沈黙する神々の都を、俺たちは歩く   作:玉露33333

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第05話 迷宮走り

 南門下の広場は、祭本番さながらの熱気に満ちていた。

 その一角に設けられた『迷宮走り』の受付には、黒山の人だかりができている。参加費の銅貨を握りしめた子供たち。腕試しに挑む若い冒険者。賭け札を片手にやじを飛ばす大人たち。誰もが、これから始まるささやかな冒険に胸を躍らせていた。

 

 そして、その地下迷宮へと続く階段の入り口に、例の青灯籠は置かれていた。

 深い海の底のような色の光が、本来向かうべき湖に背を向け、昏い地下への入り口を煌々と照らし出している。まるで、禁じられた道へと人々を誘うかのように。

 

「……ひどいものね」

 リエルが、吐き捨てるように言った。その氷色の瞳には、隠しようのない軽蔑の色が浮かんでいる。

「古い禁忌を、ただの客寄せの道具に使うなんて」

「笑えない冗談だよ、まったく」

 セシルも、呆れたように肩をすくめた。

「でも、こうなったらやることは一つだね。あの中に、私たちが入って確かめるしかない」

 

 三人の意見は、一致していた。

 俺たちは人波をかき分け、受付の列に並んだ。

 

「参加理由は、まあ、適当に言っておこうか」

 セシルが悪戯っぽく笑う。

「私は『危なっかしい後輩の見張り役』、リエルちゃんは『古代の導水路の構造に学術的興味があるから』。で、アリウス君は?」

「俺は……」

 言葉に詰まる。

 もちろん、危険を止めるためだ。それが一番の理由のはずだ。

 だが、否定できない。あの昏い地下への入り口を見ていると、胸の奥がざわめくのを。未知の遺跡へ足を踏み入れる、あの独特の高揚感が、血を駆け巡るのを。

「……止めるためだ。何か起きる前に」

 俺は、自分に言い聞かせるように、そう答えた。

 リエルが、そんな俺の顔をじっと見ていたが、何も言わなかった。彼女には、俺の心の裡が見透かされているのかもしれない。

 

 やがて俺たちの番が来て、参加費の銅貨を支払い、木製の参加証を受け取る。

 係員が、大きな声でルールを説明していた。

「さあ、皆さん! ルールは簡単! この迷宮の中に隠された、白い印のついた石板を三つ見つけて、地上に戻ってくるだけ! 一番乗りのチームには、辺境伯様から豪華賞品が贈られまーす!」

 わっ、と歓声が上がる。

「迷宮内には、道案内の灯りが置いてあります! 白い灯は安全な道! 黄色い灯の先は、係員が同行する特別エリア! そして、青い灯の先は……立入禁止! 見つけても、絶対に入らないように! 見つけた時点で失格ですよー!」

 

 その言葉に、俺たちは顔を見合わせた。

 青灯の先が、立入禁止。

 だが、その先にこそ、この迷宮の本当の顔が隠されているのだ。

 

 開始の合図とともに、参加者たちが一斉に地下へと続く石段を駆け下りていく。

 俺たちも、その流れに乗って、昏い迷宮の中へと足を踏み入れた。

 

 地下通路は、思ったよりも明るかった。

 壁には、祭のために設置されたのであろう白い灯が、等間隔に並べられている。石畳の床は掃き清められ、乾いた空気が流れていた。

 古い導水路を改造したというだけあって、壁の一部には水が流れた跡や、苔むした石材が見える。だが、全体としてはよく整備された、安全な観光施設という印象だ。

 

「なんだ、案外たいしたことないじゃない」

 セシルが、少し拍子抜けしたように言った。

「これなら、ただの散歩だね」

「油断は禁物よ。今はまだ入り口に近いから、整備されているだけかもしれないわ」

 リエルは警戒を解かず、壁の石材を指でなぞりながら、その継ぎ目や様式を注意深く観察している。

 

 俺はといえば、壁に刻まれたかすかな紋様に心を奪われていた。

 ほとんど風化してしまっているが、ところどころに、古い時代のものと思われる幾何学模様が残っている。その一つが、父のノートにあった意匠とよく似ていた。

 危険を調査しに来たはずなのに、心が躍るのを止められない。これだから、古代狂いは始末に負えないと、父の元同僚は笑っていた。

 

 しばらく進むと、道が二手に分かれていた。

 片方には白い灯、もう片方には黄色い灯が置かれている。

「白い印は、だいたい黄灯の先にあることが多いんだってさ。ちょっと難しいルートになってるらしいよ」

 セシルの言葉に従い、俺たちは黄色い灯が示す方へと進んだ。

 

 そこから先は、急に道の様子が変わった。

 整備された石畳はなくなり、ごつごつとした岩肌が剥き出しの、自然の洞窟に近い通路になる。足元には浅い水たまりができていて、天井からはぽた、ぽたと水滴が落ちてきていた。

