石の世界に祝福を   作:stein0630

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第20話 石の麻酔

 

 

 スタンリーは、追ってきた。

 

 迷わない。

 

 ためらわない。

 

 交渉しない。

 

 ただ、撃つ。

 

 ペルセウスは南へ向かっていた。

 

 新大陸のコーンを最低限確保し、ゼノを捕虜にし、ボンドルドという危険物を積んだまま、南米へ向かう。

 

 目的地は、最初の石化光線の発生源。

 

 そこへ行けば、石化装置の謎に近づく。

 

 そこへ行けば、月へ届くための手がかりもある。

 

 そして、そこへ行く前にスタンリーに捕まれば終わる。

 

   *

 

 銃声は、朝食前に来た。

 

 甲板の手すりが弾けた。

 

 続いて、帆柱の金具が砕ける。

 

「伏せろ!」

 

 コハクの声とほぼ同時に、三発目が飛ぶ。

 

 狙いは人ではない。

 

 帆。

 

 索具。

 

 舵。

 

 船を止めに来ている。

 

 龍水が歯を剥いた。

 

「船を殺しに来たか!」

 

 千空は甲板に伏せながら叫ぶ。

 

「スタンリーはこっちを沈めねえ! ゼノがいる限りな!」

 

 ゼノは拘束されたまま、冷静に言った。

 

「スタンリーは沈めずに止める。だが、必要なら何人か撃つ」

 

「テメーの部下だろ。止めろ」

 

「止められるなら捕まっていない」

 

 ゲンが顔を引きつらせる。

 

「この会話、緊急時にするやつじゃないよね」

 

 その時、船底の保管室から通信管を通じて声がした。

 

「千空さん」

 

「今度は何だ、劇薬」

 

「帆を諦めるべきです」

 

 千空の目が細くなる。

 

「理由」

 

「スタンリーさんは帆を順に潰しています。こちらが補修に人員を割けば、次に撃たれるのは補修者です。帆走維持ではなく、偽装停止へ切り替えるべきです」

 

 龍水が即座に反応した。

 

「死んだふりか!」

 

「はい。船を一時的に操舵不能に見せる。その間に小舟を降ろし、ゼノさんを移送したように偽装する」

 

 ゼノが目を細める。

 

「私を餌にする気か」

 

「はい」

 

 ボンドルドはためらわない。

 

「あなたはスタンリーさんの最重要対象です。あなたの位置が曖昧になれば、彼の射撃判断は鈍る」

 

「私の命を盾に?」

 

「正確には、あなたを失いたくないというスタンリーさんの判断を利用します」

 

 ゼノは冷たく言った。

 

「君は、本当に不快だ」

 

「ありがとうございます」

 

「褒めていない」

 

「存じています」

 

 千空は舌打ちした。

 

「採用だ。龍水、帆を落とせ。クロム、煙。ゲン、ゼノ移送偽装。大樹、石像運搬用の布を持ってこい」

 

「石像じゃねえぞ、ゼノは!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「見た目だけだ!」

 

   *

 

 作戦は効いた。

 

 帆が落ち、煙が上がる。

 

 甲板に人影が倒れる。

 

 小舟が一艘、海へ滑り出す。

 

 そこにゼノを包んだような布の塊が乗っている。

 

 スタンリーの銃声が止まった。

 

 数秒。

 

 それだけで十分だった。

 

 本物のゼノは船底に残され、ペルセウスは煙の陰で進路を変える。

 

 龍水が舵を切る。

 

「今だ! 風を捨てて潮を取る!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「帆なしで進むのかよ!」

 

「進むんだよ。船は帆だけで動くんじゃねえ!」

 

 千空は船体の揺れを見ていた。

 

 スタンリーは撃たない。

 

 撃てない。

 

 ゼノを失う可能性がある。

 

「クク……効いたな」

 

 通信管の向こうで、ボンドルドが言った。

 

「スタンリーさんは優秀です。だからこそ、優先順位に縛られる」

 

