プロローグ
なるほど、そうか。なるほど。……なるほど。借金と来たか。借金。……借金。
アヤネの口から放たれた『アビドスの抱える問題』の内容を聞いてから一時間程が経過した。シッテムの箱に届いたメールを捌きながらも、俺の脳内には『借金』という二文字がゆらゆらと揺らめいている。
校舎を奪い取るべく襲ってくる敵性集団、生徒の中身を引っこ抜く謎のカード、銃火器の携帯が当たり前の世界で飛び交う手榴弾や弾丸────等と、あまりにも俺の常識から外れた事柄があちこちから行き交う世界の中で、ヤケに現実的な問題が突きつけられたモノだから頭が追いつかない。
いやまあ、借金も学生が背負うにはあまりにも大きな問題ではあるけど。額も額だし。九億……九億か。
「ゔーん……」
鈍い声が自然と漏れ出す。俺の財布から出してどうにか出来る額なら良かったんだけど、流石に億単位をサッと出せるほど俺の懐事情も良くはない。
彼女たちを真に救うにはどうするべきか。その借金の内訳や内情を聞いてしまった今、コツコツと返していく……なんてありふれた答えしか出ないのがもどかしい。
……ノノミたちがアイドルグループ、だなんて言い出してしまう気持ちも少しわかった気がした。
「……アビドス自治区の復興。そこから観光資源で何とかお金を稼いで、そこから返済に充てる────だとか。あとは市民に協力を要請する……とかか」
とはいえ、自治区を襲う砂嵐や、現状の市民の少なさという簡単にどうにかできない問題が邪魔をする。思ったよりも根深い。これは長い目で見てどうにかするしかない、か。
……そのためにも。まずはヘルメット団の問題と、あの謎の黒いカードのコトをどうにかしないと。
聞けなかった本音。掴まれることは無かった差し伸ばした手。問題は一切前に進めておらず、結局今の俺たちは自分で手がかりを探る他ない。
アビドスの五人がこの問題を長いこと、あの子達だけで抱え込んでいたことを考えると尚更。どうにか出来る問題は解決して、借金返済に集中できるようにしないと。
そんな俺の思考を察してか、ヤケに良いタイミングで通話の通知音が鳴り響く。
シッテムの箱に表示されたアカウントは知らない生徒のモノで、思わず首を傾げたが。とりあえず指先で応答ボタンに触れた。
切り替わる画面。画面越しに映るのは、金色の髪と獣耳を生やした、ギザギザの歯の生徒。制服に施された校章の刺繍から、ヴァルキューレの生徒だということがわかる。
『……お疲れ様です。こちら、シャーレの衛宮先生のアカウントで間違いはないでしょうか』
放たれた声音はひどく疲れ切っていて。女子高生、というよりは草臥れたキャリアウーマンという印象を受ける。目の下には化粧で誤魔化されたクマが薄く見えて、そのイメージを押し出していた。
「ああ、あってるよ。ええ、と。キミは────」
『私はヴァルキューレ警察学校公安局・局長の
「気にしてないから大丈夫。そっちも何かと忙しいんだろ? 何か困ったことがあったら言って欲しい。ヴァルキューレの助けにもなりたいからさ」
『……、……お心遣い、感謝致します。先生が赴任されてからキヴォトスの問題は減少しつつあります。……が、完全に無くなった、というわけでも無いので。何かあったその時には』
俺がシャーレに就任したあの日、アロナが言っていた通りだった。
サンクトゥムタワーの権限が戻ったから問題全部が丸っと無くなる、というワケでもなく。悩まされる生徒がゼロになるというコトもない。
それこそ、アビドスの面々や、ヘルメット団の子達も────、
『……先生?』
「ああいや、何でもないよ」
また俺の表情に滲み出てしまっていたのだろう。画面の向こうの尾刃は首を傾げたが、そのまま続けて口を開いた。
『────して、先生から頂いていた連絡。カタカタヘルメット団の輸送に関してですが』
ここからが本題だ、と言いたげな一瞬の間。彼女が言葉を纏めるためのモノか、俺が聞く体制を作るための間か。どちらなのかは俺にはわからないけれど、疲れた様子で小さなため息を吐き出すその様子から、あまりよろしくない報告だというのはわかる。
『結論から言えば、私たちは彼女たちを収容出来ていません。……輸送していたヘリに、近くで演習を行なっていた民間軍事会社────カイザーPMCの砲撃が被弾。その隙をついて逃げられた、と』
