千年に一人の天才魔道士はバブみエルフに飼育されるようです 作:風見ひなた(TS団大首領)
「くそっ……こんなんじゃユウに勝てねえ!」
ロベルトは机に拳を叩きつけた。
机には魔術の教科書が広げられており、自室で勉強している際の出来事だった。
それまで静かに教科書を読んでいたロベルトは、やおら頭を抱えて苦悶の表情を浮かべ、机に鬱憤を投げつけたのである。
「どうしたのロベルト。物に当たるなんてアンタらしくもない」
「先生……。すまねえ、ちょっとイライラしちまって……」
ロベルトはすぐに飛んできたレヴィに、ばつの悪そうな表情を向ける。
飼育員であるレヴィのことを、ロベルトは最近は先生と呼んでいた。実際、レヴィはロベルトに魔術を教えており、その意味でも二人は師弟関係にある。
レヴィは黙ってロベルトの手を診て怪我をしていないか確認しながら、ロベルトが何があったのか話すように促した。
「教科書を読んでて、ちょっとわからない記述が出てきたんだ。それがどうしてなのか考えるうちに、苛ついてきて……」
「そう」
レヴィはロベルトの拳を取りながら目を伏せた。
実際、やむを得ないことではあると内心レヴィは思っている。
何しろ本来なら900歳のエルフが100年をかけて学ぶ内容を、人間の9歳児が1年でマスターしようとしているのである。
本来は魔術の素養に疎い人間が、エルフ並みに魔法を身に着けようなど無謀というものであった。
が、レヴィはそう思いはしても口にはしない。
ベルならば「人間なんだからできなくてもしょうがないよ、魔術のことなんてお姉ちゃんに任せておけばいいの」と悪気なく口にするところだが、レヴィは受け持っている子供がそれにどれだけプライドを傷つけられるか理解していた。
それに実際、ロベルトは小学3季生までの教科書はしっかりマスターしているのだ。
本来なら無邪気に遊び惚けていてもいい立場の人間が、それだけの成果を上げていることをレヴィは無下に扱うつもりはなかった。
ロベルトはレヴィに握られた拳をわずかに震わせる。
「ユウならこんな疑問、簡単に解消するんだろうなって考えちまうんだ……」
「…………」
レヴィは異種族の教え子の呟きを、黙って受け止めた。
ユウユウは掛け値なしの天才である。
ベルが「ユウ君ったらまた教科書を読破したの! やっぱりすごくできる子なんだよ! 賢いしいい匂いがするし、もう目の中に入れても痛くないくらい可愛いの~!」とバックヤードで同僚に自慢して回っているのを聞くだに、レヴィは戦慄を禁じ得ない。
人間がエルフの教科書をマスターしている。それも独学で。
ベルの話を聞く限り、ベルが魔術を教えている様子もないようだ。教師もなく、ただ独学でエルフが100年かける内容をたった1年でマスターしている。
ごく簡単な内容とはいえ、それは驚くべきことであった。
だが、あの子は天才だから比べたってしょうがない、とはロベルトには言えない。
ロベルトだって天才ではある。でなくては800歳のエルフが学ぶ内容を8歳でマスターすることなどできようわけがない。
今の人間は飼育環境に慣れ切った個体ばかりだからなんとも言えないが、少なくとも500年前に人間が王国を築いていた頃は、ロベルトほどの才能を持つ魔道士などいなかったようにレヴィは思う。
ロベルトは500年に一度の天才なのだ。
だがユウユウの才能はさらにそれを凌駕している。
ロベルトの才を持っていても、到底及ばないほどの異才。
まさに1000年に一度の天才というべき存在であった。
こんな常人を逸した天才が集うなど奇跡としか言いようがないが、しかし出会ってしまったものはしょうがない。
そして本来なら他の追随を許さないであろう天才であるロベルトが、自分以上の才能に嫉妬してやまないのは当然のことであった。
ロベルトの頭を撫でてやりながら、この子がもっと多様性のある社会に生まれていればね、とレヴィは思う。
たとえばこの子がエルフに生まれていれば、違う道を目指すこともできた。何も同じ道を選ばなくても、別の進路を行けばいいだけなのだから。
だが人間の世界はそうではない。
道は二つしかないのだ。即ち、他の人間と同じく怠惰な
ロベルトは第三の道……ユウユウに先んじて魔術を学ぶことを目指しているが、ユウユウは先導者としてあまりに優れている。
ロベルトが苦労して進む道を、ユウユウは楽々と進むことができるだろう。それも片手間に他の作業をこなしながら。
ロベルトは身を震わせ、抱えている鬱屈を打ち明ける。
「俺……悔しいよ。ユウは本当にすごい奴なんだ。どれだけ頑張っても、ユウはその上をいってる。大人相手に仕事を説明することだってできるんだ。俺にはあんなこと、とてもできない……!」
ユウユウが大人の女性を相手にメンコの絵入れの説明をしたのを見たロベルトの衝撃は、大きなものだった。