「テメーは縛られねえのか」

 

「私は、優先順位を変更します」

 

「だから最悪なんだよ」

 

   *

 

 だが、スタンリーは甘くなかった。

 

 偽装に気づくのが早すぎた。

 

 夕方、再び銃声。

 

 今度は、甲板の上ではない。

 

 船底に近い位置。

 

 保管室の壁を貫いた。

 

 ボンドルドの部屋だ。

 

 クロムが叫ぶ。

 

「またあいつ狙いか!」

 

 大樹が扉へ走る。

 

 千空も続く。

 

 保管室の中で、ボンドルドは椅子に固定されたまま、胸を撃たれていた。

 

 血が床へ落ちている。

 

 弾は肋骨をかすめ、肩甲の下を通っている。

 

 即死ではない。

 

 だが、放置すれば危険だ。

 

 律が駆け込む。

 

「すぐ止血を!」

 

 ボンドルドは、血を見下ろしていた。

 

「興味深い」

 

「黙ってください!」

 

 律が怒鳴る。

 

「撃たれてるんですよ!」

 

「はい。ですが、良い位置です」

 

「良い位置!?」

 

 千空の顔が険しくなる。

 

「何を考えてる」

 

「局所石化痕の反応です」

 

 全員が止まった。

 

 ボンドルドは続ける。

 

「私の身体には、石化と解除を繰り返した部位があります。特にこの胸部は、部分解除、再石化、復活液の微量反応を複数回受けている。通常組織と反応性が異なる可能性がある」

 

 律の顔色が変わる。

 

「まさか、今それを調べる気ですか」

 

「もう調べています」

 

 ボンドルドは、拘束された右手の指先をわずかに動かした。

 

 そこに、血と混じった薄い液体があった。

 

 復活液ではない。

 

 前処理液。

 

 霧状復活包帯で使っていた、反応を緩めるための調整液。

 

 千空の目が冷える。

 

「いつ仕込んだ」

 

「治療布に」

 

 フランソワの顔が強張った。

 

 律が息を呑む。

 

 ボンドルドは、処置用の布に、あらかじめ微量の試薬を仕込んでいた。

 

 自分が撃たれた時のために。

 

 いや。

 

 撃たれる可能性を利用するために。

 

「ふざけるな」

 

 大樹の声が低い。

 

「自分の怪我まで実験にするのか」

 

「はい」

 

「命がかかってるんだぞ!」

 

「だから価値がある」

 

 その瞬間、大樹が本気で殴りかかりそうになった。

 

 千空が止めた。

 

「大樹。後だ」

 

「でも!」

 

「今は止血だ」

 

 律は歯を食いしばり、傷口を見る。

 

 だが、そこで手が止まった。

 

 血が止まり始めていた。

 

 圧迫していないのに。

 

 傷口の周囲が、わずかに灰色がかっている。

 

 石化ではない。

 

 完全な石ではない。

 

 薄い膜。

 

 傷口を塞ぐように、硬化した組織が形成されている。

 

 律の声が震えた。

 

「何……これ……」

 

 千空が傷口を覗く。

 

「石化残滓の局所硬化か」

 

 ボンドルドは、静かに言った。

 

「仮称、石膜止血」

 

 クロムが叫ぶ。

 

「名前つけてんじゃねえ!」

 

「動脈性出血には不十分でしょう。しかし、浅い銃創、裂傷、火傷面の一時封鎖には使える可能性があります」

 

 律は、怒りと医療者としての理解の間で顔を歪めた。

 

「……確かに、止血材としては……」

 

「言わなくていい」

 

 大樹が言う。

 

「こんなやり方で見つけたものを、認めたくない」

 

 千空は静かに答えた。

 

「認める。使えるもんは使う」

 

 大樹が千空を見る。

 

「千空!」

 

「ただし」

 

 千空の声は冷たかった。

 

「こいつのやり方は認めねえ」

 

 彼はボンドルドの前にしゃがんだ。

 