 遠くで聞こえていた地上の喧騒は、もうほとんど聞こえない。代わりに、自分たちの足音と、水の滴る音だけが、不気味に反響していた。

 

「……おかしいわ」

 不意に、リエルが立ち止まった。

「この壁の石材……第四文明期のものじゃない。もっと古い。第二文明……ううん、ひょっとすると第一文明期のものまで混じっている。ただの導水路を整備しただけにしては、古すぎるわ」

「どういうことだ?」

「元々ここにあった、もっと古い遺跡の通路を、後の時代の人々が導水路として再利用した……と考えるのが自然よ。そして、祭の主催者は、その事実を知らずに観光区画として解放してしまった」

 

 彼女の言葉は、背筋に冷たいものを走らせた。

 遊び場だと思っていたこの場所は、眠れる竜の背の上で踊っているようなものなのかもしれない。

 

 その時、前方から子供たちのはしゃぐ声が聞こえてきた。

 角を曲がると、五、六人の子供たちが集まって、壁の一点を指さしている。どうやら、別の参加チームらしい。

 

「あ、あった! 白い印だ!」

「やったー! これで二つ目だね!」

 子供たちが見つけたのは、壁の窪みに置かれた、白い塗料で印がつけられた石板だった。

 だが、その場所はどこか不自然だった。本来なら、通路の脇に分かりやすく置かれているはずだ。それなのに、その石板は、まるで誰かが悪戯で動かしたかのように、黄色い灯が示す区域からわずかに外れた、薄暗い横穴の入り口に置かれていた。

 

「ねえ、あっちにも何かあるかも!」

「行ってみようよ!」

 子供たちの一人が、石板を拾い上げると、興味本位でその横穴の奥へと進もうとする。

 

「待って!」

 セシルが鋭い声を上げたのと、異変が起きたのは、ほぼ同時だった。

 

 ふ、と。

 通路の奥、青灯が置かれているはずの方向から、空気が揺れた。

 地下の淀んだ空気が、まるで意思を持ったかのように逆流してくる。足元の水たまりの水が、重力に逆らうようにじわじわと坂を上り始めた。

 

 そして、リエルが指摘した古い壁の石材が、一斉に淡い光を放ち始めた。

 風化した幾何学模様、かすかに残っていた線文字シャナトの断片が、青白い燐光を帯びて闇の中に浮かび上がる。

 

「きゃっ!」

 子供たちが、怯えたように悲鳴を上げた。

 

 ざばっ、と。

 通路の奥から、大量の水が壁のように押し寄せてきた。

 だが、それはただの水ではなかった。水と、泥と、そして壁から剥がれ落ちた無数の石片が混じり合い、みるみるうちに一つの形を成していく。

 二本の腕、太い胴体、そして頭があるべき場所には、ただ虚ろな穴が空いている。

 身長三メートルはあろうかという、人型の怪物がそこにいた。神殿の、下位の守護者だ。

 

「子供たちを下がらせて!」

 俺は叫びながら、剣を抜いた。

「セシルさん、前を!」

「言われなくても!」

 

 セシルは、恐怖で立ちすくむ子供たちの前に立ちはだかり、円形の盾を構えた。

「みんな、私の後ろに隠れて! 大丈夫、お姉さんが守るから!」

 その背中は、普段の快活さからは想像もつかないほど、頼もしく見えた。

 

 守護者が、石と水の腕を振り上げる。

 俺は風の魔術で加速し、その側面へと回り込んだ。

 

「リエル、原因は!?」

「おそらく、この先の青灯よ! あの光が、この区画の古い機構を呼び覚ましてしまったんだわ!」

 後方から、リエルの冷静な声が飛んでくる。彼女は杖を構え、すでに戦況の分析を終えている。

「あの守護者を止めつつ、誰かが青灯の向きを戻さないと!」

 

 だが、それは不可能に近かった。

 守護者は、青灯へと続く通路を塞ぐように立ちはだかっている。そして、逆流してくる水が、足元をすくおうと絶えず渦を巻いていた。

 

 守護者の腕が、セシル目掛けて振り下ろされる。

 ごう、と風を切る音。

 俺は剣に雷を纏わせ、その腕に斬りかかった。

「雷纏!」

 青白い閃光が走り、石の腕の表面が砕け散る。だが、守護者は意にも介さず、すぐに周囲の石片を取り込んで腕を再生させてしまった。

 

 その一瞬の隙に、セシルが衝撃を盾で受け流す。

 ずしん、と地響きがして、彼女の足元がわずかに沈む。だが、彼女は歯を食いしばり、一歩も引かなかった。

 