「────、────」
『逃げた彼女たちの身柄はカイザーPMCで確保する、という話になっていたのですが。先生のその反応を見るに、何かあったようですね』
……正直、尾刃の言葉に大した驚きは無い。
再び俺たちの目の前に現れた、様子のおかしいヘルメット団。そのリーダーの言葉と、謎のカード。
それに加えて、一度前哨基地を襲撃した際に弾薬や戦闘資源も処分したはずだ。だっていうのにあの戦力規模は、あまりにもキナ臭い。
だからこそ。その言葉は隠された真実の露見、というよりは。確認作業に近かった。
『……私としても、この報告を受けたのがつい数時間前のことでして。輸送にあたっていた生徒の様子や先生から確認の連絡があったことから、怪しいと感じてはいます。しかし────、』
「調査に乗り出すだけの余裕がない、だろ?」
『────……ええ。その通りです。ご協力したい気持ちは山々なのですが……申し訳ない』
「大丈夫だよ。尾刃は自分のコトに集中してくれ」
余裕がないなら仕方ない。それ以上に、
「……何より
言いながら通話を切る。辺りに静寂が再び満ちて、視界の外から大きなため息が聞こえてきた。
「随分と大変そうじゃない、衛宮先生」
「……慎二」
振り向けば、窓枠に頬杖をついて、いつものつまらなそうな表情で俺を見る慎二と目が合う。視線が絡むなり、皮肉を込めたように小さく笑うのもいつも通りだった。
「大変そうに見えるなら、少しは手伝ってくれても良いんだぞ?」
「僕が? 衛宮を? ハッ、天地がひっくり返ってもゴメンだね。僕は外野から、オマエが踠いてる様子を見学でもさせてもらうよ」
……本当に相変わらずだな。何かと喉元まで上がってきた言葉の数々を呑み下し、シッテムの箱の画面を消灯する。
またほんの少しの静寂があって。慎二のサボりを咎めるか迷ったモノだけど、
「なあ、慎二。慎二なら、どうする?」
自然と俺は、疑問を投げかけていた。
黙って聞く姿勢を取ってくれた慎二に、ひと通り現状の説明をする。ヘルメット団のこと、アビドスの借金のこと。それから俺はどうにかしたいと、どうにかしてやりたいと思っていること。
俺の話を聞いている慎二は変わらず心底つまらなそうではあったが。口を挟むことなく、最後まで話を聞いてくれていて。再び口を開いたのは、俺の吐露が全て終わってからだった。
「……ま、衛宮にしては道理が通ってる思考なんじゃない? 確かにアビドスの問題をなるべく解決して、自治区に活気を戻して────戻ってきた市民に協力してもらうなり、観光やら何やらで金を取って借金を返済する。アイドルグループで一攫千金、なんて案よりはよっぽど現実的だと思うよ」
「……そうだよな」
「でも衛宮、オマエどうせ今からカイザーに単身で乗り込むとか考えてるだろ」
「……、……」
図星だった。この上なく。流石の付き合いの長さと言うべきか、慎二の指摘する言葉に迷いの類は見られない。
「ホンット馬鹿だよね、オマエ。どうせ衛宮が突貫を仕掛けて追求したところで、煙に巻かれて終わりだろ? 少し考えたらわかるコトだってのにさ。だからこそ、ヴァルキューレの連中が二の足を踏んでるんじゃないの?」
言い返す言葉が見つからない。だからこそ、慎二の口撃は止まることなく。いつもの様子で回る口から続け様に投げかけられたその問いは、
「そもそもさあ。それ、オマエが全部首を突っ込まなきゃいけない問題なワケ?」
俺の胸に深く突き刺さり、自然と目を見開いていた。
「アビドスの借金。ヘルメット団の問題。僕には全部自業自得にしか見えないね」
「それは────、」
「だってそうだろ? ヘルメット団の連中は〝信用する大人〟を間違った。人を見る目を培ってないアイツらが悪い。借金だって学校が抱えた問題だろ。どう返していくのか考えるのはアイツらの仕事。利子が膨らむまで大して実りがない会議を繰り返したアイツらが悪い。僕ならほっぽり出してシャーレに帰るね」
慎二の捻くれた物事の見方。コイツの目には、それぞれの物事がそう見えているのか。
けど、だとしても。
「……生徒が道を違えたなら、ソレを正しく均してやるのが俺の仕事だと思う」
「ハッ。相変わらず気色悪いね、衛宮は。突っ込まなくて良い面倒ごとに首突っ込んで、自滅するなら勝手にすれば?」