「テメーは、撃たれる可能性まで読んで、治療布に仕込んだ」

 

「はい」

 

「誰かがその布を別の怪我人に使ってたら?」

 

「反応は弱い。致命的危険は低いと判断しました」

 

「判断したのはテメー一人だ」

 

「はい」

 

 千空は、手袋越しにボンドルドの顎を掴んだ。

 

「次に医療物資へ無断で触ったら、石化装置より先にテメーを封じる」

 

「承知しました」

 

「承知が軽いんだよ」

 

 ボンドルドは、ほんの少しだけ沈黙した。

 

「では、記録してください」

 

「何を」

 

「石膜止血は、千空さんの承認なしに人体使用禁止」

 

 クロムが叫んだ。

 

「自分で禁止事項作るな!」

 

「必要です」

 

 フランソワは無言で記録した。

 

 字が、いつもより硬かった。

 

   *

 

 ゼノは、その報告を聞いて表情を失った。

 

 板一枚隔てた隣室で、彼は言った。

 

「君は、狙撃を利用して自分の創傷反応を試したのか」

 

「はい」

 

「医療布に、無許可で試薬を仕込んで」

 

「はい」

 

「他者に使われる可能性がある状態で」

 

「低リスクと判断しました」

 

 ゼノは、深く息を吐いた。

 

「君は、なぜそこまで越える」

 

「越えた先に、救えるものがあるからです」

 

「違う」

 

 ゼノの声は冷たかった。

 

「君は救うために越えるのではない。越えるために救済を利用している」

 

 部屋の空気が止まった。

 

 クロムは思わず扉の前で固まった。

 

 千空も黙った。

 

 ボンドルドは、少しだけ沈黙した。

 

「興味深い指摘です」

 

「指摘ではない。嫌悪だ」

 

「それも記録します」

 

「するな」

 

 ゼノの声には、明確な拒絶があった。

 

「私は科学を支配のために使う。必要なら敵を撃つ。捕虜も取る。だが、医療を実験場に偽装する科学者を、私は信用しない」

 

 ボンドルドは答えた。

 

「信用は不要です」

 

「不要ではない」

 

 ゼノが言う。

 

「医療には信用が要る。科学者が信用を壊せば、治療は拷問と区別できなくなる」

 

 律が、その言葉に顔を上げた。

 

 ゼノは続けた。

 

「君は自分の発見で、未来の医療を汚した」

 

 ボンドルドは、初めてすぐには返さなかった。

 

 千空が静かに言う。

 

「聞いたか、劇薬」

 

「はい」

 

「ゼノにまで言われてんぞ」

 

「重く受け止めます」

 

「その言い方がもう軽いんだよ」

 

   *

 

 石膜止血。

 

 発見としては、大きかった。

 

 それは誰も否定できなかった。

 

 銃創、切創、火傷。

 

 現代医療設備がない状況で、傷口を一時的に塞げる可能性がある。

 

 ただし、石化経験部位でしか安定しない。

 

 反応条件も不明。

 

 感染リスクもある。

 

 硬化しすぎれば組織を壊す。

 

 解除できなければ後遺症が残る。

 

 危険な技術だった。

 

 だが、今の世界では、危険な技術ほど価値があった。

 

 千空は、記録板の一番上に書いた。

 

 石膜止血。

 

 発見者、ボンドルド。

 

 使用条件、緊急時のみ。

 

 本人同意必須。

 

 医療者判断必須。

 

 千空または律の承認必須。

 

 無断使用、重大違反。

 

 ゲンがその板を見て、ぽつりと言った。

 

「またボンドルドちゃんのせいで、世界がちょっと進んだね」

 

「最悪にな」

 

 千空が言う。

 

「新発見なのに、全然喜べない」

 

 クロムが呻く。

 

「俺、科学ってもっとワクワクだけだと思ってた」

 

 ゼノが隣室から言った。

 

「科学は、使う者の性質を増幅する」

 

 クロムは振り返る。

 

 ゼノは続けた。

 

