思い立ったが吉日、とは昔の人もよく言ったモノで。まずはアビドスの借金や、その周辺の物事について深く知らなければいけない。
アヤネに声をかけると資料室に連れて行かれ、目の前に何冊かのファイルが置かれて。その背表紙には『活動日誌』という文字と、ナンバリングが施されているのが見て取れた。
「これがこの数年の、アビドスの活動日誌です。帳簿も兼ねているので、先生が知りたい情報は概ね書かれていると思います」
「ん、ありがとう」
言いながら、一番若い数字のファイルを開いて目を通していく。手紙で目にしたアヤネの文字とはまた違うモノで、当時のアビドスの状況がこと細やかに書かれていた。
現状を憂う言葉。当時のアビドスが抱いていた不安や焦燥。アヤネに借金の原因や自治区の顛末を聞いては居たが、こうして当事者の感情が含まれると胸に来るものがある。
自治区を襲う異常気象。災害。移住していく自治区の人々。復興に多額の資金を投入し、トライアンドエラーの繰り返し。
当たり前の明日を願い、諦めるその過程と『辛い』という言葉。『私ももうアビドスには居られない。私たちの行いは全て無駄だった』────と。震えた筆跡で書かれた一文を最後に筆者が代わり、また現状を嘆く言葉が続いていく。
────彼女たちの思いや行動とは裏腹に、自治区はどんどん寂れていく。
どうにかしたいという気持ちは届かず、ついに投入資金が尽きた、というところで。思わず俺はページから視線を外し、目頭を強く揉み込んだ。
このファイルの中に在るのはただの活動日誌ではない。アビドス高等学校という彼女たちにとってかけがえのない居場所が、どうしようもない事柄で終わりに向かっていく様子を、剥き出しの彼女たちの言葉と感情で綴った悲劇の結晶だった。
「……あまり、読んでいて気分の良いモノじゃありませんよね」
目の前に麦茶が注がれたグラスが置かれた。ふと視線を上げれば、メガネ越しにアヤネの物憂いげな自然とかち合う。
「私も、最初に読んだ時つらくて堪らなくて。休み休み読んでいったんです。でもそこから、私は目を逸らすことはできなかった。……いえ、したくなかった、が正しいですかね」
言いながら、机を挟んで目の前の席に腰を下ろすアヤネ。グラスの麦茶をひと口飲み下すと、そのまま言葉を続けた。
「辛い内容ばかり。だとしても、その記録は……先輩の方々が
……ある意味、アヤネの覚悟のようなモノだと思った。かつてアビドスで暮らしていたアヤネの先輩たちの苦労も無念も全て背負い、ちゃんと前に進んで行く、という覚悟の形。
「……無駄だった、とは思いたくないんです。私は」
「────、────」
無駄だった。この日誌に記された、彼女たち自身の手で綴られた言葉を指しているのだろう。
好意も行為も虚しく。何かを為すことなく、ただ無力感に打ち拉がれて。ただ学園を去るしか無かった彼女たち。
……けれど、俺は、
「決して無駄なんかじゃないと俺は思うよ」
「本当、ですか?」
「ああ。少なくとも俺は、日誌を見てそう思った」
決して実りが無かったとしても。自分たちの居場所を守りたいと思う気持ちは本物だった。その行いは本物だった。
それに、
「……時に『こういう成果があった』という言葉より、『試したけどダメだった』という記録の方が役立ったりするモンだよ。アヤネたちが進むための道標になる。それに、アビドスを守りたいって気持ちは……今はアヤネたちの心に引き継がれて、ちゃんと芽吹いてる。こうして真剣にアビドスの現状をどうにかしたいと思ってるのは、先輩たちが真剣だったからこそだろ?」
「……、……はい。そうです」
「なら、決して無駄なんかじゃないよ。ちゃんと芽吹いてる」
真剣な思いは引き継がれていく。誰かを思う気持ちは、何かを思う気持ちは決して消えない。
世代を変えて、人を変えて。誰かが抱えて前に進んで行くモノだ。でもだからこそ、俺もこの問題に真剣に向き合わなくちゃいけない。