これまでちょっと自分より魔術の勉強ができるだけだったはずのユウユウが、実は大の大人と渡り合えるほどの話術を持っていたのだ。それまで魔術で先行すればいいと思っていたユウユウが、それ以外のスキルを隠し持っていた。
大人に自分から話しかけていくことすらできないロベルトとは、雲泥の差であった。
ユウユウに勝てる人間になりたい。
ロベルトが本心からそう思うようになったのは、その出来事がきっかけだった。
だからこうして飼育員であるレヴィに膝を折り、自分に魔術を教えてほしいと懇願したのである。
だが……。
それでもなお、ユウユウとロベルトの差は縮まらないでいる。
相手は独学で、たまの小遣い稼ぎに大人のメンコの絵入れなどもやっているのに、ひたすら魔術の研究に打ち込んでいるロベルトの手が届かない。
その絶望たるや、9歳児が味わっていいものではなかった。
しかしそれでも……レヴィは諦めなさいとは言わなかった。
しゃがみこみ、悔しさに震えるロベルトを抱擁すると、くしゃりとその髪に手を差し込む。
「頑張んなさい、ロベルト。わからないことがあったら、いくらでも私に質問しなさい。アンタが理解できなくても、理解できるまで何度だって説明してあげる。なに、エルフはうんざりするくらい寿命があるからね、時間なんて余ってんのよ」
「先生……すまねえ……」
「いいわよ。だからその代わり、諦めんじゃないわよ。いつかユウユウを越える魔術の使い手になって、あいつをぎゃふんと言わせなさいよ」
そのレヴィの眼に映っているものは、ユウユウだけではない。
彼の面倒をみているベルこそ、レヴィにとっての本当のターゲットなのだ。
ロベルトの抱えている苦しみは、レヴィには理解できる。
彼の苦しみは、レヴィがベルに対して抱き続けているものなのだから。
レヴィにとって、ベルは常に嫉妬してやまない存在だった。
え、オッパイ? いやそんな話はしてないわよ、別にあんなオッパイお化け羨ましくなんてないんだから。
……いや、ちょっとは気にしてなくもないけど。
そうではなく、ベルの輝かしい才能は常にレヴィの憎悪と憧憬の対象だった。
学生としても、軍人としても……ベルはいつだって輝かしい成果を上げ続けており、レヴィはその後塵を拝し続けてきたのだ。
なまじレヴィが他のエルフより秀でた存在であったため、それよりもさらに秀でているベルは嫉妬心を煽ってやまない存在だった。
レヴィがどれだけ頑張っても、ベルはその先にいる。
仕事での実績で勝負するのを諦め、合コンに誘ってベルより先に彼氏を作って自慢しようとしても、合コンに興味すら持っていない。
どうやってもベルに勝てない……。
そんなレヴィにとって、ベルの自慢の種であるユウユウよりも自分の教え子であるロベルトが先んじるというのは、千載一遇のチャンスに思えたのである。
レヴィも自分がロベルトを利用していることには気づいている。
何も知らぬ人間の9歳児を焚き付ける自分を、醜いと自嘲することもある。
他の人間の子供はただ愚昧に毎日を浪費して生きていられるのに。
だが……ユウユウと出会わなければ、ロベルトはその才を生涯眠らせていただろう。
ユウユウと出会い、その才に嫉妬したからこそ、ロベルトはその天才を発揮したのだ。
それは確かな事実であり、ロベルトという原石を研磨するうえで嫉妬こそが必要なものだったのだ。
レヴィが今の自分を、ベルの才能に嫉妬したからこそあると思っているように。
その煌めきに嫉妬し、憎悪を抱き、もがき苦しみ、それでも憧れずにはいられない。
ロベルトの抱くその感情が理解できるからこそ、レヴィは彼の師となったのだ。
「俺……約束するよ。絶対にユウユウよりビッグな人間になってみせる! 魔術でも、それ以外でも、あいつが仰ぎ見ないといられないような存在になるから!」
「ん、期待してるわよ」
レヴィは愛しげにロベルトの頭を撫でると、すくっと立ち上がった。
「さて、ココアでも淹れてあげる。頭を使うと糖分が必要になるからね。甘いものを摂取したら、あたしがわからないところ教えてあげるわ」
「うっひょう! ありがと、先生!」
甘いものが大好きなロベルトの歓声を背中に聞きながら、レヴィはキッチンに向かう。
ロベルトは最後までユウユウを傷つけて、物理的に排除するという第四の選択は選ばなかった。
レヴィですら、戦場でベルの背中を撃ち、その輝きを二度と視界に入れないようにするという誘惑にかられたというのに。
エルフの飼育下にある人間は、徹底的に牙を抜かれ、同族を傷つけるという発想ができなくなっている。
それが正しいことだとは思う。同族で傷つけ合うなど、合理的ではないから。
だがそれが生物として正しい姿なのか……レヴィはその命題への答えを見つけられずにいる。