「千空が使えば共有になる。私が使えば秩序になる。彼が使えば……」

 

「実験になる」

 

 律が言った。

 

 声は硬かった。

 

 ボンドルドは、その言葉を受けて静かに頷いた。

 

「はい」

 

 律の拳が震えた。

 

「認めないでください」

 

「事実です」

 

「あなたにとっては事実でも、私たちはそれを変えるために規則を作るんです」

 

 ボンドルドは律を見た。

 

「良い医療者ですね」

 

 律は、目を伏せた。

 

「あなたに褒められても、嬉しくありません」

 

「よく言われます」

 

 誰も笑わなかった。

 

   *

 

 夜、ペルセウスは南へ進んだ。

 

 スタンリーの追跡は続いている。

 

 ゼノは捕虜。

 

 ボンドルドは負傷。

 

 千空たちはコーンの一部を確保し、次の目的地、南米へ向かう。

 

 石化発生源。

 

 そこに何があるのか。

 

 誰も知らない。

 

 だが、ボンドルドは知りたがっている。

 

 ゼノも知りたがっている。

 

 千空も、もちろん知りたがっている。

 

 同じ未知を前にして、三人の科学者はまったく違う目をしていた。

 

 千空は、人類を戻すために見る。

 

 ゼノは、人類を導くために見る。

 

 ボンドルドは、人類がどこまで壊れても前へ進めるかを見る。

 

   *

 

 その夜、ゼノは板越しに言った。

 

「ボンドルド」

 

「はい」

 

「君の発見は、使われるだろう」

 

「はい」

 

「多くの命を救うかもしれない」

 

「はい」

 

「だが、それでも私は君を軽蔑する」

 

 沈黙。

 

 ボンドルドは、やがて穏やかに答えた。

 

「それは、非常に健全です」

 

「健全?」

 

「あなたが私を軽蔑しながら、発見を使うなら、技術と発見者を分離できます。文明にとって望ましい」

 

 ゼノは言葉を失った。

 

 ボンドルドは続けた。

 

「私を嫌ってください。その方が、この技術は安全に広がります」

 

 板の向こうで、ゼノが低く呟いた。

 

「君は……」

 

 そこから先が出てこなかった。

 

 千空なら罵倒した。

 

 コハクなら斬ろうとした。

 

 大樹なら怒鳴った。

 

 だが、ゼノは科学者だった。

 

 だからこそ、理解してしまった。

 

 ボンドルドは、自分への嫌悪すら技術普及の安全装置として利用しようとしている。

 

 人から嫌われることすら、実験系に組み込む。

 

 ゼノは初めて、心の底から言った。

 

「おぞましい」

 

 ボンドルドは、静かに答えた。

 

「ありがとうございます」

 

「褒めていない」

 

「存じています」

 

   *

 

 翌朝。

 

 ボンドルドの拘束札が増えた。

 

 クロムが書いた。

 

 嫌われても得をするので、嫌うだけでは足りない。

 

 ゲンが見て、腹を抱えて笑った。

 

「クロムちゃん、だいぶ本質ついてきたね」

 

 クロムは真顔だった。

 

「笑いごとじゃねえ。あいつ、嫌われても反省しねえんだよ。むしろ使うんだよ」

 

 千空はその札を見て、頷いた。

 

「採用」

 

 保管室の中で、ボンドルドは札を読んだ。

 

「たいへん正確です」

 

「だから褒めるな!」

 

 クロムが叫ぶ。

 

 その声が、船内に響いた。

 

 ペルセウスは南へ進む。

 

 背後にはスタンリー。

 

 船内にはゼノ。

 

 そして、鍵のかかった部屋には、撃たれてなお新しい医療技術を生み、周囲全員をドン引きさせた最悪の探窟家がいる。

 

 科学王国は、また少し強くなった。

 

 同時に、ほんの少し汚れた。

 

 それを誰よりも嫌がっているのは、千空だった。

 

 だが、それでも彼は進む。

 

 進まなければ、人類は戻らない。

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