

「当たり前だろう。青い灯は、他の灯より珍しくて美しいからな。見物席からよく見えるように、少し角度を調整しただけだ。古い職人どもは『向きを変えるな』の一点張りでうるさいが、ただの迷信だろう。観光の目玉を、湖に向けてどうする」

 

 悪びれもせずに言い放つ役人に、俺は言葉を失った。

 この男は、何もわかっていない。古い禁忌を、ただの時代遅れの因習だと決めつけ、見栄えを優先して配置を変えてしまったのだ。

 

「……わかりました。ご協力、感謝します」

 リエルはそれ以上何も言わず、役人に深く頭を下げると、俺たちの袖を引いて管理所を出た。

 

「なんて奴らだ!」

 外に出るなり、セシルさんが憤慨したように声を上げた。

「人の安全より、見世物の飾り付けが大事だって言うの!?」

「ええ。でも、これで仮説がひとつ裏付けられたわ。青灯の異常は、事故ではなく、管理所が意図的に引き起こしたもの。問題は、他の場所でも同じことが行われているかどうかね」

 

 リエルの言葉に、俺は改めて鳥瞰図を思い出す。

 青灯の印は、南門下だけではなかった。街のあちこちに、全部で十数か所はあったはずだ。

 

「全部、確認して回るしかないか……」

「そうなるわね。でも、その前に少しだけ寄り道をしましょう」

 

 リエルはそう言うと、大聖堂区の方へと歩き出した。

 彼女の視線の先では、楽団の一座が陽気な音楽を奏でていた。祭を盛り上げるための、古い歌だ。

 

「ちょっと休憩でもするのかい?」

「いいえ。情報収集よ」

 

 楽団の周りには、多くの人が集まっていた。

 軽快なリュートの音色に合わせ、歌い手が朗々と歌い上げている。それは、湖の乙女と勇敢な騎士の恋物語を歌った、この地方で有名な祭歌だった。

 

『……白き灯は乙女の頬 黄金の灯は騎士の誓い

 青き灯は湖の瞳 二人の恋路を照らし出す……』

 

 人々が、楽しげに手拍子を打つ。

 俺もセシルさんも、しばしその美しい歌声に聞き入っていた。

 だが、リエルだけは、眉間にわずかな皺を寄せ、何かに集中するように耳を澄ませていた。

 

「どうしたんだ、リエル?」

「…やっぱり。たしかこういう歌が昔からこの祭りの時期に歌われていたな、って思っていたの」

 

 彼女はポーチから手帳を取り出し、何かを書き留め始めた。

 その時、歌の節が少しだけ変わった。ゆったりとした、古風な旋律。歌い手は、おそらく古い原詩の一部を、装飾として歌に交ぜているのだろう。

 

『……眠る灯(あかり)を 起こすことなかれ

 青き標(しるべ)は 湖の心へ向けよ……』

 

 その一節を聞いた瞬間、俺の心臓がどきりと跳ねた。

 『眠る灯』。

 依頼票の裏にあった、あの言葉だ。

 そして、『湖の心へ向けよ』。これも、注釈にあった警告文と同じ意味だ。

 

「……間違いないわ」

 リエルが、確信に満ちた声で呟いた。

「祭歌の原型は、恋物語なんかじゃない。湖にまつわる、古い禁忌を伝えるためのものだったのよ」

 

 俺は、湖の方角を振り返った。

 きらきらと輝く、穏やかな水面。だが、その底には、俺たちの知らない何かが眠っている。

 その眠りを妨げないために、人々は歌で、そして青灯で、警告を伝えてきたのではないか。

 

 ふと、遠くから声が聞こえた気がした。

 俺の名前を呼ぶ、誰かの声。

 違う。俺じゃない。もっと古い、知らない名前。

 水に滲んだような、不明瞭な音。夢で聞いたものと、よく似ていた。

 

「アリウス君? どうしたの、顔色が悪いよ」

 セシルさんに肩を揺すられ、俺ははっと我に返った。

「あ、いや……なんでもない」

 

 気のせいか。

 だが、胸のざわめきは消えなかった。

 

 

 *

 