目の前に置かれたグラスから、ひと口麦茶を飲み下して。改めてファイルを開く。
記された日付に数年の間があって、見慣れたアヤネの文字が見えた。
「……あ、ここからアヤネか」
「はい。私が来るまでの間、書記は居なかったようでして」
……となれば、アヤネやセリカたちが来るまでのアビドスのことを知るにはホシノに聞かないといけないのか。とりあえず空白期間として扱っても良いかもしれない。
しばらく黙読を進めて。文字を追う視線が、とある文字列で止まる。
「……カイザーローン」
「はい。私たちが融資を受けているのはカイザーローン、ですね」
……ここでもこの名前を聞くとは思っていなかった。尾刃からの報告でも挙がった名前だ。
アヤネの記録に特に怪しいところはない。切り貼りされた契約書にも特に不備は無く、気になったところがあるとすれば────、
「いくつか土地を渡してるのは?」
「ああ、ええと……私たちは先生の知っての通り、返済に充てられるお金があまりないので。その担保として、自治区の土地の権利を、いくらか彼らに渡しました」
「……なるほど。その土地をカイザーは何に使ってるのかとか、わかったりするか?」
「訓練施設や研究施設に使っている、とは……」
「ふむ……」
……特に追求するための何かにはなり得ない、か。現場に向かえば何かしらのボロが出るかもしれないけど、全面衝突は避けられない。慎二からああ言われた手前、それは最終手段にしておいた方がいいだろう。
ページを読み進めていく。しばらく無言の時間があって。溶けた氷がグラスにぶつかる僅かな音が部屋に響き、
「……何で毎度、振り込みじゃなくて現金手渡しを指定してるんだろうな」
何気ない疑問が、俺の口を突いて出た。
ページから視線を上げる。アヤネは眼鏡の向こうで目を丸くして、何かを考え込むように指先を顎に添えて。眉間に皺がよっていくのが見える。
「……それは、確かに。少し不自然かもしれません」
ようやく見つけた僅かな引っ掛かり。あまりにも小さすぎるモノだけれど。
「次の支払日はいつだ?」
「明日です」
「よしきた」
何かを探るのであればその日。徒労に終わるとしても、とりあえず足でひとつずつ稼いで行くしかないだろう。
───√ ̄ ̄Interlude 11
カイザーが迎えに寄越した車に、私たちは揺られていた。
六人がけの席の装甲車両。私の隣にハルカ、向かいの席には社長、ヘルメット団の子、ムツキの順。
「迎えの車、と言っていたからリムジンでも寄越されると思ったんだけど……案外大企業も私たちと変わらないのね」
「とか言って〜! アルちゃん、いざリムジンが来たらガチガチに緊張するくせに」
「ぇ、な、っ……そ、そんなことないわよ!?」
件の彼女を挟んで繰り広げられる、二人の他愛のない会話。そんな中でも彼女は一切の反応を示すことはなく、変わらず床を見つめ続けている。頻りに何か譫言を呟くのも変わらず、だ。
私の隣に座ったハルカは、そんな彼女を上目がちにチラチラと見つめている。
「……ハルカ、やっぱり心配?」
「あ、ぇ、あ、えっと……はい。アル様の好意を受け取らないのは許せません。許せませんが……心配とはまた……別の問題なので」
ハルカにも、ハルカなりに何か思うことがあるのだろう。投げかけられた声は控えめで、消え入りそうなほどに小さいけれど。しっかりとした意思は感じ取れる。
「……この子、どうなってしまうんですかね」
大企業が、ただのヘルメット団の生徒を探し出し呼び出す。正直、『よくあること』ではあるのだが────私たち全員の思考に共通して根付いている『確かな違和感』が、いつも通りの結論を堰き止めている。
「……引き渡しの時にそれとなく聞いてみるよ」
だから私としても。そんな言葉で有耶無耶に答えるしかなかった。
窓の外の風景が流れていく。砂の山が広がる風景から、栄えているのに寂れた繁華街。そこから少し離れて、ひと際高いビルの目の前で車は止まる。
