───√ ̄ ̄Interlude 08
前を向いても後ろを向いても。アタシの視界には地獄しか広がっていなかった。
いつから間違えたのかと問われれば。多分、初めて大きな決断をしたあの時だろう。
▇▇が支配していた頃のあの学園はおかしかった。歪だった。それなのに、この上なく平和だった。
あべこべな光景が気味が悪くて。アタシだけが取り残されているような恐怖と気味悪さを覚えて。『……本当に良いの? 後悔しない?』なんて問いかけてくれた先輩の言葉を無視して、アタシは自ら学生という身分を捨てた。
学がない。モラルがない。常識がない。本来学生が学校で教わるような事柄全てがアタシの手の中には存在しない。
でも腕っ節はあった。居場所もあった。側から見れば猿山のボス猿と鼻で笑われそうな居場所だったとしても、逸れモノが集まったそこは、あの学園に比べて居心地が良かった。
だから不思議と連んで。社会に歯向かって。アタシはこの場所にいる。
これがアタシの青春の形なのだと、誇らしく思う気持ちもあって。
アタシを慕う仲間がいた。アタシを敬う声があった。
────アタシを利用する、大人たちがいた。
学がない。モラルがない。常識がない。公的身分も持っちゃいない。反骨心と得物しか持たないアタシは、悪い大人にとって都合のいい存在だったんだろう。
馬鹿みたいな額のクレジットで顎で使われた。ソレが支払われない時もあった。
身分も戸籍も持たないヤツが偉そうに言うな、と。冷たく吐き捨てられた言葉があった。
あの時先輩が、本当に────心の底から心配したような声音で告げた『本当に良いの?』という言葉を。『後悔しない?』という問いかけの意味を。身をもって実感したのは、全てが手遅れになってからのことだった。
きっと、学校に通う理由はこれだ。社会で悪いように使われないように学びを得て、常識を得て、立場を得て。それで。
────全てを投げ打ったアタシの目の前に冷たく横たわるのは、ただの地獄。
アタシひとりならまだ良かったのだろう。アタシだけが苦しむのであればマシだったと思う。
それでも足を引っ張る重石となった問題の数々は。最早アタシだけのモノと言うには肥大化し過ぎていた。
大人はアタシたちのことを程のいい道具としか思っていない。だから大人の言葉は信用しない。
……だから、
「でも本当にキミたちが地獄に居るって言うんなら、手を差し伸ばすことはできる────いくらだって差し伸ばす!!」
強く拒絶した。
「俺はキミたちの居場所を奪いたいワケじゃない。壊したいワケじゃない!! より良い物にしたい。守りたいんだ!!」
差し伸べられた手を強く跳ね除けた。だってのに。
あの物好きな大人は不思議な力を行使して、自身を傷つけながらも声を枯らして叫んで、手を差し伸ばし続けている。
その光景が眩しかった。鬱陶しかった。
あまりにも、毒でしかなかった。
ゆったりと体を蝕んでいくような、遅効性の甘い毒。コイツの言葉は確実に、アタシの心と頭を蝕んでいった。
何も知らないくせに。アタシたちのことは何も分かってない癖に。
『キミのことは何も知らない。知らないからこそ話して欲しい。アビドスを襲撃しなくちゃいけない程の事情があるんなら聞かせてくれ。シャーレはその為にあるんだ。ソレを頼るのは、生徒として当然の権利だと思うぞ』
あの時に放たれた言葉を、差し伸ばされた手を拒否したのは。その言葉が、痛かったからだ。
アタシは生徒じゃない。自ら望んで立場を捨てた。だから救われる対象に入ってない。そのはずだったのに。
コイツは諦めない。諦めてくれない。真っ直ぐな瞳が、アタシたちを見つめて離してくれない。
……辞めてくれよ。大人はどうせアタシたちを裏切るんだ。最後にはアタシたちを捨てるんだ。期待なんてモンは、後々訪れる痛みを強くするモノでしかないんだから。
だから、
「だから後は。キミの気持ち次第なんだと、俺は思う」
そんな言葉に胸を打たれたのは。頼っても良いのかもしれないと揺らいだ心は。ただ
◇Interlude out◇
俺はただ彼女の答えを待ち、けたたましい銃声の中で立っていることしかできない。
きっとホシノたちが注意を引いてくれているのだろう。俺たちの対話を邪魔する者は誰もおらず、まるで周りで起こっている出来事が別のレイヤーで起こっているかのような錯覚があった。
「……本当に、タチ悪ィ」
彼女の視線が頭ごと地面に向く。ゆっくりと紡がれたその言葉には、もう震えや怯えの類は見られなかった。