「アリウス君、足止めお願い! リエルちゃん、何か手は!?」

「時間を稼いで! 今、水の流れを読むわ!」

 リエルは目を閉じ、杖の先に魔力を集中させている。知覚系の魔術だ。彼女の銀髪が、魔素の流れに呼応するようにふわりと舞った。

「……見えた! 逆流の中心は、あの守護者の足元! あそこを一瞬でも止められれば、水が引く!」

 

 彼女は目を開くと、杖を地面に突き立てた。

 短く、しかし鋭い詠唱。

「氷壁!」

 

 守護者の足元に、瞬時に分厚い氷の壁が出現した。

 それは守護者を押し留めるためのものではない。逆流してくる水の勢いを、せき止めるための堰だ。

 ごぼごぼ、と水が氷壁にぶつかり、流れが乱れる。

 守護者の動きが、ほんのわずかに鈍った。

 

「今よ! 係員さん、走って!」

 リエルが叫んだ先には、騒ぎを聞きつけて駆けつけたのであろう、祭の係員の男性が蒼白な顔で立ち尽くしていた。

「あ、あそこの青灯の向きを、湖の方へ! 早く!」

 

 係員は一瞬ためらったが、リエルの気迫に押されるように、頷いた。

 彼が走り出す。

 守護者がそれに気づき、再生した腕を伸ばそうとする。

 

「させるか!」

 俺は渾身の力で地を蹴り、守護者の懐に飛び込んだ。

 狙うは、再生しきっていない胴体。

 剣を突き立てるが、硬い石の感触に阻まれる。だが、それでいい。一瞬、注意を引ければ。

 

 セシルが、その隙を見逃さなかった。

 彼女は盾を構えたまま突進し、守護者の足に強烈な体当たりを叩き込む。

「あんたの相手は、こっちだよ!」

 

 守護者の巨体が、ぐらりとよろめいた。

 そのわずかな時間で、係員の男性が青灯籠のもとへたどり着く。

 彼は震える手で、灯りのともる火窓を掴み、力任せに回転させた。

 

 ぎりりり、と金属が軋む音。

 青い光の筋が、地下通路の奥を照らすのをやめ、本来あるべき方角——湖の中心があるであろう、地上の、見えないどこかへと向けられた。

 

 その、瞬間。

 

 あれほど猛威を振るっていた守護者の動きが、ぴたりと、止まった。

 全身を覆っていた青白い燐光が、すうっと消えていく。

 形を保っていた水と石片が、その結束を失い、がらん、と音を立てて崩れ落ちた。

 逆流していた水も、まるで何事もなかったかのように、静かに元の流れへと戻っていく。

 

 後に残されたのは、ただの石くれの山と、呆然と立ち尽くす人々だけだった。

「……終わった、のか」

 俺は剣を杖代わりにして、荒い息をついた。

 子供たちが、わっと泣き出す。セシルが、優しくその背中を撫でてやっていた。

 

「……すごい、今の、祭の演出だったの?」

「怖かったけど、かっこよかった……」

 何人かの参加者が、そんなことを呟いている。係員が、必死の形相で「そ、そうです! 湖灯祭の特別演出です!」とごまかしていた。

 

 俺たちは、何も言わなかった。

 ただ、静まり返った通路の奥を、じっと見つめる。

 青灯が、もう照らしてはいないその先。

 そこには、普通の観光区画にはありえない、巨大な石の扉が、固く閉ざされていた。

 表面には、風化した線文字シャナトがびっしりと刻まれている。

 

 その扉の奥から、声が聞こえた。

 俺にだけ聞こえる、水に滲んだような、誰かの声。

 名前を、呼ばれている。

 知らない、けれど、どこか懐かしい響きを持った名前を。

 

 ——。

 

 扉の隙間から、白い光が一瞬だけ、漏れた気がした。

 まるで、表情のない、陶器の仮面のような光が、こちらを覗いている。

 俺は、吸い寄せられるように、一歩、踏み出そうとしていた。

 

「アリウス」

 リエルの、静かな声が俺を呼び止めた。

 見ると、彼女もまた、あの扉を食い入るように見つめていた。その氷色の瞳は、恐怖ではなく、純粋な知的好奇心にきらめいている。彼女も、あの扉の向こうへ行きたいのだ。

 

「……だめだよ、二人とも」

 不意に、俺の肩を、力強い手が掴んだ。

 セシルだった。

 彼女は、俺とリエルの間に割って入るように立ち、やれやれと首を振った。

「今日のところは、ここまで。これ以上は、本当に戻れなくなる」

 

 彼女の榛色の瞳が、今はただの遊びではないと、はっきりと告げていた。

 俺は、まだ胸の奥で響いている呼び声に抗いながら、こくりと頷くしかなかった。

 

 迷宮走りは、余興では済まなかった。

 俺たちは、この祭の、そしてこの土地の、本当の顔に触れてしまったのだ。

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