俺の回答に呆れたように。踵を返し校庭の隅へと歩みを進めていく。
慎二が腹立たしそうに蹴り飛ばした小石は、砂の山の中へと消えていった。
───√ ̄ ̄Interlude 10
窓の外から聞こえてくる、車が過ぎ去る微かな音。
事務所と呼ぶには少し見窄らしいその部屋には、今は静寂が満ちていた。
社長が『こういうのは見た目から入らないと!』なんて言いながら購入した少し高めのソファには、目を凝らせばハルカが溢してしまったコーヒーのシミ。打ちっぱなしのコンクリートの壁にかけられた、『一日一悪』の社長お手製の掛け軸。
見渡せば今までの『
机の上に置かれたソレを、何とも無しに手に取る。誰かのヘイローが裏表に描かれた一枚のカードだ。私たちが確保した、ヘルメット団のあの子が握りしめていたカード。
「────、────」
思わず眉間に皺がよる。視線を向けていると吸い込まれるような錯覚があって、耐えきれずに机に置き直して。私は大きなため息を吐き出した。
……何かがおかしい。そんな違和感が私の胸の中でずっと燻っていて。私はその違和感に、未だに答えを出せずにいた。
ぐるぐると回る私の思考を遮るように、目の前の扉が開いた。同時にハルカとムツキが何か会話を交わしながら事務所に入ってきて、机の上のカードと私を交互に見る。
「お疲れ、ムツキにハルカ。あの子の様子はどう?」
「ん〜……ダンマリ。ずっと床を見つめてて、私たちの質問には何も答えてくれな〜い」
「……そっか。社長は?」
「アル様はまだあの子と話そうとしてます……」
あの子を確保してから、ひと晩が経過した。社員のみんなで交代で見張りをしたものだけど、あの子は眠りにつくことも一切なく。何かを思い出したように頭を抱えては、譫言のように何かを呟く────そんな痛々しい仕草を繰り返しているだけ。
「アル様のご好意を受け取らないなんて許せません……許せない。心の底から許せない……」
「こら、ハルカ。あの子にもきっと何か事情があるんだよ。あまり責めないの」
社長の言葉にも何も答えず。差し伸ばした手にすら気付かず、視線は床に向くだけ。
私も社長も────きっとこの二人も。彼女に対して思うところがある。とはいえ、歩み寄りが何の成果も得られないモノだから、疲労を覚えた頃合いだった。
部屋に響くムツキの溜め息。どか、と大きな音を立てながら私の隣に腰を下ろして、続け様にムツキは口を開く。
「あの子さぁ〜……あのまま依頼主に渡して良いのかな」
「んー……私もどうかな、とは思うけど。彼女自身が何も話してくれないなら、どうしようもない……かな」
「だよねぇ」
お手上げ、と言いたげに視界の隅で両手を挙げるムツキ。次いで、その掌は机の上に伸びて。置かれていたカードを手に取ると、表裏を確認するようにくるくると回す。
「ムツキはそのカード、どう思う?」
「どう思う、かぁ。別に何とも? 何かに形似てるな〜って思うくらい」
「タロットカード、でしょうか」
「あ。ソレかも」
確かに縦に長いその形状は、タロットカードに酷似していた。
けれど、その話を聞いてもなお。私の中の『違和感』は晴れない。
「……、……いや、良いや。考えるのやめよう。私も別に、自分から進んで不快になりたいわけじゃないし」
言いながら立ち上がり、事務所を出る。そのまま廊下を辿り、彼女が囚われている部屋の扉をノックした。
「社長、そろそろ時間じゃない?」
私の言葉を聞いて、少し遅れて扉が内側に開く。その隙間からは、ため息を吐き出す疲れ切った社長が見えた。
「ええ、そうね。早く準備しないと」
困ったように眉を顰める社長を一瞥してから、横目に部屋の中を覗き見る。
数時間前に見た時と同じく。部屋の隅で膝を抱えて座り、浅い呼吸を繰り返して。ずっと何かに怯えている様で、視線が常に定まらない。
「……ダメそうだね」
「ええ。ムツキたちを退出させて、二人きりになっても変わらず、よ」
何処か浮かない声音。まあ、それも当然だろう。いくら私たち便利屋がアウトローを掲げているとはいえ、この様子の子を『はいそうですか』と明け渡すわけにもいかない。
とはいえ、社長の顔にも諦めの表情が色濃く滲んでいて。
「……依頼は依頼。ちゃんと、この子をカイザーのところに連れて行きましょう」
◇Interlude out◇