「……マジで損しかねェぞ。アタシたちを助けたところで」
「ああ。何かを求めてキミを助けるワケじゃない。俺がただそうしたいからだ」
「一緒に地獄に堕ちるようなことになるかもしんねー」
「一緒に落ちるコトは無いよ。俺はいくらでもキミたちに手を差し伸べて、無理矢理にでも引っ張り上げてやる。その為ならいくらだって身体を張る」
「アンタもいつか全部を、投げ出したくなるかもしれない」
「……俺が言うのはアレだけど、俺の諦めの悪さは身をもって知ったところだろ?」
誰かが助けを求めるのであれば手を差し伸べる。分け隔てなく、区別もなく。俺がやることには何も変わりない。
視線が上がる。バイザー越しに向けられた視線が、俺の目を真っ直ぐに見た気がした。
再び沈黙がある。口の中で言葉を転がすような間。言葉を選ぶような間があって、
「アタシたちは、カイ────」
「……ダメじゃないですか、リーダー。そんな大人の、甘い言葉に惑わされちゃ」
俺たちの対話を、会話を。邪魔する声があった。
赤いヘルメットを被った彼女の背後。ゆらり、と黒いヘルメットを覗かせながら、
「どうせ大人は裏切る。甘い言葉で私たちを惑わす。わかりますか? 私たちに『次』はもう無いんですよ」
その赤いヘルメットを、無理矢理引き剥がし、
「おいおまえ、何して────!」
露わになった彼女の額に。真っ黒いカードを押し当てた。
瞬間、思わずたたらを踏むような魔力の息吹。同時に辺りの敵対生徒の銃口が俺に向けられ、数々の発砲音が鳴り響く。
咄嗟に後ろに転がり、ホシノが俺を庇うように立ち塞がっても。二人の生徒と一枚のカードが始めたその異様な光景は、終わらない。
「が、ぁ────あ、」
銃声に混じり、聞こえてくる痛々しい悲鳴。
「あ、ああああ!!!」
露わになった金髪は苦痛を示すように振り乱され、気の強そうな吊り目はここでは無い何処かを見ていて。
「次がない『今』を、こんな大人に潰されるのは────私はゴメンです」
吸われていく。引き摺り出されていく。彼女の中の何かが、決定的な何かが────、
「ッ、
「ダメだよ先生、何してもあの子が巻き込まれる!」
強硬手段は取れない。如何なる手を打っても、身動きを取れない彼女が巻き込まれる。
駆け寄ろうにも弾丸の雨。前に進むことすら許されず、
「私が、ヘルメット団は引き継ぎますから」
俺は、その光景をただ見ていることしか出来なかった。
◇◆◇
……傀儡の最後のひとりが、魔力の粒子となって霧散していく。
伸ばした手は結局届くことはなく。最後に残ったのは、苦しそうな表情のまま地面に倒れ込んだ抜け殻だった。
「────、────」
言葉が出ない。強く握りしめた手のひらの中で、爪が強く突き刺さる感覚がある。
彼女たちを糸引く存在が何なのか。彼女たちを何が襲っていたのか。何が、彼女たちをそうさせたのか────そして、彼女の名前すらも。
その全ては結局闇の中に葬り去られて、何も前に進んだ気がしない。
膝を降り、腰を下ろして。地面に倒れ伏した抜け殻の首筋に指を当てる。
「……脈は、ある」
僅かな呼吸音も聞こえてくる。医学的な知識は無いにしろ、この子が死んでいるワケではないことが俺にもわかった。
けれど、だとしても。決定的何かが────彼女の中にあったはずの魔力が、一切感じ取れない。
故に、抜け殻という表現が一番正しい、と。
「……ごめんね、先生。他に『意識』を持ってる生徒が居るとは思わなくて。これは私たちの失態。判断不足」
「……いえ。私は空から見ていたのに、彼女の接近に気付けませんでした。だから────」
口々に自分を責めるような言葉を紡ぐアビドスの面々。その言葉を断ち切るように、俺は彼女の抜け殻を抱き抱えて立ち上がった。
「……いや、誰かが悪いワケじゃないよ。誰かに責任を押し付けるんだとすれば、この子達を裏で糸引いてるヤツだ」
あの子は最後に誰かの名前を口にしようとした。俺に見せていた怯えは、震えは。誰かに押し付けられた恐怖はきっと、俺の思い込みや思い違いの類では無い。
生徒の魔力────生命力を吸い取る謎の黒いカード。そして、アビドスを襲うように仕向けた誰か。
俺の手を取ろうとした一瞬の揺らぎと……それから、
『どうせ大人は裏切る。甘い言葉で私たちを惑わす。わかりますか? 私たちに『次』はもう無いんですよ』
『次がない『今』を、こんな大人に潰されるのは────私はゴメンです』
カードの力を行使したあの子が放った言葉の数々が。確かな証明になる。