 

 楽団の前を離れた俺たちは、最後の証拠を求めて、再び南門下の灯籠置き場へと向かった。

 昨日騒ぎがあった場所だ。すでに何事もなかったかのように、職人たちが作業を再開している。

 

「あの、すみません。少しお話を伺いたいのですが」

 セシルさんが、一番年嵩に見える、頑固そうな顔つきの老職人に声をかけた。

 

「ん? あんたらか、昨日の冒険者は。何の用だ」

「青灯のことです。あの灯籠の向きについて、何かご存じありませんか? 昔からの決まりごととか、言い伝えとか」

 

 その言葉に、老職人は顔をしかめ、吐き捨てるように言った。

「決まりもクソもあるか。俺たちは、先祖代々、青灯の窓は湖の中心に向けるもんだと教わってきた。理由は知らん。だが、そうしなけりゃならねえと、親父にも、爺さんにも言われてきたんだ」

 

 やはり、そうか。

 職人たちの間では、青灯の向きは絶対の決まりとして受け継がれてきたのだ。

 

「だがな」と、老職人は続けた。

「近頃の管理所の若い役人どもは、そんな話に耳も貸さねえ。『見栄えが悪い』だの『観光客に灯りを見せろ』だの、勝手なことばかり言いやがる。これは、その連中が作った新しい配置図だ。見てみろ」

 

 彼が懐から取り出したのは、使い古されて端が擦り切れた、一枚の羊皮紙だった。

 それは、管理所で見た華やかな鳥瞰図とは似ても似つかない、実用一点張りの図面だった。インクの染みと、油の匂いが染みついている。

 

 リエルが、息を呑むのがわかった。

 その図面には、すべての青灯の位置と、その灯りが向かうべき方角が、一本の矢印でくっきりと示されていた。

 そして、その矢印は、例外なくすべて——湖の中心、アルバ湖の最深部を指していた。

 

「これが、職人たちに伝わる、本当の配置図……」

「ああ。だが、今年は祭管理所から新しい図面が来てな。それに従え、とさ。馬鹿馬鹿しい」

 

 老職人は、もう一度悪態をつくと、仕事に戻っていった。

 後に残された俺たちは、顔を見合わせた。

 これで、すべてのピースが繋がった。

 

 祭管理所は、観光客への見栄えを優先し、職人たちに伝わる古い決まりを破った。

 その結果、青灯の灯りは湖の心を鎮めるのではなく、人のいる岸辺や通路を照らし、魔素を乱し、昨日のような事件を引き起こしたのだ。

 

「……一番危ないのは、どこだと思う?」

 俺が尋ねると、リエルは即座に答えた。

「観光用の地下区画よ。祭の余興で『迷宮走り』なんてものをやっている場所。あの通路は、古い導水路を改造して作られている。そして、職人さんの図面によれば、そこにも青灯が置かれているわ。もし、その灯りが地下通路の奥を照らしていたら……」

 

 リエルの言葉に、俺はごくりと喉を鳴らした。

 依頼票の裏にあった警告文が、脳裏をよぎる。

 『青の道は、沈んだ神殿の“外郭礼拝区”へと通ず』。

 

「迷宮走り……。あそこは子供も参加する、ただの遊び場のはずじゃ」

 セシルさんが、信じられないという顔で言う。

 

「表向きは、ね。でも、その遊び場のすぐそばに、本物の遺跡への入り口が眠っているとしたら?」

 リエルの氷色の瞳が、俺たちを射抜いた。

「確認するしかないわ。中に入って、この目で」

 

 南門下の広場の一角が、ひときわ大きな歓声に包まれている。

 『迷宮走り』の受付だ。

 子供たちが、親に手を引かれて列を作っている。若い冒険者たちが、腕試しだと息巻いている。その誰もが、これから始まる冒険ごっこに胸を躍らせていた。

 

 その、地下へと続く入口のすぐ脇に、一台の青灯籠がぽつんと置かれていた。

 深い海の底の色をした、静かな光。

 その灯りは、湖ではない。

 人々がこれから入っていく、昏い迷宮の入り口を、煌々と照らし出していた。

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