よく見る無骨なドロイド人の手によってドアは開かれて。私たちは促されるままに、車を降りた。
「……ハルカとムツキは外で待機かな。私と社長で中に入る形が一番良いと思うんだけど。どう?」
「ええ、そうね。大勢で押しかけても迷惑でしょうし────」
……うん。それはそうなんだけど、ちょっとズレてる。まあ良いか。社長はこれくらいの思考でいてくれた方が一番良いし。
私と社長、それからヘルメット団の彼女を迎え入れるように口を開ける自動ドア。その向こうにはロビーが広がっていて、静まり返ったその場の空気に、私の隣で社長がひとつ身じろぎをするのがわかる。
受付に言われた通り、エレベーターに乗って。私たちがたどり着いたのは、高い高いビルの最上階。重々しい扉を開いたその先に、ソイツは居た。
赤と黒を基調としたスーツを身に纏った機械人の大男。まるで瞬きをするように目元の光は明滅し、私が後ろ手に扉を閉めたのと同時。彼────PMC理事は手に持っていた書類を、目の前の机の上に伏せた。
「ご苦労だったな。やはりそこらのチンピラ共とは違う。仕事が早くて何よりだ」
「ええ。
得意げに一歩踏み出す社長に合わせるように。彼女の背中を柔く押せば、糸が切れたようにその場にへたり込んだ。
────ちょっと。大丈夫?
喉元まで出かかった言葉を飲み込んだのは、きっと私だけではない。社長の視線が僅かに揺れて、胸の内に迫り上がった感情を押し殺すような間が。ソレを改めるような咳払いがあった。
「……、……この子で良かったかしら?」
「ああ、確かに。カードの回収は?」
「……済んでるよ。私が持ってる」
パーカーのポケットから取り出した一枚のカード。視線をなるべくやらないように掲げたソレを、PMCは一瞥すると。わざわざ私たちに歩み寄り、自らの手で受け取った。
「……それ、そんなに大事なものなの?」
自然と、私の口から問いがまろびでた。彼は私の問いに答えることはなく、くつくつと低い電子音で笑いを返す。
「キミたちに関係が?」
「いや、無いけど。単純に気になっただけ」
「そうか。過度な好奇心は猫をも殺す。故人はよく言ったものだよ」
上手く煙に巻かれた気がする。この子の処遇も聞いておきたかったけれど、これ以上は藪蛇か。心の中でハルカに手を合わせるだけに留めておく。
「────して。キミたち便利屋に続けて依頼したいことがあるんだが、良いかな?」
「ええ、どうぞ? 内容は何かしら」
「アビドス高等学校……その生徒をひとり拉致してきて欲しい。加えて、残りの生徒の戦意も叩き折れれば尚良し、といったところかな」
……アビドス高等学校。その名前には覚えがある。
かつてはゲヘナやトリニティに並ぶほどのマンモス校だった。でもそれは昔の話だ。今の彼女たちは、そこまで一企業が目の敵にするような子達ではないと記憶している。
再びほんの少しの間。社長の視線が私に向いて。何となくその目が、私に意見を求めているような気がして。自然と、思考を回す。
怪しい様子のヘルメット団の彼女。回収した謎のカード。ほぼ廃校状態の学校を目の敵にする異常さ。明らかに『何かある』と私の本能は告げている。
だが、
「金なら今回の三倍を今すぐに出そう。それから戦力は私の方で工面する。他に何か不安因子はあるかな?」
流石、こういった取引に慣れている大人なだけはある。間髪入れずに私たち有利の提案を投げかけて、逃げ道を塞いでくる。
……これなら断る方が不自然だ。頷くしか無いよ。そんな念を込めて小さなため息を吐き出し、小さく首を縦に振ると。それだけで社長は決心してくれたらしい。
「ええ、その依頼受けさせてもらうわ。準備を進めて……そうね。明日には、取り掛からせてもらうわ」
その声に最早震えや迷いの類はなく。私はその背中を、ただ黙って見つめる他なかったのだった。
◇Interlude out◇